第26話:キマイラとの死闘 その3
氷の塊を吹き飛ばす轟音と衝撃。落雷のように放たれた電撃はキマイラ自身を巻き込みながらも氷の拘束を粉砕し、キマイラに自由を取り戻させる。
「おいおい……」
その光景を見ていたニコラが呆然と呟くが、レウルスとしても同じ心境だった。キマイラは自傷することを躊躇わず、最適な手を打ってきたと言えるだろう。
たしかに死ぬよりはマシだが、自分を巻き添えにして雷魔法を撃つなど思い切りが良すぎる。強力な魔物は相応の知性があると聞いていたレウルスだが、ここまで的確な判断を下されると驚きよりも呆れの方が勝ってしまった。
だが、いつまでも呆けているわけにもいかない。作戦は失敗に終わったのだ。シャロンが『詠唱』を終わらせる時間を稼ぎ切り、キマイラに強力な氷魔法を叩き込むことはできたが、仕留めきることができなかったのだ。
レウルスは驚愕に反して冷静さを取り戻しつつある思考で現状を整理する。
シャロンは『詠唱』によって無理矢理強力な魔法を行使したことで倒れ、キマイラの足止めをしていたバルトロとドミニクは満身創痍。ニコラは最初から半死人に等しく、万全に近いレウルスはこの中で最も弱い。
視線を向けて確認してみれば、今しがたキマイラが放った電撃に巻き込まれたと思わしきドミニクとバルトロの姿がある。電撃で体が痺れたところに砕け散った氷の破片が襲い掛かったのか、先ほどと比べて傷の数が増えていた。
シャロンが造り出した氷の檻から抜け出したキマイラも、無傷とは言えない。先日ニコラとシャロンが交戦した際につけた傷だけでなく、ドミニクとバルトロの奮闘によって傷が増え、なおかつ自身に向けた放った雷魔法で体のあちらこちらが黒く焦げていた。
――それでも、この場の全員を殺せるだけの余裕はあるだろう。
キマイラは砕けて地面に落ちた氷を踏み潰しながら周囲を見回す。二つの頭がそれぞれドミニク達とレウルス達を見据え、余力を探るように目を細めていた。
『ゴアアアアアアアアアアアアアァァァッ!』
そして、勝利を確信したように咆哮する。それだけでレウルスの肌がビリビリと震え、支えていたシャロンを手放しそうになった。
「は、はは……絶体絶命ってのは、こういうことを言うんだろうな」
極限の恐怖からか、冷や汗すら浮かんでこない。強がるように言葉を発してみたが、その声は大きく揺れていた。
「……撤退だ。レウルスはシャロンを担いで逃げろ。俺はおやっさん達と可能な限り時間を稼ぐ」
ニコラは険しい顔をしながら剣を握り、構えを取る。しかしその動きはゆっくりとした緩慢なものであり、レウルスから見ても戦える状態ではないと窺えた。
ドミニク達に改めて視線を向けてみると、ドミニク達もキマイラを足止めするべく立ち上がっている。ただしバルトロは手元に武器がなく、ドミニクは大剣を持ち上げることすら困難なようだった。キマイラの尻尾で殴り飛ばされた際、腕を痛めたらしい。
レウルスに与えられた役目はシャロンの護衛であり、万が一の際はシャロンを連れて逃げることだ。それに従うならすぐさまこの場から離れるべきだろう――ラヴァル廃棄街に辿り着く前にキマイラに追いつかれそうだが。
レウルスは自分が支えているシャロンに視線を向けた。いくらシャロンが小柄とはいえ、人ひとりを抱えて移動すれば速度も落ちる。ニコラ達が時間を稼ぐとしても、一体どれほどの時間が稼げるだろうか。その稼げた時間で無事に逃げ切れるだろうか。
ぐるぐると空転する思考。キマイラに対する恐怖を思えば、今すぐこの場から逃げ出したい。幸いと言うべきかシャロンという免罪符もあるのだ。仮にこの場から逃げてもニコラ達は恨まないに違いない。
シャロンの体は冷たく、早急に医者に見せる必要があるだろう。『詠唱』していたとはいえ、あれほどに強力な魔法を使えるシャロンはラヴァル廃棄街にとっても重要な存在のはずだ。そんなシャロンを連れての撤退ならば、周囲もレウルスを咎めはしないはずである。
(そうだよ、な……ここにいても役に立たないのなら、せめてシャロン先輩を助けるために……)
