第225話:人形遣い その4
「エステル殿。一応確認させてもらいますが、ジルバ殿の姿を真似た魔法人形を破壊しても精霊教の不興は買いませんよね?」
ジルバの姿を真似た魔法人形を止めると宣言したルイスだったが、何か思うところがあるのだろう。抱き留めたレウルスの腕の中で荒い息を吐くエステルに確認を行う。
「魔法人形……ああ、そういうことだったんですねー……」
魔力を消耗したからか酷く疲れた様子のエステルだったが、ルイスの言葉を聞いて納得したように大きく安堵の息を吐く。
「もちろんですよー……精霊教師の名において認めます。あの人形を破壊してください」
そう言って微笑むエステルだが、自分の足では立てないほどに疲労の色が濃い。レウルスはそんなエステルを支えながらルイスに物言いたげな視線を向けた。
兵士が操られているからジルバに手を出す余裕がないと思っていたが、他に理由があったのか。それを疑問に思ったのだ。
「すまない……ただでさえ精霊教徒の反発を受けている状態だというのに、ジルバ殿に危害を加えたとなると関係の修復は限りなく困難になっていただろう。こちらとしてもそれは避けたかったんだ」
レウルスの視線を受けたルイスは苦笑しながら言う。仮に魔法人形でなくジルバ本人だった場合、操られていたとしても攻撃を加えるのは問題だと考えたらしい。
「俺に言えることはありませんが……まさかルイス様があの人形と戦うんですか?」
どうやってジルバを真似た魔法人形を止めるのか。いくらジルバ本人と比べれば六割程度の力しかないとはいえ、その実力は本物だ。現にレウルスも危うく殺されるところだったのである。
ルイスの立ち居振る舞いを見る限り、よく鍛えられているのがわかる。それこそ騎士のコルラードやディエゴと比べても遜色ないか、二人を上回る技量が備わっているように感じられた。
――ジルバを真似た魔法人形と対峙した場合、無事に済むとは思えないが。
「ははっ、俺もそれなり鍛えているけど、さすがにそこまで無謀じゃないよ」
ルイスもそれを自覚しているのか、レウルスの言葉に苦笑を返す。そしてその表情を引き締めると、傍に立つセバスに視線を向けた。
「セバス、頼んだ」
「畏まりました」
短くも信頼の込められた声に、セバスも一礼することで応える。セバスは悠然とした足取りで魔法人形の元へと向かうと、拳を握って腰を落とした。すると、魔法人形もそれに応えるように拳を握って腰を落とす。
「ディエゴ! コルラード殿! 正気の部下をまとめろ! あの女の力にはどう見ても限界がある! 隊列を組んで当たるぞ! 新たに操られる者が出ないよう、奴の手に落ちた部下は倒さずに押さえ込むんだ!」
セバスが魔法人形と対峙するなり、ルイスが声を張り上げてコルラードとディエゴへ指示を出す。
それはセバスへの信頼がそうさせるのか、ルイスは魔法人形と対峙するセバスを一瞥することもなかった。セバスもまた、ルイスへ振り返ることなく魔法人形と対峙する。
レウルスの目から見ても、セバスはただ者ではない。だが、ジルバに勝てるかと問われれば答えに窮するだろう。相手がジルバを真似た魔法人形とはいえ、直接戦ったレウルスとしても勝敗の趨勢は定かではなかった。
それでも、勝算もなく挑むはずがない。レウルスが魔法人形と戦う様子を見た上でセバスなら勝てると判断したのならば、最低でも拮抗状態には持ち込めるはずだ。
「……ミーア、ネディ、エステルさんを頼む」
そう判断したレウルスはミーアとネディにエステルを託す。操られた兵士に関してはルイス達が止めようとしているが、何事にも絶対はないのだ。
