第259話:兆し その5
ナタリアやコルラードとの話を終えたレウルスは、その足を精霊教の教会へと向けた。
今回の話で精神的に疲れたため気分転換をしたいというのもあるが、実際に他国を旅したことがあるジルバに話を聞きたいと思ったのだ。
ナタリアからは“まだ”詳細は明かせないが、ジルバが相手ならばある程度情報を開示しても良いとも言われている。
そのため昼間から教会に足を運んで相談があると告げ、ジルバの部屋に上がり込んだのだった。
「なるほど、依頼で他国に赴く可能性が……」
簡単に事情を説明すると、ジルバは腕組みをしながら頷く。その表情にはどこか納得したような色があった。
「どこぞの騎士が門前まで来たという話は聞きましたが、相手はヴェルグ子爵家でしたか……そうなると、用件はルヴィリア様のことでは?」
レウルスは依頼で他国に行く可能性がある、とだけ伝えたのだが、何かしらの情報を掴んでいたのか。ジルバは数秒と経たずにあっさりと、今回の話にルヴィリアが関係していることを見抜く。
確信を持っているように思えるジルバの発言に、レウルスは内心の驚きを隠しながら頬を掻いた。
「……わかります?」
「以前、治療のためにラヴァルまで来られましたからね。それに先日アクラでレウルスさんの為人や実力を知られたというのもあります。予想は容易いですよ……おっと、これは失礼。来客に何も出していませんでしたね」
そう言いつつ、ジルバは机に置かれていた水差しとコップをレウルスに差し出す。レウルスは水をコップに注いで口をつけると、深々とため息を吐いた。
「姐さんと話していた時も思ったんですが……そうやって考えを巡らせるのって、当然の技能だったりします?」
「ははは……なに、私はレウルスさんよりも長生きしている分、そういった話にも慣れているだけですよ」
少しだけ羨ましげにレウルスが見ると、ジルバは笑って否定する。しかし、レウルスとしては喜ぶことはできない。
(前世を含めたらジルバさんと同年代だと思うんだが……この世界のことを知ろうとしなかったツケが回ってきたか)
前世を含めればジルバとは同年代で、ナタリアにいたっては十五歳近く離れている。この世界の知識や常識に関して劣っているため仕方がないと言えるが、それにも限度があるだろう。
十五年もの間ろくな情報も得られない環境で生きてきたことを思えば、当然とも言えたかもしれない。だが、冒険者になってからの時間で率先して情報を得ようとしなかったのはレウルス自身である。
(その辺りのことはエリザに任せて頼っているしな……うーむ、どうしたもんか……)
レウルスの脳裏にエリザの顔が浮かぶ。
文字の読み書きは習得するつもりだが、“それ以上”を学ぶとなると――。
「……姐さんの雰囲気的に依頼を受けざるを得ない状況になりそうな気がするんで、他国を旅したことがあるジルバさんに話を聞いてみたくてですね」
脳裏に浮かびかけた考えを振り払い、来訪の理由を詳しくジルバに告げる。そんなレウルスをどう思ったのかジルバは僅かに眉を動かしたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「私で良ければ構いませんよ。しかし、ルヴィリア様関係で他国となると……ユニコーンですか」
「っ……」
飲んでいた水を思わず吹き出しかけたが、レウルスは辛うじて堪える。しかしその反応で十分ジルバにも伝わってしまっただろう。ジルバは小さく笑いながら水を飲む。
「……ジルバさんには敵いませんね」
「いえ、知ってさえいれば誰でも思い至ることですよ。エステル様の治癒魔法でも駄目、魔法薬でも駄目となると、他の手段を選ぶしかない……ですが、貴族絡みの話となると今回は旅に同行できそうもないですね」
そう言って肩を竦めるジルバの反応に、レウルスは眉間に皺を寄せた。
