第268話:旅路 その5
城塞都市マダロで一晩を過ごして体を休めたレウルス達は、日が昇るなりマダロを出発して旅を再開した。
既にマタロイの中でも南東と呼べる位置まで移動しているが、ここからが問題である。
南に真っすぐ下れば大陸でも最も巨大な国であるラパリが、北東に進めばラパリとマタロイに次ぐ国土を持つベルリドが存在する。
そして、それら三ヶ国の境に存在するのが火龍ヴァーニルの縄張りであるヴェオス火山だ。正確に言えばヴェオス火山の周囲一帯、広大な森も含めてヴァーニルの縄張りである。
ヴェオス火山はカルデヴァ大陸のほぼ中央に位置し、マタロイやラパリからすれば目の上の瘤のような場所だ。
マタロイもラパリも広大な国土を持ち、国境を接してもいるが、その大部分がヴァーニルの縄張りと被るのである。
仮に両国の間で戦争が起こったならば、ヴァーニルの襲来を恐れながら縄張り近くを通るか、他国の領土を通って攻め込むしかない。だが、他国の軍隊が領内を通るのを良しとする国主など存在しないだろう。
同盟を結んで平和裏に通行するという手段も取れないことはないが、“そんなこと”はマタロイもラパリも当然のように思い付く。そのためマタロイとラパリに領土を接する国々との関係には気を遣うのだ。
相手が小国だろうと大国だろうとそれは変わらない。マタロイとラパリの二国は表面は笑顔で握手を交わしながら、裏では虎視眈々と殴りかかる隙を探し合う。
戦う気がないとしても、殴りかかられる隙を晒さないように備えなければならない。常日頃から軍を整備し、維持発展させ、戦にならないようにしなければならないのだ。
そのため、国の軍だろうと各地の貴族だろうとある程度の力を持たなければ話にならない。特に国境を接する貴族などは大変で、魔物や野盗を退治するだけでなく、常に“万が一”に備えなければいけないのだ。
そして、軍備の充実に加えて領内の内政に手を抜くわけにもいかない。治安の維持には役に立っても生産性という点では役に立たない兵士を鍛え、軍として整えるには相応の金や物資がかかる。
兵士を育てて数を揃えても、今度は兵士達をまとめ上げて率いる者が必要となる。魔法が存在するこの世界では文字通り一騎当千と呼べる者も存在するが、それほどの力を持つ者はごく僅かだ。
それでもせっかく鍛えた兵士を預ける以上、少しでも強く、優れた指揮を執れる者を見出す必要がある。
数十、あるいは数百もの兵士を率いるに足る将器を持つ者がその辺りにゴロゴロと転がっているはずもないため、領内から有望な者を見つけ出し、鍛え上げて軍を任せるというのが一般的だ。
鍛え上げられた兵士に、それを指揮する有能な人材。数の多寡や質で差はあれど、各地の領主が保有する軍勢はただの素人や野盗、冒険者とは比べ物にならない。
――そして、そんな軍勢を一撃で消し飛ばすのがヴァーニルという化け物である。
「ヴェオス火山周辺の森を突っ切るってのは無理ですかね?」
それ故に、マダロを出発する際にレウルスが行った提案への反応は劇的だった。
「……一応尋ねるが、正気であるか? 疲れているのなら引き返してもう一晩マダロに泊まるが……」
何を言っているんだ、といわんばかりに眉を寄せるコルラード。ルヴィリアは困ったように頬に手を当て、アネモネは頭痛を堪えるように頭を振っていた。
「いや、こっちも一応の提案として口に出しただけですから」
正気を疑われたレウルスは苦笑しながら手を振る。
マダロを出発したレウルス一行は、その進路を北に取っていた。ヴェオス火山の周囲に存在する森に沿うようにして進み、ヴェオス火山を挟んで反対側――国境付近まで移動しようとしているのだ。
これはヴァーニルの縄張りに足を踏み入れないためだが、当然ながら真っすぐ進んで縄張りを横断する方が時間がかからない。
一応と口にした通り、レウルスも受け入れられるとは思っていなかったが。
