第229話:行動原理 その2
その時何故動いたのか、ネディ自身にもよくわからない。
戦況はレウルス側が有利になっている以上、動く必要はないはずだ。レベッカが操る兵士達が無力化されれば、あとは囲んで叩くだけで終わる。
仮に翼竜を暴れさせようと、レベッカが新たに兵士を操ろうと、勝ちの目は揺るがないだろう。戦いに詳しいわけでもないネディでさえ、そう判断できる程度には状況が整いつつあった。
もちろん、“全体”を見れば有利でも、レウルスとレベッカが繰り広げる戦いはエリザの援護があってもレウルスが不利である。その点は揺るがないが、遠からず勝敗は決する。
故に、あとは見ているだけで良かったのだ。ネディが、精霊たる身が手を出す必要などない――そのはずだった。
それでも、気付いた時には動いていた。レベッカに武器を押え込まれ、力比べをしているレウルスを助けるように、その腕を振るっていた。
その結果としてレベッカはレウルスから離れ、どこか苛立ったような視線を向けてくる。その視線を受け止めながら、それと同時にレウルスから困惑するような気配を感じながら、ネディは歩を進めていく。
ネディが右手を振るうと、普段は首に巻いている水色の布――羽衣が縮んで手元に戻る。そしてネディは羽衣を握りながらレベッカと視線をぶつけ合わせた。
レウルスとの戦いを邪魔されたレベッカがネディに向ける瞳は不機嫌そうで、それを真っ向から迎え撃つネディの瞳はどこか感情の色が薄い。それでも、“これまで”になかった感情が僅かとはいえ含まれているのはたしかだった。
「困りました、ええ、困りましたわ。カンナちゃんに止められてますし、わたし個人としてもグレイゴ教徒としてもあなたに興味はないんですが……」
レベッカはレウルスの振るう『龍斬』と何度もぶつかり合ったことでボロボロになった服の袖を引き千切りつつ、首を傾げて光の消えた瞳を向ける。
「わたしと王子様の逢瀬を邪魔するのなら――消しますよ?」
冷たい声色で呟くなり、レベッカの殺気が膨れ上がった。すると、その殺気に応えるようにネディの羽衣が蠢きだす。布地が意思を持ったように、地を這う蛇のように不規則な動きを見せる。
それはレベッカの向ける殺気や敵意に反応してのことか、あるいは別の理由があったのか。ネディはレベッカと敵対する理由を思考し。
「……レウルスを馬鹿にするのは許さない」
気付けば、そんな言葉が零れていた。
ネディ本人も意識していないようなその言葉は、遠くから聞こえる兵士達の怒号に掻き消されることなくレベッカに届く。
「レウルスは“わたし”を……ネディを助けるためにスライムを倒してくれた。だから、今度はネディがレウルスを助ける」
レウルスを助けるというネディの宣言。
その言葉は、レベッカよりもネディに近い場所にいるレウルスにも当然ながら届いていた。
(ネディが“自発的に”動いた……だと?)
レベッカは不審そうに眉を寄せているが、ネディの言葉を聞いて困惑したのはむしろレウルスの方だろう。
長い期間とはいえないものの、これまでネディと接してきたことでその性格や行動原理は大まかに理解していた。
ネディに尋ねても本人が理解していないため確証は得られないだろうが、レウルスから見てネディが自発的に動くことなどほとんど起こり得ない。
レウルスがネディに対して抱いている印象は、良くも悪くも人間の味方ということだ。
魔力が切れて力尽きることを厭わず、長年に渡ってメルセナ湖でスライムを『封印』し続けたこと。
レウルスが頼んだとはいえ、水不足に陥っていたラヴァル廃棄街を助けてくれたこと。
ルヴィリアが乗る馬車や兵士達がキマイラに襲われた際、真っ先に助けようとしたこと。
また、ルヴィリア達を助けようとした際、サラに対してネディが口にしていた言葉がある。
『人間が困ってる。だから助ける……あなたはそう思わないの?』
精霊としてサラが正しいのか、ネディが正しいのか、レウルスには判断がつかない。
片や、レウルスという個人と『契約』を結び、相手が人間だろうと魔物だろうと構わず戦うサラ。
片や、人間を助けるためにその力を振るうネディ。
レウルスはそこまで詳しいわけではないが、かつて人間を救って信仰の対象になった大精霊コモナという存在もある。
コモナは人間を救ったという点ではネディに近いが、先ほど言葉を交わした印象としてはサラに近いものがあった。気のせいでなければコモナもサラに好意的な視線を向けていたように思える。
