第246話:師事 その4
コルラードの指導のもと剣術を学び始めたレウルスだったが、その過程は順調とは言えなかった。
エリザとサラから離れたことにより、『契約』を通した魔力による『強化』はなし。自前で『強化』を使うことはできず、かといって訓練で『熱量解放』を使っていては早々に自身の魔力が尽きてしまう。
ここ一年ほどの冒険者家業で筋肉もついているが、『契約』の助力なしで剣を――金属の塊を長時間振り回し続けられるほど人間離れしてはいない。農奴として生きていた頃と比べれば雲泥の差があるだろうが、長時間戦い続けられるような体力はないのだ。
故に、訓練の度にコルラードに叩き伏せられるのは当然の帰結といえるだろう。
コルラードからは既に三週間に渡って指導を受けているが、一太刀も浴びせることはできていない。
レウルスの剣は時に弾かれ、時に受け流され、時に空振りさせられ、コルラードを一度も捉えることはできていないのだ。
今日も今日とて朝から剣を振るい続けていたレウルスだったが、既に全身が汗だくである。疲労で腕が痙攣し、体力も尽きかけていた。
(毎日思うことだけど……この人、本当に強いな……)
レウルスは荒い息を吐きながら青空を見上げる。投げ飛ばされて地面を転がり、そのまま起き上がれなくなったのだ。
(いや、俺が弱いだけか……)
森の切れ間から覗く快晴の空を眺めながら、レウルスは内心で呟く。
“素”の身体能力と技術、そして戦闘経験では明らかにコルラードの方が上である。正統な技術が蓄積された戦い方は素人のレウルスから見ても見事なもので、そこに実戦で培われた様々な搦め手が加わると手も足も出なくなるのだ。
剣で打ち合っていたかと思えば拳や蹴りが飛び、打撃に注意を払えば剣で攻め、再び剣に意識を取られたところで再度の打撃――と思いきや今度は突進で吹き飛ばされる。
ある時は背後に跳んで距離を開けようとした瞬間に足を踏まれて体勢を崩された。
ある時は剣を投げつけられ、弾いている間に距離を詰められて投げ飛ばされた。
ある時は砂を使った目潰しを、ある時は鍔迫り合いの最中に柄を握っていた両手を潰されかけ、ある時は――。
(……戦い方の引き出しが多すぎる……騎士ってのはここまで厄介なもんなのか?)
その多彩な戦法に、レウルスは心中で白旗を揚げた。
もちろん、これはあくまで訓練の話である。実戦となれば話は別だろう。コルラードの戦い方には感心することしきりだが、仮に殺し合えばどうなるか。
――『契約』による助力に加え、『熱量解放』を使えば勝てるだろう。
レウルスはそう判断するが、裏を返せば模擬戦ではどう足掻いても勝てそうにない。実戦ならば単純な“出力差”で押し切ることはできるだろうが、あくまで勝てるだけでどれほどの痛手を負うかはわからなかった。
「ふむ……そろそろ限界か。では、休憩とするのである」
立ち上がる余裕もなくなったレウルスに対し、コルラードがそう声をかけてくる。コルラードも多少は息切れしているが、レウルスほど疲れた様子はない。
そんなコルラードの手に握られているのは、訓練初日に握っていた訓練用の剣ではなかった。槍に見立てた長柄の棒である。
コルラード自身の訓練も兼ねているのか、日によって用いる武器が変わるのだ。レウルスに様々な武器での戦い方を体験させるという目的もあるだろうが、武器が変われば戦い方も変わる。剣しか使えないレウルスとしては非常に厄介な話だった。
「いつつ……あー……ここまで教わっておいて今更ですけど、最初の話だと独り言という名の助言をもらうって話でしたよね?」
休憩がてらレウルスが軽口を叩くと、コルラードは苦笑を浮かべた。
「本当に今更であるな……では逆に聞くが、ここまで吾輩に教わった身として答えよ。貴様は言葉だけで術理を理解できると思うのか?」
「それは……無理ですね」
「であろう? 世の中には言葉だけで理解できる天才もいるかもしれんが、こうやって直接叩き込むのが手っ取り早くて確実なのだ」
そう話すコルラードだが、訓練の内容はそのほとんどが実戦形式である。実際に武器で打ち合い、問題があればその都度指摘していくというスタンスだ。
一応素振りも行っているが、準備運動代わりに行うだけである。
「言いたいことはわかりますし、参考になることばっかりで有難いんですが、一方的にボコボコにされるというのも中々堪えますね……少しは技術が身につけばいいんですが」
今ならばグレイゴ教徒に対する見方も変わってしまいそうだ。
これまでレウルスが戦ったことがあるグレイゴ教徒は、末端の人員に至るまで優れた技術を身に着けていたように思える。
身体能力に任せて剣を振り回すだけでは通じない領域があり、“それ”はレウルスにとって致命的なほど相性が悪いのだ。
「何を馬鹿なことを……三週間程度で身につく技術など高が知れているのである。最初に方針を伝えたであろう? 貴様の戦い方から“無駄”を削っていく、とな」
だが、レウルスの懸念をコルラードが鼻で笑い飛ばす。
「吾輩が直接戦ったわけではないが、グレイゴ教徒……それも司教に到達した者の腕前はどう考えても達人の域にある。それこそあのレベッカという女でさえ、それに準ずる腕前であろうな」
そう語るコルラードに対し、レウルスは否定の材料を持たない。
「天賦の才に幼き頃から積み上げてきたであろう努力、数え切れぬほどの死線を乗り越え、幾多もの強敵を屠る。そうすることでようやく到達するような領域に在るのだ」
