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第221話:招かれざる客 その4

 突然襲来した翼竜。その背中から飛び降りてきた人物を見たレウルスは己の目を疑った。


 百八十センチを僅かに超える長身に、精霊教徒が身に着ける黒色の修道服の上からでもわかるほど鍛えられた体付き。この世界においては高齢の域に差し掛かっているにも関わらず背筋はピンと伸びており、白い頭髪は短く切り揃えられている。


 ――どこをどう見ても、何度見ても、ジルバその人だった。


 一体何故、どうして、ジルバが翼竜の背中から降りてきたのか。その事実が指す意味が理解できず――否、理解を脳が拒む。


「…………」


 ジルバは何も言わない。握った右拳を腰だめに構え、開いた左手を突き出して腰を落とす。その構えはレウルスが幾度となく見たことがある、ジルバの戦闘時における構えだった。


「……レウルスさん」


 レウルスの混乱を遮るように、エステルの静かな声が響く。その声を聞いたレウルスは我に返ると、知らず知らずのうちに下げていた『龍斬』を構え直した。


 事情はわからないが、明らかに敵として対峙しているのだ。精霊教徒であるジルバがこの場で敵対しているという事実は、ヴェルグ子爵家の領内で精霊教徒が反発している件と比べても遥かに大問題である。

 もしもジルバの手によってルイスやルヴィリアが害されるようなことがあれば、ヴェルグ子爵家のみならずマタロイにおける精霊教の立場も悪化するだろう。ルイスの部下である騎士達を害されるだけでも相当に事態が悪化するに違いない。


「ああ……わかってる。俺が戦うさ」


 叶うならば止めると断言したかった。だが、相手がジルバとなると口が裂けてもそのようなことは言えない。


 翼竜を取り囲んでいた兵士達からも、ジルバの姿を見て困惑したような空気が伝わってくる。一目見て精霊教徒だとわかる服装もそうだが、ジルバは有名人だ。中にはその顔を知っている者もいるのだろう。


「あれはまさか……ジルバ殿?」

「ジルバ? 精霊教徒第二位、『膺懲』か!?」

「何故そんな人物が翼竜と一緒に……」


 ザワザワと、戸惑いの声が広がる。徹底的に鍛え上げられ、人間や魔物を問わず戦えるよう訓練を積んだ兵士達にとっても予想外の相手なのだ。


「これは……どういうことですか、エステル殿?」


 困惑しているのはルイスも同様らしく、エステルに対して疑念の宿った声を向ける。セバスは何も言わないが、ジルバの構えを見て警戒心を強めていた。


「わたくしにもわかりかねます……が、ジルバさんの相手はこちらで務めます。ルイス様達は翼竜と“もう一人”を――」

「ふあぁぁ……」


 エステルの言葉を遮るように響く、気の抜けた欠伸の音。その音が聞こえたのは翼竜の背中からで、欠伸に続いて気怠そうな声が聞こえた。


「何度聞いてもいいものですねぇ……わたしの『オトモダチ』を見て戸惑う声……あははっ、たのしー……」


 微塵も楽しくなさそうな声である。その言葉を聞いたルイスの頬が引きつり、声色に険しさが滲んだ。


「……突然襲ってきておいて、大した言い草だ。それに失礼でもある。顔ぐらい見せたらどうだい? それともグレイゴ教徒は礼儀の一つも弁えないと?」


 余裕か挑発か、楽しい、楽しい、と呟く女性の声。相変わらず言葉に反して楽しそうには聞こえなかったが、ルイスの声が届いたのかその声色に嘲笑の色が混ざる。


「ふふっ……あはははははっ! まあ! まあ! 今の言葉は面白かったわっ! 失礼も何も、わたしは無様に気絶させられた男に頼まれてこうしているだけよ?」


 気絶させられた男というのはカルロのことだろう。カルロが手引きした結果、翼竜を率いて襲撃してきたというのか。


「ヴェルグ家の……えーっと、ごめんなさい。名前を知らないあなた。あなたの父親もグレイゴ教に手を貸してほしいと頼んできたのに、それを棚に上げてこちらを責めるの?」


 クスクス、と笑いながら女性のものと思しき声が言葉を紡ぐ。


「まあ、なんということかしら。ヴェルグ子爵は“自分から”頼んできたのに、用が終われば無礼者と罵って追い出すのね? ひどいわ、ひどい話だわ。それがあなたの、貴族としての礼儀なのね?」

「……貴様達のような輩を頼ったことは、我が父ながら一生物の失態だろうさ。カルロもな」


 女性の言葉に反論はせず、唾棄するように言い捨てるルイス。そんなルイスの反応に何を見たのか、女性の声が僅かに高くなった。


「あら、怒ったの? 怒ったのね? あなたの身内が用意した“武器”が言うことを聞かなくなったから怒るのね? でもそれって、包丁で指を切ったら自分の料理の腕ではなく包丁が悪いと言うようなものよね?」


 女性の声はますます勢い付く。レウルスはルイスと女性の会話を聞きながらもジルバが動かないことを確認し、『思念通話』でサラへ声をかけた。


『サラ、翼竜は後回しでいいから背中の奴を狙えるか?』


 これはチャンスだ、とレウルスは思った。何やら悠長に話をしているが、ルイスと言葉を交わしている間に先制してグレイゴ教徒と思しき相手を仕留めるべきだろう。


『んー……ジルバが動かなければ? ジルバってば『無効化』が使えるんでしょう?』

『それがあったか……魔法を使おうとした瞬間に『無効化』で消されそうだな』


 属性魔法が使えるとは聞いていないが、ジルバは補助魔法の中でも難易度が高い『無効化』を使える。サラは目視している範囲内ならば瞬時に火炎魔法を発現できるが、ジルバならば容易く対応してきそうだ。


(エリザにも雷魔法を撃たせて、どちらか一方、あるいは両方を打ち消してる間に接近……いけるか?)


