第230話:戦いの裏で その1
時を僅かに遡る。
城塞都市アクラは突如として襲来した翼竜によって町の至るところで騒ぎになっていた。
空を飛ぶ魔物は珍しいわけではないが、現れたのは上級に匹敵するであろう巨大な翼竜なのだ。
紫色の巨鳥――トロネス程度ならばアクラに近寄らず、仮に近寄ったとしても見張りの兵士が弓なり魔法なりで撃ち落とすだろう。
だが、高高度から飛来した翼竜を迎撃するのは困難を極める。見張りが気付いて魔法を撃つ暇がないほどの速度で、まるで落下するように襲来した翼竜に町の住民が恐れ戦くのは当然と言えるだろう。
それも、翼竜はアクラを支配するヴェルグ子爵家の屋敷を襲撃したのである。住民のみならず見張りや巡回の兵士が驚愕するのも無理はない話だった。
上級の魔物は言わば形を持った災害である。それが町中で暴れればどうなるかは容易に想像できるだろう。
(はぁ……予定の時間よりも早いじゃねぇか。あの司教様にも困ったもんだ……)
周囲から聞こえる悲鳴に内心でため息を吐きつつ、グレイゴ教の司祭であるローランは路地裏を駆けていた。その後ろには無表情で付き従う男女が五人ほど続いており、先頭を走るローランと同様に足音も立てず疾走している。
彼ら、彼女らはローランよりも先にアクラへと潜入していた助祭や信徒達だ。商人らしい服を着ている者、道行く住民に紛れればそのまま溶け込めそうなほど地味な服を着ている者、中には娼婦のように露出が大きく着崩した煽情的な服を着ている者もいる。
服装はバラバラだが、共通しているのはそれぞれが武器を手にしているということだろう。剣や短槍、短剣といった市街地でも取り回しが容易な武器を握っている。
先頭を走るローランは行く先々に人の気配がないことを確認しつつ、“目的の場所”へと急いでいた。
(ったく、なんで俺がこそこそと盗人みたいな真似をせにゃならんのだ……)
元々気乗りがしない仕事に加え、仮の上司の予定を無視した襲撃。それによってローランの気分は下降の一途を辿っていたが、司祭以下のグレイゴ教徒の中に司教に逆らう馬鹿はいない。
それは司教に近い実力を持つローランでさえ同様で、しかも相手が『人形遣い』となれば逆らうのは馬鹿というよりも命知らずというべきだろう。
困った上司は今頃翼竜に乗ってヴェルグ子爵の屋敷を襲撃しているだろうが、残念なことに困った上司は“一人”ではない。人目につかないよう注意しながら路地裏を駆けていくと、目的地の近くで一人の少女と合流することとなった。
「遅いです……面倒くさい、ああ、面倒くさいですわ……」
駆け寄ってきたローラン達を見るなり、その少女は心底気怠そうに呟く。
百六十センチに僅かに届かない身長に、肩まで伸びた少しばかり癖のある金髪。顔立ちは綺麗でもあり、可愛くもあって男女問わず引き付ける魅力がある。
だが、形良く膨らんだ胸部を強調するような白いコルセットドレスに、戦闘には明らかに不向きなフリルスカートというのはどうなのだろう、とローランは思った。
少女――レベッカを前にしたローランは背後の助祭達と共に膝を突いて頭を下げる。
「お待たせいたしました、司教様」
グレイゴ教の司教第六位、レベッカ=ブラマーティ。
単独で上級の魔物を破ることが司教に至る条件でありながら、その条件を満たさずに司教に数えられている存在である。
上級に匹敵する翼竜を仕留めず、操って支配下に置いたことで司教に認められたという、司教の中でもとびきりの変わり種。
純粋な戦闘技術ではローランが勝るだろうが、こと戦闘、殺し合いにおいては勝ちようのない怪物だった。
(いや、目の前の“コイツ”なら勝てるんだろうがなぁ……)
レベッカの何が怖いかと言えば、目の前のレベッカも翼竜に乗って子爵家を襲ったレベッカも本人ではないということだろう。
魔法人形と呼ばれる魔法具を使うことで、レベッカ本人が表に出ないで済むようにしているのだ。仮にレベッカ本人が表に出た場合、どうなることか。それはローランにも予測が難しかった。
「面倒ですが、お仕事と参りましょうか。ヴェルグ子爵家の方はわたしと『オトモダチ』でどうとでも――」
「……司教様?」
面倒だというのなら仕事を切り上げて撤退してはどうか。そんなことを考えていたローランだったが、レベッカが急に動きを止めたことで訝し気な声を出す。
気怠そうな顔をしていたレベッカの顔から表情が抜け落ち、ぐるりと首が回る。そしてどこか呆然とした眼差しで虚空を見つめたかと思うと、徐々に口元が吊り上がり始めた。
「ふ……は、あは……アハハハハハハハハッ!」
そして、突如として哄笑を上げる。目を見開き、心底嬉しげに口元を歪め、喜色に染まった笑い声を上げたのだ。
「……司教、様? 一体……何が?」
割と気が合う上司であるカンナをして、図太いと言わせるローランが引きつったような声をかける。カンナが相手ならば多少は砕けた口調で話せるが、さすがにレベッカが相手では下手に刺激したくない。
(おいおい……どうしたってんだ? いきなりぶち壊れたか?)
