第279話:ルヴィリア その6
「やっぱり斬るべきでは? 埋めるのが手間だっていうのなら俺がやってきますけど?」
キースの話を聞いたレウルス達は、キースに聞こえないよう小声で相談を行う。
最初に発言したのはレウルスで、尾行者にグレイゴ教徒が混ざっていても口八丁手八丁で切り抜ければ良い。難癖をつけられても跳ね除ければ良いのではと考え、キース達をこの場で斬ることを提案した。
死体を埋めるのも、生まれ故郷で数えきれないほどやったことだ。シェナ村にいた頃と比べれば遥かに身体能力が増している現状ならば、時間もそこまでかからないはずである。
そんな物騒な提案を行うレウルスに対し、コルラードは小さくため息を吐いた。
「そうやって簡単に事が済めば苦労はしないのである……勘違いしているようだから訂正しておくが、ここはマタロイではないのだぞ? 相手がグレイゴ教徒だからと殺してしまえば、それこそ向こうの思惑通りになってしまう」
「そうなんですか?」
「うむ。ラパリでは精霊教を信じる者がいるのと同じぐらいにグレイゴ教を信じる者がいるのだ。先ほどはおそらくと言ったが、あの者の口振りでは確実に尾行者の中にグレイゴ教徒がいるであろう。はっきり言うと、現状は既に“詰んでいる”のだ」
そう語るコルラードにレウルスだけでなくサラ達も首を捻ると、コルラードは歯痒そうに表情を歪める。
「お主らにもわかるよう説明するなら、殺して埋めても尾行者のグレイゴ教徒が“他の容疑”で吾輩達を捕えようとするだろう。こちらの素性を知っているのなら話は早い。ルヴィリア殿を抑えるだけで事足りる」
「昨日通った『砦』で捕まえなかったのは?」
「グレイゴ教徒がいるように、精霊教徒もいると言ったであろう? 『砦』の中で宗教戦争を始める気はないのだろうよ。あのキースという者達からすれば、夜間かつ雨が降る中の不意打ちで仕留めきれないとは思わなかったのだろうが……」
相変わらず雨にうたれているキースをちらりと見て、コルラードは頭を振った。
「今回の依頼と同様に、仕掛けられた時点でこちらには打つ手がないのだ。いや……正確には打つ手がなかった、というべきだがな」
「……できれば外れていてほしいんですが、俺がこの場にいたからですか?」
できれば自分の自惚れであってほしい、という願いを滲ませながらレウルスが言う。キースの反応を見れば答えがわかってしまうのが悲しかった。
「そうなのだ。どうやら以前襲ってきた司教……あやつはお主に執心のようだな。話すかわからんが、一応確認してみるか……」
そう言って、コルラードはキースに視線を向ける。
「貴様の上司……あの『人形遣い』はレウルスに関してどんな指示を出しておったのだ?」
「ん? 普段と比べたら大した指示じゃないぜ? 『わたしの王子様に手を出したら殺す』って話さ……まさか、この広い大陸で偶然かち合うとは思わなかったけどな……」
思ったよりもあっさりと、レベッカからの指示を話すキース。そんなキースに対し、レウルスは鋭い視線を向けた。
「普段はどんな指示が出されてるのか気になるところだけど……偶然とはいえ司教の指示を無視した形になるわけか」
「そうなるな。だからこうやって見逃す代わりに見逃してくれって交渉してるんだよ。こっちは命……いや、部下含めて人間としての尊厳がかかってるんだ」
キースは縛られた体で窮屈そうに肩を竦めた。
「誤解がないよう言っておくが、手を引くってのはアンタらを尾行している奴ら込みでの話だ。今回の件に関わっている中で一番位階が高いのが司祭の俺でね。その辺りはどうとでもなるって保証させてもらおう」
「……今までの話は全部作り話で、逃がしたらまた襲ってくるって考える方が自然だと思うが?」
レベッカと実際に敵対したことがあるレウルスとしては、キースの話にも一定の信憑性があった。それでも作り話という線も捨てきれず、判断に迷う。
(怖気が走るけど、『わたしの王子様』なんて気色悪い呼び方を知ってるんだ。こいつがレベッカと関わりがあるのは事実、か……)
部下の立場にあるのなら、たしかにあれほど嫌な上司もいないだろう。その点に関しては同情するレウルスである。
「レベッカにも報告するつもりはないんだな?」
「“俺の意思”では報告しない……悪いが、そうとしか言えねえな」
レベッカの能力を知る者にしか通じない言葉だった。そのためレウルスはため息を吐く。
「操られたらその限りではないってことか……コルラードさん?」
「ううむ……せめてマタロイ国内にいる時に仕掛けてきたのならばどうとでもできたが、やはりこのまま逃がすしか」
「――待ってください」
レウルスがコルラードに判断を任せようとすると、それを遮るようにルヴィリアが声を上げた。
レウルスの傷口を見て表情をなくしていた時と違い、その顔には凛とした気迫が宿っている。
ルヴィリアはキースの顔をじっと見ると、険しさを感じさせる声を出す。
「あなたは先ほど、わたしを殺すのが“失敗しても良い仕事”だと言いましたね? その点に関して何も説明を受けていませんが?」
そう問いかけるルヴィリアだが、声色とは裏腹に足が僅かに震えていた。レウルスはそんなルヴィリアの斜め前に移動すると、何が起きても対応できるよう『龍斬』を握る右手に力を込める。
「お姫様、それも標的自身に聞かせるような話じゃないんですがねぇ……それでも聞きたいんで?」
試すようにルヴィリアを見るキースだが、その視線を受け止めたルヴィリアは得心がいったように頷く。
