第235話:後始末 その4
レベッカとの戦いから三日の時間が過ぎた。
エステルの治療やエリザとの『契約』により、レウルスが負った怪我もほぼ完治している。消費した魔力に関しては回復することができていないが、魔力を回復するためにアクラ周辺に足を伸ばして魔物を狩るわけにもいかなかったのだ。
戦いの場となったヴェルグ子爵家の庭園も復旧を進めているが、こちらはまだまだ時間がかかるだろう。庭園で育てられていた多くの草花が燃え尽き、地面が抉れ、邸宅へ続く石畳なども多くの部分が粉砕されている。
兵士達が地面に空いた穴を埋め、石畳を敷く前段階として地面を突き固めていたが、庭園が元のような美しい姿を取り戻すには長い月日が必要だろう。
アクラの城壁内では今回の騒動に関して民衆から不安の声が挙がったものの、ルイスが即座に手回しして事態の終息を宣言した。騒動の元凶がグレイゴ教徒であること、精霊教の関係者と協力して撃退したことを併せて広報したのだ。
グレイゴ教徒は非常に危険な存在で、ヴェルグ子爵家の屋敷だけでなく兵士の詰め所を襲撃しようとしていたこと、その際精霊教徒として有名なジルバが協力したことまで公表している。
情報を隠そうにも、翼竜が上空から襲撃して火炎魔法を撃ってきたためそれも不可能である。そのためルイスは今回の一件に関して情報を開示し、アクラの住民の不安を取り除くことを優先したようだった。
なお、余談ではあるが、ジルバが戦った際にグレイゴ教徒のせいで町の石壁が破壊されたという話が流布されたが、その話を聞いたレウルスは『嘘は言っていないよなぁ』と呆れたような感心したような心境を抱くことになった。
石壁を破壊したのはジルバだが、グレイゴ教徒がいなければジルバがそんな真似をすることもなかっただろう。住民に広がった話の内容も、ジルバではなくグレイゴ教徒が石壁を破壊したという方向で広まっているのだ。
事態の鎮静化に追われたルイスは、情報を開示すると同時にアクラの町から“消えた住人”がいないか調査を始めさせている。
ジルバが仕留めたグレイゴ教徒達はアクラの住民と大差ない服装をしており、複数のグレイゴ教徒が町中に潜伏していた可能性が高いからだ。
いつから町にいて、どのような立場に在り、周囲にどんな影響があったのか。
もしかすると他にもグレイゴ教徒が潜伏しているのではないか。
グレイゴ教徒でなくとも協力者が存在したのではないか。
ルイスは領地を預かる者として、そういった危険な要素の調査を兵士達に命じた。町の住民にも怪しい人物がいれば近寄らないよう気を付け、すぐさま巡回の兵士に通報するよう告知したのである。
そんなヴェルグ子爵家の動きを知ったレウルスは感心した。
悪い敵を撃退したからめでたしめでたし、とはいかないのである。同じようなことが起こらないよう注意徹底し、当分の間は住民を安心させるためにも巡回の兵士を増やす必要もあった。
――問題があるとすれば、何故レウルスがそれらの話を知っているかだろう。
ヴェルグ子爵家にて治療を受けていたレウルスだったが、ことあるごとにルイスが訪れて世間話のように話していくのだ。
ヴェルグ子爵家の機密に関わるのではないか、運営上支障があるのではないかと耳を塞ごうとしたものの、ルイスは今回の騒動に巻き込んだ詫びの一環だとして語っていくのである。
騒動以降、事態の収拾に追われてロクに睡眠も取れていないのか、以前にもましてげっそりとした顔で話に来るルイスを見た時は、そんなことをしている暇があれば少しでも眠れば良いのにと思ったほどである。
それも、アクラに住む精霊教徒達を落ち着かせる必要があるから、とエステルやジルバが外出している時に限ってルイスは訪れるのだ。
そのことだけでも警戒に値するだろう。動いて問題ない状態まで回復したレウルスが即座にお暇しようと思うぐらいにはきな臭い匂いが漂っていたのだった。
「怪我も治りましたし、そろそろラヴァル廃棄街に帰ろうかと思います」
ジルバとエステルが様子を見に来るなり、レウルスは事情を打ち明けてすぐさま“離脱”を図った。エリザ達にも荷物をまとめさせ、今すぐ旅立てるよう準備を整えた上でルイスとの謁見を頼み、執務室に通されるなり開口一番にそう言い放つ。
ルイスは書類仕事をしていたのだろう。ラヴァル廃棄街では貴重な紙が山のように積まれた机を挟み、疲れた顔に疲労の色が濃い笑みを浮かべている。
「怪我が治ったならなによりだよ。当家としては、恩人にはいつまででも滞在してもらって構わないんだけどね」
何か思惑があるのか、ルイスの口調はひどく柔らかい。あるいは本心からそう言っているのかもしれないが、レウルスとしては頷くわけにはいかなかった。
「ありがたい話ですが、ラヴァル廃棄街を長く空けるのは不安でして……それに、俺はエステルさんの護衛を依頼として請け負っていますから」
ジルバが合流した以上エステルの護衛は必要ないだろうが、建前としてそう話すレウルス。本音としても、怪我が治った以上はヴェルグ子爵家の屋敷に滞在する理由がないのだ。
「そうか……いや、残念だよ。君の冒険話も聞くことができなかったからね。妹も残念がるだろう」
数秒レウルスの顔を見ていたルイスだが、言葉通り残念そうな表情で首を振る。本当にそう考えているのだろうと思わせる仕草と表情だったが、どこまで本当なのかはわからない。
ルイスは右手に持っていた羽根ペンを脇に置くと、椅子から立ち上がってレウルス達のもとへと歩み寄る。
