第231話:戦いの裏で その2
石壁を粉砕し、姿を現したジルバ。
その両手は既に空いているが、数秒前に石壁の穴に引きずり込まれた助祭二人は既に息絶えているだろう。そう判断したローランは曲刀を構えつつ、欠片も油断のない視線をジルバに向けた。
普段は飄々とした態度を崩さないローランだが、その表情はかつてないほど張りつめている。ジルバの動きを見落とさないよう、瞬きする暇すら惜しんで全身を適度に緊張させた。
瞬きをした瞬間、眼前にジルバが立っていても驚くまい。あるいは、瞬きした瞬間にこそ己の死が確定するか。
強者であることを自覚するローランだが、それでも眼前の存在に勝ると思えるほど過剰な自信を抱いているわけではない。
ジルバが素手で貫いた石壁は有事の際の防壁になるよう、生半可な造りをしていない。しっかりと突き固めた土壁を石材で挟み、厚みも一メートル近くあるため石壁の上に大人数で乗っても崩れないだけの頑丈さがあるのだ。
素手で城塞を粉砕するほど出鱈目ではないが、十分に人外の域に在る。仮にローランが同じことをしようとすれば、魔力の刃を数度叩き込んで破壊する必要があるだろう。
(……それを事前に殺気も気配も感じさせず、瞬間的にやり遂げる……か)
つぅ、と冷や汗が頬を伝う。その冷や汗を拭う余裕すらなく、ローランは曲刀を構え続けた。
当のジルバはと言えば、姿を見せるなり動きを止めている。ローランだけでなく、慌てたように距離を取って武器を構える助祭や信徒にさえ構わず、その視線をレベッカへと向けていた。
「チィッ……本体ではなく人形か」
そうして場が停滞すること数秒。ジルバは心底不機嫌そうに舌打ちをして呟いた。
「あら、まあ……これはこれは、一別以来ですわね『狂犬』」
常人ならば向けられただけで卒倒しそうな眼光を受けたレベッカは、先ほどまでの狂態を忘れたように答える。その声が真剣さを帯びているのは、レベッカにとっても容易な相手ではないという証明だろう。
「……司教様、あの化け物は操れないんですかね?」
ジルバの一挙手一投足に注意を払いつつ、僅かな願いを込めて尋ねるローラン。その問いかけを受けたレベッカは小さく肩を竦めた。
「わたしの力は知っているでしょう? “効くか効かないか”の二択よ? 効くならそれこそ龍種でも仕留められる自信があるけれど……さすがに狂信者を操れっていうのは無理が過ぎると思うの」
「……そこをなんとか」
「でも……ええ、だからこそっ! 今日は本当に良い日だわっ! ようやくわたしの王子様と出会えたんですもの!」
「ああくそっ! 頼りにならねえってか話にならねえ!」
途中から両手を広げ、舞台役者のように歓喜の声を上げるレベッカ。その言葉を聞いたローランは頭を抱えたい気分になり――ジルバの殺気がよりいっそう膨れ上がった。
「『傾城』ィ……貴様、一体何をした?」
「その名前で呼ばれるのは好きじゃないわ。ええ、大嫌いだわ。今は気分が良いから聞き流すけど、ね」
一歩踏み出したジルバに対し、レベッカは口元に手を当てながら艶やかに微笑む。
「やっと……やっと見つけたの! わたしの全てを受け入れてくれる王子様を! 名前はそう、レウルス――」
そこまで言った瞬間、ジルバの姿が掻き消えた。五メートル近く開いていたレベッカとの間合いを瞬時に詰め、地面を陥没させる勢いで踏み込む。
そして踏み込みと同時に放たれるのは、これまで幾多ものグレイゴ教徒を葬ってきた必殺の一撃である。
そんなジルバの動きにレベッカは笑みを浮かべるだけだ。ジルバが現れた時点で“仕事”の失敗は確定している。レベッカ本人がこの場にいるのならまだしも、魔法人形では戦う以前に逃げ切ることすら不可能だ。
もう一体の魔法人形――レウルス達が交戦しているレベッカならば多少は持ち堪えられるだろうが、ジルバと相対しているレベッカは精々本体の三割程度の力しか発揮できない。
故に、ジルバに対抗できるはずもないのだ――ジルバの殺気に反応して動いたローラン以外は。
一撃でレベッカを仕留めようとするジルバに辛うじて追従し、レベッカの胴体を粉砕するであろう右拳が通過する空間目掛けて曲刀を振り下ろす。
ローランが振るう曲刀は業物に『魔法文字』で『強化』を刻んだ逸品だ。それでもジルバの腕を切断できるとは思えないが、多少なり手傷は負わせられるだろう。
そう、思っていたのだが――。
「温いわ、小童」
それは如何なる技術か、あるいは魔法か。レベッカの胴体へと突き進んでいた拳が消えたように引かれ、外側へと振るわれた肘が“正面から”刃と衝突する。
いくら『強化』を使っていようと、刃物と人体では強度に差がある。ローランの腕と曲刀の切れ味があればジルバとてただではすまない。
だが、現実としてローランの曲刀は弾き返されていた。その衝撃で僅かに体勢を崩しつつも、ローランは傷どころか衣服すら切れていないジルバの右腕に気付く。
カンナと戦った時にも行ったことではあるが、武器ではなく素手で刃物を弾き返すという荒業を披露したジルバにローランは思わず叫んでいた。
「――どんな理屈だぁオイ!?」
魂消たように叫びつつも、崩れた体勢に逆らわず地面を転がるようにしてジルバから距離を取る。
