第276話:ルヴィリア その3
レウルスが身に着けている防具は、ドワーフの手によって作られた逸品である。
『龍斬』を鍛え上げたカルヴァンには劣るものの、三度の飯より酒と鍛冶が好きなドワーフ達が、質の良い材料を使って作り上げたものだ。
表面に貼られたヒクイドリや飛竜の革、ドワーフが精錬した鉄鋼、そして内側に貼られた衝撃を吸収する巨大ミミズの皮。それらの素材を三層に組み合わせた防具は非常に頑丈で、並の斬撃や刺突ならば容易く受け止めることができる。
突如として飛来した矢は、そんなレウルスの手甲を貫通していた。
左腕の肘先に感じる激痛と、左腕がそのまま千切れるのではないかという衝撃。反射的にルヴィリアを庇ったレウルスは体勢を崩し、激痛によって思考が激しく乱れそうになる。
「ッ!」
矢を受け止め、激痛が脳内を走り抜けた瞬間、レウルスは『熱量解放』を使った。そして状況が理解できていないのか、目を丸くしているルヴィリアを押し倒す。
「わわっ!? と、突然何を!?」
「敵だ! 伏せてろ!」
『熱量解放』を使ったことで痛みがほとんど感じられなくなるが、同時に、鋭い殺気が向けられていることにも気付く。
レウルスは己の直感に従ってルヴィリアを押し倒したが、ほんの数瞬と経たない内にそれまでルヴィリアが座っていた場所――それも頭があった場所に再度飛来した矢が突き刺さった。
「チィッ! サラ!」
「ごめん! わたしでも“見えない”! 雨が降っててわかりにくいけど、それでも周囲に熱源がない!」
レウルスに甘えていたサラだが、野営中とあって完全に気を抜いていたわけではない。以前、それで魔物の襲撃を許してしまったことがあるのだ。
そのためサラは常に周囲の熱源を探っていたものの、知覚できる熱源は存在しなかった。
「レウルス君! ルヴィリアさん!」
レウルスがルヴィリアを庇ったのを見て、ミーアも即座に動く。愛用の鎚を握って即座に立ち上がり、レウルスとルヴィリアを庇うように立ち塞がった。
「ミーア! 前だ!」
「えっ……わわっ!?」
レウルスが注意を促すと、ミーアは自身に迫っていた矢に気付いて鎚で弾き飛ばす。しかし、弾いた矢の“重さ”に思わず驚きの声を漏らしてしまった。
「お、おもっ……なにこの矢!?」
ミーアが弾いた矢は通常の弓に用いるものと比べて短く、太く、軌道を安定させるための矢羽も小さい。それでいて矢全体が金属で作られているのか、鎚で弾いたミーアの手が痺れるほどの衝撃があった。
レウルスの左腕に刺さっている矢も似たようなものだが、手甲が多少なり威力を殺いでいなければそのまま腕が千切れていたかもしれない。そう思えるほどの衝撃と威力があった。
「コルラードさん!」
「こっちは大丈夫で……ぬぅんっ!」
馬と一緒にいるはずのコルラードに向かって叫ぶと、金属同士がぶつかり合う音と共に返事が返ってくる。どうやらコルラードも狙撃されたようだが、弾き飛ばすことに成功したらしい。
レウルスはルヴィリアを庇いながら起き上がると、傍に立てかけてあった『龍斬』を握る。そして僅かな風切り音に反応し、向けられる殺気に応えるよう大剣を叩きつけた。
(っ……ミーアの言う通り、重いな!)
飛来する矢を『龍斬』の“腹”で弾いてみたが、手に伝わってくる衝撃はかなりのものがあった。『熱量解放』を使っているため剣を手放すようなことはないが、生身の人間に直撃すれば胴体が泣き別れしそうな威力がある。
だが、“それだけ”だ。不意打ちならばともかく、剣を構えた以上レウルスならば問題なく弾ける。
更に二度、三度と矢が飛来するものの、『龍斬』を振るうことで弾き飛ばしていく。夜間かつ悪天候のため視界は最悪だが、『熱量解放』を使っているレウルスならば余裕をもって対処できる。
(……? 体に違和感が……)
しかし不意に、体に違和感を覚えた。体が少しだけ動かしにくくなっているように感じられるのだ。
“その感覚”には覚えがあり、レウルスは隙を晒さない程度に自身の左腕を見る。
「これは……まさか、毒か?」
「――ご名答。いやはや、それでもそこまで動けるのなら大したものだ」
レウルスの言葉に対し、即座に反応が返ってくる。レウルスが視線を向けてみると、そこには『駅』に造られた柵を飛び越える何者かの姿があった。
外套を羽織って顔を隠しているが、その声色は低い。柵を飛び越えて着地する姿には隙がなく、雨が降っているにも関わらずその動きは滑らかだった。
(野盗……じゃねえな。コルラードさんみたいに騎士とも思えねえ……)
どうにも“見た覚え”のある動きだ。ついでに言えば、毒を使う手口にも心当たりがあった。
レウルスは相手の正体に見当をつけながらも、ルヴィリアを庇うように立ち位置を調整する。声色から判断する限り男だろうが、その手には何も握られていない。先ほどの矢を発射できるような弓の類は見当たらなかった。
「どうだろうか? ここは一つ、交渉で全てを終わらせたいのだが」
そう言いつつ、男は懐から小振りな瓶を取り出す。そしてレウルスにも見えるように軽く振った。
「面倒は少ない方が良いし、君も命は惜しいだろう? 気を抜いていたように見えたのに、一射目を防いだその反応……こちらとしても君のような手練れを毒で殺すのは本意ではなくてね。これは解毒剤だ」