「ふむ……真剣に検討して答えるが、それは無理であろうな。火龍の存在もそうだが、ヴェオス火山の周囲には中級以上の魔物も多く生息すると聞く。それに、そもそも道がないから馬車が通れないのである」
「……まあ、そうですよね」
ルヴィリアという護衛対象を連れているとはいえ、“以前”足を踏み入れた時と比べるとレウルス達の戦力も増えている。それこそレウルス達だけならば横断することも可能だろうが、馬車が通れないのでは仕方がなかった。
「自殺するのならこの依頼が終わってからしていただきたいのですが……」
「打ち解けてきたからか棘がすごいですね、アネモネさん」
狂人でも見るような目付きと共にアネモネに言われ、レウルスは思わず苦笑してしまった。
「当然の反応でしょう? 仮に馬車が通れたとしても、火龍の縄張りに足を踏み入れるなど自殺と変わりません。周囲の森の浅い場所ならばまだしも、横断するとなるとヴェオス火山にも近づくことになるでしょうし……」
(ヴァーニルの評価がものすごく高いんだが……いや、これが当然なのか)
――その火龍、昨晩暇だからって会いに来たんですよ。
そんな言葉が脳裏に浮かんだレウルスだったが、口にすれば本当に狂人扱いされてしまいそうだ。
レウルスからすればヴァーニルは喧嘩友達かつサラの保護者といった印象だが、『人の営みに関わらない』と語っていたヴァーニルのことを思い、提案を取り下げる。
「それなら予定通り森に沿って進むしかないですか……この辺りは中級以上の魔物が出やすいみたいですし、護衛として気を引き締めますね」
「そうしてください」
そう言ってため息を吐くアネモネに、レウルスも頷きを返すのだった。
――だが、レウルス達が護衛として活躍することはなかった。
マダロを出発して一週間近く、ヴァーニルの縄張りに足を踏み入れないよう注意しながら進んでいたが、魔物にも野盗にも襲われなかったのである。
野盗に関しては仕方がないだろう。いくら野盗に身をやつしたとはいえ、わざわざヴァーニルの縄張りの近くで活動するような命知らずはいない。
仮に自分の縄張りの中で野盗が活動していれば、ヴァーニルの方から嬉々として姿を見せそうだ。
(そして腕試しをし始めて、相手がぺちゃっと……あり得そうだなぁ)
そんなことを思いながらも、レウルスは周囲への警戒を欠かさない。サラが熱源を探っているとはいえ、中級以上の魔物ならば信じられないような速度で突っ込んできても不思議ではないのだ。
街道とは名ばかりの、辛うじて道とわかるデコボコ道を進むのも厄介だった。これまで通ってきた街道と比べると整備が不十分で、馬車の通行は可能なものの頻繁に車体が跳ねるのだ。
近隣の領主も、さすがにヴァーニルの縄張り近くの街道を綺麗に整備するのは不可能だと考えているらしい。あるいは国境が近いため、敵国の進軍を容易にする街道は不要だと判断しているのか。
かつてはヴァーニルを倒そうと躍起になっていた時代もあるらしいため、その時代に整備されて現在はほとんど放置されているのかもしれない。道の途中でいくつか『駅』も存在していたが、木の柵が壊れていたり空堀が崩れていたりと整備が不十分な様子だった。
遠くに見える森に意識を向けつつも、いつでも戦闘に移れるようレウルスは注意を払う。ヴァーニルの縄張りが近いからかコルラードの口数も少なく、その顔には疲労の色が浮かんでいる。視線を向けてみると、アネモネの顔も似たような有様だった。
『今回の旅は退屈ねー。魔物も全然寄ってこないけど、エリザがいるから? 『龍斬』のおかげ? それともヴァーニルが何かしてるのかなー』
さすがに声に出さない分別があったのか、『思念通話』でサラが退屈そうな声を投げかけてくる。レウルスとしてもやることがない点には同意するが、ヴァーニルが手を貸している線は薄いだろうと考えた。
