第264話:旅路 その1
ヴェルグ子爵家の令嬢であるルヴィリアを連れた旅は、レウルスが予想したよりも順調に進んでいく。
出発してから半日程度しか経っていないが、ルヴィリアは弱音を吐くこともなく街道を歩き、疲れが溜まれば無理をすることなく荷車に乗り込んで休み、体調を崩すこともなかったのだ。
己の体が弱いことを、旅に慣れたレウルス達には体力で大きく劣ることを、誰に指摘されずともルヴィリア自身が理解しているのだろう。
貴族という特権階級の家に生まれたにしては腰も低く、無理難題を口にすることもなく、疲れたからと騒ぐこともない。護衛する立場のレウルスからすれば、とても“お行儀が良い”依頼主で助かるというものだった。
ただし、問題はゼロではない。
一つは、ルヴィリアの体調を考慮して歩くため移動速度が遅いことだ。
これは元々想定していたため大きな問題ではないが、レウルスとエリザ、サラにミーア、ネディという面々で移動する時と比べれば遥かに遅い。
街道を通っているため足場は良いが、馬がつながれたことで馬車と呼べる存在になった荷車を曳いていることを考慮してもその歩みはゆっくりとしたものである。
普段の移動速度が速過ぎるともいえるが、レウルスとしてはあまりにもゆっくり過ぎて散歩でもしている気分だった。ルヴィリアが馬車で休んでいる時は速度を上げられるが、平均的な速度で考えるとやはり遅いと言わざるを得ない。
いっそのことルヴィリアには常時馬車に乗っていてもらいたいところだが、馬車に乗り続けていると振動で酔ってしまうのだ。そのためルヴィリアは酔わない程度に馬車で体を休め、酔いそうになったら歩き、疲れたら再び馬車に乗るといった行動を繰り返している。
そして、もう一つの問題は――。
「あー……アネモネさん?」
馬車と並行するように歩いていたレウルスは、僅かに先を歩くアネモネへと声をかける。
声をかけられたアネモネはといえば、油断なく周囲を見回していた。その表情は非常に真剣なもので、ピリピリとした雰囲気が周囲に漏れ出るほどである。
「……何でしょうか?」
視線を向けることはなく、声だけで応えるアネモネ。その間にも忙しなく周囲を警戒しているアネモネだが、レウルスとしてはため息を吐くしかない。
「周囲の索敵はこっちでやりますし、何かあればこっちで対処するんで、ルヴィリアさんのことだけに気を払ってもらえると助かるんですが」
「……ルヴィリア様の侍女として手は抜けませんから」
「サラは周囲の熱を探れる『加護』がありますし、俺も魔物が近づいてくれば気付けます。気を抜けとは言いませんけど、もう少しこちらを信用してもらえませんかね?」
それはルヴィリアの侍女という立場がそうさせるのか、あるいはレウルス達の技量を信用していないのか。厳しさを感じさせる声にレウルスは肩を竦めると、荷車の屋根部分に腰を掛けているサラに視線を向けた。
「サラ」
「はいはーい。ずっと周りを探ってるけど、何も異常はないわよー。遠くにいくつか熱があるけど、こっちに気付いてないっぽい」
ゆっくりと移動しているからか、サラの声色には退屈そうな色が滲んでいる。
街道の周囲は開けており、レウルスの視界にも不審なものは映らない。魔力を感じ取れるということもなく、サラも常に周囲の熱源を探っているのだ。
「距離と数は?」
「んー……一番近いので五百……遠くて七百? 数は全部で五……でも全部単独で動いてるから魔物でしょ。狩りに行く? 焼いちゃう?」
「襲ってくるなら倒すけど、今は移動と護衛が優先だ」
「はーい……ちぇっ、つまんないのー」
足をぶらぶらとさせながら唇を尖らせるサラ。馬車を挟んで右側にはエリザとネディが、後方にはミーアがいるが、全員がどこか退屈そうにしていた。
普段の旅ならば雑談でもしながら歩くが、今はアネモネが発する空気に遠慮して黙々と歩いている。しかし、それにもさすがに限度があるだろう。
(依頼を出した側と受けた側……立場の違いはあるけど、さすがにこれはなぁ)
気楽に接しろとまでは言わないが、アネモネの真剣さはルヴィリアの体調にも悪影響を及ぼしそうだ。
