第253話:疑念
ナタリアとの話を終えたレウルスは、『龍斬』を担いでラヴァル廃棄街の大通りを歩いていく。
“固い話”が終わった後は静かに、それでいて緩やかな空気の中で酒を飲み交わした。それまで話していたことには触れず、最近はどんなことがあった、町の仲間はどうだ、などと世間話を冗談混じりに交わし、良い時間になったからとお開きにしたのだ。
酒が上等でつまみも美味く、また、ナタリアとの会話も楽しかったため、なんだかんだと長居をしてしまった。時計がないため正確な時間はわからないが、ナタリアの家にいた時間は三時間近いだろう。
「良い酒、美味い飯、それに話し上手で気の合う美人……ここまで揃ってるのに、酔えないのが残念だねぇ」
しっかりとした足取りで歩きながら、レウルスは一人苦笑する。
酒も毒だと認識しているのか、いくら飲んでもレウルスの体は酔いが回らない。飲んでいる時はそれなりに酒精が回る感覚があるのだが、すぐに素面になってしまうのだ。
――今日ばかりは酔っぱらってしまいたかったというのは、贅沢な話か。
(色々とあったからなぁ……)
上級下位の冒険者へ昇進し、それに合わせてナタリアが素性を明かし、更にはレウルス自身の過去も語った。
話の最中は緊張と困惑、そして違和感と不快感が連続したが、終わってみれば楽しい飲み会だったと言える。
楽しいと思わなければ、思考がぐちゃぐちゃになりそうだが。
(困った……いや、困った……姐さんの言葉じゃないが、ここまで自分自身の得体が知れないと笑うしかねえ……)
何故か通じる言葉に、話すことすらできない言葉。自己に対する疑問に、『まれびと』という存在。
ナタリアほどの知識と知性、そしてこれまで積み重ねてきただろう経験がなければ、鼻で笑われて正気を疑われたことだろう。
レウルスとしても、自分が正気なのか狂気に塗れているのか、判然としないほどだ。
(こういう時は酒か女に溺れるのが相場ってもんだが……姐さんの手料理を食べて酒を飲んで話し込んでたら、それで体が満足してるのがわかるんだよな)
単純な体だと喜ぶべきか、難儀だと嘆くべきか。ナタリアとの“約束”を破ってラヴァル廃棄街の娼館へ、という気にもならない。それだというのに悩みは尽きず、レウルスの頭を悩ませるのだ。
性質が悪いのは、今回気付いたことに関して解決策が存在しないことだろう。
学んでいない言葉を話せる――それはとても便利なことだ。
前世の記憶も信用できない――それでも“それ”があったから生き延びることができた。
そもそも何故転生したのか――そこに理由があるのかすら不明だ。
様々な疑問が心の内で引っかかる。
それは喉に魚の小骨でも刺さったような不快感だが、現状では推測すら難しい上に知って意味があることなのかすらわからない。
加えて、知らないことが不利益につながるかも疑問だ。答えを得ても好奇心を満たすだけの結果になりそうである。
(なんだろうな……頭では大変なことなんだって理解しているのに、体はそんなものは放っておけばいいって言ってるみたいな……)
なんとも不思議な感覚だった。あるいは、自覚がないだけで酒が回って酔っているのか。これまた厄介なことに、レウルスの勘には何も引っかからない。まるで“どうでも良い”ことだと告げているかのようだ。
(うーむ……これ以上うだうだ考えるのはやめておくか)
答えがあるのかすらわからない疑問をひたすら考え続けるなど、時間とカロリーの無駄だろう。
今日のところは冒険者として出世し、ナタリアの事情を知ることもでき、美味い食事と酒にありつけた。それで十分である。
(それに、前世のことも話せたしな……)
奇異の目で見られるという危惧はあるが、率先して隠していたわけではなく、知られて困る過去があるわけでもない。
それでも他者に話すことができてすっきりした気分になっている自分がいることに、レウルスは気付いていた。
(姐さんの夢も聞けたしな……ラヴァル廃棄街を普通の町にしたい、か)
これまで底知れない印象があったナタリアだが、その“内側”が僅かなり知れて良かったと心底から思う。同時に、良い夢だとも思う。
もうじき深夜に差し掛かる時間帯だからか、大通りを歩く者はほとんどいない。すれ違うのは夜回りの冒険者ぐらいで、普通の住民は自宅で眠っているだろう。
灯りはほとんどなく、月明かりだけが頼りだ。薄暗く照らされたラヴァル廃棄街の町並みは、前世で知る町並みと比べると貧相に過ぎる。
ナタリアがどんな構想を描いているかまではわからないが、このラヴァル廃棄街に住む者達が“普通”に扱われ、今まで以上に安全に過ごすことができる町になるのなら。
(そりゃあ、命を賭けるに足るな)
ナタリアに語った言葉に嘘はない。レウルスとしても賛同できる、素晴らしい夢だ。
明日からの訓練は、よりいっそう力を入れよう。学べることも学んでいこう。レウルスはそう決意し――。
「……ん?」
自宅の明かりが未だに灯っていることに気付き、首を傾げるのだった。
時刻を遡る。
ナタリアの呼び出しに応えて外出したレウルスを見送ったエリザだったが、二時間も経つとそわそわと落ち着きをなくした。
「むぅ……まだかのう……」
もしかするとすぐに帰ってくるかもしれないと考え、レウルスが出かけてから三十分ほど待った。しかしレウルスが帰ってくる気配はなく、仕方がないからと夕食を済ませるべくドミニクの料理店へと向かった。
夕食を済ませて家に帰れば、レウルスも帰っているかもしれない。そう考えたエリザだったが、家に帰ってもレウルスの姿はなかった。
この時点でレウルスが出発して一時間半ほど経っているが、レウルスが帰ってくる気配はない。
ここ最近はレウルスがコルラードと訓練をしているため、一緒にいない時間の方が長い。そのため離れ離れになるのも慣れているが、エリザとしてはどうにも落ち着かなかった。
(わざわざレウルスを呼び出して何の話を……ワシを同行させても良いと言っていたが、何か込み入った話とか……いや、レウルスが断ることを見越してワシが同行しても良いと言った可能性も?)
