第272話:旅路 その9
マタロイとラパリの国境線というものは、非常に曖昧である。
川や山といった境界線になり得るものが存在すれば容易に判別できるが、国境が平地となるとそれも難しい。『ここが国境ですよ』などと看板が立っているわけではないのだ。
そういう意味でいえば、国境付近に造られている砦から先は“正式に”ラパリの領土だということになる。
そして国境に建てられていること、有事の際には戦争の拠点になることからも、『砦』という呼び名に相応しい建造物であることは当然の帰結だった。
砦を構成するのはレウルスがこれまで見たことがある、城塞都市の壁をそのまま移動させてきたような造りの石壁。これでもかと言わんばかりに突き固めた土壁を造り、土壁を“柱”にして長方形に切り出した石を積み上げることで建造された石壁は、今の状況でなければ観光しても良いと思えるほどの威容があった。
軽く十メートルを超える石壁に囲われた砦は大きく、街道を中心にして左右に百メートル近い広さがある。『魔法文字』を使って強度を増してあるのか、それとも何か仕掛けがあるのか、砦に近づいたレウルスは若干の魔力を感じ取った。
威容溢れる砦だがその前面には国境でも示すように長い水堀が設けられており、馬防柵らしき木の柵も張り巡らせてある。砦のあちらこちらには物見櫓らしき物体も組まれており、地上から数十メートルもの高い場所には見張りと思しき兵士の姿もあった。
加えて平時だろうと非常に高い意識を持って職務に当たっているのか、キビキビとした動きで周囲を巡回する兵士の姿もある。サラに熱源を探らせてみると、砦から両側に伸びる水堀や柵を境にして多数の兵士が巡回しているようだった。
(街道の周囲だからこれだけの人員が投入されてるのか、それとも国境付近だとこれが普通なのか……大したもんだ)
レウルスが心中で感嘆のため息を吐く程度には厳重で頑強そうな国境線である。街道を迂回してラパリに侵入しようとしても、巡回の兵士に捕捉されていたのではないかと思われた。
それこそサラのように遠くからでも兵士の動きがわかる能力があり、なおかつ魔物が跋扈する森の中を突破できる力量がなければ、ラパリに侵入することすら困難だろう。
(これがこの大陸で一、二を争う国か……どれだけ金があるんだろう?)
そんなことを思いながら、レウルス達は砦へと近づいていく。すると即座に兵士の集団が駆け寄ってきた。
おそらくは誰何のためだろう。先ほども『駅』もどきで足止めされたが、これほど厳重な警戒を敷く相手となるとどれほどの時間を取られるかわからない。
レウルスはそう思っていた――が、予想は容易く覆される。
積んでいる荷物と入国の目的を確認し、レウルス達の人相を文章で書き記したかと思うと、それだけで解放されたのだ。入国の税金として一人当たり金貨一枚を徴収されたが、厳しく詰問されるということもなかった。
正式に入国したということで、紙に記した入国許可証まで渡してくれたほどである。
レウルスが内心で首を傾げていると、そのまま砦の門が開かれる。そして兵士の先導に従って砦の内部へと足を踏み入れた。
砦というだけあり、城塞都市のように住民が大量に住み着いているということはない。
レウルスは咎められない程度に周囲を観察すると、兵士の住居と思しき建物、食堂と酒場を兼ねている建物、兵士の練兵場などが確認できる。遠くからは金属を叩くような音も聞こえてくるため、鍛冶場も存在しているのだろう。
砦にはラヴァル廃棄街の中央通りのように真っすぐな道が敷かれ、その周囲に諸々の建造物が存在するのだ。ラヴァル廃棄街との違いがあるとすれば、整然とした“町並み”になっていることだろうか。
「できれば泊まる場所を紹介していただきたいのですが……」
