第270話:旅路 その7
二本の足の内、左足を縦に切り裂かれたヒクイドリ。人間ならば戦闘不能どころか痛みでショック死してもおかしくない重傷だが、その動きが止まることはなかった。
走って逃げるどころか、まともに歩くことすらできないであろう傷である。それでも残った右足一本で地を蹴り、高々と跳躍すると眼下の敵――レウルスを睨み付けた。
野生に生きるものとして、中級でも上位に位置する強さを持つ魔物として、脅威を取り除かなければならないと判断したのだ。
最早逃げることは叶わない。それならば全力で、命を賭けて抗うしかない。
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオォォッ!』
大気どころか大地すら震わせそうな咆哮と共に、ヒクイドリの口中に炎が生み出される。それを見たレウルスは『龍斬』を右肩に担いで腰を落とし、『熱量解放』によって溢れ出る魔力を刀身に可能な限り込め始めた。
ヒクイドリが選択したのは、出し得る限り最大の威力で火炎魔法を叩き込むことである。
自身が生み出した炎を纏って戦うこともできるが、自由に動けないのではその意味も薄い。頑強な爪を切り裂ける武器をレウルスが所持している点からも、炎を纏って突撃しても真正面から斬られるだけで終わるだろう。
そんな判断のもと、ヒクイドリは火炎を放射する。『龍斬』を構えたまま動かないレウルスを焼き尽くさんと、紅蓮の奔流を叩き付ける。
常人ならば掠めるだけでも灰と化し、直撃すれば灰すらも残さないであろう火力。人間の集団だろうとまとめて焼き払える威力の魔法を、レウルスという敵ただ一人に向けて放ったのだ。
「オオオオオオオオオオオォォッ!」
ヒクイドリの決死の一撃に応えるように、レウルスも吼える。頭上から迫りくる炎の濁流に向かって踏み込み、『龍斬』を全力で振り下ろす。
サラやネディに魔法を撃たせて相殺するという選択肢もあっただろうが、その場合は魔法同士がぶつかった余波だけで周囲に被害が及びそうである。そのためレウルスは単独での迎撃を選択したのだ。
魔力を込められた『龍斬』の刃が宙に弧を描く。実体を持たないはずの炎を端から切り裂き、瞬時に霧散させていく。
火の精霊であるサラと『契約』を結んだレウルスは、熱や炎に強い。それでも肌が炙られるほどの熱さを感じるあたり、ヒクイドリは決死の覚悟で魔法を放ってきたのだろう。
魔法の威力は中級に届くだろうが、上級には程遠い。レウルスがこれまで見たことがあるサラやヴァーニルの火炎魔法と比べても数段劣る。
踏み込みと同時に放たれた一閃が、ヒクイドリの炎を真正面から斬り裂く。その澄んだ手応えは体を震わせそうなほどに心地良く――無自覚に吊り上げていたレウルスの口元が、ますますの笑みを刻んだ。
魔法を剣一本で切り裂くという荒業を成したレウルスは、花びらのように宙に炎が舞うのを視界の端に捉えながら地を蹴って跳躍する。
そして魔法を撃ったことで無防備になったヒクイドリに向かって距離を詰めると、ヒクイドリは最後の足掻きと言わんばかりに右足で蹴りを放った。着地のことなど微塵も考えず、迫りくるレウルスを少しでもどうにかしようと反射的に蹴りを放ったのだ。
先ほどの火炎魔法が決死の一撃ならば、今放たれた蹴りは“必死な”一撃だ。その程度ではレウルスが止まらないとわかっていても、放たざるを得ないのだ。
空中に跳び上がったことでヒクイドリの蹴りが回避できないレウルスだが、焦りはない。ヒクイドリの首を目掛けて放とうとしていた斬撃の軌道を変え、自身の顔面目掛けて飛んでくる鉤爪に向かって叩き込むだけで事足りる。
だが、左足を切り裂いた時と比べて両手に伝わる感触が異なった。『龍斬』の刃はヒクイドリの右足に生えた爪を半ばまで断ち切っているものの、切断までは至らない。
地上で足をつけて戦う時と異なり、空中では踏み込みができない分、威力が下がったのだろう。そう自分を納得させたレウルスは、ヒクイドリの右足に刃を埋め込んだままで落下を始めた。
『ヴォオオッ!?』
勢いもそのままにヒクイドリを地面に叩き付けると、その口から悲鳴染みた鳴き声が上がる。レウルスは力を込めて刃を引き抜くと、両足に傷を負ったことで身動きが取れないヒクイドリへ視線を向けた。
ヒクイドリは僅かに残った魔力を使い、至近距離で火炎魔法を炸裂させようとする。レウルスを仕留めようとしたのか、あるいは少しでもレウルスを遠ざけようとしたのか、それはわからない。
ただ言えるのは、『龍斬』を水平に掲げたレウルスをどうにかしなければ、このまま死ぬということだけだ。
