第251話:ナタリア その4
「ねえ、レウルス……あなたは“何者”かしら?」
その問いかけに対し、レウルスが取れた反応は大したものではない。僅かに眉を動かし、無言で酒を口に運ぶ。
“今”になって、この状況になって問いかけられたその意味。それを考えるレウルスを見ながら、ナタリアも酒を口に運ぶ。
(哲学的な問いかけ……なんてオチはないよな。俺が何者か、か……)
ドミニクに連れられて初めて冒険者組合に足を踏み入れた時も、似たようなことを聞かれた。その時は立場の危うさもあり、ぼかせる部分はぼかして伝えたのは間違いない。
ナタリアがどんな返答を求めているか、また、どう答えれば“安全”なのか。レウルスはコップで口元を隠しながらナタリアの様子を確認するが、ナタリアの表情は不思議と穏やかなものだった。
答えあぐねているレウルスをどう見たのか、ナタリアは視線を合わせて苦笑する。
「普段の調子はどこにいったのかしら? そこで黙るから色々と疑われるのよ?」
出会ってばかりの頃は、他所の間諜と疑われたこともあった。ナタリアの立場を知った今となっては、ナタリアがレウルスの素性を探るのも当然と言えるだろう。
ナタリアが管理官という立場にある以上、疑わしい者を疑うのは当然のことだ。何か問題があるとすれば、排除するのもまた当然と言えるだろう。
「……姐さんは、俺を疑ってるのかい?」
何を、どこまで疑われているのか。それすらもわからないためレウルスは僅かに緊張しながら尋ねたものの、ナタリアは目を瞬かせてきょとんとした表情になる。
「……? ああ……もしかして、初めて会った時にわたしがあなたを間諜だと疑ったことを気にしてるのかしら?」
その問いかけにレウルスが頷くと、ナタリアは僅かに間を置いてから吹き出した。そしてころころと笑う。
「ふふ……たまに思うけど、あなたって変なところが抜けてるわよね?」
「……今のって笑うところだったのか?」
「それはもう、ここで笑わなければどこで笑うのってぐらいにはおかしかったわ」
雰囲気を和らげるためなのか、レウルスの警戒を解すためなのか――あるいは素で笑ってしまったのか。
ナタリアは肩を揺らして笑い、目尻に浮かんだ涙を指で拭う。
「この町に来たばかりの頃ならともかく、今のあなたを間諜と疑う? ここまで目立つ人間を間諜に使う人がいるのなら顔を見てみたいものだわ」
何がナタリアのツボに入ったのか、レウルスにはわからない。
「いい? 間諜というのは相手に疑われる時点で三流よ。その点、あなたは三流どころかそれ以下ね」
「何か酷いこと言われてる気がするんだが……」
「褒めてるのよ? あなたの行動がわたしの中から間諜かもしれないという疑いを消したんだから」
そう話すナタリアは、笑いをこらえるようにしながら指を折っていく。
「キマイラを倒して、吸血種を保護して、グレイゴ教徒と事を構えて、他所の廃棄街に行かせたら火龍と戦って、火の精霊と『契約』して、武器が欲しいからって旅に出させたらドワーフの集団を連れて帰ってきて、スライムを倒して、新たに精霊を連れ帰ってきて」
ふふっ、とナタリアが笑う。
「他にも色々とあるわね……まあ、何が言いたいかというと、ここまで暴れ回る間諜はいないってこと」
「……そうすることで信用を積み上げている、なんて話もあるかもよ?」
ナタリアのあまりの評価に、レウルスは自分で疑いを深めるようなことを口走る。ナタリアが話したことは全て事実で否定はできないが、ナタリアの考えを確認するためにも問わずにはいられなかったのだ。
「それは命を賭けてまで積み上げるべきものなのかしら? たしかに優秀な人材を送り込んで領地の中枢を探らせるという手法もあるけど、あなたの行動は度が過ぎているわ」
「まあ……そうだよな。自分で疑われるようなことを言っておいてなんだけど、ヴァーニルやスライムと戦う必要なんてないもんな」
自分のことながら、何をやってきたのだろうかと軽く凹むレウルス。しかし、ナタリアはそんなレウルスの様子に何故か笑みを浮かべた。
「でしょう? もっと上手いやり方があるでしょうし、そもそもそこまでしてこの町の情報を探ってどうするのか、という話よ。わたしがあなたぐらいの手練れを間諜として使うのなら、それこそ王都にでも放り込むわ」
もちろんもっと“常識”を教えてからね、と笑うナタリア。
「だから警戒は必要ないの。わたしはただ、あなたが何者なのか知りたいだけ……そうね、管理官という立場もあるけど、どちらかといえば私個人の興味が強いかしら」
そう言ってナタリアは煙管を口に加え、魔法具と思しき物体で刻み煙草に火を点ける。そして軽く煙を吸って宙に向かって吐き出すが、レウルスが初めて見たその姿もやけに様になっていた。
「シェナ村で農奴の両親のもとに生まれ、三歳の頃に両親が魔物に襲われて命を落とす。それからは村の所有物として農作業に従事。幼い頃は水運びを、ある程度育ってからは村の中で畑仕事を、十歳を超えた辺りで村の外で畑仕事を行う……そして、十五歳の成人を迎えたことで鉱山向けの奴隷として売り払われる」
「……それは」
諳んじるようにして言葉を発するナタリアに、レウルスが困惑したような呟きを漏らした。間違えるはずもなく、レウルス自身の生い立ちである。