レウルスが周囲に目を向けていると、コルラードが先導する兵士に声をかけた。ここは既に他国で、敵地とまでは言わないがそれなりに危険そうな場所である。それでも泊まる場所の紹介を頼むコルラードに、兵士は面倒そうな声を返した。
「ここに外部の者が泊まるための宿などない」
「おお、そうでしたか。それではこの場所を抜けた後、近くで夜営させていただいても?」
「……それぐらいなら構わん」
「それは助かります。兵士の方々が近くにいる状態で休めるのなら、安心して眠れますからな」
もうじき日も暮れる時間帯だが、コルラードは今晩の夜営場所を早々に決めたようだ。
たしかに砦の近くならば魔物や野盗が襲ってくる可能性も低いだろうが、心底安心したと言わんばかりに微笑んでいる。おそらくは無害さをアピールしているのだろう。
その辺りもそつがないな、などと思いながらレウルス達は砦を抜けるのだった。
そして翌日。
コルラードの宣言通り砦を抜けてすぐの場所で夜営をしたレウルス達は、日が昇るなり旅を再開した。
ここから先は完全なる異国の地である。カーズのようにマタロイには生息していない魔物が襲ってくる危険性もあるだろう。
そのためレウルスがルヴィリアの護衛として気を入れ直していると、不意にコルラードとアネモネの会話が聞こえた。
「それではアネモネ殿。ここからは御者をお願いするのである」
「……承りました」
馬の手綱をアネモネに預け、自分の足で歩き始めるコルラード。アネモネもそれが当然といわんばかりに馬車を操り始める。
これまでの旅でも、コルラードとアネモネは定期的に御者を交代していた。そのため今回もそうなのだろう、とレウルスは深く気にせず歩いていく。
ラパリに入ったからか街道はしっかりと手入れがされており、大きな窪みや石も存在しない。そのため馬車が跳ねるといったこともなく、安定した速度で移動することができるようになった。
『サラ、尾行はついてきてるか?』
『距離を取ってるけど、相変わらずみたい。あと、数が十人に増えてる』
どうやら砦を抜けて尾行者が増えたようだ。それでも自分達が妙なことをしなければ騒ぎにもならないだろうとレウルスは気を楽にする。
そうやって街道を進むことしばし。レウルス達は警戒を疎かにしない程度に会話を行いながら無理のないペースで進んでいく。
砦を出発して既に五時間近く移動しているが、魔物や野盗が襲ってくることもない。定期的に休憩を挟むとはいえルヴィリアの体調も悪くなく、レウルスが拍子抜けするほどに旅は順調だった。
(……あれ? コルラードさん、今日はずっと歩いてるな……)
だが、レウルスは不意にコルラードの様子が気にかかった。
砦を出発してからというもの、コルラードはずっと自分の足で歩いているのだ。レウルスの記憶にある限り、これまでの旅でも一日に二、三回は交代していたのだが――。
(そういう日もある、か? でも、なんか歩き方がおかしいような……)
コルラードの歩く速度も歩幅も常に一定である。レウルスは近くにいるため気付けたが、距離を取って尾行している者達が違和感を覚えないほどに自然な歩き方だ。
少なくともこれまではこんな歩き方はしていなかったはずだが、と疑問を覚えたレウルスは、雑談がてら話を振る。
「コルラードさん、なんか歩き方が変じゃないですか? もしかして足に怪我をしてたりします?」
「……そんなことはないのである。歩き方を注意するだけでも鍛錬になるのだぞ? お主に戦いを任せるといっても、体が鈍らないように注意しなければな」
「へぇ……常在戦場の心構えってやつですか? いや、これは違うか……」
コルラードの言葉に、レウルスは納得したように頷いた。自分が知らないだけでそういった鍛錬もあるのだろう、と。
だが、コルラードの“行動の変化”はこれだけでは済まなかった。