思考はこの場からの離脱を声高に叫んでいた。このままこの場に留まっても全滅するだけであり、それならばシャロンと自分だけでも助かるべきだと。
己の安全だけを考えるのなら、自分一人で逃げても良いだろう。シャロンを連れてこの場から離れ、途中でシャロンを捨ててキマイラへの囮にする。そうすれば助かる可能性はさらに高まるはずだ。
何せ命がかかっているのである。今世においてシェナ村でも何度か死を覚悟したが、キマイラを相手にすることと比べたらその危険度は遥かに低い。この場に留まれば確実に死ぬが、シェナ村にいた時は己の判断次第でどうにでもなったのだ。
これは死なないために選ぶ当然の行動である。卑怯だなんだと言われたとしても、死ぬことと比べれば比較にならないほど生ぬるい。一度死んだ身だからこそ、レウルスは死ぬことが恐ろしいのだ。
(逃げる……逃げる、か……逃げるしか、ないのか……)
思考の大半は逃げることに賛成しているが、それでも迷う気持ちは残っている。それでも迷いを振り切るようにレウルスがシャロンを両腕で抱えると、ニコラは満足そうに頷いた。
「可能な限り粘るが、あんまり期待すんなよ? できるだけ早く街まで辿り着いてくれ。あと、シャロンを頼む。弱くて馬鹿な兄貴で悪かったって伝えといてくれや」
レウルスが逃げることを選択しても、ニコラは責めなかった。むしろ安心した様子で笑っている。
「その駄賃に、俺が使ってた装備は全部やるよ。この前捨てちまったやつ以外にも、お前が使えそうなのは色々持ってるからな……だからシャロンを頼んだぞ、レウルス」
そう言ってニコラはシャロンの頭を一度だけ撫でると、決別するように背を向けてしまった。レウルスは視線を迷わせてドミニク達を見るが、ドミニク達はキマイラの攻撃を回避しながらも咎める様子がない。
前言通り、シャロンを担いだレウルスが逃げる時間を稼ぐことに徹するようだ。ドミニクは痛む腕を無視して大剣を盾代わりにして耐え、バルトロは隙を見て戦斧を回収しようとしている。
「早く行け。時間が惜しい」
迷ったまま動けないレウルスを急かすようにニコラが言う。レウルスが迷えば迷うだけ時間が減り、キマイラに追いつかれる可能性が増えていくのだ。すぐにこの場から離れ、出来る限り早くラヴァル廃棄街に辿り着かなければならない。
現にドミニクは限界が近いらしく、キマイラの猛攻に押され始めている。ドミニクが死ねばバルトロも遠からず命を落とし、ニコラもそれに続くだろう。
――そんなドミニク達を見捨てて、レウルスはこれから逃げるのだ。
「……あー……やっぱ、馬鹿だなぁ俺……」
呆れたような、深々としたため息が零れた。それに続いてレウルスの体が動く。ただしそれは逃げるためではない、ニコラに近づくためだ。
「……レウルス?」
逃げるのではなく近づいてきたレウルスに対し、ニコラは怪訝そうな顔をした。そんなニコラに対し、レウルスは両手で抱えていたシャロンを手渡す。
「俺じゃあシャロン先輩を担いだまま逃げ切れる自信がないしな……途中で他の魔物に出会ったら死ぬだろうし、ここは先輩に任せるよ。兄貴なんだろ? 死にかけてても魔法を使える先輩の方が足が速いし、兄貴らしく気張ってくれ」
いくら満身創痍とはいえ、『強化』を使えるニコラがシャロンを担いで逃げた方が早いだろう。仮に魔物に遭遇したとしても、レウルスと比べれば自力で切り抜けられる可能性は高いはずだ。
「というか、おやっさんを置いて逃げられるかって話だよ。俺、まだ恩を返してないんだぞ? コロナちゃんにおやっさんを見殺しにして帰ってきたなんて報告するのも嫌だしな」
できるのなら逃げたい。だが、この場に留まるに足る理由を思い出してしまった。
一宿一飯の恩――命を助けられた恩をまだ返していないのだ。それだというのにドミニクを置いて逃げ出すなど、恩返しどころか恥の上塗りもいいところである。
前世ではそこまで義理堅い性格ではなかったのだが、とレウルスは苦笑した。ここは大人しく逃げる場面だろうに、と己を自嘲する。
