第274話:ルヴィリア その1
突然のルヴィリアの申し出に、レウルスは思わず困惑を露にした。
それでも“雇い主”の願いだからと承諾すると、地面に外套を敷き、座っても汚れないようにする。続いて就寝の際に使用する厚手の布をルヴィリアに手渡すと、羽織るように身振りで促した。
「いくら焚き火があるといっても、夜は冷えますからね。体を冷やさないようにしてください」
「ありがとうございます」
話をしていて風邪を引いた、などということになればアネモネに何を言われるかわからない。
そう考えたレウルスを前に、ルヴィリアは小さく微笑んでから礼を述べ、布を羽織ってから外套の上に腰を下ろした。そして軽く居住まいを正すと、そのまま頭を下げる。
「まずは改めまして……今回はこの依頼を受けてくださり、感謝いたします」
「いえいえ、こちらも仕事ですから」
頭を下げ合うレウルスとルヴィリア。
「アネモネも失礼な態度を取っていましたし……主人として謝罪いたします」
「いえいえ、それも仕事の内ですから」
再度頭を下げ合うレウルスとルヴィリア。
話したいこととは依頼とアネモネに関することだろうか、と頭を下げ合いながら疑問に思うレウルス。
「レウルス様にとっては御不快でしょうが、アネモネは昔から過保護なところがありまして……仕事ぶりは真面目なのですが、頑張り過ぎるところがあるんです。先ほど倒れたのも、わたしを守ろうと気を張り続けていたのが少し緩んでしまったものかと……」
「ああ……そういうことってありますよね。こういうのは気を付けていても出る時は出ますし、仕方がないですよ」
そう言いつつ、さすがに立ったままで話すのも失礼か、とレウルスは焚き火を挟んでルヴィリアの正面に腰を下ろす。そして胡坐をかくと、笑顔のサラがレウルスの膝の上に飛び乗ってきた。
「わーい! レウルスの膝の上、もーらい!」
嬉しそうに座り、レウルスに背中を預けるサラ。その無邪気な様子にレウルスは苦笑すると、サラの頭を優しく撫でた。
「狭いけどミーアも座るか?」
「えっ!? う、ううん? ぼ、ボクはいいよ……」
サラを羨ましげに見ていたミーアに話を振ると、ミーアは焦った様子で手を振る。しかしおずおずとレウルスの隣に腰を下ろしたかと思うと、レウルスの膝の上ではしゃぐサラを横目で見つめた。
「ふふっ……仲が良いんですね?」
外套の上に座ったルヴィリアだったが、そんなレウルス達の様子を見て微笑みを零す。レウルスはルヴィリアに苦笑を返すと、上機嫌に笑うサラの頭をより強く撫でた。
「まあ、家族ですからね」
「家族、ですか……」
レウルスの言葉を聞き、ルヴィリアは口元に手を当てながら目を丸くする。しかしレウルスに甘えるサラの姿を見て納得したのか、その表情はすぐに笑顔へと変わった。
「聞いてよルヴィリア! 今ではこう言ってくれてるけど、レウルスったら酷いんだからね? わたしときちんとけいや――」
「はい、サラちゃんは少し静かにしようねー。寝てる人もいるからねー」
問答無用でサラの口を塞ぎ、愛想笑いを浮かべながらレウルスの膝の上からサラを引きずり下ろすミーア。そこには最早ドワーフの信仰対象である火の精霊に向ける敬意など欠片もない。その代わりに親しみは多分に存在するが。
「はなへー! はなひへひょー! ……はっ!?」
「うん、自分で思い出してくれたみたいで良かったよ。レウルス君からも注意を受けてるよね?」
「ひまっひゃ……」
危うく『契約』という単語を口走ろうとしたサラだが、自身が精霊であることは隠すようレウルスから言い含められている。それでも思わず口が滑ろうとしたのは、レウルスに甘えて気が緩んだ結果だろう。
「しかし、良かったんですか?」
「良かった……とは?」
そんなサラとミーアから意識を逸らすため、レウルスはルヴィリアに話を振ることにした。
「年頃の……それも貴族の女性が男とお話をしたいだなんて。アネモネさんも熱で寝込んでますし、少し軽率では?」
以前ルイスから聞いたことだが、貴族の女性が相手だと許しも得ずに侍女を通さず話すのは失礼に当たるらしい。旅の最中にそんなことを気にしている余裕はないが、こうして同い年の異性と至近距離で話をするなど貴族の女性としては思うところがあるのではないか。なお、サラとミーアも年頃の少女ではあるが、レウルスからすれば家族の括りである。
