第260話:兆し その6
ナタリア達との話から二週間が経ったその日。レウルスはコルラードとの訓練に出かけず、冒険者として依頼を受けてラヴァル廃棄街の南門に待機していた。
魔物が近づいてこないかを見張り、場合によってはそのまま魔物退治へと移行する冒険者としてはありふれた依頼である。
以前と比べて遥かに安全になったラヴァル廃棄街において、上級下位の冒険者になったレウルスがわざわざ請け負うような依頼ではない。だが、“事情を知る者”としてこの場に控えておきたかったのだ。
「お前がいるなら今日の仕事は楽そうだな」
そんなレウルスの内心とは裏腹に、門番のトニーが気楽な様子で声をかけてくる。ただし、木材で作られた門の支柱に背を預けて気を抜いているように見えるが、その表情はどこか真剣だった。
「エリザの嬢ちゃん達はどうしてるんだ?」
「いつも通り農作業者の護衛に回してるよ。エリザにサラ、ミーアにネディ……向こうは安全だろうさ」
「いつも通り、ねぇ……」
含みを持たせたトニーの言葉に、レウルスは大した反応を返さない。
(最近受けてなかった依頼を突然受けたんだし、怪しむのも当然だよな)
内心で呟きつつ、レウルスはその視線を遠くへ向けた。
天気は悪くなく、多少雲が浮かんでいる程度で雨が降る様子もない。春を過ぎて少しずつ暑さが強まってきているように感じるが、穏やかで過ごしやすい陽気といえるだろう。
(良い天気で過ごしやすい気候なんだけど……落ち着かないのは現状が不安だからか?)
寒いとはいえず、暑いともいえない丁度良い気候。昼寝でもすれば心地良さそうだとは思うものの、レウルスの心中は晴れない。
ナタリアが予測した二週間という時間が過ぎたのだ。ここ最近は訓練ばかりだったため体を休めることにもつながるが、精神的にはまったく休まらない。
(でもまあ、さすがに二週間ピッタリで動きがあるわけないよな……)
仮に的中すれば、それは予想というよりも予言というべきだろう。さすがのナタリアといえど、そこまで人間離れはしていないはずである。
もっとも、そう思いながらもこうして門前で待機しているあたり、心のどこかでナタリアの予測を信じているのだろうとレウルスは思考する。
魔物や不審者がいないかを見張りつつ、時折視線を遠くに向けては待ち人が現れないか確認する。レウルスはそんな動作を繰り返しながら、ゆっくり流れているように思える時間に辟易とし――遠くに見覚えのある顔を見つけた。
(……姐さんの頭の中は一体どうなってるんだろうな)
レウルスの視界の先にいたのは、冒険者を真似たと思しき装備に身を包んだディエゴと“一人の同行者”の姿だった。
「レウルス殿に案内をしていただけるとは光栄ですな」
そう言って朗らかに笑うディエゴと並んで歩きながら、レウルスは小さく苦笑する。
「知らない仲じゃないですからね。それに、服装をこちらの流儀に合わせていただいても町の皆が警戒しますから」
今回は馬に乗らず、徒歩でラヴァル廃棄街の門まで近づいてきたディエゴだったが、その案内をレウルスが請け負っていた。元々それが目的で待機していたわけだが、レウルスとしては苦笑が止まらない。
ディエゴに関しては問題はないだろう。服装も革製の鎧や手甲に脚甲と冒険者に似せており、武器も腰から下げた剣が一振りのみ。本人の性格も礼儀正しく、案内がなくとも問題を起こすとは思えない。
問題があるとすれば、それは。
「ほう……ここが廃棄街か。初めて足を踏み入れたが雑多な印象を受けるな」
レウルス達よりも一歩遅れて歩きつつ、周囲を物珍しげに見回す男の存在だった。
「そりゃあ、アクラと比べればそう見えるでしょうよ――カルロさん」
物珍しそうに周囲を見回す男――カルロの言葉に苦笑を深めるレウルス。
ディエゴと同様に冒険者を真似た服装と装備を身に着けているが、ディエゴと違いがあるとすればその無遠慮な態度だろう。周囲を見回し、しきりに頷いている。
ヴェルグ子爵家の元騎士にして、ルイスの従兄でもあるカルロ。それがディエゴの同行者であり、レウルスが案内を買って出た理由でもある。
“以前の騒動”もあり、案内なしでカルロを通すのは危険だと判断したのだ。
「む……すまんな。悪く言ったつもりはないのだ。普段立ち入ることがないから珍しくてな」
しかし、以前と違ってカルロの態度はどこか柔らかい。レウルスの反応を見て謝罪をするその姿に、謝罪を向けられたレウルスの方が困惑するほどだ。
(初めて会った時はレベッカに操られてたし、レベッカの支配から抜け出した後は今にも死にそうな顔をしてたしな……これがこの人の地の性格ってわけか)
ディエゴほど礼儀正しいわけではなく、従弟のルイスほど貴族らしいわけではない。その態度にはかすかに傲慢さが透けて見えるが、以前は騎士として人の上に立つ身だったのだ。自信が溢れているのだと好意的に捉えればまだ接しやすい。
(もしくは、騎士の身分をはく奪されて何か吹っ切れたのか?)