「今回の件に関して、当家としてはエステル殿やジルバ殿、そしてレウルス君達には十分に報いたいと思っている。君達がいなければどうなっていたことか……」
レウルス達の近くまで歩み寄ったルイスは、そう言って僅かに目を伏せた。
結果だけを見ればヴェルグ子爵家に死者はなく、重傷者と呼べる者もごく僅か。それもエステルやヴェルグ子爵家お抱えの治癒魔法の使い手によって完治している。肋骨が砕けて内臓に刺さっていたレウルスが一番の重傷だったぐらいだ。
死者が出ていないから万々歳とは言えないが、レウルス達がいなければどうなっていたか。レベッカの存在を考えると、非常に厄介な事態に陥っていた危険性が高い。
「望む限りの報酬を、と言いたいところだけど……当主代行では裁量も限られていてね。それに、もう一件君達に迷惑をかけてしまうんだが……」
そう言ってルイスが執務室の扉に視線を向けた。すると、ノックの音が響いてディエゴが入室してくる。室内だからか槍は持っていないが、鎧などを着込んで腰元には剣を差していた。
そして、何故かその手に縄を握っている。
「失礼いたします。カルロ殿をお連れしました」
ディエゴが握る縄の先――そこには縄で上半身を縛られたカルロの姿があった。
武器や防具の類は全て取り上げられたのか、寸鉄一つ帯びていない。加えて言えば、ラヴァル廃棄街でも入手できそうな質素な麻布の服を身に纏っている。
「……ルイス殿?」
エステルが硬さを感じさせる声を出す。その声色にエリザやミーアが驚いたような顔をするが、レウルスとしてはそれ以上に気になることがあった。
「…………」
ディエゴに連れられて入室したカルロだが、無言でレウルスに視線を向けてくるのである。しかも、憑き物が落ちたような顔をしているのだ。
透明感があると表現すべきか、死期を悟った老人とでも形容すべきか、カルロの表情があまりにも穏やか過ぎてレウルスとしては困惑するしかない。
(いやまあ、ある意味“憑き物”は落ちたんだろうけど……)
カルロからは以前感じられた魔力が消え失せている。おそらくはレベッカの『魅了』が解けたのだろうが、それを考慮したとしてもカルロの表情は澄み切っていた。
「久しぶりだな、レウルス殿……いや、“はじめまして”と言うべきか」
(殿っ!?)
思わぬカルロからの敬称に、レウルスは内心で驚愕の声を上げる。それまで驚いたようにエステルと見ていたエリザとミーアも驚愕の眼差しをカルロに向けた。
事情を詳しく知らないジルバは黙って事態の推移を見守り、サラはどこか嫌そうな顔をカルロに向けている。ネディだけは平常そのものといった様子でカルロを眺めていた。
「これは、一体……」
カルロが縄で縛られていることに関しては、仕出かしたことがことだけに仕方ないだろう。しかし、そんなカルロと引き合わせて何がしたいのかとレウルスは疑問に思った。
「レウルス君達も思うところがあるだろう……だが、カルロは当家の騎士であり、血族でもある。君達の怒りは理解しているけど、裁かせるわけにはいかないんだ」
そう言って厳めしい顔をするルイスだが、レウルスとしては首を傾げざるを得ない。
(……って、言われてもな……この人の態度も怒るより先に呆れたぐらいだし、そもそもレベッカに操られてたんだしな)
レベッカに操られかけたレウルスとしては、最早カルロに対する怒りもない。
“アレ”に魅入られれば逆らうのは不可能だろう。抵抗できたことがレウルスとしても不思議なほどだった。
だが、困惑から沈黙したレウルスをどう思ったのか、ルイスは言葉を続ける。
「事情があったにせよ、カルロがグレイゴ教徒を招き入れたという事実は変わらない。それは理解してもらえるね? 俺としてもそこを無視するわけにはいかないんだが……」
どこか冷たさを感じさせる声色だったが、同時に困惑を含んでもいる。それに気付いたレウルスが眉を寄せていると、突如としてカルロが膝を突いた。
「栄えあるヴェルグ子爵家の血を引く者が敵に操られ、代行とはいえ当主に剣を向ける……しかもルヴィリアを、我が従妹殿を助けてくれた恩人達に対する無礼の数々……」
そう言ってカルロはルイスに向かって頭を下げる。上半身を縛られているため頭を下げるのも窮屈そうだが、その態度は後悔に溢れていた。
「万死に値する所業……この責を取り、どうか自裁の許可をいただきたく……」
自裁――すなわち自ら命を絶つということである。
カルロの言葉を聞いたルイスはため息を吐くと、その視線をレウルスへと向けた。
「突然のことで申し訳なく思う。処罰の決定権は当家にあるとしても、迷惑をかけたレウルス君達に謝罪の一つもできなければ死んでも死にきれない……そう言って聞かないのさ」
ルイスの言葉に、カルロがますます申し訳なさそうに頭を深く下げる。
レウルスとしてはカルロの処罰の決定権や謝罪に関して、特に思うところはない。それはエリザ達も同様だろう。
問題があるとすれば、それはカルロに失礼な態度を取られたことがあるエステルやジルバではないか。公的な立場としても、冒険者であるレウルス達よりも精霊教師であるエステル、高名な精霊教徒であるジルバの方が遥かに上である。
そう考えたレウルスはエステルとジルバに視線を向けた。そしてすぐに後悔した。
「その件に関して、レウルスさんはヴェルグ子爵家から正式な謝罪と賠償を受け取っているのでしょう? そうであるならば、これ以上“そちらの事情”に巻き込むのはいかがなものかと思うのですが」
そこには、無表情で怒りを抑え込んだような口調で話すエステルと、薄く微笑んでいるジルバの姿があったのだった。