第275話:ルヴィリア その2
「今回の依頼で、気になることもあると思います。わたしが答えられる範囲でですが、それにお答えできれば、と……」
そう語るルヴィリアは真剣な表情だが、そこにはいくつもの感情が混ざっているように感じられた。
緊張、恐怖、焦り――そういった負の感情を滲ませながらも、真っすぐにレウルスを見つめている。
対するレウルスは、太ももに乗っているサラの頭を撫でながら思考を巡らせる。
(聞きたいこと……ルヴィリアさんに聞きたいこと、か……)
今回の依頼に関して、気になることは当然ながら存在した。
だが、それをこの場でルヴィリアに聞きたいかと問われれば。
「――いや、特にないですね」
数秒思考を巡らせたレウルスは、特にないと言ってのける。
色々と気になること、言いたいことはある。だが、それをルヴィリアに言って何になるというのか。
(世の中、知らない方が安全ってこともあるしな……もちろん、知ってないと危険ってこともあるだろうけど……)
ルヴィリアが話せる限り話してくれるというのなら、良い機会ではある。しかし、レウルスにはそれが“聞いて良いこと”かどうか判別がつかないことが多いのだ。
興味本位で尋ねた結果、貴族関連の底なし沼に頭から飛び込む羽目になりかねない。
「ご、ご不満もあるかと思います。ヴェルグ子爵家の名に誓って、怒ったり罰したりしません。ですので、そういったことだけでも聞かせていただければと」
だが、そんなレウルスの警戒をどう取ったのか。ルヴィリアは焦ったように言葉を紡ぐ。
(不満があるかと思うって……)
レウルスは小さく眉を寄せた。
不満の有無を聞かれれば、あるとしか言えない。むしろ現状の全てが不満と言っても良いほどだ。
今のところ大きな問題もなく、順調といって良い旅だが、わざわざ国境を越えて他国に赴いているのである。いつ、どこで、どんな問題が起こるかもわからず、それを不満に思わない人間などいないだろう。
だが、それをルヴィリアにぶつけるわけにもいかない。可能性は低いだろうが、不満を口にさせておきながら強請るネタとして使われる危険性もあった。
「そういったことは姐さん……いや、うちの町の管理官が“裏表”全部理解してるでしょう。俺としては、依頼を受けた冒険者として今回の仕事を無事に達成できるよう頑張るだけですよ」
そのため、レウルスはすげなく話を打ち切ろうとする。
ナタリアに自身の素性を打ち明けて以来、明らかに“扱い方”が変わったと感じているレウルスである。ナタリアの期待に応えるのも吝かではないが、知識も常識も足りない状態で動いては迷惑になりかねない。
(ないとは思いたいけど、知ったらいけないことを話してヴェルグ子爵家側に引きずり込もうとしている……なんて可能性もあるしな)
何故かあたふたとしているルヴィリアだが、生まれた時から貴族の一員で、病弱とはいえ相応の教育を受けているはずなのだ。
深窓の令嬢といった外見だが、権謀術数を操る側面が潜んでいても不思議ではない。
(そんな風に疑ってみると、今の状況すらも怪しく思えてきたぞ……)
さすがに雨が降ってきたのは偶然だろうが、アネモネが熱を出して寝込み、コルラードが馬を見張るといって距離を取っているのだ。
そんな状況で、貴族のお姫様がわざわざ冒険者と話したいと言う。
――あれ? この人って実はやばい人なのでは?
ラヴァル廃棄街を出発する前はナタリアとよく話していたからか、ルヴィリアの言動全てが怪しく思えてきた。
いくら王都で一軍を率いていたとはいえ、ナタリアは準男爵の家系である。子爵家に生まれたルヴィリアが、ナタリアが積み重ねてきた経験を上回るほどの智謀を実家の教育によって得ていないとも限らない。
病弱な手弱女らしい外見だが、一度疑うとそちらの方が自然に思えてきたレウルスである。
「あの、目が怖いのですが……な、何か勘違いされていませんか?」
「いえ……勘違いかどうか自分でも判断がつかないところですね」
レウルスがじっとルヴィリアを見つめていると、ルヴィリアは羽織っていた布を握り締めながら身を縮こませる。
当然ながら、レウルスが勘違いしているだけという可能性もある。困惑するルヴィリアの表情は自然なもので、腹に一物抱えているようには見えない。
(……勘違い、か?)