強力な武器や防具もなければ魔法もない、キマイラを倒せるような技術もない。そんな自分では戦うことすら困難だと理解していても、逃げることだけは許容できなかった。
(これ以上、どこに逃げるんだって話だしな……)
ニコラとシャロンを逃がし、可能ならドミニクも逃がす。バルトロには悪いが、一緒に死んでくれとすら思った。残念だが、ドミニクには大恩があってもバルトロには何もないのである。
「つーわけで、じゃあな先輩。兄貴らしくシャロン先輩をちゃんと守ってやれよ?」
それだけを言い残し、レウルスは駆け出した。背後からニコラの驚くような声が聞こえたが、それを気にする余裕はない。
ある程度までキマイラに近づくと、それまで抜くことがなかった剣を抜いて左手に持ち替える。続いて地面に転がっていた石を拾い上げると、キマイラの気を引くように投擲した。
「おいこら犬っころ! こっち向け! 背中向けてるとケツの穴に剣ブッ刺すぞ!」
恐怖を抑え込むために敢えて罵倒するように叫ぶ。キマイラが人語を理解しているかわからないが、石を投げつけるだけでも挑発の意図は伝わるだろう。
キマイラは頭の片方をもたげてレウルスに視線を向けるが、脅威ではないと判断したのかすぐにドミニクとバルトロに視線を戻してしまった。
それを見たレウルスは有言実行で背後から剣を突き刺してやろうと思ったが、キマイラには鞭のようにしなる三本の尻尾がある。馬鹿正直に突撃しても弾き飛ばされるのがオチだろう。
「何をしているレウルス! シャロンを連れて早く逃げろ!」
レウルスの行動を見たドミニクが焦ったように叫んだ。その叫び声に対し、レウルスも負けじと叫び返す。
「おやっさんに恩を返さないまま逃げられるか! おやっさんこそ早く逃げろ!」
それだけを叫んでレウルスは駆け出す。このまま手をこまねいていても状況は好転しない。それならば少しでも動き、少しでもキマイラの注意を引くべきだと思ったのだ。
剣を構えて距離を詰めるレウルスに対し、キマイラは振り返ることすらせずに尻尾を振るった。それも三本全てではなく、一本だけである。
風を切って迫り来るキマイラの尻尾。長さは体長と同じく三メートル近いが、弧を描きながら高速で迫る尻尾は鞭と比べても威力に勝るだろう。
「くそっ、舐めんな――ッ!?」
それでも目で追えている。体も意識についてきている。それ故にレウルスは尻尾を叩き斬ってやろうと両手持ちで剣を振り下ろし――剣を手放しかねない強烈な衝撃に息を飲んだ。
走り寄った勢いと共に振り下ろした剣だったが、尻尾に食い込ませることすらできなかった。鞭のようにレウルスを打ち据えようとした尻尾へのカウンターという形になったというのに、一方的にレウルスが押し負けたのである。
剣を握っていた両手が腕ごと上方へと弾かれる。その衝撃はレウルスの体を浮かせるほどだったが、辛うじて剣は手放さなかった。
その代償に、隙だらけの胴体を晒す羽目になったが。
「ガッ!? ゴ……ギ、ィ……」
それまで動いていなかった尻尾が振るわれ、レウルスの胴体を強かに打ち据える。革鎧を身に付けているとはいえ衝撃まで防ぐことはできず、レウルスの口から強制的に空気が吐き出された。
その一撃だけでレウルスの体が後方へと弾き飛ばされる。揺れる視界の中でレウルスが見たのは、相変わらず視線すら向けないキマイラの姿だ。
キマイラはレウルスのことを歯牙にもかけていない。背中を向けていても、尻尾だけでも容易に倒せると思っている。
そしてそれは事実だろう。現にレウルスの攻撃は通じず、戯れに放たれた尻尾の一撃だけで大打撃を受けているのだから。
「ごほっ! づ、つぅ……く、そったれめ……」
革鎧越しながら、鉄球でも直撃したのかと思うほどの衝撃だった。空気だけでなく胃の中身まで吐き出しそうになったものの辛うじて堪え、足から着地して砂埃を上げながら急制動をかける。