もしもジルバが同行してくれるならば、これ以上ないほど頼りになるだろう。知名度に広い見識、そして何よりもその卓越した技量。レウルスの知り合いの中でも一、二を争う実力者にして知識人なのだ。
「それって、精霊教としての立場が関係してるんですかね?」
「ええ。我々精霊教徒は“極力”貴族に……政治に関わらないようにしていますから。あの忌むべき異教徒共とは違います」
どこか嫌そうな声色で話すジルバ。そんなジルバの様子にレウルスは頬を引きつらせつつ、気になったことを尋ねる。
「俺が……精霊教の客人が貴族から依頼を受けるのは大丈夫なんですか?」
正確に言えば精霊教徒ではないが、客人として身分を保証されている身で貴族や政治に関わって良いものか。
ナタリアやコルラードが止めなかったため大丈夫だとは思うものの、ジルバの反応が怖くて確認を行うレウルス。
「レウルスさんの立場は、あくまで我々精霊教徒からの“好意”ですからね。悪用するのならば止めもしますが、基本的に自由にしていただいて構いませんとも」
「基本的に、ですか……」
ナタリア達と話していた影響か、僅かな言葉にも反応してしまう。そんなレウルスをどう思ったのか、ジルバは笑みを浮かべたままで頷いた。
「ふむ……どうやら管理官殿にだいぶ絞られたようですね。貴族が相手なら用心が過ぎるということもない。けっこうなことです」
どうやらわざと言葉に意味を持たせたらしい。どこか満足そうなジルバの様子にレウルスは頭を抱えたくなる。
「……姐さんの立場を知ってたんですね?」
「もちろんですとも。教会を建てるにも、その土地を治める者に許可を得る必要がありますからね」
(そう言われると当然のことか……そして言われずともその辺りを理解して立ち回るのが当然の世界、と)
“余所者”である精霊教徒を招き入れるのだ。その辺りの判断にラヴァル廃棄街の管理官であるナタリアが絡んでいないはずがない。
それならばナタリアの立場に関してジルバが知っているのも当然で、少しばかり考えてみればレウルスでもわかることだった。
(脳味噌の普段使っていない部分を動かしている感覚がするな……)
レウルスは脳に違和感を覚えて頭を手で撫でる。普段は考えていないことに思考を回しているからか、脳が違和感を訴えてくるのだ。
「話を戻しますが、我々精霊教徒としては客人という立場にある方の行動を妨げるつもりはありません。客人という立場を掲げて暴虐を働くというのなら話は別ですが……」
そう言って視線を向けてくるジルバに対し、レウルスは顔の前で手を振って否定した。
ジルバの顔に泥を塗るつもりは微塵もなく、同時に、そうなった場合のジルバの行動が恐ろしすぎるのだ。
(自分の不始末は自分で片付ける、なんて展開になったら洒落にならないしな)
笑顔で襲い掛かってくるジルバの姿が脳裏に過ぎり、レウルスは首周りがヒヤリと冷たくなるのを感じた。
ジルバが正面から襲ってきても勝つどころか逃げ切れるかも怪しいのだ。気付かぬうちに背後を取られ、ジルバの接近に気付くこともなく殺される可能性もある。
「もちろん、レウルスさんがそのようなことをするとは思っていません。私が言いたいのは、依頼の相手が誰だろうと冒険者として動くことに問題はないということです」
「そう言ってもらえると助かります……ちなみに、姐さんは依頼の同行者には精霊教徒って名乗らせれば大丈夫って言ってたんですが」
自身の行動が制限されないのは嬉しい話だが、他の面々はどうなるのか。そのことを危惧して尋ねるレウルスに、ジルバは目を細めた。
「ほう……それはそれは……」
同時に、室内の温度が急激に下がったような錯覚を覚える。レウルスが思わず頬を引きつらせていると、ジルバは目を細めたままでその視線を宙に滑らせた。
「……なるほど、そういうことですか」
「な、なにがです?」
相談に来たのは自分だが、この場から逃げ出してはいけないだろうか。そんなことを考えながらレウルスが尋ねると、ジルバは真剣な表情を浮かべた。