本人に聞かれればにっこりと微笑まれそうだが、ナタリアのような底知れなさは感じられない。レウルスの反応を見ても、『本当に何もないの?』と言わんばかりに困惑しているほどだ。
(そう思わせておいてやっぱり……なんて考えてたら堂々巡りだな。こんなことならエリザに起きていてもらえば良かったか)
戦力と性格の相性から先に寝かせてしまったが、これならばエリザを起こしておくべきだったとレウルスは後悔する。かといって今から起こしてしまっては、ルヴィリアに対して明らかに警戒していることが伝わってしまう。
傍にいるのはサラとミーアだが、この手のことをサラに頼るのは悪手以前の問題だった。ミーアはレウルスよりもこの世界の知識や常識があるが、人間社会――それも貴族関係の話となるとレウルスよりも疎い。
それでも、このまま断り続けるのもルヴィリアの心象が悪くなりそうだった。そのためレウルスは心中でため息を一つ零し、当たり障りのない質問を行うことにする。
「それではお言葉に甘えて……」
「っ……はいっ! どうぞ!」
ルヴィリアは表情を輝かせると、待ってましたと言わんばかりに笑顔を浮かべた。
「体調は大丈夫ですか? アネモネさんも熱を出しましたし、少しでもきついと思っているのなら早めに教えてもらえると助かります」
「はい……えっ?」
そして、笑顔があっという間に曇ってしまった。
「多分、ルヴィリアさんの場合はアネモネさんと違って完全に素人だから大丈夫だと思うんですけどね。アネモネさんは長時間緊張した状態を保てますけど、ルヴィリアさんはそうじゃないですし」
「え?」
「疲れればすぐに休んでもらってましたし、夜も可能な限り寝てもらってます。もちろん疲れも溜まってるはずですけど、アネモネさんみたいにいきなり熱が出るほどは疲れないと思うんですが……本当に大丈夫ですか?」
「あ、はい……大丈夫です」
今回の旅において、一番の懸念材料がルヴィリアの体調である。レウルスだけでなくコルラードやアネモネ、エリザ達でさえも注意を払っているほどだ。
念押しするようにレウルスが尋ねていると、レウルスの膝枕から抜け出したサラがミーアとひそひそ話をしている。
「思いっきりルヴィリアの期待を無視してるんだけど、あれってわざと?」
「わざとじゃないかな……でも、レウルス君ってたまに素でそういうことするから……」
もちろん距離が近いためレウルスにも聞こえているが、その会話に触れることはなかった。わざとではなく、“今回の旅”について聞きたいことを聞いただけの話である。
だが、さすがにそれだけで話を打ち切るわけにはいかないだろう。レウルスとしては『夜更かしこれぐらいにして寝てください』と言いたいところだが、ルヴィリアの瞳には困惑と同時に不満の色がある。
「……それと、旅をしてみて感想とかあります?」
事務的な反応が不満らしい。そう判断したレウルスが新たな話題を振ると、ルヴィリアは戸惑いながらも頷いた。
「それはもう、たくさんあります。一晩では語り尽くせないほどに」
「一晩語ったら絶対に体調を崩すんで、やるならヴェルグ子爵家に戻ってからにしてくださいね?」
目を輝かせるルヴィリアだが、レウルスが止めなければ本当に一晩語りそうな気配があった。そのため即座に釘を刺すと、今度ははっきりと、不満そうに頬を小さく膨らませる。
「レウルス様、冷たくありませんか?」
「冷たいんじゃなくて、貴族の御姫様を相手にどんな態度を取って、どんな話題を振れば良いかわからないだけですよ」
冒険者に何を期待しているんだ、とレウルスはため息を吐きたくなった。
「あっ、それならわたしから質問! 旅をしてみて何が楽しい?」
そんなレウルスを他所に、それまでなるべく会話に参加しようとしなかったサラが質問をぶつけた。レウルスとルヴィリアの会話を聞き、助け船を出そうとしたらしい。
「そう、ですね……何が楽しいかと聞かれると困ってしまいます」