「シェナ村に確認を取ったわ。農作業だけでなく、似たような境遇の子どもの死体の埋葬も押し付けられたそうね。それも一人や二人ではなく、調べられただけでも二十人を超える……同情に聞こえるかもしれないけど、劣悪な環境でよく生き延びたものだわ」
紫煙を煙らせながら、ナタリアはじっとレウルスの瞳を覗くようにして見る。それまでの雰囲気を振り払うように真剣な、それでいてどこか温かさを感じさせる眼差しだった。
「さて、そんなあなたに改めて質問よ。一体いつ、どこで、どうやってそこまでの知識を得たのかしら?」
間違っても農奴が得られるものではない。両親もおらず、農奴の子どもに知識を教え込むような奇特な師もおらず、学ぶ機会も時間も余裕もなかった。
そんな確信を込めて問いかけるナタリアだが、その表情はどこか柔らかい。
(隠す必要は……ない、か)
ラヴァル廃棄街に来た当初ならばいざ知らず、レウルスも“この世界”のことを多少なり学んだ。ナタリアが信じるかという問題はあるが、少なくとも前世の記憶があると話しても即座に殺されることはないだろう。
ただ、目の前のナタリアに――ラヴァル廃棄街の仲間に奇異の目を向けられるかもしれないという恐怖は、少しだけあるが。
「初めて会った時から思っていたわ……レウルス、あなたの話す言葉には、明らかに農村の中だけでは知り得ないものがいくつもある。村長などの知識層でも知らないものがいくつも、ね」
「…………?」
だが、口を開きかけたレウルスの耳に思わぬ言葉が飛び込んできた。その言葉が指す意味を脳が理解しようと咀嚼するが、何故か上手くいかない。
――ナタリアは、今、何と言ったのか?
「わたしが今した話にも、あなたはついてきた。色々と足りない部分があるけど、最低でも騎士階級に匹敵する知識と知能があなたにはある……それはどうやっても農奴が身に着けられるものではないわ」
ナタリアが話を続けているが、レウルスは身の内に生じた違和感を抑え込むだけで精一杯だ。いつの間にか額に冷や汗が浮かび、こめかみに伝う感触を覚えて眉を寄せる。
「いや……待て、待ってくれ。姐さんは“何を”言ってるんだ?」
「何って……レウルス、どうしたの?」
右手を突き出して話を中断させる。そんなレウルスに怪訝な顔をしたナタリアだったが、レウルスの顔を見るなり心配そうな声を上げた。
「俺が、シェナ村では覚えられるはずがない言葉を喋っている?」
「……ええ。それどころか、あなたは村の中では聞かないような言葉を聞いてもすぐに理解していたでしょう?」
なんだそれは、とレウルスは内心で呟く。
前世で例えるならば、知らないはずの英単語を交えて英語を喋っているようなものだ。
“それ”はナタリアでなくとも異常だと感じられる事態で――レウルス自身が異常だと認識していなかったことこそが異常だった。
(なん、だ……これ……いや、おかしいだろ? どうして俺は今までそれをおかしいと思わなかったんだ……)
レウルスは赤ん坊の頃に両親が話す言葉を聞き、“この世界”の言葉を覚えたつもりだった。自身の言葉はきちんと伝わり、相手の話もきちんと理解できた。シェナ村でレウルスを管理していた村の上層部の者達の言葉も、その全てを理解できていた。
――それが異常だと、何故気付けなかったのか。
「……何かあるみたいね」
額どころか全身に冷や汗を滲ませるレウルスをどう思ったのか、ナタリアが気遣わしげな声を零す。そして水差しを取ってレウルスのコップに水を注ぐと、飲むように促した。
「まずは水を飲んで落ち着きなさいな」
「あ、ああ……」
ナタリアの言葉に従い、レウルスは水を飲み込んでいく。そうすると悪寒にも似た違和感が和らぎ、少しずつ思考が落ち着いてきた。
(転生っていう“異常事態”を経験をしたんだ……他にどんなことが起きても不思議じゃない……か?)
得体の知れない感覚があるものの、言葉が通じるというのは悪いことではない。そう思うことで精神を落ち着けるレウルスだったが、すぐさま平静を取り戻せるほど達観しているわけでもなかった。
レウルスはもう一杯水をもらって飲み干すと、心配そうな顔をしているナタリアを見た。
「心配をかけて悪い……少し……いや、かなり、かな。俺としても衝撃が大きかったんでな……」
「別に構わないわ……もうお開きにしましょうか」
気遣わしげに告げるナタリアだが、レウルスは首を横に振る。
話を聞いた限り、ナタリアは様々な知識を知っていると思われた。王都にいた経験もあり、準男爵という立場上、普通の人間では知り得ないことも知っている可能性が高い。
そう判断したレウルスは、このまま違和感を抱え込むよりはと口を開く。
「いや、折角の酒の席なんだ……信じられないだろうけど、俺の話を聞いてくれるかい?」
そうしてレウルスはぽつぽつと己の身の上話を始めるのだった。
Q.どうして前回の更新は午前1時だったの?
A.作者はいつも通り0時更新で予約したつもりでした。つまりただのうっかりです。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、お気に入り登録や評価ポイントをいただきましてありがとうございます。
本日(1/10)、拙作の書籍版の2巻が発売になります。
1巻の発売から早四ヶ月……月日が経つのがあっという間でした。
活動報告も更新していますので、お暇な方は覗いていただけると嬉しく思います。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。