第269話:旅路 その6
遠くに見えた白煙。その煙の量は尋常なものではなく、焚き火や炊煙で立ち昇るものと比べても遥かに多い。
レウルスが示した方向に視線を向けたコルラードもその煙を見つけ、目つきを鋭いものに変えた。
「あれは……たしかに燃えているようであるな。煙の量から察するに、かなりの規模のようだが……」
煙が立ち昇るのは、まさにレウルス達が進もうとしていた街道の先である。今までのペースで進んでも一時間とかからない距離で、急げばその半分、レウルスやエリザ達だけで急行すれば更にその半分で到達できるだろう。
「……他に道は?」
面倒は避けるに限る。そう考えたレウルスが話を振るが、コルラードは険しい表情で首を横に振った。
「馬車で通れるほど整備されている道で、なおかつ吾輩が知っているものとなると他にないのである」
そう言われてレウルスは周囲を見回す。まばらに木々が乱立する平野だが、コルラードの言う通り整備された道があるようには見えない。
「もう少し……といっても半日程度だが、この道を進んでいくとラパリが造った砦がある。だが、マタロイにこれほど近い場所であれほどの煙が立つようなものがあると聞いたことはないのである」
「森が燃えているって線は?」
「ない……と思うぞ? 生木が燃えているのならもっと煙が出る」
どうやらコルラードが知る限りで人工物が存在するのは半日ほど歩いた場所で、今いる場所から目視できる距離には何も存在しないらしい。
「引き返すわけにもいかぬ……が、この場に留まっておくのも危険だ。進むしかあるまいて」
「危険って……ああ、ヴァ……じゃない、火龍の縄張りの近くですもんね」
ヴァーニルの名前を出しかけ、それを引っ込めるレウルス。コルラードやアネモネ、ルヴィリアからすれば、ヴァーニルの存在よりは遠くで起こっている“何か”の方がマシだと思えるのだろう。
「うむ……ひとまず警戒しながら進むぞ。レウルスは偵察を頼む。侍女殿もそれでよろしいか?」
「コルラード殿の判断に従います。わたしはルヴィリア様のお傍につきますね」
そう言って馬車に引っ込むアネモネと、馬を御するべく馬車の端に飛び乗るコルラード。レウルスは馬車の前面に出ると、サラを手招きする。
「それじゃあ俺とサラが先行します。ミーアとネディは馬車の後方を警戒。エリザはコルラードさんと一緒に馬車の護衛を頼む」
そう宣言してレウルスが駆け出すと、飛び跳ねるようにしてサラが隣に並んできた。
「やっと出番ね! あの煙に負けないぐらい焼くわよー!」
「魔物が相手なら焼いても良いけど、まずは状況の確認が先だからな? 間違ってもいきなり魔法を撃つなよ?」
撃つなよ、絶対に撃つなよ、とレウルスは念押しする。既にマタロイとラパリの国境に差し掛かっており、どこからどんな相手が出てくるかわからないのだ。
間違ってラパリの兵士に攻撃を加えてしまえば、今回の依頼は失敗に終わるだろう。さすがにルヴィリアを連れて森の中に逃げ込むわけにもいかないのだ。
そんなやり取りを行いつつ、レウルスはサラと共に馬車に先んじる形で街道を疾走していく。そして十分とかけずに煙の出元と思しき場所が目視できる距離まで近づくと、街道傍の木々に身を潜めた。
「サラ」
「探ってる探ってる……んー……んん? けっこう数が……二十……三十……ううん……動き回ってるから数えきれない。とりあえず速く動き回ってる熱が三ついて、それと対峙してる熱が二十から三十前後? あとはそこから離れてる熱がたくさん?」
そんなサラの声を聞きつつ、レウルスは木陰からそっと顔を出す。相手に気付かれないよう三百メートルは距離を取っているが、状況を確認するだけならば十分だ。
「あれは……『駅』か? でもそれにしては大きいな……」