椅子に座り、一分と経たない内に立ち上がって居間の中を歩き回るエリザ。そんなエリザの様子をレウルスのベッドに寝転がっているネディがじっと見ているが、考え事に集中しているエリザは気付かない。
(むぅ……やはりついていけば……いや、真剣な雰囲気じゃったし……)
うろうろと歩き回るエリザ。そんなエリザの動きに合わせてネディも視線を移動させているが、やはりエリザは気付かない。
「良い湯だったわ! って、エリザはなんで部屋の中を歩き回ってんの?」
「二人もお湯が冷える前にお風呂に入って……エリザちゃんは何をしてるの?」
そこに風呂上がりのサラとミーアが姿を見せる。普段着ではなくきちんと寝間着に着替えており、居間をうろついているエリザを不思議そうに見つめた。
さすがにサラとミーアの声が聞こえたのか、エリザは動きを止める。そして我に返ったように目を瞬かせると、咳払いをしてから口を開いた。
「な、なんでもないのじゃ……それではネディ、共に風呂に入ろうぞ」
さすがに風呂に入っている間にレウルスも帰ってくるだろう。
そう考えたエリザはネディを誘い、地下の風呂場へと向かう。
だが、風呂から上がってもレウルスが帰ってくることはなかった。この時点で二時間ほど経っており、エリザの心配も強くなる。
(長くなるかもしれないとは言っておったが、さすがに長すぎるのではないか? 料理を作って話をするにしても、時間がかかり過ぎている気が……)
もしかすると、“話以外の何か”が行われているのではないか。
椅子に座って真剣な顔で考え込むエリザ。その後ろでは風呂から上がって寝間着に着替えたネディが、エリザの髪に手をかざして水分を操り、乾燥させている。
(迎えに行けば……って、ナタリアの家を知らんぞ……しかしこのまま待つのは……)
椅子から立ち上がり、しかし迷ったように座り、再び椅子から立ち上がり、今度は歩き出す。そんなエリザの行動に何も言わず、ネディはエリザの髪を乾かしながらその後ろをついて回る。
「どうしよう……エリザが変なんだけど。レウルスに『思念通話』で報告した方がいいと思う?」
「うーん……大事な話をしてるのかもしれないし、それはちょっと……ボクとしてはエリザちゃんの気持ちもわかるけど……」
挙動不審なエリザの姿に、サラとミーアは声を潜めてひそひそと言葉を交わす。『思念通話』の存在を忘れている辺り、エリザも切羽詰まっているのだろう。
だが、エリザとしてもここまで焦るのには理由があった。
(相手はあのナタリアじゃ……何が起きても不思議ではない……)
徐々に改善されてはいるが、初対面の時の印象が強すぎるためエリザはナタリアを苦手としている。
自分と違って“大人”の女性で、レウルスとも妙に仲が良いというのもエリザにとって引っかかる部分だった。
「むぅ……むうううう……」
うろうろと歩き回るエリザと、その後ろとちょこちょことついて回るネディ。サラとミーアは顔を見合わせ、苦笑を交わす。
「そろそろ眠る時間よね?」
「いつもならそうだけど……どうしようか?」
普段ならばそろそろ就寝の準備をする時間である。レウルスからも遅くなる場合は先に寝ているように言われた――が、エリザを見ていると到底寝るようには見えない。
「今日は中途半端にしか甘えられなかったし、レウルスが帰るまでわたしも起きてるわっ!」
「あまっ……え、えーっと、それじゃあボクも起きていようかな……」
高らかに宣言するサラと、一瞬迷ってから頷くミーア。エリザはそんな二人の会話にも気付かず、時間が過ぎるのをひたすらに待つ。
そうしてどれほどの時間が過ぎたのか。一分一秒がその何倍にも感じられ、正確な時間の経過がわからなくなる。
それでもエリザは――エリザ達は待ち続け、ついにレウルスが帰宅した。
「ただいまー……って、おいおい、まだ起きてたのか?」
明かりが点いていてもエリザ達が眠っていると思ったのか、小声で帰宅の挨拶をするレウルス。しかしエリザ達が居間に集まっているのを見て目を丸くする。
「おかえりレウルス! お風呂に入るなら今から沸かすわよ?」
「おかえり、レウルス君。どうにも眠る気になれなくて、つい……」
レウルスの姿を見るなり、サラが笑顔を浮かべて駆け寄る。ミーアは申し訳なさそうに、それでいてどこか嬉しそうに微笑んだ。
「……おかえり」
ネディも相変わらずの無表情で挨拶を返すが、僅かに嬉しそうに見えたのは錯覚だろうか。そしてエリザはといえば――。
(……あれ……レウルスの表情が妙にすっきりとしている……ような……)
目の錯覚か勘違いか、自宅を出る前と帰ってきた後でレウルスの表情が違って見える。
それに気付いたエリザは妙に胸がざわつくのを感じるのだった。