吾輩では届き得ぬ領域だな、と言葉を付け足すコルラードだが、その声色に負の感情はない。
「だが、今この場で行っている訓練が無駄か? 否である。どう足掻いても勝てぬのか? 否である。技術で勝るだけで相手を倒せるのなら、誰も苦労はしないのだ。まずは命を賭けて戦うという状況に適応する胆力、『強化』を含めた純粋たる力、技術はその次で良い」
そう語るコルラードは、レウルスに話した通り様々な武器の扱いに習熟していた。様々な戦い方に通じることで“総合的に”強くなろうとしたのだろう。
「だが、貴様は既に実戦を経験している。力に関しては吾輩より上……むしろこの国でも屈指だろう。貴様が使う『強化』はそれほどの代物だ」
そこで初めて、コルラードはレウルスを褒めた。その声に少しだけ羨むような色があったのは、レウルスの勘違いか。
「様々な武器への対処を学ぶのもそうだが、貴様の場合は無駄な大振りをなくすだけで一段階強くなれるのである。大型の魔物が相手ならば仕方がないが、人間を相手に毎回大振りしていても疲れるだけだぞ?」
そう言いつつ、コルラードは突如として地面に転がるレウルス目掛けて棒を振り下ろす。それに気づいたレウルスは即座に地面を転がってその場から逃れ、荒い息を吐きながらも飛び起きて剣を構えた。
「うむ、どんな状況でも油断をしないのは良いことだ……だが、剣が重いであろう? 戦い続ければ体が疲れ、少しずつ動きが鈍っていく。しかし、無駄が減れば体力の温存につながる」
コルラードは槍に見立てた棒を中段に構えると、その切っ先をレウルスに向けながら笑った。
「休憩はこれで終わりである。最近槍の腕が鈍っていたところなのだ。吾輩の錆落としにも付き合ってもらうのである」
そう言って襲い掛かってくるコルラードに対し、レウルスも必死に剣を振るうのだった。
そしてその日の晩、レウルスはコルラードを誘ってドミニクの料理店へと足を運んでいた。
訓練の報酬とは別に、日頃の礼を兼ねて食事に誘ったのである。
コルラードは日が暮れるとラヴァルに戻れなくなるからと渋っていたが、レウルスが奢るから好きなだけ飲み食いしてほしいと伝えると手の平を返したように承諾した。剣には滅法強いコルラードも、お金には弱いのである。
「しかし、なんだ……こうして知り合いの店が繁盛しているのを見ると、不思議な感慨があるものだな」
レウルスと向かい合ってテーブル席に座ったコルラードは、厨房に立つドミニクを見ながらそう言う。
「そういえばおやっさんと知り合いでしたっけ」
「うむ。ドミニクが冒険者だった頃に少し、な……」
そう言いつつ、コルラードはどこか決まりが悪そうに周囲を見回す。敵意と呼ぶほど物騒なものではないが、観察するような視線があちらこちらから飛んでくるのだ。
既に日が落ち、ドミニクの料理店は客で賑わっている。しかしその場に“余所者”であるコルラードがいるため、どうしても注意を引いてしまうのだ。
「あー……この人は俺とおやっさんの知り合いだから、気にせずメシを食ってくれ」
レウルスが周囲に向けてそう言うと、波が引くようにしてコルラードに向けられていた視線が外れていく。
「すみません。こんなことなら食い物と酒を買って家に連れて行けば良かったですね」
「……いや、それはそれで肩身が狭いと思うのだが」
仮にレウルスの自宅でコルラードを歓待した場合、エリザやサラ、ミーアやネディに囲まれることになりそうだ。コルラードとしては遠慮したいところである。
「そういう貴様も、吾輩を誘って食事をしている暇があるのか? あの娘らが家で待っているのであろう?」
「ネディに伝言を頼みましたし、たまには男同士で羽根を伸ばすってことで……それに、ここで食べた後に家でも食べるんで大丈夫ですよ。」
「そ、そうであるか……」
実際には『思念通話』を使えばサラを通して連絡を取れるため、焦って帰る必要がないだけだ。さすがにサラとの『契約』をコルラードに明かす気にはなれず、レウルスは笑って誤魔化す。
「おっと、メシができたみたいですね。酒も一緒にもらってきますよ」
誤魔化しついでに立ち上がると、レウルスは厨房へと向かった。
外部の人間であるコルラードがこの場にいるが、ドミニクの知り合いだからかコロナは普段通り働いている。しかし、あまりにも客が多いため自分で取りに行くことにしたのだ。
「……ん?」
そうして厨房に向かったレウルスだったが、背後からざわつくような声が聞こえて足を止める。
一体何事かと思って振り返ってみると、そこには予想外の人物の姿があった。
(あれ? 姐さんじゃねえか。いくら夕食時っていっても、この店に顔を出すのは珍しいな)
冒険者の受付業務が終わったのか、ナタリアが料理店に入ってきたのだ。
レウルスだけでなく周囲の者達も疑問に思ったのか、不思議そうな顔をしている者ばかりである。
ナタリアは店内を見回すと、レウルスと視線を合わせて小さく微笑む。しかし何も言わずに視線を外し、今度はコルラードを見た。
「む? 我輩か……ぁ?」
店内の空気を感じ取っていたのか、コルラードもナタリアの視線に即座に気付く。そして不思議そうに首を傾げたが、その目が徐々に見開かれていく。
コルラードは信じられないものを見たように、ナタリアの顔を凝視した。
「は……あ、え……な、何故貴女がこんなところに……」
「“こんなところ”とはご挨拶ね、コルラード」
口をパクパクと開閉させるコルラードに対し、ナタリアはそう言って微笑むのだった。