レウルスとしては、命を助けられたからと下にも置かない態度で接してくるディエゴよりも話していて気楽な手合いだ。今のカルロからは騎士や従士というよりも冒険者に近い気質が感じ取れるのである。
もっとも、現状では心から気を楽にすることなどできないのだが。
「今回は使者の任を賜ったわけだが、事がことだけに緊張しているのかもしれん……緊張を解すための悪足掻きだと笑ってくれ」
そう言ってカルロは朗らかに笑う。
今回カルロがディエゴに同行してラヴァル廃棄街を訪れたのは、物見遊山のためではない。カルロが語った通り、使者として訪れたのだ。
カルロはヴェルグ子爵家の血縁に連なる者である。騎士の身分ではなくなったとはいえその点に変わりはなく、ヴェルグ子爵家の血縁者であるカルロが正使、ディエゴが副使として派遣されてきたのだ。
(騎士って身分より血縁者であることを重視したのかね……それで良いのかもわからないんだよなぁ)
レベッカに操られていたとはいえ、以前ラヴァル廃棄街で騒動を起こしたカルロを使者に立てたのは何故なのか。それが引っかかったレウルスだが、正否も判別できない。
(というか、前回は手紙を渡してきたのに今回は姐さんと直接会うのか)
ディエゴとカルロを案内しつつ、内心だけでレウルスは呟く。
服装をラヴァル廃棄街に合わせた正使と副使が派遣されてきた現状。ディエゴが手紙を運んできた“前回”とどんな違いがあるのか。
そんなことを考えるレウルスだったが、ふと脳裏に過ぎるものがあった。
(……もしかして、前回は姐さんが断るのを見越してたのか?)
わざわざラヴァル廃棄街まで来たのだから、レウルスに手紙を託さずとも直接会えば良かったのだ。廃棄街では浮く格好だったが、それはラヴァルで着替えれば済む話である。
もしかすると、その辺りも暗黙の了解があったのかもしれないが――。
(仮にそうだとしたら面倒どころの話じゃねえな)
ナタリアやルイスがどんな思考をしているかもだが、貴族とそれに準ずる者が行うやり取りには細々とした取り決めがあるのかもしれない。それがレウルスには面倒に映って仕方がなかった。
そのためレウルスはカルロが訪れた背景に触れず、冒険者組合へと二人を案内するに留める。廃棄街の住民から視線が向けられていることに気付きつつも、大通りを歩いて冒険者組合へと到着する。
「大丈夫だとは思いますけど、一応管理官に話を通してきますね」
レウルスはディエゴとカルロに一言断ると、先に一人で冒険者組合へ足を踏み入れていく。
昼間ということもあるが冒険者組合の中に冒険者の姿はない。普段通りというべきか、受付に座るナタリアの姿があるだけだ。
「使者が来たのね?」
レウルスの顔を見るなり、ナタリアがそんな言葉をかけてくる。用件を告げていないというのに使者の到着を確認するナタリアに、レウルスも最早驚きはない。
「ヴェルグ子爵家から二人……正使のカルロさん、副使のディエゴさんだ」
「……なるほど」
何が『なるほど』なのか、納得したように頷くナタリア。それでも数秒としない内にレウルスへ視線を向けると、小さく微笑んだ。
「正式な使者みたいだし、あなたは外で待っていてちょうだいな」
さすがに同席はできないらしい。それを残念と思うこともなく、レウルスは承諾の意図を込めて頷くのだった。
レウルスは冒険者組合からある程度離れ、地面に腰を下ろした。間違っても話が聞こえないようにも配慮してのことだが、三十分も経つと冒険者組合の扉が開き、ディエゴとカルロが出てくる。
三十分という時間を短いと見るべきか、長いと見るべきか。レウルスが土を払いながら立ち上がると、ディエゴとカルロが歩み寄ってくる。
「それでは私とカルロ殿はこれで失礼します。ああ、見送りは結構ですよ」
「いや、そういうわけにもいかんでしょう」
開口一番に別れの挨拶を告げてくるディエゴに対し、レウルスは思わずといった様子でツッコミを入れた。問題を起こすとは思わないが、町の者がどう思うかは話が別なのだ。
「もと来た道を辿って町から出るだけですから……それに、“あの方”の土地で下手な真似はできませんよ」
そこで何故か苦く笑うディエゴ。それを怪訝に思ったレウルスがカルロを見るが、カルロは何故か顔色を真っ白にしている。
