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第222話:人形遣い その1

 レベッカの首が宙を舞う。


 『龍斬』越しに伝わる感触でそれを悟ったレウルスは全力でその場を飛び退くと、転がるようにしてエリザ達の元へと舞い戻った。


 地面に片膝を突き、かきむしるようにして胸を押さえたレウルスの心中に宿ったのは、言い様のない喪失感である。


 愛しい人を斬ったという悲しみ。


 何故斬ったのだという己への怒り。


 これ以上ない大切なものを、恋焦がれて胸が焼け付きそうな慕情を無理矢理引き剥がしたような痛み。


 レウルスの胸中で膨らんだその感情は、恋だったのか愛だったのか。あるいは原始的な肉欲だったのか。レベッカのためならば世界でも敵に回せると断言できそうなほどに深く、強く、レウルスの心を掴んで離さない。


 ――その感情全てが、途轍もないほど不快だった。


「ぐっ……ああ……クソッ……クソッタレがぁっ! ふざけやがってぇっ!」


 荒れ狂う怒りを少しでも静めるように、固めた右拳を地面に叩きつける。『熱量解放』なしだというのに拳が地面にめり込み、拳の皮がめくれる痛みを伝えてきた。


 叶うならば短剣を抜いて自らの胸に突き立てたい。そのまま心臓を抉り出して握り潰してしまいたい。


 それほどまでに喪失感が酷く――同時に、腹の底から湧き上がる怒りの感情がそれを押し留めた。


「……最悪の気分だ……クソが……俺に、よりにもよって“子ども”を……身内を殺させようとしたな?」


 血が流れる右手を開き、自分の顔を掴みながらレウルスが呟く。気を抜けばそのまま自分の頭蓋を握り潰してしまいそうで、レウルスは砕かんばかりに奥歯を噛み締めてその激情を押し殺した。


 地獄の底から響くようなその声は殺意に濡れており、指の隙間から除く目は爛々と狂気の光を宿している。声だけでなくレウルスの全身から殺気が放たれ、先ほどまでとは違った理由で周囲の全員が動けない。


 コルラード達騎士や兵士はあまりの殺気に槍や弓をレウルスに向けそうになり、ルイスは静かに冷や汗を流す。セバスは僅かに立ち位置を変え、レウルスがどんな行動に出ても対応できるよう身構えた。

 ジルバは無言のままでレウルスを見つめ、レベッカが乗っていた翼竜はレウルスの殺気に気圧されたのか僅かに身を震わせる。


 エリザ達もそんなレウルスにどんな言葉をかけるべきか迷い――。


「ハ――アハ、アハハハハハハハハハッ!」


 周囲の沈黙を切り裂くようにして哄笑が上がった。甲高い、心底楽しげな笑い声が周囲を満たす。


 その声にエリザは何事かと視線を向けた。そして声の主を見つけて驚愕に目を見開く。


 笑い声を上げていたのは地面に転がるレベッカの首だった。一体どこから声が出ているのかと疑問に思うほどの笑い声に、近くにいた兵士が顔を引きつらせながら飛び退く。

 そして、首から上を失ったはずのレベッカの体がゆっくりと動き出した。のたのたと、ホラー映画にでも出てきそうな動きで地面に転がる首の元へを歩を進め、膝を折って自分の首を拾い上げる。


 あまりにも異常で異質なその光景に、誰も動けない。セバスでさえ息を呑み、何事かと動きを止めていた。


 切断面から大量の血が流れているのにも構わず、レベッカの体は拾い上げた自分の首を元の位置に戻す。そして数秒もすると首がつながったのか、目を見開いて口の端を吊り上げた。


「ああ……驚いた。ええ、驚いたわ」


 そう言って微笑むレベッカだが、白い衣服が自身の血で赤く染まっているため凄惨な印象しかない。つながった首の具合いを確かめるように頭を右へ左へと傾け、膝を突いたまま睨み付けているレウルスへと笑顔を向けた。


「さっきのは演技だったのかしら? 騙されたふりかしら? もしそうならすっかり騙されちゃったわ!」


 首を刎ねられたというのに、レベッカは嬉しそうに笑う。そして胸元を強調するように体の後ろで手を組むと、僅かに体を傾けながらレウルスへと問いかけた。


「ねえ、どうなの? どうなのかしら? 教えてくださらない? “もしかして”本当にわたしの虜になったのにわたしを斬ったのかしら?」


 それは先ほどまでと違い、心からの笑顔に思えた。ただしその瞳には危険な色が見え隠れしており、同時に声色には期待が宿っているようにも聞こえる。


「もう一度……試してみようかしら?」


 レベッカの瞳が怪しく輝く。その瞳を向けられたレウルスの体が大きく震え、再びレベッカに近づくべく足が勝手に前に出た。


「――グ、ガアアアアアアアアアアァッ!」


 前に出た足を、無理矢理踏み込みへと変える。レウルスはレベッカへの返答として『龍斬』を振り下ろし、縦に両断する軌道で魔力を放った。


 普段と比べて荒々しい、刃とは呼べない衝撃波のような一撃。直撃すれば並の魔物が四散しそうな威力のそれを、拳を構えたジルバが迎え撃つ。

 レベッカを庇うように立ったジルバが振るったのは、『無効化』を込めた拳だ。怒り一色のレウルスにも劣らない踏み込みと共に放たれた拳が空中で魔力の塊と激突し、僅かな拮抗の後に霧散させる。