そんな危惧のもと確認を取ると、ルヴィリアはきょとんとした顔で小さく首を傾げ、続いて柔らかく微笑んだ。
「レウルス様はお優しいんですね? ですが大丈夫です。貴方は“そういう人”ではないと思っていますから」
「……そんなに断言できるほど付き合いが深くはないと思うんですがね。何を根拠にそう思ったんで?」
思わぬルヴィリアの反応に、レウルスは困ったように問いかける。言葉にした通り、レウルスの性格全てを見抜けるほど長い期間一緒にいたわけでもなく、深い付き合いがあったわけでもないのだ。
「目です」
「目?」
そして、ルヴィリアからの返答はどこか曖昧なものだった。たしかに目は口ほどに物を言うが、それだけで為人の全てをわかったようにいえるものではない。
「はい。ルイス兄様は……その、“もっと違う部分”を見てわたしを預けても大丈夫だと思ったみたいですけど」
「ルイスさんが一体何を思ったのか、とても興味がありますよ俺は」
レウルスが思わずジト目になると、ルヴィリアは小さく、こほんと可愛らしく咳払いをして話を流した。そのルヴィリアの視線は、レウルスの膝に頭を乗せて寝転がるサラに向けられている。
「とにかくですね、わたしはわたしなりの判断でレウルス様が無体をなさるような方ではないと思いました。こうして同い年の殿方と、これほど近い距離でお話したと知られればはしたないと言われそうですが、レウルス様なら大丈夫だと思っています」
「……色々と言いたいことはありますが、それはさすがに楽観が過ぎるのでは? いきなり豹変して襲い掛かるかもしれませんよ?」
世間を知らないのか、男のことを知らないのか。微笑みながら話すルヴィリアは貴族の令嬢らしく、その整った顔立ちも相まって世の男性が放っておかないであろう魅力がある。
「あら……わたし、襲われちゃうんですか?」
「襲いませんがね。一般論ってやつです」
そう言って肩を竦めたレウルスは、焚き火を木の枝で突き回して火力を調整する。
たしかにルヴィリアは美しく、それでいて触れれば折れてしまいそうな儚さもある。これまでの旅で多少傷んでいるが、ポニーテールの形にまとめている金糸のような髪は未だに艶やかさを保っていた。
出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるスタイルもバランスが良い。宝石のように青い瞳には好奇心の色が宿っており、ただの深窓の令嬢とは思えないところもレウルスとしてはポイントが高かった。
(いや、何のポイントだよ……)
レウルスが自分の考えに自分でツッコミを入れていると、ルヴィリアが口元に手を当てながら笑う。
「ふふふ……やっぱり」
「やっぱり、とは?」
何かしらの確信を持っていると思しきルヴィリアの言葉に、レウルスは首を傾げた。サラとミーアにも視線を向けているが、二人ともルヴィリアが何を考えているのかわからず、レウルスと同じように首を傾げている。
「わたしも貴族の家に生まれた者として、これまで色んな人を見てきました。貴族、商人、兵士、町の民……年齢の上下を問わず、たくさんです」
それはそうだろう、とレウルスは思う。ヴェルグ子爵家を継ぐ予定のルイスほどではないだろうが、貴族となると様々な人間と顔を合わせるはずである。
何が言いたいのだろうかとレウルスが不思議がっていると、ルヴィリアはごく自然と言った。
「でも、ここまで興味の欠片も存在しない目で見られたのは初めてです」
「……?」
ルヴィリアの言葉に、レウルスは無言で首を傾げる。ルヴィリアの言葉が予想外過ぎて、他に反応ができなかったのだ。
そんなレウルスの仕草を見て、ルヴィリアは申し訳なさそうに眉を寄せる。
「ごめんなさい、失礼なことを言ってしまいました……気分を害されましたよね?」
「そういうわけじゃないんですが……俺、そんな目をしてるんですか?」
驚くよりも、怒るよりも、疑問の方が先にきてしまった。そのためレウルスが表情を変えることもなく尋ねると、ルヴィリアは戸惑いがちに頷く。
「いえっ、その、サラさんやミーアさん、それに馬車で眠られているエリザさんやネディさんが相手の時は違うんですよ? さっきもサラさんが膝の上に乗った時、とても優しい顔をしていらっしゃいましたから」
「む……そうなんですかね」
自分の顔をペタペタと触るレウルスだが、それでわかるはずもない。