さてどうしたものか、とレウルスが思考していると、馬車の端に座って二頭の馬を御していたコルラードから声が響く。
「侍女殿。気持ちはわかるが、旅は始まったばかりで先は長いのだ。貴殿がその様ではルヴィリア様も気が休まるまいよ」
「コルラード殿……」
「レウルスの言う通り、気を抜けとは言わぬ……だが、緩めるところは緩めなければ体がもたないのである」
コルラードがそう言うと、アネモネは十秒ほど沈黙した。そしてため息を吐いたかと思うと、レウルスへと振り返る。
「そうですね……コルラード殿の仰る通りです。周囲の警戒をお願いいたします」
そう言って目礼すると、アネモネが地を蹴って馬車に飛び乗る。おそらくはルヴィリアの世話をするのだろうが、身軽に跳躍するその姿は明らかに戦いの心得がある者の動きだった。
強さの程は不明だが、腕が立ちそうである。レウルス達に護衛を依頼したとはいえ、単独でルヴィリアについてきている以上それも当然かもしれないが。
(セバスさんの孫だしなぁ。魔力は……隠してるけど薄っすらと感じ取れるか)
距離が近いからか、これまでのコルラードとの訓練で感覚が鋭敏になっているのか、アネモネの持つ魔力が僅かとはいえ感じ取れた。
その魔力の隠し方の“甘さ”だけで判断するならば、ジルバやナタリアには及ばないのだろう。だが、それだけで判断するのも早計かもしれない。
そんなことを考えつつも、レウルスはエリザ達に普段通り行動するよう指示をする。警戒の手を緩めるわけではないが、日中に堂々と、街道で襲ってくるような野盗は少ないだろう。
(でもなぁ……傍目から見ると男の護衛が俺とコルラードさんだけなんだよな。野盗からすればカモに見えるか?)
魔法が存在するこの世界では、外見はアテにならない。か弱い少女だと思って舐めてかかっても三秒とかけずに畳まれることもありえるのだ。
ただし、野盗にそれだけの判断力を求められるかといえば――。
(襲い掛かってみれば吸血種に精霊が二人にドワーフ……外見詐欺もいいところだな)
ビックリ箱どころの騒ぎではない。グレイゴ教の司祭や司教ほどの腕があれば話は別だが、並の腕では近づく前に鎮圧されるだろう。多数で襲い掛かってもサラに焼き払われて終わりだ。
(……いかんな。考えが物騒になってるし、襲われること前提で考えてる……)
この状況で襲ってくるとすれば、エリザの“魔物避け”が効かない中級以上の魔物か向こう見ずな野盗、そしてレウルス達がどんな実力だろうと勝てると判断して襲ってくる輩ぐらいだろう。
圧倒的な強者が野盗に身をやつしているとは思わないが、気を引き締めておくべきである。
(俺もアネモネさんのことは言えないか……)
今回の依頼には、色々と思うところがある。それはレウルス個人の感想だけではなく、何かしらの裏や思惑が潜んでいると感じ取れる点からも油断しすぎるわけにはいかない。
「んー……んん?」
護衛対象がいるという状況によって知らず知らずの内に緊張していたのか、などとレウルスが考えていると、不意にサラが怪訝そうな声を上げた。
「どうした?」
「遠く……というか、進行方向に熱源が……うーん、数は十……と少し?」
レウルスが確認を行うと、サラは馬車の屋根の上で立ち上がり、進行方向を見ながら目を細める。実際に見えているわけではなく、気分の問題なのだろう。
「十人と少し……ふむ、街道の警備にしては数が少ないのであるな」
レウルスとサラの会話が聞こえたのか、コルラードが顎に手を当てながら呟いた。サラの発言を疑った様子がないのは、レウルスがサラの発言を微塵も疑っていないからだろう。
「固まってるのか……って、数が正確じゃないってことはそうなんだな?」
「うん。もしかすると倍以上いるかも? 道の先っていうよりも、道の傍の森に潜んでる?」
「……となると、野盗の可能性が高いか」
レウルス達は普段は森の中を移動するため、野盗と遭遇することはそれほど多くない。森の中に足を踏み入れると魔物に遭遇する危険性が上がるため、多くの場合で野盗は街道付近に出没するのだ。
兵士を見つければ森の奥に引っ込んでやり過ごすが、“獲物”が近くを通れば襲う。レウルスとしては、そこまでして野盗という立場を続ける必要があるのか疑問ではあるが。