(……いや、それはどうでもいいことか)
精霊の定義など、敵の前では何の意味もない。
今この場でネディが自身を助けるように動いたこと――レウルスにとってはそれだけで十分だった。
レウルスは一度深呼吸をして気息を整え、短剣を鞘に収めてから『龍斬』を両手で握り、右肩に担ぎ直す。ネディに敵意をぶつけるレベッカの意識を引くように、全身から殺気を漲らせる。
すると、レベッカはすぐさま表情をほころばせてレウルスへ視線を向けた。それは年頃の乙女のような、花のような笑顔だった。
「まあ……いけないわ、ええ、いけないわ。ごめんなさい、つい目を離してしまったわね? 意中の殿方を前にして余所見なんて、淑女に相応しくないものね?」
「…………」
――辞書を引いて淑女という言葉について学んでこい。
そんな言葉が喉元までせり上がってきたが、レウルスは呼吸を整えることで飲み下す。そして『龍斬』の柄を強く握り締めると、背後のネディへと言葉を投げかけた。
「ネディ……一緒に戦ってくれるか?」
翼竜の火炎魔法を防いでもらった時とは違い、魔法人形を使っているとはいっても相手は人間なのだ。
本当に戦えるのかという質問に対し、ネディは静かに答える。
「任せて」
その言葉が聞ければ、それで十分だった。ネディには見えないだろうが、レウルスの口の端が自然と吊り上がっていく。
「ネディは援護を頼む! エリザは継続して魔法を撃ってくれ!」
レウルスはそう叫び、レベッカ目掛けて全力で突っ込んでいく。
叶うならば、単独で打倒したい。だが、どう足掻いても単独では勝ち得ない。
エリザやサラとの『契約』によって力を得られても、『熱量解放』を使っても、『龍斬』を振るっても、レベッカには勝てない。
エリザの援護があってようやく互角に届くかどうか。そこにネディの力を加えれば、凌駕できる可能性が高まる。
三対一という状況に思うところはある――が、“そんなもの”はただの感傷でこの場では意味を持たない。
相手は単独で上級の魔物を屠る化け物だ。五割程度の力しか発揮できていないとしても、今のレウルスに勝てる相手ではない。
「オオオオオオオオオオオオォォッ!」
感傷を振り払うように咆哮し、全力で踏み込む。両手で握った『龍斬』に遠心力を乗せ、腕力に物を言わせてレベッカを両断するべく振り下ろす。
愚直に真っすぐに、力任せに振り下ろされた大剣をレベッカは容易く回避する。レウルスが繰り出した斬撃はそのまま地面を断ち割ると、刀身の半ば以上が地面へと姿を消した。
「ガアアアアアアアアアアァッ!」
そして、レウルスは刃が地面に埋まったことを気にも留めず大剣を斜め上へと切り上げる。地面の抵抗など知ったことかと言わんばかりに、地面ごと持ち上げるつもりで大剣を振り抜く。
轟音と共に巻き上がる大量の土石。それはレベッカへの目潰しを兼ねた牽制である。それと同時に刀身から荒々しく火炎を迸らせ、軌道が見えにくいようにしながらレベッカを横から両断するべく斬撃を叩き込んだ。
「あら怖い……っ!?」
魔法人形とはいえ視界を塞がれるのは困るのだろう。レウルスの踏み込みから斬撃の軌道を見切って後方に跳ぼうとしたレベッカだったが、いつの間にかネディが繰る羽衣が右足に絡みついてその動きを封じていた。レウルスが巻き起こした土石による目潰しに紛れて忍び寄っていたのだろう。
そのため、レベッカはレウルスの斬撃を素手で受け止める。それと同時に左足を振り上げ、右足に絡みついていた羽衣を引き千切るべく振り下ろした。
この場にいる誰よりも豊富な魔力を『強化』に回した脚力による踏み付けである。その一撃は地面を蜘蛛の巣状に陥没させ、斬撃を繰り出すべく踏み込んでいたレウルスの体が浮き上がるほどの威力だった。
――それでも、羽衣は砕けない。
ぐにゃりと、レベッカの靴の形に凹みつつも、その姿を保ったままだったのだ。
「っ……驚いた、ええ、驚いたわ。魔力を感じるから魔法か魔法具の類だと思ったけど、コレは噂に聞く『国喰らい』のような……」
レベッカが僅かに動揺する。その瞬間、レウルスはそれまでの猛進ぶりが嘘だったように、可能な限り“無駄”なく斬撃を繰り出した。
勢いに任せて踏み込まず、大剣も必要以上に振りかぶらず、レベッカを斬れるだけの威力を求めて刃を奔らせる。
狙いは一度刎ね飛ばした首だ。不意を打ったとはいえ一度斬れたのならば、二度斬れぬ道理もない。だが、レベッカはすぐさま腕を差し込んで斬撃を受け止める。