「我々は数日ラヴァルに逗留していますので、機会があればまたお会いしましょう」
ディエゴはそれだけを言い残し、カルロを連れて歩き出す。レウルスはそれを追おうとしたが、それよりも先に視線を感じ取ってそちらに意識を向けた。
「あなたはこっちよ」
そんな言葉をかけてきたのは、冒険者組合の扉から上半身を覗かせたナタリアである。真剣な様子で手招きをしており、それを見たレウルスは僅かに迷ってからナタリアの元へと歩み寄った。
レウルスはそのまま冒険者組合の中へと通され、受付の傍にあった椅子に座るよう勧められる。
「色々と言いたいことがあるんだが……結局のところ、どうなったんだ?」
話がまとまらなければ動くにも動けない。そう考えたレウルスが疑問をぶつけると、ナタリアはどこからともなく煙管を取り出し、右手で弄び始めた。
「予想よりも大事だった……そう言えば伝わるかしら?」
「いくらなんでも伝わらねえよ姐さん」
あまりにも抽象的な言葉をレウルスは真顔で両断する。ナタリアはそんなレウルスの反応に破顔したが、すぐに真剣な表情を浮かべた。
「依頼の内容に変更はないわ。ただ、報酬がね……」
そう言いつつ、物憂げに眉を寄せるナタリア。レウルスは僅かに表情を動かすが、無言で続きを促す。
「あなたはヴェルグ子爵家しか知らないでしょうから詳細は省くけど、今回の依頼を達成できれば複数の貴族がこの町の独立に賛同してくださるそうよ」
「……賛同ねぇ」
「ええ。独立する際もある程度の協力を約束してくれるそうだわ。誤解がないように言っておくけど、この町にも相手にも利益がある……どちらかが“上”という話ではないわ」
どうやら今回の件に関係しているのはヴェルグ子爵家だけではないらしい。そして、報酬に関しても以前と違って問題はないようだ。
「……問題は?」
「依頼の難易度を除けばあなたに不利益はないわ。それは保証する。報酬に関しても、特に希望がないのなら大金貨で三十枚といったところね」
ナタリアの表情や声色からは嘘が感じ取れない。
(大金貨三十枚……日本円でいえば三千万ってところか? 妥当なのか判断が難しいところだが……)
エリザ達の生活費を含めて、特に節約せずとも十年は生活できる金額である。少なくともシェナ村にいた頃には到底お目にかかれない金額だろう。現在レウルスが保有している財貨と比べても、倍以上ある。
「姐さんは受けた方が良いと思ってるのか?」
だが、レウルスとしても危険だとわかっている橋を渡る必要はない。依頼の報酬は高額だが、今のレウルスならば時間をかければ稼げない額ではないのだ。
そのためナタリアの意思を確認するように尋ねると、ナタリアは十秒近く沈黙してから答えた。
「受けてもらえると助かる……とだけ答えておきましょうか」
「そうか……」
レウルスにはわからないが、ナタリアにも様々な思惑があるのだろう。それでも命じるのではなく、受けるかどうか確認してくるナタリアにレウルスはため息を吐いた。
「ひとまずエリザ達と話し合ってみるよ。今回の依頼は危険そうだし、受けたくないっていうなら“エリザ達は”受けさせない。それでいいか?」
レウルスとしても色々と思うところはある――が、受けないというのもそれはそれで問題が潜んでいるように思われた。
そのためまずはエリザ達の意思を確認すると告げると、ナタリアは当然というように頷きを返す。
「ええ、それで構わないわ」
「それならそうさせてもらうよ。でも、まあ、なんだ……」
レウルスは頭を掻くと、視線を逸らした。
「姐さんのことは信頼してるし、俺は受ける方向で考えておくよ」
おそらくは、その方がラヴァル廃棄街にとっても良い結果につながるのではないか。そう考えたレウルスの言葉にナタリアは小さく目を見開いたが、どこか咎めるように口を開く。
「そう言ってくれるのは嬉しいわ。でも、信頼と盲信は別物よ?」
「“見てるもの”が違うんだから仕方ないだろ?」
考えることを放棄するわけではないが、今の自分ではナタリアが操る駒の一つに過ぎないのだろうとレウルスは思う。
そして同時に、ナタリアがそれ以上のものを求めているのだということも、薄々ながら察していた。
それでもまずはエリザ達に話すところから始めなければならない。そう結論を下したレウルスは、冒険者組合を後にするのだった。




