第248話:ナタリア その1
コルラードとの訓練が始まって以降、それまでと比べてレウルスがエリザ達と共に過ごす時間は減っている。
日中は『契約』によるつながりすら途絶えるほどに距離を開けているため、それも当然の話だろう。だからというべきか、当然というべきか、レウルスが自宅に帰るとエリザ達が群がり、甘えてくる。
その日受けた依頼でどのようなことがあり、どのような結果になったか。それをレウルスに話すのだ。
「今日も無事に依頼を達成したのじゃ!」
「魔物は全然寄ってこないから退屈だったわ!」
「ボクは畑仕事を手伝ってたよ」
自宅の一階にある居間で椅子に腰を掛けたレウルスを囲み、口々に報告を行うエリザ達。それを聞いたレウルスは笑顔で頷きを返した。
「そうかそうか。何事もなくて良いことだな」
毎日のことではあるが、レウルスは飽きた様子も見せずにエリザ達の話に耳を傾ける。
「レウルスの方はどうなんじゃ?」
「コルラードに教わって強くなってるの?」
「そ、その……以前にもまして逞しくなったよね?」
一通り話し終えると、今度はレウルスの話を聞きたがるエリザ達。ミーアなどはレウルスの二の腕を見ながら少しばかり顔を赤くしてる。
「さあて……そいつは自分じゃわからんなぁ。でも、色々と勉強になってるよ」
ミーアの視線に釣られて自分の腕を見るレウルス。冒険者として依頼をこなす時と違い、毎日剣を振り回しているから短期間でも筋肉がついているのが感じられる。
よく動き、よく食べ、よく寝ているためそれも当然だろう。筋肉がついたといっても、剣を振るうのに適した筋肉がついていっているのだ。これからは『龍斬』を使って訓練を行うため、それはより顕著になるだろう。
「…………ん?」
そうやってレウルスがエリザ達と話していると、不意に玄関の扉を叩く音が聞こえた。
時刻は既に夕刻を過ぎ、日が落ちて辺りも暗くなり始めている。そろそろドミニクの料理店に晩飯を食べに行こうかという時間帯で、来客があるには少しばかり時間が遅いだろう。
もしかするとシャロンが風呂に入りに来たのだろうか、などと考えるレウルスだったが、来客からは魔力が感じ取れなかった。
「はいはい、どちらさんで?」
用心として腰裏の短剣に手をかけつつ、レウルスが応対する。扉を開ける際も、かける声は陽気なものだが不意打ちに備えて気を研ぎ澄ませていた。
「こんばんは、坊や。今夜は空いているかしら?」
「……姐さん?」
応じる声にレウルスは怪訝そうな顔をする。玄関前に立っていたのはナタリアで、何故か微笑みを浮かべていた。
「……急ぎの依頼か?」
ナタリアの様子からその可能性は低いと思ったものの、レウルスは確認として尋ねる。ナタリアが直接出向くとなると、重要な用件である可能性は高いのだ。
「違うわ」
「……? それなら風呂に入りに来た……とか?」
一体何の用件かとレウルスが首を傾げると、ナタリアはよりいっそう笑みを深めた。
「“約束”を果たそうと思ってね。これから時間が空いているなら、少し付き合ってくれる?」
「約束ってーと……」
何か約束をしていただろうか、とレウルスは記憶を探る。すると、ナタリアは笑みの種類を変えて小さく首を傾げた。
「時間が経っているから仕方がないわ。以前、料理を作ってあげるって言ったでしょう?」
「ああ……そういえばそうだったな」
ナタリアの言葉を聞いたレウルスは納得したように頷く。
(あれって俺のやる気を出すためのリップサービスじゃなかったのか……)
そう考えたレウルスだったが、さすがに口に出すことはない。その代わりに困ったように頭を掻いた。
「そいつは嬉しい話だけど……お誘いは俺だけだよな?」
そう言いつつレウルスが振り返ると、居間の入口から顔を覗かせる三つの影がある。それはエリザとサラ、ミーアの三人で、エリザとミーアは寂しそうに、サラは不満そうに頬を膨らませていた。
日中常に一緒にいるからかネディはそこに参加しておらず、居間に置かれたレウルスのベッドの上でころころと転がっている。
「そうねぇ……わたしとしては、エリザのお嬢さんなら同席してもらってもいいと思うのだけど」
エリザだけ、という指定にレウルスの眉が小さく動く。四人の中からエリザだけを選んだナタリアの思惑に思考を巡らせ、レウルスはため息を吐いた。
「……色々と込み入った話がありそうだな」
「料理を作るだけよ? それ以外は……ふふっ、どうかしらね?」
そう言って微笑むナタリアに、レウルスはかすかな違和感を覚える。しかしそれが何を指しているのかまではわからず、レウルスは頭を掻きながらエリザ達に再度視線を向けた。
「悪いな、みんな。姐さんから“お仕事”の話があるみたいだ。おやっさんのところでメシを食っててくれ。遅くなるかもしれないから、その時はしっかりと戸締りをして寝ること。いいな?」
「……わかったのじゃ」
エリザが代表して答えると、レウルスは居間に置いていた『龍斬』を手に取って背中に担ぐ。そして笑みを浮かべたままのナタリアに促され、家を出るのだった。
そうしてナタリアの自宅に招かれたレウルスだったが、ナタリアは何も語らずに台所に立つ。
艶のある紫色の髪を掻き上げ、どこからともなく取り出した白いリボンでまとめる。続いてエプロンを身に着けたかと思うと、用意してあった食材を包丁で切り始めた。