背後の助祭達からも困惑したような雰囲気が伝わってくるが、この場においてはレベッカに次いで立場が高いのがローランである。ローランが問いかけた以上は沈黙を保ち、レベッカが答えるのを待つばかりだ。
「見つけた……やっと、やっと見つけた……」
レベッカは体を震わせ、歓喜に染まった呟きを零す。両腕で自分の体を抱きしめ、目を閉じて感動に打ち震える。
ローランの気のせいでなければ、歓喜の中に違った感情の色が垣間見えたようにも思えた――が、目の前の上司が突如として発狂したような様子を見せたため、深く気にすることもできない。
「ああ、どうしましょう! なんということでしょう! まさかこんな場所で出会えるだなんて! 嫌な仕事でもたまにはきちんとこなすものねっ!」
まだ仕事は始まってもいないのだが、そんなことを口に出せる雰囲気でもなかったためローランは口を閉ざす。背後の助祭達の困惑を背中に受けながら、レベッカが少しでも落ち着くのを待った。
「こんなことなら本体が来れば良かったわっ! でもそれははしたないかしら、ええ、はしたないわねっ!」
だが、どう見てもレベッカが落ち着く様子はない。
年頃の乙女のように――実際にそう呼べる年頃なのだが、頬を朱に染めている姿はローランにとって得体の知れないナニカを見ているような気分だった。
「あーっと……お楽しみのところ申し訳ありませんが、そろそろ仕事に取り掛かりませんか?」
一体何があったのかわからないが、時間に余裕があるわけではない。
何せこれから仕事が――騒ぎに乗じて兵士の詰め所に侵入しようというのだ。翼竜の襲来によって混乱しているとはいえ、ヴェルグ子爵家の騎士団は精強で知られている。レベッカの能力を使うとしても、時間は多い方が良い。
ローラン達が今回城塞都市アクラに侵入しているのは、グレイゴ教の上層部――大司教の一人から命令を受けたからだ。
命令の内容は極めて単純なもので、『ヴェルグ子爵家が保有する地図を奪取せよ』である。
アクラだけでなく周辺の町や村を支配下に置くだけあり、ヴェルグ子爵家が持つ情報は膨大なものがある。その中でもヴェルグ子爵家の領内の地図となると群を抜く機密だろう。
他国と国境を接するヴェルグ子爵家の地図となれば、その価値はどれほどになるか。
ローランからすれば非常にどうでも良く、魅力のない仕事だ。大司教が何故ヴェルグ子爵家の地図を求めるのかも予想がつくが、心底からどうでも良い。
レベッカの『加護』を使えば容易く入手できそうだが、気分が乗らない、面倒だからと拒否するような有様だった。あるいは、レベッカとしても何か思うところがあったのかもしれないが。
それでもこうやってレベッカが出張ったのは、命令をしてきたのが大司教だからか、たまたま興が乗っただけか。
“前回の仕事”で入手したスライムの『核』を使って作った魔法人形の出来を確かめたいだけかもしれないが。
「そうね、ええ、そうしましょうか。面倒な仕事はすぐに片づけるに限るわ。そして……ふふっ、どうしましょう? わたしも子爵様のお屋敷にお邪魔しようかしら? でも、この体は戦闘に向いているわけではないのよね」
――どうやら今日は運が良いらしい。
自分の言葉を素直に受け入れたレベッカを見たローランは、思わず心中で呟いた。
魔法人形越しとはいえ、レベッカが本気を出すのなら地図も入手できるだろう。助祭達もだが、ローラン自身も補佐に回るだけで仕事が片付くかもしれない。
そう考えたローランは、軽い足取りで歩き出すレベッカの後を追うことにした。
ヴェルグ子爵家は国境の守護を預かる関係上、軍事に力を入れている。アクラ単独でも数百の兵が在中しており、町の治安を守るためにヴェルグ子爵家を中心として四方に兵士の詰め所が作られているほどだ。
アクラの城塞内で戦闘になった場合を想定しているのか、詰所の周囲には石壁が築かれている。それほど高さがあるわけではないが、有事の際には立てこもって防戦を行えるようにと考えてのことだろう。
詰所からは兵士達の騒ぐ声が聞こえてくる。襲ってきた翼竜を迎撃するための準備を整えているのだろう。
レベッカ達は石壁に沿うようにして歩き、詰所へと近づいていく。兵士の人数次第だが、レベッカが操れる人数ならば操り、操りきれないほど人数がいればローラン達の出番だ。
(殺しはしねえが、せめて手応えのある奴がいれば少しは楽しめ――)
そこまで考えた瞬間だった。
「っ!?」
何の前触れもなく、傍らの石壁が爆散する。それと同時に“黒い服”で覆われた二本の腕がローランのすぐ後ろを歩いていた助祭二人の首を掴んだ。
「なん――がぎゅっ!?」
そして、助祭二人が突如として開けられた穴に引きずり込まれたかと思うと、生木を圧し折るような音と共に短い悲鳴が上がった。
「……おいおい、まさか……」
石壁が爆散すると同時に瞬時に飛び退いたローランは思わず呟く。一体何が起きたのかと逡巡するよりも早く、生存本能に従って腰の曲刀を引き抜く。
「――やはり裏で動いていたか、異教徒共」
続いて聞こえたのは、殺気と怒気を押し固めたような声だった。
その声が聞こえてほんの一秒と経たず、一人の男がこじ開けた石壁の穴から飛び出してくる。
「手応えのある奴がいればいいとは思ったが……さすがにこりゃ予想外だ」
そこには、グレイゴ教徒にも畏怖される男――ジルバが立っていた。




