第228話:行動原理 その1
距離を離していようとも聞こえてくる怒号と、肌を痺れさせるようなひりつく空気。
サラと翼竜が火炎魔法を撃ち合い、レウルスを援護するべくエリザが雷魔法を行使することで、空気自体が熱を持っているようにも感じられる。
大精霊コモナをその身に宿したことで疲弊しきったエステルの護衛として後方で控えていたネディは、目を細めて戦場もかくやと言わんばかりの光景を見つめていた。
ネディと共にエステルの護衛についていたミーアもまた、レウルス達が戦う姿を見つめている。ネディとミーアの違いがあるとすれば、それは両者が浮かべている表情だろう。
ミーアはどこか悔しそうに眉を寄せ、唇を真一文字に引き結んでいる。
レウルス一行の中ではただ一人遠距離攻撃の手段を持たず、近距離戦闘しか行えないため、距離が開いていると何もできないのだ。
レベッカに操られた兵士がルイス達の隊列を突破した際の予備戦力として残されていたが、今のところ出番はない。両手で握った鎚を強く握りしめ、戦いの状勢を見守るばかりだ。
そんなミーアとは対照的に、ネディの表情は普段と変わりがない。ミーアのように悔しがることもなく、かといって戦いの空気に怯えることもなく、目の前の光景をただじっと見つめるだけである。
レベッカに操られた仲間を必死の形相で押さえ込む兵士。
そんな兵士を鼓舞し、自らも槍や剣を握って隊列を維持するコルラードやディエゴ。
声を張り上げながら指揮を執るルイス。
ジルバを真似た魔法人形と拳を交えるセバス。
上級に匹敵するであろう翼竜を相手にして火炎魔法を撃ち合うサラ。
魔力を使い過ぎないよう注意しながらも、レウルスを誤射しないよう雷魔法を行使するエリザ。
そして、口から血を流しながらもレベッカと真っ向から渡り合うレウルス。
その中でもネディの目を惹いたのは、レウルスとサラ、レベッカの三人だった。
司る属性が異なるものの、サラはネディと同じように精霊である。レウルスはそんなサラと『契約』を交わしており、今も『龍斬』に炎を纏わせて振るっている。
対峙するレベッカは“本体”ではなく魔法人形だが、遠目に見てもその異常さが見て取れた。精霊であるサラやネディを超える魔力量もそうだが、その在り方が異質で、歪で――だからこそ、ネディの興味を惹く。
ネディがメルセナ湖の孤島という限られた場所ではなく、“人の世界”に足を踏み入れて半年も経っていない。その期間のほとんどをラヴァル廃棄街で過ごしてきたが、多くの人間と接することができた。
そんなネディにとって、日常からかけ離れた現状は気を惹いてやまない。この場に存在する数十人の剥き出しの激情は、ネディの感情に大きな波をもたらす。精神がかき乱されていると言い換えても良い。
獣のようなレウルスの声、空中でぶつかり合って炸裂する火炎、時折弾ける雷の音、己を奮い立たせる兵士の叫び声、剣や槍が打ち合わされる金属音、指揮を執るルイスの声、レベッカの狂ったような笑い声。
不協和音にもほどがあるが、ネディにとってはどうにも興味深く聞こえてしまう。
レウルスの言葉を受け入れてエステルの護衛を務めているが、気を抜けばフラフラと歩き出してしまいそうだ。
長年に渡ってスライムを凍らせていたことで底が見えていた魔力も少しは回復しているが、今回は“人同士”の争いだ。スライムの時とは異なり、進んで戦いに加わることはしない。
サラのように、『契約』を交わしているからと率先して戦いに混じることなどあり得ない。
それでもレウルスからネディという名前を与えられた精霊は、じっとレウルスの背中を見ていた。
――ただただ、じっと見つめていた。
セバスがジルバを真似た魔法人形を仕留めたことにより、勝敗の天秤は徐々に傾き始めていた。
レベッカに操られている兵士が無力化されていくに従ってゆっくりと、しかし確実に、その勝敗を明らかなものへと変えていく。