「はい。お父様がわたしを見る時のような……あるいはルイス兄様がわたしを見る時のような、柔らかくて優しいお顔でした」
そう言ってルヴィリアは何故か微笑む。だが、レウルスとしては聞き逃せない話で笑えない。
「……もしかして、俺が気付かないだけで失礼な表情を向けてました?」
もしもそうならば、アネモネが突っかかってくるのも当然だろう。知らず知らずの内に不快にさせていたというのなら、アネモネの言葉が棘まみれだったのも納得である。
「そういうわけではなくてですね……わたしとしても初めてのことなので、言葉に困ってしまいます」
頬に手を当てながら眉を寄せるルヴィリア。レウルスはサラとミーアに視線を向けてみるが、二人とも首を横に振る。
「いつも通りの顔よ? うん、かっこいいかっこいい」
「うん、かっこ……じゃなくてっ! ボクにはルヴィリアさんの言いたいことがわからない……かな?」
雑なのか本気なのかあっけらかんと告げるサラと、サラの言葉に釣られて何かを口走ろうとして焦るミーア。どうやら二人はルヴィリアとは意見が異なるらしい。
ルヴィリアは適切な言葉が見つからないのか、羽織った布を指先で弄りながら必死に言葉を探している。
「えっと……その、道に落ちている石を見るような……ううん、そこまでは……うぅ……よ、欲が見えない? そう……欲が感じられないというのが近いでしょうか」
それでも何かしらの言葉が見つかったのか、ルヴィリアは小さく手を合わせる。
「自惚れているように聞こえそうで恥ずかしいのですが、年頃の異性……いえ、年上の殿方でも、“独身の方”がわたしを見ると目の色が変わるんです」
「ああ……まあ、そうでしょうね。貴族の御姫様ですし、美人ですからね」
ルヴィリアの立場ならば、異性から向けられる目線はさぞかし強烈なものになるだろう。本人が美人というのもあるが、結婚できればヴェルグ子爵家とのつながりができるのだ。
病弱という点を差し引いても、立身出世を望む者からすれば喉から手が出るほどに嫁に欲しいはずである。
そう納得して頷くレウルスだったが、ルヴィリアは微妙そうな顔をしている。
「なんでしょう……本心から褒めていただいているのがわかるのに、喜べない自分がいます」
「俺にどうしろと……というか、そういう欲望みたいなのってなるべく隠して接してくるんじゃないですか?」
「もちろんそうですが、“見られている側”はそういった視線に敏感なんですよ? どこを見ているかもすぐにわかりますし、目を見れば何を考えているか大体わかりますし」
相変わらず困惑した様子のルヴィリアにレウルスが相槌を打つものの、ルヴィリアは納得ができないようだ。
(姐さんほどとは言わないけど、洞察力が高いのか? でも、女性は視線に敏感って聞くしな……よくわからんお嬢さんだ)
物は試しと視線をルヴィリアの胸に向けるレウルス。布を羽織っているため膨らみもほとんどわからないが、それでもある程度は見て取れる。
「……見られているのはわかるんですけど、どうして“そんな目”をしているのかがまったくわかりません。その、せ、性欲が全然感じられなくて、不快感がないのが逆に怖いんですが……」
「俺はルヴィリアさんが何を言いたいのかがわからなくて困ってますよ……」
このお姫様は何を言いたいのか、とレウルスは頭を抱えたくなる。そんなレウルスの困惑はさすがに伝わったのか、ルヴィリアは一度咳払いをした。
「こほんっ……ついつい興味を引かれて話がずれてしまいました。レウルスさんのことも気になりますけど、せっかくの機会ということで話したいことが別にあったんです」
「えー……わたし、今のルヴィリアの話も面白かったんですけど? もっと続けない?」
「サラちゃん……」
レウルスに膝枕をしてもらったままで話の続きを求めるサラに、ミーアがどうやって止めるべきかと迷う。エリザならば今頃物理的な手段でサラを止めているだろう。
「明日に疲れが残らない程度で切り上げてくださいよ? それで、何を話したいんです?」
夜は長く、雨も降り続いているのだ。雨粒が立てるザアザアという音は、レウルス達の会話を掻き消してしまいそうなほどに大きい。
「今回の依頼で、気になることもあると思います。わたしが答えられる範囲でですが、それにお答えできれば、と……」
そうしてようやく本題を切り出したルヴィリアの表情は、これまでにないほど真剣なものだった。