「……まさか、本当に手料理を振舞うのが目的かい?」
椅子に腰かけたレウルスが怪訝そうに尋ねると、ナタリアが肩越しに振り返る。その際一つにまとめた髪がふわりと揺れ、普段のナタリアとは異なる印象をレウルスに与えた。
「あら……つれないことだわ。料理を作ってあげると言ったでしょう?」
「うん、まあ、そう言ったけどさ……わざわざ家に呼んだんだから、内密の話をすると思ったんだよ」
ナタリアが料理を作ってくれるというのなら、喜んで食べるつもりではある。以前料理を振舞ってもらったことがあるため、ナタリアの腕に対して不安もない。
「ふふっ……夜は長いんですもの。慌てなくても良くはなくて?」
そう言って料理に戻るナタリアだが、鼻歌でも歌いそうなほどに機嫌が良いように見えた。包丁を使う度にナタリアの髪が左右に揺れ、本人の機嫌の良さを表しているようにも思える。
(なんだ、この状況……いや、本当になんだこの状況……)
ナタリアの後ろ姿を見ながらレウルスは沈思する。
(姐さんに何があった? 昨晩コルラードさんを“連行”したけど、そこで何か……)
昨日の今日で誘われたのだ。関係がないと考えるのは無理だろう。それでもナタリアの考えまでは読めず、レウルスは口元に手を当てる。
(……わからん。コルラードさんから何かを聞き出したのだとしても、それがわからない以上どうにもならない、か)
あまりにも情報が少なすぎるため、『わからないことがわかった』と結論付けるレウルス。ひとまず思惑に乗って料理を堪能しよう、などと思いながらナタリアの後ろ姿を見つめる。
「以前も言ったと思うけど、さすがにそんなにじっと見られると照れるわね」
「以前も言ったと思うけど、姐さんの格好が新鮮でね。それに眼福なんだよ」
特にうなじが、などとレウルスが軽口を叩くと、ナタリアは苦笑を浮かべた。
「あなたも相変わらずねぇ……ほどほどにしておきなさいな。お嬢さん達が拗ねてしまうわよ?」
釘を刺すように言い放つナタリアに、レウルスは苦笑を返すことしかできない。
そうやって時折言葉を交わすことしばし。机の上にいくつもの料理が並んでいき、レウルスの目が徐々に輝き始める。
主食のパンに肉と野菜を使った炒め物や煮物、皮を剥いて一口大に切られた果物など、実に家庭的な趣がある光景だった。
ナタリアは最後に水差しと酒を机に運び、レウルスの対面に腰を下ろす。そしてレウルスの確認を取らずに酒をコップに注ぎ始めた。
「いきなり酒かい?」
「ええ。お祝いの乾杯には必要でしょう?」
「ん? お祝い?」
ナタリアの言葉にレウルスは首を傾げる。お祝いと言われても、思い当たる節がないのだ。
不思議がるレウルスに対し、ナタリアは薄く笑みを浮かべた。
「ええ、お祝い……坊やが上級下位冒険者に昇進する、そのお祝いよ」
「っ……そりゃまた突然だな。それに上級下位? 中級上位を飛ばして、いきなり?」
受け取った酒を危うく落としかけるレウルスだったが、それを堪えて尋ねる。冒険者としての階級が上がるのは構わないが、一段飛ばしとなるとさすがに無視できない。
「あなたの実力と功績に見合った立場を用意しただけよ? おめでとう、レウルス。名実共にこの町の冒険者で一番ね」
「あー……ありがとう?」
素直に喜んで良いのかもわからず、レウルスは曖昧に笑う。そんなレウルスに気付いていないのか、それとも気付いていて無視しているのか、ナタリアは上機嫌に微笑んだ。
「さあ、まずは乾杯しましょう?」
「……か、乾杯」
――今ならば昨夜のコルラードの気持ちが理解できる。
レウルスは心中でそんなことを呟きながら、酒の入ったコップをナタリアとぶつけ合う。
(わざわざ自宅に呼んで上級下位の冒険者になったことを祝う……姐さんなりの労い方なのか? いや、それにしたってなぁ……)
レウルスの脳内で疑問符が乱舞する。ひとまず自身を落ち着けるべく酒に口をつけると、味と香りの良さに気付いて目を見開いた。
“深さ”もそうだが、酒に詳しくないレウルスでもその芳醇さが即座にわかったのだ。
「うわ、なんだこれ……滅茶苦茶美味い。高かったんじゃないか?」
「お祝いなんだから、野暮なことを聞いては駄目よ?」
この世界に生まれて飲んだ酒の中では、間違いなく一番美味い。それ故にレウルスが値段を気にするが、“おいた”をした子どもを窘めるように止められてしまった。
「もっとも、値段に関してはわたしも知らないわ。王都で知人から貰った物でね……十分に寝かせてあるから、もしかすると大金貨でも買えないかもしれないわね」
「そんな高いものを出されると困る……ん?」
さらりと告げられた言葉に一度頷いたレウルスだったが、おかしな点があったため首を傾げる。
「王都で……貰った?」
酒の美味さに気を取られて聞き間違えたのか、とレウルスが確認を行う。しかし、ナタリアは事も無げに頷きを返した。
「ええ、そうよ。もう何年も前になるかしら……わたしはね、一時期この町から離れて王都にいたの」
これまでナタリアの素性に関して触れたことがなかったレウルスは、どう反応したものかと迷う。そんなレウルスに対し、ナタリアは寂しげな笑みを向ける。
「貴方が上級の冒険者になったこの機会に、色々と話したいことがあるのよ……色々と、ね」
その笑みを受けたレウルスにできたのは、無言で頷くことだけだった。