「シャアアアアアアアァァッ!」
「アハハハハハッ!」
それでも、レウルスとレベッカの戦いに限っては勝敗が定かではない。
炎を纏った『龍斬』に劣らぬ気炎を乗せて斬撃を繰り出すレウルスに対し、レベッカは心底から嬉しげに笑いながら応じる。
どんな手品か、あるいは技術の差なのか、レベッカは火龍ヴァーニルの皮膚さえ切り裂く刃を素手で弾く。力任せに振るわれる斬撃に合わせて、力任せに殴り飛ばす。
大剣と素手による“打撃戦”が繰り広げられる中で、当事者であるレウルスは内心で舌を巻いていた。
(チッ……なんとかついていけるが、単純に強いってのは厄介だな)
目まぐるしく立ち位置を変えながら、大剣と拳で切り結ぶ。
両手で『龍斬』を握り、大振りにならないよう注意しながら振るっているレウルスと、拳を放つだけのレベッカの速度はほぼ互角。
長大な武器を振るっている点を思えば、僅差とはいえ身体能力や速度ではレウルスの方が勝っているのだろう。だが、レベッカにはレウルスよりも大きく優れる技術がある。
サラの力を借りて『龍斬』に炎を宿らせて以降、レウルスの体が操られることはない。自分の意思通りに手足が動き、斬撃の軌道が逸れるということもなくなった。そうでなければレベッカの動きに追従できなかっただろう。
加えて、気のせいでなければレベッカの動きが若干鈍っているように感じられた。僅かにでも気を抜けば懐に潜り込まれそうだが、当初と比べて精彩を欠いているように見える。
「楽しいわ! ええ、楽しいわっ! もっと、もっともっと踊りましょう!?」
ただし、鈍る動きとは裏腹にレベッカは高揚しているようだった。不規則に魔力が揺らめき、放たれる拳の威力も様々で、それが対応を難しくしていた。
「ぐっ、つっ……人形と踊って楽しむような趣味はねえんだよっ!」
胴体を狙って放たれる拳に刃を叩き付け、返ってきた手応えに少しだけレウルスの声が震える。何度刃と拳を交え合っても、肉体的にも視覚的にも衝撃が凄まじい。
レベッカの拳は鋼球のような硬さと重さがあり、ぶつけ合った拍子にレウルスの手から『龍斬』が弾かれそうになる。それを力任せに押さえ込むレウルスだったが、それを成したのが外見だけは可憐な乙女というギャップが酷かった。
以前、ジルバとグレイゴ教の司教であるカンナが戦った際、ジルバが素手でカンナの二刀を捌いていたことがあった。刃が滑らないよう“正面”から掌底をぶつけて弾き返すという荒業だったが、今ならばカンナの気持ちがレウルスにもわかる。
小太刀ではなく『龍斬』という重量のある武器で、更には炎まで纏わせている状態で同じことを体験している分、衝撃の度合いはレウルスの方が上だろうが。
「っと!?」
僅かに思考が逸れた瞬間、顔面目掛けて拳が飛んでくる。レウルスは首を傾けながら拳を回避すると、拳を突き出したことでがら空きになったレベッカの脇腹を切り裂こうと『龍斬』を切り上げ――それを見越したように刃を素手で押さえ込まれた。
「わたしが目の前にいるのに、“他の女性”のことを考えるなんてひどい人だわ、とってもとってもひどい人だわ」
「ハッ……気を遣われる立場にあると思ってんのか? 気を遣ってほしいならもっと可愛らしいところを見せてくれよ」
『龍斬』を押さえ込んだまま上目遣いで呟くレベッカに、唾棄する思いで言い放つ。それと同時に右手を『龍斬』の柄から離して腰裏の短剣を引き抜くと、レベッカの心臓目掛けて切っ先を奔らせた。
「あら危ない」
『龍斬』には劣るものの、ドワーフの作品らしく鋭い切っ先を持つ短剣でさえも素手で受け止められる。
「この燃える大剣と比べると劣るけれど、短剣の方も質が良いわね。それに、この距離で短剣を抜く判断も良いと思うわ、ええ、とても良いと思うわ」
「っ……そいつはどうも」