「……なるほど。あなたの反応から確信が持てました。レウルス様、コルラード様、この方たちは見逃して大丈夫です」
「むっ……いえ、しかし、それは……」
ルヴィリアの言葉を聞き、コルラードは難色を示すように眉を寄せた。しかしコルラードも消極的とはいえ同意見だったのか、それ以上言葉が出てこない。
「いいんですか? これから先、今回ほどの悪条件で襲われることはないかもしれませんけど、敵の数が増えたり俺達では手に負えない奴が出てきたりするかもしれませんよ?」
コルラードの代わりにレウルスが懸念をぶつけると、ルヴィリアはどこか悲しそうに首を振った。
「皆様に守ってもらっている身で何を、と思われるでしょうが……どうか信じていただけないでしょうか? この方達は見逃しても問題ない……いえ、むしろ逃がした方が当家の利益になりますので」
「……そこまで言うのなら」
レウルスには予測がつかないが、ルヴィリアには何か思うところがあるらしい。そう察したレウルスが頷くと、ルヴィリアは小さく頭を下げた。
「ごめんなさい、レウルス様。大怪我をしてまでわたしを守ってくださったのに……」
「……いえ、気にしないでください」
何かを知っていると思しきルヴィリアだが、それをこの場で語る様子は見られない。そのことに不審の念を抱きつつも、レウルスは引き下がるのだった。
そして夜が明けた翌朝。
夜間の間に大量の雨が降ったことで雨雲も去ったのか、日が昇る時間帯になると雨も止んでいた。
既にキース達の姿はない。縄を解き、気絶させた部下達に“気つけ”をして目を覚まさせると、暗闇と雨に紛れるようにして撤退していった。
魔物に襲われることを危惧してキースの短剣は返しているが、狙撃に使われたクロスボウと矢に関してはレウルス達が確保している。興味を引かれたミーアが早速弄繰り回しているが、壊してしまうことはないだろう。
「わたしが眠っている間に……そんなことが……」
昨晩熱を出し、グレイゴ教徒の奇襲に合わせて大立ち回りをした影響で寝込むにいたったアネモネが、どこか辛そうに言葉を発する。
ただし、昨晩の騒動が終わった後は眠り続けていたからか、その顔色は多少マシになっていた。朝食を取るだけの食欲もあり、馬車の御者程度ならば務められるほどに回復していたが、昨晩の顛末を聞いてその場に膝を突いて慟哭しそうなほど落ち込んでいる。
「病人が無理する状況じゃなかったですし……」
「そ、そうであるぞ? 貴殿がしっかりと休んでいたからこそ、こうやって旅に戻れるわけで……」
レウルスは気だるげに、コルラードはアネモネから視線を逸らしながら宥める。
ないとは思ったが再度の襲撃の可能性も捨てきれず、夜を徹して警戒していた結果だ。
しばらくこの場に留まって休みたいところだが、雨が上がったというのに動かないのでは尾行者が疑問に思うだろう。
「うー……あー……レウルスぅ……離れたところに尾行の人達の熱が……数が半分……五人に減ってる……」
「雨を嫌って半分引き返したのか、半分がグレイゴ教徒だったのか……って、サラは索敵はほどほどにして休んでくれ。日中なら俺達だけでもどうにかなるから」
雨が降りしきる中で周囲の索敵を行っていたためか、普段の騒がしさが嘘のように疲れた様子のサラ。レウルスも疲労が濃く、左腕も完治までもう少しかかるが、サラよりもマシだからと休むように勧めた。
「辛いのなら馬車の中で休むのである……吾輩とレウルスは休めぬ故な」
そう言ってコルラードは馬車に視線を向ける。馬車の中ではルヴィリアが眠りについているため、異性であるレウルスやコルラードが一緒に休むわけにはいかないのだ。
昨晩の襲撃によって張りつめていた緊張の糸が切れたのか、キース達が去るなりルヴィリアは倒れるようにして眠ってしまった。
アネモネほどではないが熱も出ており、朝食の際に一度目を覚ましたものの薬を飲んで再び眠ってしまったのだ。
「むー……でもぉ……」
かたくなに休むことを拒み、幼子のように目に涙を溜めながらレウルスを見るサラ。どうやら昨晩の奇襲を許してしまったのが堪えているらしい。
フラフラとした足取りで歩くサラだが、それを見かねたのかエリザが駆け寄る。
「良いからお主は休むんじゃ。ワシは昨晩しっかりと眠れたから、今度はお主が休む番じゃよ」
アネモネの冷えた体を温めるため添い寝していたエリザだが、本人もぐっすりと眠れたのか疲労の色は薄い。優しげに語り掛けるエリザだが、サラは眠そうな目を向けて唇を尖らせた。
「えー……エリザじゃちょっと頼りない……」
「な、なんじゃとー!?」
雷魔法や“魔物避け”はともかく、索敵に関しては心得がないからか、サラはエリザを頼りなさげに見る。その視線を受けたエリザは頬を膨らませてサラに掴みかかると、『強化』を使ってサラの体を無理矢理抱き上げ、馬車に放り込んだ。
「良いから休むんじゃ! それとミーア! お主も休むんじゃぞ?」
「えっと……サラちゃんと交代で休むね?」
ミーアにも休むよう勧めるエリザだが、エリザがいれば下級の魔物が寄ってこないのだ。中級以上の魔物ならば多少距離があってもレウルスが気付けるため、不意打ちを受ける可能性は低くなるはずである。
(しかし、一度の襲撃でこの惨状か……キースの言葉が本当ならグレイゴ教徒は襲ってこないかもしれないけど、当分は気を抜けないな)
ラパリに入り、三日と経たずにこの状況である。
今後の旅に一抹の不安を覚えつつも、それを誤魔化すようにレウルスは頭を振るのだった。