「…………」
レウルスは無言で『龍斬』を鞘から抜いて構え、男との距離を少しずつ詰め始める。それと同時に、サラに対して『思念通話』を行った。
『ミーアと一緒にルヴィリアさんを守ってくれ。あと、エリザとネディ……可能ならアネモネさんを起こして周囲の警戒も頼む。他の敵の位置は?』
『……ごめん、レウルス。相変わらず熱は感じ取れない……ソイツからも熱が感じ取れないから、何か誤魔化す手段があるのかも』
そんなサラの返答に、レウルスは心中だけで疑念の声を漏らす。
(熱がない? まさか死体が動いてるわけでもないだろうに……“あの女”の人形……にしては違和感がないな)
レウルスの脳裏に過ぎったのは、『魔法人形』を操るレベッカである。だが、以前交戦した際にはレベッカを模した人形にも熱があり、斬れば血も出ていた。
(となると、あの外套が怪しいか……雨で濡れてるからサラが熱を感じ取れないのか、もしくは『魔法具』か……)
いくつか疑問はあるが、それは後から考えれば良い。じわじわと間合いを詰めるレウルスの姿をどう思ったのか、男は大仰な仕草で肩を竦めた。
「後ろのお嬢様をこちらに渡してくれればこの解毒剤を渡そう。それと、それ以上は動かない方がいいぞ? 動けば毒が回って解毒剤でも」
「そうか、死ね」
男の目的はルヴィリアらしく――それならば護衛のレウルスにとって敵だ。
それまでのゆっくりとした動作が嘘のように、レウルスは全力で駆ける。地面が雨で濡れて滑りそうだが、雨中の戦闘に関してもコルラードから手ほどきを受けている。
むしろ滑るようにして移動し、瞬時に眼前の男を間合いに捉えた。
「なっ!?」
男はレウルスの行動に目を見開いたものの、両腕の袖口から瞬時に短剣を取り出す。そして交差させて『龍斬』の刃を受け止めると、衝撃に逆らわずそのまま弾き飛ばされた。
男の短剣は業物なのか、『龍斬』と打ち合ったにも関わらず切断されていない。それでもレウルスの強襲によって体勢が崩れており、両足が地面から浮いていた。
レウルスはその隙を逃さず、男を仕留めるべく駆ける。宙に浮いた状態では、属性魔法でも使わない限りどうにもならない。
しかし、レウルスが斬りかかった男からは魔力が感じられなかった。魔力を隠しているのかもしれないが、絶好の機会に変わりはない。
宙に浮いた男の胴体を両断し、臓物をぶちまける――それよりも早く、殺気と飛来音に気付いたレウルスは『龍斬』を真横へと振るった。
男を援護するために、仲間が矢を放ったらしい。レウルスは弾丸のような速度で迫る金属矢を切り払い、両足から着地して体勢を整える男へ視線を向ける。
「つぅ……これは予想外だ。今の一撃もそうだが、冒険者なら命を賭けてまで護衛者を守るとは思わなかったんだがね」
(……俺を冒険者だと知っている?)
男の言葉に反応し、レウルスは眉を寄せた。
冒険者をよく知る者ならば、レウルスが身に着けている装備で冒険者だとわかるだろう。だが、男の言葉には“それ以外の確信”があるように聞こえたのだ。
男は両手の短剣を構えると、僅かに腰を落とす。
「まったく……これはまた厄介な仕事だ。君が毒で死ぬまで粘らせてもらおうかな。君さえ崩れればどうにかなりそうだ」
男が一人で姿を見せたのは、レウルス達を一人でどうにかできる自信があったのか、それとも交渉に応じると思っていたのか。離れた場所に援護の人員が潜んでいるようだが、防御を固めたその姿勢にレウルスは眉を寄せる。
「ああ……コレか」
レウルスは今気付いた、とでも言わんばかりに左腕に視線を向けた。そして右手だけで『龍斬』を持ち、矢の胴体部分に噛みつく。
重心を整えるためか矢じりが少しばかり太くなっているが、“返し”はついていない。そのため歯で咥えた矢を力任せに引き抜くと、地面に向かって吐き捨てる。
矢が抜けたことで傷口から血が溢れ出すが、レウルスはそれに構わなかった。むしろ毒が抜けて丁度良い、と流れ出る自身の血を一舐めする。
「舌がピリピリするだけで、毒ってのはそんなに味がしないな……香辛料の辛さも要は痛みだって聞くけど、毒も調味料になると思うか? なあ?」
最近、美味い香辛料が手に入ったからいらないけどな――などと言葉を付け足しながらレウルスは『龍斬』を両手で握り直す。
それなりに隙を晒したレウルスだが、躊躇なく矢を引き抜く姿を見て呆気にとられたのか、男が攻撃を仕掛けてくることはなかった。
「こいつは……また……冒険者と聞いちゃいたが、魔物の『変化』か、亜人の一種だったか……」
それでも、男は気を取り直して短剣を構えた。そこには先ほどまでの余裕を感じさせる気配はなく、最大限にレウルスを警戒した様子である。
そんな男の反応に、レウルスは盛大に顔をしかめた。それでも文句は言葉ではなく、体に直接剣で叩き込むべきだろうと前傾姿勢を取る。
「一応聞いておくが、まさか香辛料を使ってその男を食うつもりではあるまいな?」
だが、レウルスを止めるようにして声が響く。
その声に釣られたレウルスが見たのは、気絶していると思しき二人の人間を引きずりながら近づいてくるコルラードの姿だった。