「――ヴァーニルの炎と比べれば温かったな」
そして、レウルスは思わず口から零れた感想と共に、放たれた炎ごとヒクイドリの首を刎ねるのだった。
「冒険者の方って、あんなに強いのね……」
馬車の中からレウルスが戦う姿を見ていたルヴィリアは、感嘆の籠った呟きを漏らした。ルヴィリアの護衛として傍にいたエリザは、その感想を聞いて胸を張る。
「そうじゃろう? そうじゃろう? レウルスは強いんじゃ!」
己のことのように、自慢げに頷くエリザ。旅を始めて打ち解けつつあったルヴィリアが相手で、レウルスが褒められたとあってついつい敬語などを放り捨ててしまっていた。
普段ならばそれを咎めるアネモネは、レウルスの戦いぶりを見て言葉を失っている。
「ちょっとちょっと! 援護しろって言っておきながら一人で倒しちゃってるじゃない! 出番は? ねえ、わたしの出番は!?」
「……サラ、うるさい」
「あはは……レウルス君が怪我もせずに勝ったならいいと思うんだけどなぁ」
サラが駄々をこねるように叫び、それを聞いたネディが心底からうるさそうに呟き、ミーアが苦笑と共に宥める。
何かあれば加勢しなければと思っていたコルラードは、手綱を手繰って馬を落ち着けながらも冷や汗を浮かべていた。ヒクイドリに怯えたのかあるいはレウルスの咆哮に怯えたのか、二頭の馬は一向に落ち着きを取り戻さない。
「……お嬢様、誤解がないように説明いたしますが、冒険者にあれほどの手練れはそう多くは……むしろかなり少ない……いえ、わたしが知る限りでは皆無かと」
我に返ったアネモネがルヴィリアに対して説明を行う。
「そうなの?」
「はい。わたしも冒険者の全てを知っているわけではありませんが、強くても訓練を積んだ兵士と同等程度だと思っていただければ……グレイゴ教徒の司教を退けたと聞いた時は半信半疑でしたが、冒険者としては例外の部類でしょう」
「まあ……そうなのね。魔法も斬っていたし、それほど腕の立つ方が護衛に就いてくださっていると思えば今まで以上に安心できるわ」
口元に手を当てながら目を見開き、驚きを表すルヴィリア。そんな二人の会話を聞いていたエリザは鼻高々である。
「一点補足しますが、レウルスの奴はおそらく人間よりも魔物相手の方が得意なのでしょうな。兵士でもあの体格差には躊躇するものですが……」
ようやく馬を落ち着けたコルラードがアネモネの説明に補足を加えた。そして手綱をアネモネに託すと、馬車から飛び降りてレウルスのもとへと歩み寄る。
「怪我は?」
見ていた限り攻撃を受けた様子はなかった。それでもコルラードが確認を行うと、『龍斬』から血を滴らせながらレウルスが振り返る。
「ないですよ。手傷を負ってたってのもありますけど、以前戦ったやつと比べるとかなり弱い個体でしたしね。体の大きさ的に成体っぽいですが、戦い方が単調でした」
今回戦ったヒクイドリはおそらくは経験の浅い、若い個体だったのだろうと判断する。レウルスが初めて交戦したヒクイドリの戦いぶりは達者なもので、戦闘の呼吸の読み方やフェイントの仕掛け方等、今しがた仕留めたヒクイドリとは比べ物にならなかった。
あの頃と比べれば武器が異なり、サラと『契約』を交わしたことで“地力”も上がり、コルラードとの訓練で僅かとはいえ技術を身に着けている。過去に同種と交戦したことがあるため、相手の攻撃手段を知っていたというのも大きいだろう。
「そう……であるか」
『龍斬』だけでなく、頬に返り血をつけたままで語るレウルスに若干言葉を濁すコルラード。戦闘の熱が続いているのか、頬の返り血も拭うのではなくそのまま舐めてしまいそうだ。
「それで? これからどうします?」
『龍斬』を振るって刀身から血を払いつつ、レウルスが尋ねる。『熱量解放』を解くことで気分も多少落ち着きを取り戻した。
「思わぬ交戦があったが、先ほど言った通りこのまま進みたいところである……が、この魔物を放置するわけにもいかん」
ヒクイドリは街道の中央を塞ぐようにして倒れている。脇を通ることはできるが、このまま死体を放置するわけにもいかないだろう。
「捌いて持って行きますか。魔力も使ったし、今夜は鶏肉で焼き肉を……」
『はいはーい! 出番をくれなかったレウルスにお知らせでーす! 道の先から熱源が十個ぐらい近づいてるわよー!』
魔力の補充も兼ねてヒクイドリの肉を平らげなければ、と使命感にも似た感情を覚えていたレウルスだが、サラからの『思念通話』を受けて目を細める。
「……と、どうやら向こうから動いたみたいです。十人前後こっちに向かってきてるみたいですね」