「ありがとう、わたしの『オトモダチ』」


 そんなジルバに礼の言葉をかけるレベッカだが、その視線はレウルスに向けられたままだった。ジルバが庇わなければ即死していたであろう攻撃を向けられたというのに、レベッカの表情には喜色が浮かんでいる。


「間違いない……間違いないわっ! 今、この“忌むべき力”に囚われたのにわたしを殺そうとしたわねっ! わたしの力を拒絶したわねっ!?」


 瞳孔が開きそうなほどにレウルスを見つめるレベッカ。何が琴線に触れたのかその声は歓喜に包まれており、ふるふると体を震わせる。


「すごいっ! すごいわっ! こんなの初めてっ! ああ、なんてこと! 今日は本当に良い日だわっ!」


 レベッカは自分の体を両腕で抱きしめると、興奮したように激しく頭を振った。突然の狂態に追撃を仕掛けようとしたレウルスでさえ足を止め、そんなレウルスを見つめるレベッカの口元が緩やかに弧を描く。


「――やっと見つけた」


 口元だけは笑っているが、いつの間にかそれ以外の表情は能面のように無機質なものに変わっていた。絞り出すような呟きには常人が推し量れないような感情が込められており、激怒の感情で支配されていたはずのレウルスの背中に鳥肌が立つ。


「見つけた、見つけたわ、とうとう見つけたわ。嗚呼、あなたのような人を探していたの。ずっと、ずっとずっと探していたの」


 殺気とは異なる、得体の知れない気配。同時にレベッカの体から魔力が溢れ出し、威圧感が増していく。


「あなたのような人を求めて、焦がれて、望んでいたの……ええ、ええっ! 今日ばかりはこの最悪な世界にも感謝するわ! あなたと出会わせてくれたんだものっ!」


 そう言って瞳を潤ませるレベッカ。その周囲に布陣していた兵士達はレベッカの纏う空気に気圧されていたものの、己の職務を思い出したように槍を構え直す。


 翼竜よりも、ジルバよりも、レベッカの方が危険だと判断したのだ。


「でも困ったわ! ええ、困ったわ! “今は”会うべきではなかったし、この場には無粋な輩が多すぎるものっ!」


 だが、兵士達が動くよりも先にレベッカが動く。その視線が向けられたかと思うと、兵士の半数近くが動きを止めてしまったのだ。


「ぬっ!? 貴様ら、どうした!?」


 指揮下にある兵士が動きを止めたことに焦り、コルラードが声を上げる。しかし兵士達はそれに何も答えず、無言で槍と弓を向けた。


 周囲を見てみると、コルラードの部下だけでなく動きを止めた兵士達がそれぞれ武器を構え、レベッカを守るように動き始めている。

 その突然の行動を見た“正常な”兵士達は、判断に迷った。人間でも魔物でも戦えるように鍛えられてはいるが、味方殺しの方法までは学んでいないのだ。


 レベッカは周囲を取り囲む兵士達を見ると、スカートの裾を摘まんで一礼した。それはまるで演者を率いる指揮者のようで、歌うようにして言葉を紡ぐ。


「改めて名乗りましょう。グレイゴ教、司教第六位――『人形遣い』のレベッカ。『傾城(けいせい)』なんて呼ぶ人もいるけど、あなたにだけはその名前で呼ばれたくないわ」


 そう言って微笑むレベッカの顔は初恋に浮かれる童女のようで、愛を喜ぶ少女のようで、世の全てを呪う老婆のようでもあった。


「さあ……わたしを(あい)して? (あい)して? あいしてアイして愛して?」


 壊れた機械のように繰り返すレベッカ。呪詛にも似たその言葉を受け止めたレウルスは無言で『龍斬』を担ぎ、前傾姿勢を取る。


「はははっ……なんとも、まあ、熱烈な告白じゃあないか……」


 そんなレウルスの耳に、どこか引きつったような声が届いた。その声はルイスのもので、現状の困難さを表すように小さく震えている。


「まさか、ここまでの化け物とは思わなかったよ……どうやらグレイゴ教を甘く見ていたらしい」


 レウルス達を“釣り餌”にしてみれば、かかったのはルイスの想像を超える相手だった。その事実にルイスは顔色を青くしていたが、貴族としての矜持か口元に笑みを浮かべてみせる。


「アレは俺が斬ります」

「むしろ君以外には斬れそうにないんだけどね……任せたよ。操られた兵士は元々こっちの手勢だ。抑えてみせる。ただ、翼竜とジルバ殿に手が回るかは……」

「……どうにかします」


 それ以上言えることはない。『龍斬』を握る両手はかつてないほどの力が込められており、怒りに支配された頭は今すぐレベッカを斬れと訴えかけていた。


 それでもレウルスは一度だけ深呼吸をすると、怒りを腹の中に収めて背後へと声をかける。


「エリザ、サラ、ミーア、ネディ……背中は任せた」


 それだけを言い残してレウルスは地を蹴り――エリザ達の方を振り返ることはなかった。

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