第232話:後始末 その1
「いやぁ……まさか肋骨が砕けて内臓に突き刺さってるとは……道理で次から次に血が出てくるし動きにくいと思いましたよ」
レベッカとの戦いから日をまたぎ、太陽が昇り始めた頃。
ヴェルグ子爵家にて宛がわれた一室の寝台の上で、ハッハッハとレウルスが笑い声を上げていた。
もちろん、楽しくて笑っているわけではない。掠めただけの打撃だというのにドワーフ製の防具を貫通し、衝撃だけで肋骨を粉砕したその事実に笑うしかなかったのだ。
ジルバの技量は知っていたが、六割程度の力しか発揮できない魔法人形でさえ“コレ”である。本人と戦うことがあれば、初撃で相打ちを狙うしか勝機がないだろう。
『熱量解放』を使っている間は痛みを無視できたが、騒動が終結したと思って『熱量解放』を解いてみたら激痛に襲われたのである。
違和感があるとは思っていたが、『熱量解放』を解くなり全身を貫いた激痛に動けなくなり、戦闘の疲れもあったため意識を失ったのだ。
「笑いごとではないですよー……」
レウルスが笑いかけた相手は治療を担当したエステルである。
ヴェルグ子爵家の兵士の手を借り、レウルスの脇腹を切開して肋骨の破片を取り除き、治癒魔法でつなげ直して内臓の傷も塞ぎ、切開した傷も元通りにしたのだ。
大精霊コモナを呼び出したことで大量に魔力を消耗してしまい、レウルスの治療だけでエステルも限界を迎えてしまった。
ただし、他にも負傷者はいたが、レベッカが操った兵士を取り押さえる際に負傷した程度で重傷者はいない。レウルスの怪我が最も重かったぐらいである。
「ところで、エリザ達は?」
「徹夜でレウルスさんの看病をしようとしていましたが、安静にして寝かせるのが一番の治療になると言って寝かしつけましたー……隣の部屋にいますよー」
そう言ってエステルは疲れたようにため息を吐く。口調はともかく普段の気の抜けたような雰囲気は鳴りを潜めており、エステルの疲労の濃さが伺えた。
「っと、そうなるとエステルさんの護衛は……」
「ミーアさんがずっと一緒にいてくれましたよー。それに、町のあちこちから駆けつけた兵士の人達が屋敷の周囲を固めていますからー」
どうやらミーアが忠実に指示を守ってくれたらしい。あとでいっぱい褒めなければ、などとレウルスが考えていると、部屋の扉がノックされた。
「すまない、こちらにエステル殿がいらっしゃると聞いたのだが」
続いて聞こえてきたのは、ルイスの声だった。レウルスはエステルと顔を見合わせたが、居留守を使うわけにもいかないとエステルが椅子から立ち上がる。
「何か御用ですか?」
レウルスに対するものとは異なる、硬い口調で応じながらエステルが扉を開けた。すると、セバスを連れたルイスが顔を覗かせる。
「ああ、良かった、こちらにいらっしゃいましたか……っと、レウルス君、目を覚ましたんだね。大丈夫かい?」
「少し痛みが残ってますけど、特に問題は……ルイスさんの方こそ大丈夫ですか?」
思わずレウルスが心配そうに問いかける程度には、ルイスの状態が酷かった。目の下には隈ができており、全身から疲労の色が漂っているのだ。
今回の騒動に直面した者として、また、ヴェルグ子爵家の当主代行として事態の収拾に駆け回っていたのだろう。
「はは……父上の代わりに家内を統率するようになってからは日常茶飯事さ。さすがに徹夜は久しぶりだけどね」
そう言って笑うルイスの顔には、どこか哀愁が漂っていた。徹夜明けのせいか、一気に老けたようにも見える。
「今回はことがことだけに、後始末が大変でね……エステル殿を探していたのもその一環さ」
「……何かあったんですか?」
そんなルイスの様子に、エステルは訝しげに眉を寄せながら尋ねた。すると、ルイスはどこか困ったように苦笑した。