「そうなの?」
「ええ――全部が楽しいですから」
そう言ってサラに向かって微笑みかけるルヴィリア。
「こうして自分の足で街道を歩き、夜は焚き火を囲んで食事を取り、馬車の中とはいえ夜空の下で眠る……その全てが新鮮で楽しいです」
(…………ふむ)
案外神経が太いのか、ルヴィリアは今の状況を心底楽しんでいるらしい。
「えーっと……それならボクからも質問です。答えられない、もしくは答えにくいなら聞き流してほしいんですけど……」
サラに釣られ、ミーアも質問をしようとする。レウルスは止めるべきか迷ったが、ひとまずはそのまま話を聞くことにした。
「ルヴィリアさんは病弱だって聞いてたけど、どこか悪いの? ボクが見た限り、体力が少ないだけで休みを多く取れば長旅できるぐらいには元気に見えるけど……」
ルヴィリアを慮ったのか、ミーアは少しだけ踏み込んだ話をする。本来ならば旅を始める前に聞くべきことだが、レウルスとしては何が出てくるかわからないため避けていた話題だった。
それでも、このまま旅を続けるのに無視できる話でもない。アネモネが気疲れから熱を出した以上、何が切っ掛けでルヴィリアの体調が悪化するかわからないのだ。
地雷を踏みそうだったら話を打ち切ろう――そんなことを考えつつ、レウルスもルヴィリアの返答を待つ。
「……それが、わたしにもよくわからないのです」
しかし、返答は思わぬものだった。ルヴィリア本人も自身の容体について詳しく知らないらしい。
「この旅では出ていませんが、急に胸が苦しくなって立つこともできなくなったり、寝台から抜け出せないほど熱が出たり……その時々で変化するのです。今みたいに半月以上何もない時もあれば、毎日のように熱が出ることもあって……」
そう話すルヴィリアの表情はそれまでと違って沈んでいる。自身の体調は予想もできない頻度と重さで変化するのだと、真剣な声色で語る。
「有名な医師、治癒魔法の使い手、魔法具の制作者……お父様もルイス兄様も、様々な伝手を使って調べ、治そうとしてくださいました。ですが、一向に治る様子はなく……」
「最後に残った手段がユニコーン、と……生まれつきそうなんですか?」
以前、ルヴィリアの病弱さは生まれつきのものだとナタリアが言っていた。それでもルヴィリアを満足させるよう、会話を続けるために疑問という形でぶつけるレウルス。
(前世でも色んな病気があったっけ……いや、待てよ? 生まれつき体が弱い場合でもユニコーンって治せるのかな……)
実際に会ったことがないため、ユニコーンがどれほどの力を持つのかわからない。仮にユニコーンが治せないとしても、ルヴィリアをユニコーンの元まで送り届けるという依頼は達成だろう。
治せる、治せないはレウルスが関知するところではない。依頼通りルヴィリアを無事に送り届けたが、件のユニコーンの力でも治せなかった。そんな結果が残るだけである。
その場合はヴェルグ子爵家もゴタゴタとしそうだな、なとど思考するレウルスの耳に、ルヴィリアの返答が届く。
「いえ、そういった症状が出始めたのは十歳の頃からです。昔はもっと元気だったんですよ?」
「……何だって?」
思わず、敬語を忘れて聞き返すレウルス。
それも当然だろう。“あの”ナタリアが嘘を言ったというのか――あるいは、ナタリアでさえも間違った情報を掴まされていたのか。
「いえ、ですから十歳の頃から、と……恥ずかしながら、初めての社交の場で倒れてしまい」
「――レウルスッ!」
ルヴィリアの言葉を遮るように、サラが声を張り上げた。それに驚くよりも早く、レウルスの体が動く。
僅かに感じ取った殺気と、視界の端に映った弾かれる雨粒。それを脳が認識するよりも先に、レウルスは反射的に左手をルヴィリアに向かって突き出し。
「ッ!?」
レウルスが身に着けている手甲を貫くほどの威力を持った矢が、その腕に突き立ったのだった。