「いえ……確認しておきたいのですが、その依頼は受けていませんね? おそらく、一度断って“相手”の出方を見ようとしているのだと推察しますが……」
「――――」
先刻の場にいたわけでもないというのに状況を見抜くジルバに、最早言葉も出ない。レウルスが絶句していると、ジルバは納得したように大きなため息を吐く。
「レウルスさん、一つ忠告しておきます。その依頼を受けるなとは言いません。ですが、受けるのならルヴィリア様を絶対に死なせてはいけません」
「っ……それは、どういう……」
仮にルヴィリアが命を落としても咎めないと言われているが、ジルバには伝えていない。それでもルヴィリアの生死に関して言及され、レウルスの声は自然と掠れていた。
そんなレウルスの反応をどう思ったのか、ジルバのため息はよりいっそう重たくなる。
「その辺りを伝えていないということは、管理官殿にも何か考えがあるのでしょう。レウルスさんが同行していれば大丈夫だと判断したのか、“何かしらの手段”があるのか……私としては管理官殿もよくやるな、と感心するばかりですよ」
そう言いつつも、ジルバの言葉はどこか皮肉のように聞こえる。ジルバは言葉を切ると、水で喉を潤してから再度口を開く。
「追加で一つ助言をします。もしも依頼を受けるのなら、旅の目的は精霊の『祭壇』を探しているということにした方が無難でしょうね」
「……と言いますと?」
「ユニコーンに会うのなら“あの森”に入る必要があるでしょう? ヴェオス火山で実際にサラ様の『祭壇』を見つけましたし、普段人が訪れないであろう場所に足を踏み入れるんです。精霊教徒らしい理由があった方が安全だと思いますよ」
腕組みをしながら語るジルバだが、レウルスとしては『精霊教徒の立場を利用しても良い』という話に聞こえてしまう。
――あるいは、そうしなければならないほどに危険なのか。
(ジルバさんが何を考えてるのか聞きたいところだけど……なんだろうな。これ以上は聞いても教えてくれない雰囲気が……)
ジルバの反応にも気になる部分があるが、助言をしてもらった上で更に尋ねて良いものなのかレウルスは迷う。
(いや待て、ジルバさんがここまで回りくどい言い方をするってことは……思い切り貴族や政治に絡んでる?)
先ほどジルバも貴族や政治には極力関わらないと言っていた。その点を思うと、ジルバの反応も一定の納得ができる。
「助言、ありがとうございます。俺も色々と考えてみますよ」
色々と思うところはあるが、ここは引き下がるべきだろう。そう判断したレウルスはジルバに礼を告げて椅子から立ち上がり――ふと疑問を口にした。
「ところでジルバさん、ユニコーンに会うのならって言いましたけど……本当にいるんですか?」
今しがた聞いたジルバの言葉には、どこか確信の色があった。ユニコーンが実在することを疑っていないように聞こえたのである。
その問いかけの何が面白かったのか、ジルバは小さく微笑む。
「さて……いるのなら会えるのではないか、と思っただけですよ。レウルスさんはこれまで色々な魔物と会っていますからね」
「……そう言われると否定できないのが辛いですよ」
そう言ってレウルスはジルバの部屋を後にする。そして教会からある程度離れると、大きくため息を吐いた。
「考えるより、切った張ったの方が楽なんだがなぁ……」
ナタリアの様子を見る限り、言われるがままに動いているだけでは駄目なのだろう。そう考えたレウルスは肩が凝るような思いを抱きながら、自宅へと足を向ける。
(何はともあれ、まずは姐さんが言うところの“返事”待ちか)
ナタリアは早ければ二週間ほどで何かしらの反応があると言っていたが、どうなるかは予想もつかない。
ここ最近の日課通り、鍛錬をしつつ可能な限り勉強もしておこう。自分にできるのはそれぐらいだ。
レウルスはそう割り切り――ナタリアの言葉通り、二週間も経つと新たな動きがあるのだった。