レウルスが視界に捉えたのは、これまで利用したことがある『駅』のような正方形の構造物だった。
違いがあるとすれば、『駅』と比べて木の柵がしっかりと作られており、空堀も深く、大きく作られている点だろうか。空堀は一辺が百メートル近い長さで掘られており、掘った土を使って土壁が設けられている区画も存在する。
『駅』と思しき場所の中には簡素ながら木造の建物がいくつか作られていたが、鎧を着た兵士や土木作業をしていた人足と思しき者達が忙しなく駆け回っている。更に視線を巡らせてみると、煙の出元なのか盛大に燃え盛る建物や木の柵が見えた。
『ヴォオオオオオオオオオオオオォォッ!』
続いて、遠くから奇妙な鳴き声が聞こえてくる。距離があるにも関わらず、大気を震わせるような巨大な咆哮である。
「っ……今の鳴き声は……以前戦ったカーズとかいう魔物か?」
その鳴き声に聞き覚えがあったレウルスは、己の記憶を引っ張り出して呟く。
(あのヒクイドリみたいなやつが暴れてるのか? それならこの騒ぎも納得だけど……)
サラが口にした、『速く動いている熱源』がそうなのだろう。そう判断したレウルスは一度情報収集を打ち切り、サラを連れてもと来た道を戻っていく。
「何かわかったのであるか?」
レウルスとサラが戻るなり、コルラードが手短に尋ねてくる。その表情は真剣で、今すぐにでも戦闘に移れるよう気を張っているようだった。
「この先にある『駅』みたいな場所を魔物が襲ってるみたいです……っと、あの魔物ですね」
レウルスがコルラードに説明していると、遥か遠くに件の魔物の姿が見えた。
豆粒よりも小さくしか見えないものの、レウルスは自身の視界に映った魔物の姿を見て盛大に眉を寄せる。
体の大きさは三メートルほどで、全体的に真っ赤な配色。その姿をレウルスの知識で例えるならば、真紅のダチョウである。
二本の足で移動しているが筋肉が非常に発達しており、足先を覆っている爪は鋭く、頑丈そうだ。すらりの伸びた首は長く、頭にはトサカが生えていた。
――間違いなく、以前戦ったヒクイドリと同種の魔物である。
「混乱しているみたいですし、少し迂回して駆け抜けますか? 兵士みたいな人もいるんで、見つかると面倒そうですし」
今の状況ならば、街道から少しだけ逸れれば気付かれることなく通り抜けることができそうだ。足場の悪さが厄介だが、カルヴァンが改造した馬車は非常に頑丈で多少の悪路は走破できる。
「いや……これは好機である。どうせ街道を通っていれば嫌でも兵士と鉢合わせるのだ。ここは恩を売ってこれからの旅路を楽にするのである」
しかし、コルラードの判断はこのまま進むというものだった。その判断に片眉を跳ね上げるレウルスだったが、何かを言うよりも先にコルラードが言葉を続ける。
「だが、貴様ならば並大抵の魔物には後れを取らんとは思うが、一応先に聞いておかねばならんな……レウルスよ、あの魔物は強いのか?」
「強いです」
問われたため、断言するレウルス。その脳裏には、かつて交戦したヒクイドリの姿があった。
「上級とまでは言いませんが、俺が以前戦った個体は成体のキマイラ並に強かったですよ。個体差があるらしいですけど、弱くても中級中位の魔物らしいです」
「……それほどか」
「ええ。俺も以前と比べれば強くなった自信がありますけど、一対一で戦えばどうなるのか……強いのもそうですが、戦い方が“巧い”んですよね」
フェイントを使い、砂で目潰しを敢行し、中に人間が入っているのではないかと疑問に思うほどの技術を駆使して襲い掛かってくるのだ。レウルスが交戦した個体だけが特別だったのかもしれないが、ジルバも知能が高く、厄介だと言っていた。
「ぬぅ……ルヴィリア様の身を守るという点ではこのまま静観する方が得策か。だが……」