「あっ、動いた……熱が二つ……三つ、こっちに向かって動いてる」
「斥候か? けっこう組織立ってるな」
出発して一日も経っていないが、早速厄介事が舞い込んできたのか。そう考えたレウルスはたすき掛けにしていた剣帯を解き、担いでいた『龍斬』の柄を握った。鞘から抜くことはないが、準備運動がてら素振りを二度、三度と行う。
「……戦う気であるか?」
「それが今回の仕事ですからね……向こうが仕掛けてくるなら応戦しますよ。コルラードさんはルヴィリアさん達を守っててくださいね?」
レウルスとしては率先して戦うつもりはないが、襲ってくるのならそれは“敵”だ。その際は一切の容赦なく仕留めるつもりだった。
「……あれ?」
だが、サラが奇妙なほどに気の抜けた声を漏らす。レウルスが何事かと視線を向けると、サラは遠くを見ながら首を傾げた。
「こっちに向かってきてた熱が一度止まったんだけど、すぐに元の場所に戻っていっちゃった……向かってくる時よりも速い……ような?」
「ん? どういうことだ?」
索敵が目的ではなかったのか、とレウルスは首を傾げる。
「結局、どうするのだ? このまま進むか、それとも追いかけてでも仕留めるのか……」
「コルラードさんみたいに“職務熱心”な方が通りかかってくれるのなら、追いかけて仕留めるのも吝かではないんですがね……死体の処理的な意味で」
そう言いつつ、レウルスはサラに視線を向けた。するとサラは首を横に振る。
「こっちに向かってきてた熱が元いた場所に戻ったけど、全員で移動を始めちゃった。けっこう速い……あっ、熱を感じ取れなくなっちゃった」
「……なんだったんだ?」
一体何が目的だったのか、レウルスにもわからない。索敵の人員を出したにしては中途半端な動きだった。
「とりあえず大丈夫そうですが、移動の速度を上げて駆け抜けましょう」
「うむ、それが良いのであるな……ルヴィリア様、少々揺れますがご勘弁を」
そう言って馬が駆ける速度を速めるコルラード。レウルス達はそれに遅れず追走しつつも、警戒だけは絶やさなかった。
僅かに時を遡る。
レウルス達の進路上――街道の脇には、二十人からなる野盗の集団が潜んでいた。
彼らは街道を通行する商人を主に狙っていたが、見張り役の野盗が不意に声を上げる。
――獲物だ。
その野盗は目が良く、街道上を移動する馬車の姿を捉えていた。
随伴の人員の格好から兵士ではないと判断できる。積み荷の詳細は確認できないが、馬車の大きさと馬が二頭という点から商人だろうかとアタリをつける。
野盗を取りまとめる男は、詳細を確認してくるよう部下を斥候に出した。馬車に同行しているのは冒険者と思われるが、この近くで冒険者がいる町はラヴァル廃棄街しかない。
野盗にとって、冒険者はそれほど大した敵ではない。中にはそれなりに腕が立つ者もいるが、数で勝れば押し切れる程度でしかないのだ。
だが、ラヴァル廃棄街の冒険者というのが野盗の頭目を躊躇わせていた。
ラヴァル廃棄街の周囲だけでなく、マタロイ南部、下手するとマタロイ全土に名を知られている精霊教徒――ジルバが居を構えている町である。
ジルバは時折ラヴァル廃棄街を留守にしてあちらこちらを移動しているが、その際に野盗と遭遇すれば漏れなく捕獲して兵士に引き渡している。
その強さは野盗にも伝わっているほどで、黒服の精霊教徒を見かければ即座に逃げ出すよう徹底している野盗団も存在するほどだ。
そんなジルバに加え、ここ数ヵ月で有名になりつつある冒険者がラヴァル廃棄街には存在している。ジルバと比べれば知名度は低いが、ラヴァル廃棄街の周囲で嬉々として魔物を狩って回り、血肉を啜る冒険者が存在すると専らの噂だった。
――馬車の護衛と思しき冒険者は、赤髪で大剣を振り回しています。
野盗団の頭目は、慌てた様子で駆け戻ってきた部下からの報告を受け、即座に撤退を決断する。
――『魔物喰らい』だ。下手すりゃ俺らも食われるぞ。
文句を言いかけた他の野盗たちも、その言葉に素直に頷いて撤退するのだった。
――ひとまず、現状ではレウルス達の旅は平穏だった。




