第280話:一時の休息
キース達グレイゴ教徒の襲撃を受けて以来、旅は順調に進んでいた。
再度の襲撃もなく、レウルスが密かに危惧していたレベッカの襲来もなく、街道に従って進んでいく。グレイゴ教とは無関係に野盗が襲ってくるということもなかった。
レウルスが減った魔力の補充のために魔物に襲い掛かったり、進路上に在った町で休んだり、町で売られていた砂糖や香辛料を買い占めようとしたものの、いたって平穏と呼べる旅路となっていた。
そうして旅をすること半月あまり。
予定よりも少しばかり遅れてはいるものの、目的地の大森林まであと数日というところまで進んだレウルス達は、アーラスと呼ばれる城塞都市で休息を取っていた。
アーラスを出発すれば目的地に到着するまで立ち寄れる町はなく、食料の補充や休息を兼ねて二日ほど滞在する予定だった。
精霊教の教会があったため寝泊りに関しては民間の宿を取らず、精霊教徒とその客人であることを明かして教会の世話になっている。これはアーラスに至るまでに立ち寄った町でも同様で、コルラードの提案によるものだった。
「女子どもを連れて『祭壇』を探す旅ですか……いやはや、中々の荒行ですなぁ」
アーラスの教会を取り仕切る精霊教徒は、人の良さそうな初老の男性だった。レウルス達が掲げている旅の目的を聞くと、感心したように頷く。
「いえいえそれほどでは……それで、何かご存知ならば教えていただきたいのですが」
にこやかに微笑みながら話すのはレウルスである。一人だけ精霊教の客人であり、今回の旅でも護衛という立場にあるため率先して会話をしているのだ。
「ううむ……『祭壇』がある場所を知っていればお教えしますし、目ぼしい場所に関しても……敬虔な精霊教徒ならば命を賭してでも向かうでしょうしなぁ」
初老の男性は眉を寄せながら言うが、これは他の町で会った精霊教徒と同じ反応だった。精霊に祈りを捧げるための『祭壇』は知識として知っているが、実際にどこにあるかは知らないのである。
「そうですか……ヴェオス火山の周辺で火の精霊に祈りを捧げるための『祭壇』が見つかったので、“普段人が寄り付かない場所”なら『祭壇』が見つかるかと思ったのですが……」
「ふむ……そういうことでしたら、この町から北東に進んだ場所にあるリルの大森林がそうかもしれませんな」
初老の男性の言葉に、レウルスは内心で諸手を上げる。それでも表面上は笑顔を保ち、納得したように頷いてみせた。
「なるほど。これまで通ってきた町でも教会の方に話を聞きましたが、皆さん同じことを言っていましたよ。やっぱりあの大森林なら可能性がありますか」
そう言って笑みを深めるレウルス。
(これで“外向けの理由”作りは問題なし、と……)
内心ではそんなことを思うが、それを表に出すことはない。
レウルスが行っているのは単純なことで、ユニコーンがいると思しき場所へ向かうための理由作りである。
『祭壇』を探しているという名目で入国したため、それに見合った行動を取っているのだ。少しばかり言葉を誘導してはいるが、レウルス達が真っすぐ目的地に向かっても疑われないよう、行く先々で精霊教徒に話を聞いているのである。
ラパリに入国して以来、常にレウルス達を追うようにして尾行してくる者達がいる。町に寄る度に尾行者の数が変動しているが、その土地の領主に“仕事”を引き継いでいるのだろう。
レウルスが行っているのはそんな尾行者への対策で、後々文句をつけられないよう立ち回っているのである。町に寄る度に精霊教の教会に泊まっているのも、話を聞いたから目的地が決まっているのだと言えるよう“アリバイ”を作っている面が大きい。
ただし、教会を利用しているのはそれだけが目的ではない。旅の精霊教徒が教会を利用しないのが不自然というのもあるが、グレイゴ教徒への対策を兼ねてのことだった。
教義の関係上、グレイゴ教徒が人間を狙うことはほとんどない。それでも近隣のグレイゴ教徒の動向を確認し、再度の襲撃があっても余裕をもって対処できるようにするため精霊教徒から情報を得ようとしていた。
レウルスは眼前の初老の男性の相手をしているが、コルラードなどは町に出かけて情報収集を行っている。エリザ達にはルヴィリアの護衛を任せつつ、休める限り休むように言ってあった。
初老の男性と世間話を交えながら情報交換を行ったレウルスは、その足を教会の奥に向ける。ラヴァル廃棄街の教会と同様に祈るための場所と生活の場がわかれており、その中でもルヴィリア達に宛がわれた客間に向かっているのだ。
(まだユニコーンに会えてないし、折り返してもと来た道を戻る必要もあるけど……ここまではなんとか辿り着けたか)
今後のことを考えつつ、レウルスは手甲の上から自身の左腕を撫でる。
キース達との戦闘によって負傷した左腕の傷は既に塞がっているが、手甲に開いた穴は完全には直っていない。ミーアが応急処置として魔物の革で塞いだものの、その部分だけ強度が落ちている状態だ。
(グレイゴ教徒の襲撃もないし、兵士以外に不審な尾行者もいない……一度くらいは野盗が襲ってくると思ったけどなぁ)
偶然なのか、あるいは街道に沿って歩いていたからか。レウルス達の素性を知らない野盗が見ればさぞ美味しそうな“カモ”に見えるはずだが、サラの感知網に引っかかることもなかった。
野盗だけでなく中級以上の魔物が襲ってくることもなかったため、魔力と食料の補充のためにレウルスの方から魔物に襲い掛かったが、これまでの旅でもしてきたことである。慣れてしまったのか、ルヴィリアやアネモネが文句を言うこともなかった。