一対一ならば追撃を受けて殺されているだろうが、この場にいるのはローランだけではない。ローランに僅かに遅れるようにして動いた助祭がジルバの背後から斬りかかり、ローランを援護する。
いくらジルバといえど、背後にまで手が回るわけではない。人体の構造上ある程度は届くだろうが、背中への斬撃まで素手で弾き返せるほど人間を辞めてはいない。
「異教徒が」
ジルバは振り返って迎撃する――などと悠長な手段は取らなかった。
レベッカとローランから視線を外すことなく、斬りかかってきた助祭へ向かって一歩足を引く。そして陥没させるほどに地面を踏み締めたかと思うと、上段から斬りかかってきた助祭の懐に潜り込んだ。
鈍く、重たい音が響く。助祭の体が弾かれたように吹き飛び、水平に飛んだかと思うと地面を数度跳ね、民家の壁に激突してからようやく動きを止めた。
その間、ジルバはレベッカやローランから一切視線を外していない。この場においては最も脅威だと判断してのことだろう。
ローランはすぐさま体勢を立て直し、曲刀を構え直す。普段は頼もしい相棒も、ジルバを前にするとやや頼りなく感じてしまうのは錯覚か。
「司教様、何か助言をもらえませんかね……アレを相手にして痛み分けまで持ち込んだんでしょう?」
「残念だけど、貴方じゃ実行できないわ。わたしがやろうにもこの体では無理だから……」
何か打てる手を、と思いながら問いかけたローランだったが、レベッカの返答は絶望的なものだった。
「初めて会った時も、『狂犬』から逃げ回りつつ付近の魔物を操って襲わせて体力を削って、『オトモダチ』に遠距離から魔法を撃たせて『無効化』を使わせて魔力を削って……そこまでしてようやく勝負になったのよ?」
「……司教様がおかしいのか、あの『狂犬』がおかしいのか答えに悩みますなぁ」
この場を切り抜けるには、実力でどうにかするしかないらしい。そう悟ったローランは曲刀を握る右手に力を込め、決死の抵抗を試みるのだった。
結論から言うならば、ローランの抵抗は成功を収めた。
左腕を折られ、愛剣にヒビが入って使い物にならなくなり、共に行動していた助祭や信徒は命を散らしたものの、窮地を脱することに成功したのである。
だが、それはローランが自力でジルバから逃げ切ったという意味ではない。当然ながらジルバを倒せたという意味でもない。
必死で防戦に徹して時間を稼ぎ、レベッカが操る翼竜が駆けつけ、回収して離脱してくれた――ただそれだけの話だ。
もちろん、ジルバも逃げる異教徒を逃がすほど甘くはない。しかし接近してきた翼竜が火炎魔法を“周囲の民家”に向かって放ち、それを『無効化』している間に逃げられてしまったのだ。
「……貴様が部下を逃がすとはな」
ただし、レベッカだけはこの場に残っている。本体ではなく魔法人形である以上、逃げる必要もないということなのだろう。
「カンナちゃんのお気に入りだし、司教候補ですもの。逃がせるのなら逃がすぐらいはするわ」
ジルバに首を掴まれて吊り上げられたレベッカは、事も無げに答える。人間ならば気道が締まって喋るどころか呼吸もできないはずだが、魔法人形だからなのかレベッカは平然と言葉を紡いでいた。
そんなレベッカに鋭い視線をぶつけながら、ジルバは忌々しそうに言う。
「この人形を通して見ているのだろう? 貴様はいつか俺が殺す……覚えておけ」
「御免被るわ。わたしを壊していいのはわたしの王子様だけですもの」
その言葉を最後に、ジルバが首を握り潰す。そして心臓と頭部に打撃を叩き込むと、レベッカの姿が三十センチほどの人形へと変化した。
「やれやれ……何も言わずに迎撃に出てこの結果とは。レウルスさん達やエステル様に合わせる顔がありませんね……」
かつて交戦した際は、ここまで“手広く”駒を操ることなどできなかった。それだというのに複数の魔法人形に翼竜、更には多くの人間を操っていたと思しき形跡がある。
レベッカ本人ではなく魔法人形だけを動かしていたのは用心してのことか、あるいは本人に動く気力とやる気がなかっただけか。仮に後者だとしても、レベッカの言動を思い返すとジルバとしても気になることがあった。
「レウルスさんが何かしたようですが……はて?」
レウルスが動いてくれたのは嬉しいが、何が起きたのか詳細まではわからない。合流して今回の件について謝罪し、詳細を聞くべきだろう。
もっとも、まずは人が通れるほどの穴を打ち抜いた石壁やグレイゴ教徒の死体が転がる惨状に関して、すぐ傍にある兵士の詰め所で説明する必要があるだろうが。
そして、翼竜の背中にしがみ付いてアクラから脱出したローランは、折れた左腕の痛みを堪えながら小さく呟く。
「ああ、クソ……もう二度と会いたくねえ……」
上級の魔物を倒すグレイゴ教の司教を、単独で仕留める怪物。
その強さに恐れ戦くような言葉を吐きながらも、その瞳には力強い輝きが宿っていたのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
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それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。