レウルス達だけならばいざ知らず、コルラード達も一緒に行動しているのだ。他の魔物がどんな行動を起こしても止めることはないだろう。
『そういえば、以前来た時も魔物の方から逃げてたっけ……『龍斬』にはヴァーニルの爪や鱗を使ってるし、ある意味ヴァーニルのおかげかもしれないな』
それでも敢えて可能性を挙げるとすれば、レウルスが背負う『龍斬』のおかげだろうか。ヴァーニルの縄張りに近いからこそ、ヴァーニルから得た素材で作られた剣を忌避しているのではないか。
「コルラード殿、さすがにそろそろ……」
そうやってレウルスがサラと言葉を交わしていると、アネモネが不安を滲ませた声を漏らす。その視線は馬車に――正確に言えば馬車で休んでいるルヴィリアに向けられていた。
コルラードやアネモネでさえ疲れを覚えているほどの旅である。ルヴィリアの体力も底を突きかけており、ルヴィリアに次いで体力が少ないエリザが休憩を兼ねて馬車の中で面倒を見ていた。
「そろそろ国境が近いはずである……もう少しでラパリに入れるであろう。申し訳ないが、ルヴィリア様にはそれまで我慢していただくのである」
何かしらの確信があるのか、そう言って遠くを見るように目を細めるコルラード。レウルスからすれば道の先にあるのは相変わらず寂れている街道だけで、ところどころに木々が生えているぐらいしかわからない。
(俺がわからないだけで、何か目印でもあるのか?)
コルラードの言葉を聞いて思わず周囲を見回すものの、すぐにわかるようなものは存在しない。そのため首を傾げていると、再びサラから『思念通話』が届いた。
『ミーアが耳打ちしてきたけど、道の近くに生えている木の数に規則性があるんだって。それが何を指してるかはわからないみたいだけど』
そう言われてレウルスがサラの方に視線を向けると、ミーアがサラの傍に身を寄せていた。どうやらレウルスの挙動から疑問を感じ取ったらしい。
『よくわかったな……そういえば、初めて会った時も『迷いの森』を自分達で作ってたっけ』
ミーアの言葉を聞いてから街道の近くに生えている木々に注目してみるが、規則性が読めない。それでもミーアが断言している以上はそうなのだろうとレウルスは納得し、同時に感心もした。
「レウルス、もう少しでラパリとの国境に近づくから注意しておくのである。吾輩達はこれから騎士や冒険者ではなく、精霊教徒と精霊教の客人として行動するのだ」
気を抜かない程度に街道傍に生えている木を数えながら歩いていると、コルラードが注意を促してくる。そのためレウルスは大きく頷いた。
「わかりました。こっちでも注意しときます」
「うむ……ラパリの兵士などが寄ってきた時は吾輩が対応するが、お主らに話を振られることもあるだろう。その時は上手く合わせるのだ」
「精霊の『祭壇』を探して旅をする、敬虔な精霊教徒を演じるわけですか……ジルバさんの真似をしたらいけそうですね」
ジルバの“敬虔さ”を真似するのは不可能だろうが、ジルバが言いそうなことを想像すれば熱心な精霊教徒として通じそうである。
「そう……だ、な……いや、うむ、そう……そう……であるな、うん」
だが、そこでコルラードは視線を逸らしてしまった。さすがのコルラードといえど、ジルバの思考をなぞって受け答えするのは不可能だと思ったのか。
そんなコルラードの反応にレウルスは苦笑を零し、その視線を再び警戒のために周囲へ向けた。
「……あれ?」
そして不意に、遠くに異常を見つけて声を上げる。それはサラの『熱源感知』の範囲よりも遠く、レウルスの視力でもかすかにしか見えない。
「どうかしたのであるか?」
レウルスの声に反応し、コルラードが馬車を停止させる。その間にもレウルスは目を細めて遠くを見つめ、呟いた。
「進んでる道の先……何か、燃えてませんか?」
ほんの僅かながらレウルスの視界に映ったもの。
それは、糸を引くようにして立ち昇る白煙だった。