何故か迷うそぶりを見せるコルラード。レウルスとしては厄介事に首を突っ込むような気がしてならず、避けられるならば避けたいと思っていた。
「コルラードさん? 何か――」
「あっ」
レウルスが疑問を口にしようとした瞬間、サラが声を上げた。何事かとレウルスが視線を向けるが、サラは遠くを見たままで目を見開いている。
「向こうから動いたっていうか、こっちに逃げてくるんですけど!?」
「はぁっ!?」
レウルスは慌てて状況を確認するが、サラの言う通り一匹のヒクイドリが駆けてくるのが見えた。レウルス達を狙っているわけではなく、進行方向にたまたまレウルス達がいたのだろう。
『ヴォッ、ヴォオオオオオオォッ!』
レウルス達に気付いたヒクイドリが咆哮し、速度を上げる。その咆哮によって馬車につながれていた馬が驚いて竿立ちになりかけたが、コルラードが咄嗟に手綱を操り、暴れそうになる直前で止めた。
「チッ……サラとネディは援護を頼む! エリザとミーアはルヴィリアさんを守れ!」
ヒクイドリが相手となると、全力で戦う必要があるだろう。レウルスは『龍斬』を鞘から抜き放つと、『熱量解放』を使って駆け出し、一気に距離を詰めていく。
これまで『駅』と思しき場所にいた兵士と交戦していたからか、向かってくるヒクイドリの体にはいくつもの傷が刻まれていた。真紅の羽がところどころどす黒く染まっており、傷が浅くないことが伺える。
『ヴォオオオオオオオオオオオオォォッ!』
「シャアアアアアアアアアアアアァァッ!」
それでも、突進してくるヒクイドリの勢いには微塵の衰えもなかった。それ故にレウルスも腹の底から咆哮し、『龍斬』を振りかぶって真正面から迎え撃つ。
レウルスの動きを見たヒクイドリは駆ける勢いもそのままに跳躍し、風を切る速度で前蹴りを繰り出す。その一撃は爪の硬さもあり、鉄板すら容易く打ち抜けるだろう。
それに対するレウルスは、力でねじ伏せると言わんばかりに全力で踏み込む。顔面に迫りくるヒクイドリの爪に向け、担いだ『龍斬』を真っ向から振り下ろす。
コルラードから様々な技術を教わったが、ヒクイドリほどの魔物を相手にして剣の振り方や足の運び方を意識している余裕などない。急に発生した戦闘の最中で咄嗟に実行できるほど、レウルスの体に技術が染み付いてもいない。
それでもレウルスの体は可能な限り踏み込みの力を殺さないよう、体重の移動を阻害しないよう、自然と動いていた。
「ッ!?」
『ヴォッ!?』
そして、レウルスとヒクイドリは同時に驚きの声を上げた。
ヒクイドリの前蹴りを迎え撃ったレウルスは、『龍斬』を“振り切った”状態でヒクイドリの後方へと駆け抜ける。ヒクイドリの爪とぶつかり合い、弾き返されると思った『龍斬』の刃は、レウルスの手の中に僅かな感触だけを残して完全に振り切られていた。
『ヴォヴォッ!?』
僅かな間を置いて、ヒクイドリが驚いたような鳴き声を上げる。金属だろうと蹴り砕く自慢の爪が斬り飛ばされ、遅れるようにして激痛が走ったからだ。
(今のは……『龍斬』の切れ味もあるけど、“斬りやすかった”ような……)
以前レウルスがヒクイドリと交戦した際に使用していたのは、ドミニクから譲られた大剣だった。今でも思い出深い武器ではあるが、『龍斬』と比べれば切れ味は鈍く、頑丈さでも遥かに劣ってしまうのは否定できない。
火龍であるヴァーニルとも真っ向から打ち合うことができ、スライムを斬っても僅かな摩耗で済む魔法具『龍斬』。その切れ味に、ほんの僅かとはいえレウルスの中に蓄積されつつあった研鑽が加わった結果――。
「なるほど……ほんの少し……少しだけだけど、グレイゴ教徒の気持ちがわかったな」
爪ごと片足の半ばまで両断されたヒクイドリを前に、レウルスは口の端を吊り上げて獰猛に笑うのだった。