レウルスはすぐさま駆け出そうとしたものの、腹部から伝わる痛みでその場に膝をついてしまった。骨は折れていないようだが、衝撃だけでも内臓が激しく掻き回されたように痛む。
吐き気を伴う激痛が全身を駆け巡り、泣きたくもないのに勝手に涙が浮かんでくる。レウルスは剣を杖代わりにして立ち上がるが、勝手に膝が震えてすぐには動けそうになかった。
(こんな化け物相手に……よく戦えるな……)
荒い呼吸を繰り返してなんとか痛みを抑えようとするレウルスの脳裏に過ぎったのは、キマイラ相手に渡り合ったドミニクやバルトロへの賛辞だった。
レウルスはたった一撃、それも視線すら向けずに放たれた尻尾の一撃で動きを止められてしまった。防具の質の違いもあるのだろうが、ドミニクもバルトロもこの程度では止まらないはずである。
キマイラが危険視しないのも納得できる実力差だった。放置していても問題にならず、仮に向かってきても片手間で倒せると判断されているのだ。
キマイラの気を引いてドミニクとバルトロの援護をすることもできない。むしろドミニクの気を引いてしまい、邪魔になっているだけとも言える。
このままではドミニクを逃がすどころか、自分のせいで死なせてしまいそうだとレウルスは思った。その事実にレウルスは歯を噛み締め、自分への怒りで全身を駆け巡る痛みを強引に無視する。
「小僧! 俺の斧を拾ってこい!」
そんなレウルスの元に、バルトロの声が届く。それを聞いたレウルスは一体何事かと眉を寄せたが、バルトロは無手のままだ。しかし戦斧があればまだ話は別だろう。そのことに思い至らなかった自分自身に苛立ちを覚えるが、黙ってその指示に従う。
キマイラに背を向けると、離れた場所に転がっている戦斧を拾うべく駆け出した。
「っ!?」
だが、戦斧を拾われるのはキマイラとしても面白くないのだろう。レウルスが駆け出した瞬間嫌な予感が――魔力が放たれていることに気付き、レウルスは横っ飛びに地面を転がった。
そして次の瞬間、レウルスが進んでいれば通ったであろう場所に雷が降り注ぐ。放たれた雷はその衝撃で地面を砕き、焦げ跡を残すほど強力だった。もしもレウルスに命中していれば、それだけで即死していただろう。
「はぁ、はぁ……くそっ、洒落になってねえぞオイ……」
命中はしていないが、雷が着弾した余波で手足に軽い痺れを感じる。その事実がキマイラの雷魔法の威力を痛感させ、レウルスは身が震える思いだった。
それでも、雷魔法を回避したことがキマイラの気を引いたのだろう。それまで見向きもしなかったというのに片方の頭がレウルスへと向けられており、レウルスが回避できたことに対して違和感を覚えていることが伝わってくる。
「は……どうした犬っころ! ご自慢の雷が当たってねえぞ!」
そのためレウルスは挑発するように声を張り上げた。続いて戦斧に向かって駆け出し、更にキマイラの気を引こうとする。
「っ、もう一発!」
先程よりも明確に魔力を感じ取り、レウルスは剣を鞘に納めながら腰に下げていた短剣を引き抜いた。
キマイラの狙いは落雷による“点”での攻撃ではない。今度はレウルスを飲み込むよう放射状に雷撃が放たれる。
それを察したレウルスは抜いた短剣を背後に放り、飛び込むようにして前方に飛んだ。すると放たれた雷撃が引き寄せられるようにして短剣に命中し、雷撃を四散させて威力を削ぐ。
レウルスの体に強烈な痺れが走ったが、地面に手をつけて電気を逃がすことで辛うじてやり過ごすことができた。
「ぐっ……絶対体に悪いな、コレ……」
舌先まで痺れそうだが、この場に留まっていては追撃の電撃で感電死するだろう。その恐怖感がレウルスの体を動かし、前へと進ませた。
死なないレウルスに業を煮やしたのか、一発、二発と電撃が放たれる。それでもレウルスは電撃を掻い潜って戦斧のすぐ傍まで駆け寄ると、両手で戦斧の柄を握って持ち上げようとした。
「っ……お、重てぇ……」
巨漢のバルトロが使うだけあり、戦斧も相応の重量があった。少なくともレウルスが振り回すのは無理だろう。持ち上げるのが精一杯であり、バルトロのところまで運ぼうとすればキマイラの雷魔法の餌食になるに違いない。