「む……戦闘中の魔物を取り逃がしたのならそれも当然であるな。よし、レウルスは剣を収めよ。交渉は吾輩がやるのである」
そう言われ、レウルスは『龍斬』を鞘に収める。ヒクイドリの血は振るい飛ばしているが、後で脂も拭いて綺麗にしてやろうと思った。
レウルスはルヴィリアに馬車から出ないよう一声かけると、コルラードの斜め後ろに控える。本当ならばヒクイドリの解体に移りたいところだったが、さすがにそれは自重した。
そして待つこと数分。サラの言う通り十人近い集団が駆けてくるのを遠目に見て、レウルスは小声でコルラードに尋ねる。
「兵士みたいですね」
「で、あるな……おそらくはこの近くの土地を治める領主の軍であろう。動きも良い……さすがに国境を預かる兵士は精強そうである」
レウルスとコルラードがそんな言葉を交わしていると、金属鎧で身を包んだ兵士と思しき集団が近寄ってきた。地面に横たわるヒクイドリの体と、離れた場所に落ちている首、そしてレウルス達を見て警戒を露にする。
「これは……貴様ら、何者だ?」
兵士の中でも指揮官らしき男が低い声で尋ねる。その手には槍が握られており、周囲の兵士達も警戒した様子で槍を構えていく。
おそらくは逃げ出したヒクイドリを追ってきたのだろう。馬に乗っている者はいないが、ヒクイドリが流していた血の跡を追ってきたのかもしれない。
そんな兵士達を前にしたコルラードは、槍が見えていないかのように柔和な笑みを浮かべ、右手を胸に当てながら一礼した。その際精霊教徒の証である首飾りをそれとなく見せ、相手の反応を密かに窺う。
「我々は旅の精霊教徒です。ラパリに向かっていたのですが、街道の先から走ってきた“手傷を負った”魔物に襲われまして」
コルラードの言葉を聞いた指揮官の男は、地面に横たわるヒクイドリの体と斬り飛ばされた首を再度見てから眉を寄せる。首を刎ねられているのもそうだが、頑強な両脚も切り裂かれているのだ。
「……精霊……教徒?」
「ええ、精霊教徒です。まさか、あの忌むべき異教徒と間違われた……などということはありませんよね?」
笑みを深めながらコルラードが尋ねると、指揮官の男はかすかに頬を引きつらせた。
「……そんなわけがなかろう。だが、精霊教徒が何の目的でこの国を訪れたというのだ? 貴様ら、マタロイから来たのだろう?」
国境を接している間柄ではあるが、国同士仲が良いというわけでもない。むしろ常に相手の隙を探り合っているほどだ。
そのため間者が入ってくることを警戒しているのだろう。それは“お互い様”とも言えるのだが、その事実を微塵も感じさせない様子でコルラードは両腕を広げる。
「精霊様の『祭壇』を探しているのですよ」
「『祭壇』? なんだ、それは」
「おや、ご存知ありませんかな? 精霊様に祈りを捧げるための施設ですよ。最近、ヴェオス火山周辺でも『祭壇』が見つかりましてね。それならば他の場所にも『祭壇』があってもおかしくはないでしょう?」
――『祭壇』探しの旅をしているのです。
そう語るコルラードの瞳には、狂信者めいた歪な輝きが宿っていた。少なくとも、誰何する兵士達の目にはそう見えた。
「もしも精霊様を信奉する方がいらっしゃれば教えていただきたいのですが、『祭壇』に関して何か知りませんか? どんな些細な情報でも良いのです」
そう言いつつコルラードは兵士達との距離を一歩詰めるが、兵士達の反応は芳しくない。槍の穂先を向けたままだが、指示を乞うようにして指揮官の男へ視線が向けられる。
「どうやら何も御存知ではない様子……いやはや、手傷を負って暴れ狂う魔物にいきなり襲われたことといい、幸先が悪いようだ」
コルラードは困ったように肩を竦めると、肩越しにレウルスへと振り返った。
「しかし、危険な魔物が無辜の民を襲う前に倒すことができた……これも大精霊様のお導きかもしれんな」
「まったくですね」
精霊教徒――それも狂信者のように振舞うコルラードに内心で感心しつつ、レウルスが相槌を打つ。
「兵士様、我々は精霊様に信仰を捧げ、少しでもその存在を身近に感じたいだけなのです。馬車の荷物を改めていただいて構いませんし、必要とあれば監視をつけていただいても構いません。それでも駄目だと“あなたが判断される”のなら、このまま引き返しましょう」
身振り手振りを交え、真摯に語るコルラード。その姿はジルバほどとは言わないが、レウルスの目から見ても敬虔な精霊教徒のように見えた。
「――まずはお話だけでも聞いていただけませんか?」
そう言ってにこりと微笑むコルラードに、指揮官の男は曖昧な頷きを返すのだった。