「ああ……その、なんと言ったものか……」
「……?」
ルイスは言い難そうにエステルを見たかと思うと、その視線をレウルスに向け、最後には再びエステルへと向けた。
「精霊教のジルバ殿が、兵士の詰め所傍で大暴れしたらしい」
「…………」
思わず真顔で沈黙するエステル。ルイスの話が聞こえていたレウルスは、ジルバを真似た魔法人形にやられた脇腹が疼くのを感じながらも心中で呟く。
(どこにいるのかと思ったら、割とすぐ近くにいたのか……というか、何をやってるんだあの人……)
ジルバが暴れたと聞いてグレイゴ教徒がレベッカ以外にもいたのかと思考するが、そういえばローランもいたな、とレウルスは一人頷いた。
「昨日詰め所に出頭……ではないな、事情の説明をしにきたそうだが、騒動があった手前そのまま帰ってもらうわけにもいかず、現場の確認や事態の調査をしていたそうだ。我が家が後始末に追われていたのもあり、報告が上がってきたのがつい先ほどでね」
「…………」
エステルは相変わらず無言である。何も反応が返ってこないことにルイスは少しだけ焦りつつも、話を続けた。
「なんでも、グレイゴ教徒と交戦したらしいんだが……」
「ああ……いつものことですね」
エステルが固まったままのため、代わりにレウルスが答える。
「あの『傾城』以外にも別動隊がいて、それに気付いて襲撃したとかじゃないんですか? って、あの人いつ、どこからこの町に入ってきたんだ……」
行商人からジルバらしき人物を見たとは聞いたが、それがジルバ本人だったのか魔法人形だったのかはわからない。だが、おそらくはジルバ本人だったのだろうなぁ、とレウルスは遠い目をした。
「話を聞いたところ、詰所を襲撃しようとしたグレイゴ教徒を蹂躙……もとい、交戦した結果、詰所傍の石壁の一部を粉砕、グレイゴ教徒を五名、それと魔法人形を仕留めたそうだ。ただし、一人に逃げられた」
「……ジルバさんから逃げ切った? もしかして『傾城』以外にも司教がいたんですか?」
ジルバがグレイゴ教徒を仕留めたのはいつものことだと流したレウルスだったが、一人とはいえ取り逃がしたと聞けば無視はできない。そんなことが可能なのはグレイゴ教徒の中でも一握り、それこそ司教ぐらいだろう。
「いや、司祭の一人らしい。この屋敷を襲った翼竜がいただろう? アレに乗って逃げたそうだ。なんでもローランという司祭らしいが……」
(ローランか……アイツもよくわからない奴だよな。事前に忠告してきたし……)
厄介な司教がいるから手を引けと警告してきたのだ。その実態は厄介の一言で済まなかったが、善意の忠告というのも本当だったのだろう。
(でもあんな奴がいるならもっと具体的に忠告してほしかった……)
立場上無理だったのだろうが、レベッカと遭遇した後では強くそう思ってしまう。戦いは避けられなかったとしても、心構えぐらいはできたはずだ。
何がレベッカの琴線に触れたのか、『わたしの王子様』などと言い出すような手合いである。嬉々として、恍惚の笑みを浮かべながら襲い掛かってくるレベッカの姿を思い出したレウルスは頭を振って思考を打ち切った。
「……それで? わたくしはジルバさんを引き取りにいけばいいんですかねー?」
ようやく再起動を果たしたのか、低い声色でエステルが尋ねる。だが、その問いを受けたルイスは困ったように首を横に振った。
「その必要はないさ……ジルバ殿」
ルイスがそう声をかけると、どこか所在なさげな様子のジルバが扉から入ってきたのだった。
「もうっ、もうっ! これまで何をしていたんですかっ!? 貴方はわたくしの補佐役でしょう!?」
ジルバの姿を見るなり、エステルの堪忍袋が決壊した。丸めた両手でポコポコとジルバを叩き、不満をぶつけている。