レウルスが前に出る以上、ルイス達が突破された場合に備えて近接戦闘が得意なミーアはエステルの傍から離せない。仮に魔法を撃たれたとしても、ネディが傍にいれば相殺してくれるだろう。
エリザとサラに関しては、レウルスの援護に回すつもりだった。レベッカもそうだが、その背後で待機する翼竜が動いた場合に備えなければならない。
そうやって指示を出すレウルスだったが、気になる点が一つあった。口中に溜まっていた血を荒々しく吐き捨てると、眼光も鋭くレベッカを睨み付ける。
「行儀良く待ってたじゃねえか……余裕のつもりか?」
気になったのは、あまりにもレベッカに動きがないことだった。
レウルスが魔法人形と戦った時も、エステルが大精霊コモナを“呼び出した”時も、ルイス達が体勢を立て直そうとしていた時も、レウルスがエリザ達に指示を出した今でさえも動かない。
レウルスをじっと見つめたまま、一切動かなかったのだ。レウルスの隙を探していたというわけでもなく、ただただ、じっと見つめていた――“それだけ”である。
「余裕? 違うわ、ええ、全然違うわ。“そんなこと”を考えるよりもあなたを見ていたかっただけよ? 表情、仕草、感情に声、どれもこれも素敵で時間が許す限り見ていたかったの」
頬を上気させ、とろんとした目付きでレウルスを見つめるレベッカ。傍目から見れば恋する乙女にしか見えないが、その瞳には狂的な色が宿っている。
レウルスが怒り狂った獣のような殺気をぶつけても、その表情が崩れることはなかった。むしろレウルスの殺気を嬉々として受け止め、表情を恍惚としたものへと変えていく。
そのあまりの反応に、レウルスの背筋に恐怖とは別種の怖気が走る。表情は変えないものの、大量の小さな虫が背中を這いずり回っているような感覚を覚えた。
人は得体の知れないものと対峙した際に恐怖を覚えるというが、この時のレウルスの心境もそれに近い。レベッカの強さや『加護』よりも、レウルスの理解の範疇を超えたその在り方こそが恐ろしかった。
レウルスは意識して深呼吸すると、ゆっくりと腰を落としていく。『龍斬』を右肩に担ぎ、いつでも飛び出せるよう両足を開いて前傾姿勢を取る。
レベッカとの間に存在する距離はおよそ三十メートル。『熱量解放』を使えば一秒足らずで駆け抜けられる距離だ。
レウルスとレベッカの間に遮るものはない。ルイス達が操られた兵士を上手く引き付けている――あるいはそう誘導されているのか。
魔法人形と対峙するセバスは互いに隙を探り合っており、邪魔をするものは何も存在しなかった。
(遮蔽物がないのなら、エリザとサラに魔法を撃たせてその隙に斬り込むか? 武器を持ってないってことは属性魔法の使い手か、それとも翼竜を動かすのか……まさか素手での格闘に長けてるってわけじゃないだろうな)
どう動くべきかレウルスは思案する。相手が魔物ならばレウルスもここまで迷わないが、レベッカはグレイゴ教の司教だ。手駒を操るだけでレベッカ本人が弱いと考えるのは希望的観測が過ぎるだろう。
レベッカが見せた狂的な反応がレウルスの思考をかき乱す。体付きや立ち居振る舞いを見る限り、接近戦が得意とは思えない。素人目ながらも、獣のような勘でレウルスはそれを感じ取る。
レベッカから感じ取れる魔力は非常に大きく、精霊であるサラやネディすら超えている。コモナが言うにはレベッカ“本体”の半分程度の能力しか発揮できないようだが、それでも脅威的といえるだろう。
そうやって悩むレウルスを、レベッカはじっと見つめている。レウルスの動きを一瞬たりとも見逃すまいと、瞬きすらせずにじっと、じっと見つめている。
視線をぶつけ合うこと十秒。不意にレベッカが表情を崩し、己の体を両腕で抱きしめる。