(マタロイと比べるとこの国の方が治安が良いのか? いや、襲ってほしいわけじゃないし、襲われても面倒だけどさ……)
いくら相手が野盗とはいえ、殺してしまえば尾行者がどう思うか。コルラードのように職務熱心かつ“話がわかる”相手ばかりとは限らないのである。
そんなことを考えていたレウルスだったが、ルヴィリア達が泊まっている部屋の前に到着して足を止めた。
護衛としてエリザ達も一緒にいるため、今後の予定について軽く話しておこうと思ったのだ。
「……ん?」
だが、レウルスが扉の前に立つなり部屋の中からドタバタと足音が聞こえてきた。襲撃されているのかと一瞬疑うが、それにしては騒ぐような声も聞こえない。
ひとまずノックをしてから扉を開けようと思ったレウルスだったが、それよりも先に扉が開いた。そしてアネモネが顔を覗かせたかと思うと、素早い動きで外に出てくる。
「アネモネさん? どうかしたんですか?」
「こちらへ」
一体何事かと首を捻るが、レウルスはアネモネに促されて扉の前から離れる。
キース達グレイゴ教徒の襲撃からルヴィリアを守り通したからか、旅を始めた当初と比べればアネモネの雰囲気もだいぶ和らいでいた。あるいは、主君であるルヴィリアが襲われてる最中に熱を出してしまったことで、アネモネが自身の“立場”を下げてしまったのか。
部屋から声が聞こえない程度に離れたアネモネは、どこか言い難そうな様子で口を開いた。
「この町には二日間滞在する予定でしたが、更に三日、いえ、二日……一日、延ばすことはできますか?」
「いきなりですね……もしかしてルヴィリアさんが体調を崩しましたか?」
そうだというのならば、滞在期間を延ばすのも仕方がないだろう。旅を始めて既に一ヶ月近く経過しており、ルヴィリアも疲労が溜まっているはずだ。
なるべく休息を取らせ、夜も寝かせ、町に寄る度に寝台で眠ることもできていたが、ルヴィリアの体力は多くない。旅を続けることで少なからず体力もついてきているだろうが、肉体的にも精神的にも疲労が蓄積しているはずだった。
「体調を崩したといいますか……いえ、そうとも言えるのですが……」
だが、アネモネの反応がおかしい。奥歯に物がつまったような口ぶりで、どこか言い難そうである。
(これまでの旅でも体調が悪かったらすぐに言ってたし、その度に休んでたよな。何か言い難いような……あー……)
不思議そうにアネモネを見ていたレウルスだが、心中で思考を進めていく内に何とも言えない気分になった。ルヴィリアの現状に関して見当がついたのだ。
誤解ならば笑い話にもならないが、どうやらルヴィリアは“定期的に訪れる体調不良”に襲われているらしい。
「……旅の疲れが出たんでしょう。ゆっくり休むよう伝えてください。コルラードさんが戻ってきたら、俺の方から伝えておきますから」
真顔でそれだけを告げると、レウルスは教会周辺の警戒をしようと外に出ることにした。
(体調を崩したって伝えてくれればそれで良いのに……いや、サラ辺りが騒いでどのみち伝わるって思ったのか……俺もコルラードさんも、疲れが溜まってたしな)
ひとまず、まとまって休める時間ができたのだ。目的地も近いため、ユニコーンを探す前に一休みするのも良いだろう。
レウルスはそう思うことにして、教会を後にするのだった。
「それにしても司祭様、本当に良かったのですか?」
「なんだ、まだ言ってるのかよ……」
部下からの言葉を聞き、キースはため息を吐きながら答える。このやり取りは何度も行ってきたもので、さすがにそろそろ面倒になってきていた。
「レベッカ様の指示に逆らったって報告したいのか? 俺は嫌だぞ。それに、どうせ失敗するならそれで良いって程度の仕事だったしなぁ」
そんな話をしつつも、キース達は森の中を進んでいく。その森はレウルス達の目的地であるリルの大森林だった。
「大体、本気で殺すつもりなら司教様方から一人ぐらいは出てくるっての……まあ、“普通の相手”なら俺達だけで十分だったんだろうけどよ」
「あれが噂の『王子様』ですか……羨ましいと思えないのは、我々がレベッカ様に近いからですかね?」
「あの司教様も顔は美人だし、体付きも悪かねえんだけどな……」
抱えている欠点がそれらの美点を打ち消して余りある。そんな言葉を交わしつつも、キースは道なき道を進んでいく。
「ただ、武器を失ったのは事実だからな。せめて上級の魔物につながる情報を手土産にしないと、戻ることもできねえ」
「あの森ならユニコーンがいると聞きますが……」
「アレを狙うのはなぁ……過激派の奴らなら狙いそうだが……ん?」
ふと、違和感を覚えてキースは振り返る。リルの大森林に入ってそれほど進んでいないが、いつの間にか部下の助祭が足を止めていたのだ。
「おい、どうした? 何かあった――っ!?」
“それ”に気付いたのは、キースがこれまでに積み重ねてきた鍛錬と経験によるものだった。
嫌な予感が全身を駆け巡ると同時に隠していた短剣を抜いて構える――が、最早遅い。
軽い、風が吹いたような感覚と音。キースがそれを知覚した時には、全てが終わっていた。
キースの視界の中で、足を止めていた助祭の首が落ちる。見れば、視界の端にいた他の部下達も似たような有様で、不思議そうに目を見開いた状態で首が転がり落ちていた。
そしてキースの視界が空転し、暗転していく。
『キキキキキキキキキッ!』
消えゆく意識の中で、キースは嬉しげに笑う耳障りな声を聞いた気がした。