その姿と口調は普段の間延びしたものとは異なり、年齢相応かやや幼く見えた。表に出さないよう注意してはいたが、エステルもジルバを頼りにし、心配してもいたのだろう。
「申し訳ございません、エステル様。滅ぶべき糞共を取り逃がしました」
「そうじゃないですっ! いえ、それも気になりますけど! 一体何を考えていたんですか!?」
エステルに責められるジルバという珍しい――むしろ初めて見る光景にあんぐりと口を開けるレウルス。
ジルバは相変わらずの平常運転で限界速度を振り切っていたようだが、レウルスとしても気になるところではある。
「レウルスさんも……お久しぶりです。今回は御迷惑をおかけしました」
もうっ、もうっ、と言いながらポコポコと叩いてくるエステルをあやしながら、ジルバが声をかけてきた。レウルスはその光景に戦慄しつつも右手を振って応える。
「お久しぶりです、ジルバさん……それで、俺としても何をしてたか気になるところなんですが?」
「異教徒の臭いがしたもので、つい羽目を外したと言いますか……」
「いつものことじゃないですか」
レウルスが真顔で言うと、ジルバも真顔になる。
「あの小娘……『傾城』と戦いましたか?」
「……ええ」
「どう思いました?」
真剣な声で尋ねるジルバ。その声色に何かを感じ取ったのか、エステルも動きを止めてレウルスの返事を待つ。
「厄介……いや、その程度じゃ済みませんね。もし襲ってきたのが魔法人形じゃなければ、迷うことなく相打ちを選んででも仕留めようと思いました」
魔法人形越しに人間や魔物を『魅了』し、操る力。それを自分の身で受けたレウルスは、心底からそう思いながら答える。
「“それ”が答えです。あの小娘がグレイゴ教徒という点を抜きにしても、あまりにも厄介すぎる……私には効きませんが、あの『加護』を使えば様々な手を打てるでしょう」
「……あの女を仕留めるために、最低限の話だけして旅立ったと?」
「ええ……もっとも、私が仕留めたのも魔法人形でしたがね。国境を預かるヴェルグ子爵家に手を出すなら本人が出てくるかと思いましたが、相変わらず用心深い……」
ジルバはどこか不満そうに言い放つが、それを聞いたレウルスは首を傾げた。
「ジルバさんは最初から『傾城』が関係しているって気付いてたんですか? それなら教えてくれれば……」
「その点に関しては、申し訳ないとしか言えません。ヴェルグ子爵がグレイゴ教徒を引き入れた件を疑問に思い、調べた結果すぐさま動く必要があると判断しました」
そう言ってジルバは恐縮そうに頭を下げるが、レウルスは冒険者組合からの依頼でラヴァル廃棄街を離れていた。教えようにも教えられなかったのだろう。
エステルにまで黙っていたのは、話しても教会の孤児達を放って動けず、なおかつエステル一人で動いても“意味がない”と思っていたのか。
グレイゴ教徒が相手となれば一切の妥協をしないのがジルバである。レウルス達がラヴァル廃棄街に戻るのを待つよりも、即座に行動することを選択したのだろう。
「それに、私が動いていると知れば、グレイゴ教徒の動きも変化しますから。密かに居所を探って仕留めるつもりでしたが、レウルスさん達を危険に晒したようで……」
「……まあ、ジルバさんには色々と借りがありますから。気にしないでください」
ラヴァル廃棄街の身内というカテゴリには入らないが、ジルバには色々と借りがある。レウルスとしてはこれ以上とやかく言うつもりはなかった。
しかし、ジルバの表情にはどこか硬いものがある。
「アクラ周辺に潜伏しつつ、情報を集めてグレイゴ教徒の動きを探っていました。可能ならあの小娘を仕留められれば、と。ただ――その動きも、あなた方は気づいていたのでは?」
そう言って、ジルバはルイスに視線を向けるのだった。