「やる気の出ない面倒な仕事でも、我慢して頑張ってみるものね……だって、あなたに出会えたんですものっ! ああ……わたしの王子様っ! いるはずがないと思っていたのに、まさかこんなところで出会えるだなんてっ!」
まるで舞台の役者のように、大仰な仕草で自分の感情を表現するレベッカ。外見の美麗さ、愛らしさもあってその大仰な仕草も似合っていたが、レウルスが覚えたのは嫌悪感だけだ。
今すぐにでもレベッカの懐へ踏み込み、『龍斬』を叩き付けたい。思考はそう主張しているというのに、レウルスの体はその場から動かなかった。
怒りと殺意によって押し留めているが、レベッカの声を聞く度に心がざわめく。その笑顔、その仕草、その全てがレウルスの戦意を失わせようと甘美な誘惑を仕掛けてくる。
「なるほど……淫魔、ね」
コモナの言葉を今更ながらに痛感するレウルス。普段とまったく異なる己の精神状態を自覚し、『龍斬』を握る両手に力を込めた。
「いくら王子様でもその名前で呼んでほしくはないわ。わたしは血を引いているだけ……だから、ね? わたしを受け入れて? そして拒絶して? 壊して、殺して、愛して?」
「っ!」
よりいっそう強まるレベッカの『魅了』の力にレウルスは小さく息を呑み――背後で雷が爆ぜた。
「ふざ――けるなぁっ!」
怒声と共に放たれた雷撃がレベッカを直撃する。その雷撃を放ったのはエリザで、咄嗟に振り返ったレウルスが見たのは怒りを瞳に宿したエリザの姿だった。
「さっきから黙って聞いていれば好き放題言いおって……レウルスは操られていても首を刎ねるぐらいお主のことが嫌いなんじゃ! 寝言は寝てから言うんじゃな!」
レベッカの話など聞く耳ももたないと言わんばかりに怒りの言葉を吐き出すエリザ。そんなエリザの隣では、サラが振り上げていた右手をそっと下ろしていた。
「……なんかわたしが怒る前にエリザが爆発しちゃったんですけど。ええと、そこの淫魔! なんかもう、とにかく気に食わないからぶっ飛ばすわ! 覚悟しなさいっ!」
そう叫び、レウルスを庇うように前に出てくるサラ。エリザもサラと同じように前に出ると、レウルスを庇うように並び立つ。
エリザの雷撃を受けたはずのレベッカは微塵も堪えた様子がなく、むしろ戦意を漲らせながらエリザとサラへ視線を向けた。
魔法人形は魔法への耐性が高いのか、あるいは『無効化』のような魔法が使えるのか。服にも焦げ目一つついておらず、レウルスを背後に庇うエリザとサラを等分に見つめる。
「あら……あらあら、まあまあ……わたしの邪魔をするの? 邪魔をするのね? わたしの王子様との逢瀬を邪魔するのね?」
レベッカの声が一段低くなる。それに合わせてざわめくようにレベッカの魔力が揺れ、周囲を威圧するように放たれていく。
「いいわ……青髪の子は殺しちゃ駄目って言われてるけど、あなた達は別。さあ、いくわよ『オトモダチ』」
そんなレベッカの言葉と共に、翼竜が身を起こした。それを見たサラとエリザが身構えるが、二人の傍を通ってレウルスが前に出る。
「色々と思うところはあるが……やっぱり、やることは変わらないんだよなぁ」
レベッカの実力や能力を警戒していたが、エリザとサラを――“家族”を害するつもりならば話は簡単だ。
「本体が別にいようと、人形だろうと構わねえ……今度こそ仕留めてやるよ『傾城』」
「もうっ! ひどいわ! ええ、ひどいわ! 呼んでほしくないって言ったのに、その名前で呼ぶなんて!」
レウルスが殺気を込めて告げると、レベッカは抗議するように頬を膨らませた。
殺し合いを前にした者の反応とは思えなかったが、レウルスが構うことはない。翼竜共々斬り伏せるだけで良いのだから。
「エリザ! サラ! 援護は任せたぞ!」
信頼を込めた声を上げ、レウルスは駆け出すのだった。