ドミニクとバルトロがいる場所まで四十メートルは離れている。一気に距離を詰めるには戦斧が重すぎで、投げて渡すことも当然ながら不可能だ。
ハンマー投げのように遠心力を働かせてから投げれば良いとレウルスは考えたが、この場で戦斧を振り回していたらその間に電撃が飛んでくるだろう。無事に済む確率は非常に低いが、素直に持ち運ぶ方が手っ取り早い。
『ガアアアアアアアアァァッ!』
そんなことを考えていた矢先だった。それまでドミニク達の相手をしていたキマイラが突如として身を翻し、レウルスへ向かって突進してくる。
おそらくは雷魔法を回避するレウルスのことを鬱陶しく思ったのだろう。もしかすると戦斧をバルトロに渡されると面倒なことになると考えたのかもしれない。
「レウルス! ぬっ!?」
背を向けたキマイラを追おうとしたドミニクだったが、置き土産のように放たれた雷撃に足を止められてしまう。それはバルトロも同様であり、レウルスの救援が妨げられてしまった。
「チィッ! ここでこっちに来るのかよ!」
魔法が回避されるのなら、直接殴れば良い。キマイラはそんな単純な結論を下したのだろうが、レウルスにとっては致命的とも言える手だった。
魔法ならば距離が離れていればなんとか回避ができる。だが、キマイラの巨体から繰り出される打撃は回避できない。そもそも、ダンプカーのように突っ込んでくるキマイラに撥ねられるだけでも死にそうだった。
「ぬうううぅぅんっ!」
背を向けたキマイラに対し、ドミニクが大剣を振りかぶる。そして真横に振るうなり手を離し、キマイラ目掛けて大剣を投擲した。
『グルゥッ!?』
さすがに武器を手放すとは思わなかったのだろう。キマイラは驚いたような声を上げ、回転しながら迫る大剣を尻尾で跳ね上げようとする。
だが、ドミニクが全力で投擲した大剣はそう簡単には止まらない。跳ね上げようとした尻尾の内一本を斬り飛ばし、キマイラに苦悶の声を上げさせた。
問題があるとすれば、キマイラが直進を止めなかったことだろう。尻尾を斬られながらもレウルスとの距離を詰め、間合いに入るなり前足を振り抜いたのだ。
それは、キマイラにとって邪魔な虫を殺すための一撃。攻撃力こそないものの魔法を回避してみせたレウルスに対する、苛立ちを込めた一撃だった。あるいは尻尾を斬られた苦痛への怒りも込められていたかもしれない。
丸太のように頑丈で太い前足が風を切って迫り、レウルスは咄嗟にバルトロの戦斧を構えた。それは迎撃のためでなく、金属でできた戦斧を盾にして少しでも被害を小さくしようとしたに過ぎない。
レウルスは戦斧に手を当てて盾代わりにすることでキマイラの攻撃を受け止める。
「ッ!?」
――ことなどできるはずもなく、鈍い破断音と共に激しい衝撃がレウルスの体を襲った。
真横から車がぶつかってきたような衝撃と共に足が地面から浮き、そのままボールのように弾き飛ばされる。
宙に浮いたまま十メートル、二十メートルと滑空し、山なりの軌道でレウルスは地面に叩きつけられることとなった。
レウルスは反射的に体を丸めて衝撃を和らげようとしたものの、それにも限度がある。魔物の攻撃から身を守るための革鎧が、この場合は仇となる。肉体よりも硬い革鎧と共に地面に激突したことで、体のあちらこちらから激痛が巻き起こった。
「ガ……ギィ……」
体中を駆け巡る激痛により、勝手に息と声が漏れる。尻尾で腹を殴られた時とは比べ物にならない痛みで全身が痙攣し、指先一本動かすこともできそうにない。
骨が一本か二本、下手すればそれ以上折れているのだろう。あまりの痛みに意識が遠退き、強制的に意識を落とそうとする。
「は、ぐ……あ、ああ……」
それでも辛うじてつなぎとめた意識の中でレウルスが見たのは、咆哮と共に角から紫電を生み出すキマイラの姿。油断などすることなく、即座に留めを刺すつもりらしい。
その事実にレウルスは笑いたい気持ちになり――バチバチと音を立てる巨大な電光が視界を白く染めた。