左手に『龍斬』を、右手に短剣を握っているが、そのどちらもが押さえ込まれている。力任せに振りほどこうにも腕力が拮抗しており、なおかつレウルスの僅かな動きに合わせてレベッカが力の方向を変えていた。
ここまで密着していては、レウルスを巻き込むためエリザも雷魔法を撃てない。それを理解しているのか、レベッカはレウルスの顔をまじまじと見つめた。
「ふふっ、素直なのね? そんなところも素敵だわ……ただ、腕が武器に追いついていないのが残念よ、ええ、残念だわ」
それは、レウルスも痛感していた指摘だった。
冒険者になって一年ほど経つが、レウルスの戦い方は『熱量解放』やエリザ達との『契約』に頼った力押しが基本である。
攻撃が当たれば強いが、それを捌ける技量を持つ者が相手だと打てる手がぐっと少なくなってしまう。
レウルスも暇を見ては自ら剣を振るい、ドミニクに教えを乞い、ジルバと模擬戦を行ってはいるが、所詮は我流である。レベッカもレウルスに似て力任せの部分があるが、研鑽の年月に大きな開きがあることに間違いはなかった。
「上級の魔物は倒せても、対人戦は苦手ってことかしら? 司教の中では戦いが苦手なわたしが相手でも“コレ”ですもの」
そう言って至近距離で微笑むレベッカに、レウルスは何も答えない。技術で優れる相手を苦手とするのは、今に始まったことではないのだ。
『城崩し』や『国喰らい』といった上級の魔物も、体の頑丈さに差異はあってもその巨体さがレウルスの助けになっていた。技術が拙いレウルスでも刃を届かせることができる巨体は、非常に相性が良かったのである。
その点、ジルバやレベッカなどの力任せが通用しない相手は非常に相性が悪い。相手が人間ならば『そんなものは知ったことか』と相打ち前提で斬りかかるが、眼前のレベッカは魔法人形である。
相打ちに持ち込んでも、レウルスだけが命を落とす結果になるだろう。ラヴァル廃棄街を守るため、身内を守るためならばそれも止む無しと割り切るが、今回の戦いはそうではない。
何が楽しいのか笑みを浮かべているレベッカは、たしかに敵だ。それも自身を操ってエリザ達を殺させようとした、怨敵とも呼べる相手である。目の前のレベッカが本体ならば相打ちを辞さないと思わせるほど、レウルスに憤怒を抱かせている相手だ。
だが、怒りに任せて刃を振るっても届かない。それがどうにももどかしい。
レベッカの動きに触発されるようにして、レウルスの動きからは徐々に“無駄”がなくなりつつある。
素手のレベッカに対抗するよう、大振りだった斬撃は可能な限りコンパクトに、それでいて一撃で仕留められるよう力を乗せている。素手で受け止められているが、急所に当たれば必殺となり得る威力を込めている。
『熱量解放』によって加速している思考を活用し、少しでもレベッカの動きを読んで先んじようとしてもいる――が、それでも届かない。
いくらレウルスが技術を意識しようと、戦闘の最中にレベッカが積み重ねた研鑽を凌駕することは不可能だ。
『熱量解放』に回している魔力はまだもつが、このまま戦い続ければいずれ尽きるだろう。一対一ならばその時点でレウルスの負けだ。
ただし、これは一対一の戦いではない。
「…………?」
レベッカの視線が僅かにずれ、レウルスの背後へと向けられる。その視線はどこか不思議そうな色を帯びており、レウルスも思わず釣られて背後に視線を向けそうになった。
視線によるフェイントか。そう思考するレウルスだったが、自身に向かってゆっくりと近づいてくる気配に気付く。
そして、レウルスがその気配の主に気付くと同時にレベッカがレウルスとの力比べを中断して背後へと跳んだ。
次の瞬間、レベッカがいた場所に“何か”が飛来する。それは弧を描くようにして、レウルスを避けるようにして、強かに地面を打ち据えた。
「まあ……横槍とは無粋ですわね」
瞬時に後退したレベッカがどこか不機嫌そうに呟く。
その視線の先には、常に首に巻いていた水色の布を操るネディの姿があったのだった。