「今の一撃は良かったわ、ええ、とても良かった。“この体”じゃなければ斬られていたかもしれないわ」
そう言いつつ、レベッカは腕にめり込む刃を強引に振り払おうとするが、レウルスは即座に剣を引いて後方へと跳ぶ。すると次の瞬間、エリザが放った雷撃がレベッカを直撃した。
「シィッッ!」
雷撃によって僅かに動きを止めたレベッカ目掛け、レウルスが再び踏み込む。そうして急所を狙って斬撃を繰り出していくが、そのことごとくが届かない。
レウルスが斬りかかり、ネディがレベッカの動きを止め、隙を見てエリザが雷撃を撃ち込む。
そうすることで徐々にレベッカも傷が増えていくが、完全に崩すには至らない。どんな体をしているのか、エリザの雷撃でも動きを数瞬止めるのが精々で、レウルスの斬撃もレベッカの腕に傷を刻むだけだ。
『無効化』を使えばエリザの雷撃も打ち消せるのだろうが、レベッカの意識はネディに向けられている。羽衣による妨害はともかくとして、体を凍らせようとすれば即座に『無効化』を使う必要があった。
だが、ネディを加えた戦いは徐々にレウルス達へと勝利の天秤を傾けつつある。
「困ったわ、ええ、困ったわ。さすがに三対一は厳しいわ。“時間があれば”崩しようもあるけれど……」
自分の両腕を見たレベッカは、小さく眉を寄せながら呟く。
三対一という状況にもかかわらず互角に渡り合っていたが、幾度も『龍斬』の刃を受け止めたことで両腕がボロボロだった。小さな傷も数が増えれば馬鹿にならない。人間ならば既に失血死しているだろう。
それでも、レベッカが倒れることはない。魔法人形の体は壊れない。限界が近くとも、限界を超えているわけではないのだ。
「…………」
レウルスはレベッカの限界が近いことを感じ取りつつも、油断はしなかった。無言でレベッカの隙を伺い、間合いを測る。
そんなレウルスの姿を眺め、レベッカは口元に笑みを浮かべた。
「時間があれば、ここに来たのが本体なら……口惜しいですわね、ええ、とても、とても口惜しい」
レウルスに笑顔を向けつつも、その言葉通りどこか口惜しそうな様子である。そんなレベッカの様子にレウルスは眉を寄せたが、警戒を緩めずに隙を伺った。
何か様子がおかしい。そう疑問を抱くレウルスだったが、“変化”は別のところからやってきた。
「わわっ!? ちょっと待ちなさいよこのトカゲ! 逃げようっての!?」
それまでサラが魔法を撃ち合っていた翼竜が、突如として跳躍する。そして巨大な翼を羽ばたかせたかと思うと、逃げるようにして飛び立ったのだ。
その上、置き土産と言わんばかりに大量の炎を巻き散らしながらの撤退である。その“流れ弾”はレウルス達にも降り注いで意識を逸らし――。
「……残念」
隙を突くようにして踏み込んできたレベッカを、レウルスの斬撃が迎え撃っていた。
繰り出される拳に合わせて振り下ろした刃が、レベッカの右手を根元から斬り飛ばす。そして、そんなレウルスに僅かに遅れるようにしてネディの羽衣がレベッカの体へと巻き付いて動きを拘束した。
「『無効化』でも打ち消せないなんて、精霊というものは厄介ですわね……でも、まあ、今回は良しとしておきましょうか」
右腕を斬り飛ばされ、羽衣で拘束されてもレベッカに焦りの色はない。その視線をレウルスに向けて薄く微笑むだけだ。
そんなレベッカの表情に得体の知れないものを感じつつも、レウルスは『龍斬』を構え直す。相手はグレイゴ教の司教なのだ。この状態からでも抜け出す方法を持っていてもおかしくはない。
そうやって警戒するレウルスをどう思ったのか、レベッカはゆっくりと口を開く。
「この体はもうボロボロですし、操るのも限界……嗚呼、夢のような時間でした」
レベッカは情愛と狂気の色を混ぜて笑みを深めた。そんなレベッカに対し、レウルスは無言で『龍斬』を掲げる。
「“次”は本体を壊してくださいね? その時を心待ちにしていますわ、わたしの王子様」
笑うレベッカにレウルスは『龍斬』を振り下ろし――小さく呟く。
「二度と会いたくねえよ……ああ、くそ……強くならないとなぁ……」
どうも、作者の池崎数也です。
いきなり更新の間が空きまして申し訳ございません。
内容的に難産だったのもありますが、リアルが色々とごたついていました。
次話からはなるべく早く更新していけると思います。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。