夕方まで歩き、街道傍に『駅』を見つけたレウルス達は歩みを止めて夜営の準備を始める。国が変わっても『駅』が存在するのだな、と考えたレウルスだったが、コルラードに言わせれば木の柵の作り方や空堀の大きさに違いがあるらしい。
そんな話に感心しつつ、エリザ達と協力して夜営の準備を行うが、夕食を済ませるなりコルラードがこれまでにない行動を取ったのだ。
食事を終えて時間潰しの雑談に興じる中、コルラードは懐から木製の入れ物を三つ取り出した。それぞれ大きさは手の平に収まる程度で、小さな蓋がついている。
その入れ物を手の上で振ったかと思うと、小さな丸薬が転がり出てきた。どうやら薬の類のようだが、レウルスの気を惹いたのはそれぞれの入れ物で丸薬の大きさが異なる点だろう。
一番大きい丸薬は一センチ程度、次に大きいものでその半分、一番小さいものは地面に落とすとすぐに見失ってしまいそうなほど小さい。
コルラードは大きな丸薬を四個、中くらいの丸薬を五個、小さい丸薬を五個取り出し、まとめて口に飲み込んだ。
「そんなに飲むんですか? 薬も過ぎれば毒になりますよ?」
普段から胃薬を飲む姿を見かけるコルラードだが、躊躇いもなく大量の丸薬を飲み込むその姿にレウルスは心配の念を覚えて声をかける。するとコルラードは何故かジト目をレウルスに向けた。
「……色々と言いたいことはあるが、気にしないで大丈夫である。“その時々に合わせて”量を調整しているだけで、飲み過ぎにはならんのだ」
「コルラードさんがそう言うのなら……でも、飲み過ぎには注意してくださいね?」
そんなに体調が悪かったのだろうか、とレウルスは首を傾げる。あるいは夕食を食べ過ぎてしまったのか。ちなみに夕食には馬車に積んでいた食料を使っている。報酬としてもらったヒクイドリの肉は昨晩全て平らげてしまったのだ。
「……アネモネ? どうしたの?」
そうやってレウルスがコルラードの行動に疑問を覚えていると、不意にルヴィリアの怪訝そうな声が響いた。その声色に気を惹かれたレウルスはコルラードへの疑問を一度棚上げし、ルヴィリアへと視線を向ける。
「どうかしましたか?」
「いえ……アネモネの様子がおかしくて……」
困ったように小首を傾げるルヴィリアに釣られ、レウルスはアネモネを見た。しかしその表情は平静のもので、ルヴィリアが言うようなおかしな点は見受けられない。
「……普段通りに見えますけど、何かおかしいんですか?」
旅の道中で多少は打ち解けてきたが、ルヴィリアと比べれば短い期間しか接していない。そのため自分には感じ取れない何かを感じ取ったのだろうか、とレウルスは首を傾げた。
「お気になさらず……わたしは大丈夫ですから」
そんなレウルスの様子に、アネモネはゆるゆると首を横に振る。だが、アネモネの返答を聞いたレウルスは眉を寄せた。
(そこで大丈夫って言葉が出る人って大抵大丈夫じゃないんだが……ん? よく見ると少し顔が赤い……か?)
既に日が落ちており、明かりは焚き火と月明かりだけである。そのため見分けにくかったものの、レウルスの目にはアネモネの顔が少しだけ赤くなっているように感じられた。
「……ルヴィリアさん、アネモネさんの額に触ってもらえますか?」
自分で確かめればすぐにわかるが、さすがにアネモネに触れるわけにはいかないだろう。そう判断したレウルスがルヴィリアに頼むと、ルヴィリアは戸惑いながらも頷いた。
「は、はい……っ! アネモネ!? すごい熱ですよ!?」
そして、アネモネの額に触れるなりルヴィリアが叫ぶような声を上げる。
「どうして黙っていたのっ!?」
「いえ……わたしは大丈夫ですから……」
主人を払いのけるわけにもいかないのか、アネモネは困ったように眉を寄せる。
そして、体が弱いと聞いたルヴィリアよりも先に熱を出したアネモネに、レウルス達は顔を見合わせるのだった。