 使える戦力の全てをつぎ込まなければジルバを抑えることすらできないだろう。エステルの護衛もあるためミーアとネディは動かせないが、エリザとサラの助力があればジルバが相手でも渡り合える――そう思いたいレウルスだった。


「あら……“悪い子”がいるわ」


 だが、行動を起こすよりも早く声が響く。それは面白いものを見つけたような、興味を惹かれるものを見つけたような、明るい声だった。


 それと同時に、翼竜の上で何者かが立ち上がる。


「騎士かしら? それとも兵士かしら? ううん、どちらでもないわね。わたし達の同類かしら?」


 そう言って姿を見せたのは、声色の通り若い女性だった。


 年の頃はレウルスと同じか、前後一歳程度か。身長は百六十センチに僅かに届かず、女性というよりはまだ少女というべき外見である。少しばかり癖のある金髪が肩まで伸びており、風に吹かれて揺れていた。

 綺麗でもあり、可愛くもあるその顔立ちは非常に整っている。町を歩く者が見ればその大半が振り返るであろう、魅力のある顔立ちだった。


 だが、レウルスからすれば疑問を覚える服装をしている。

 形良く膨らんだ胸部を強調するような白いコルセットドレスに、戦闘には明らかに不向きなフリルスカート。防具らしい防具は膝下まで覆うロングブーツ程度で、武器の類を持っているようには見えない。


 ――だが、奇妙なまでに目が惹かれる少女だった。


 少女はスカートの端を抑え、気軽な動作で翼竜から飛び降りてジルバの隣に立つ。その動作の一つ一つにも華が感じられ、翼竜の周囲を取り囲む兵士の中には場違いにも顔を赤くしている者がいるほどだ。


「そちらの貴族様に失礼だと怒られてしまったから、こちらから名乗りましょう。グレイゴ教の司教第六位、レベッカ=ブラマーティと申します」


 少女――レベッカはスカートの裾を摘まむと、優雅に一礼する。それは明らかに隙を作る動きだというのに、周囲の兵士もレウルス達も動かない――動けなかった。


 それまで戦意も高く、巨大な翼竜を見ても微塵も怯まなかった騎士や兵士が困惑している。下手をするとジルバを見た時と比べても困惑が強い。

 そして、その困惑はレウルスも同様だった。ニコニコと微笑むレベッカから目が離せず、『龍斬』の切っ先が知らず知らずの内に地面に向かって近づいていく。


 レベッカは笑顔のまま周囲を見回すと、レウルスに視線を向けた。そしてレウルスを頭から爪先まで眺め、可愛らしく首を傾げる。


「あら……わたしと同じぐらいの歳で赤い髪に真紅の大剣……それに、一緒にいるのは……」


 その視線がレウルスの背後へ向けられた。エリザにサラ、ミーア、そして最後にネディの姿を見ると、合点がいったと言わんばかりに胸の前で両手を合わせる。


「まあっ、なんということでしょう! あなた、レウルス君ね? カンナちゃんから話は聞いてるわ! あなたがこの町に来ているって知ってたらすぐに会いに行ったのに!」


 最初の気怠さが嘘のような、歓喜が溢れる声。心底嬉しそうなその声は心地良くレウルスの耳に滑り込んでくる。


「嬉しいわ。喜ばしいわ。今日はとても良い日だわ。気の乗らない仕事だったけど、こんな出会いがあるだなんてっ!」


 無邪気な童女のように喜ぶレベッカ。胸の前で合わせた両手を打ち合わせ、歓喜を示すように拍手をする。


「あなた、とっても強いんですって? カンナちゃんから聞いたわ。あなたがグレイゴ教に入ってくれたら、カンナちゃんもすごく喜んでくれると思うのっ!」


 そう語るレベッカを、誰も止めない――止めることができない。先制攻撃を仕掛けようとしていたレウルスでさえ、己の殺気が霧散していくのを感じた。


 明らかに異常だ。頭の片隅でそう思うものの、“それ”が当然のことのようにも思える。


 レベッカは両手を腰の後ろで組み、僅かに体を傾けながら小首を傾げてレウルスを見た。


 宝石のような金色の瞳が、怪しく輝く。


「だから――あなたも『オトモダチ』になりましょう?」

「っ!?」


 ドクン、とレウルスの心臓が高鳴る。全力疾走をした直後のように心臓が早鐘を打ち、全身を血が巡る感覚がする。


 何故だか顔に血が集まって赤みを宿し、それと同時にくらりと意識が揺れた。


(なん……や、ば……い……これ……)


 笑顔を向けてくるレベッカが、どうしようもなく愛しく思える。前世を含めて四十年近い年月を生きていたが、これ以上恋焦がれたことはないと断言できるほどに。


 レウルスの足が勝手に前に出る。『龍斬』を握ったまま、フラフラとした足取りでレベッカへと近づいていく。


「ふふっ、良い子良い子……ここまで効くなんて相性が良いのかしら? 嬉しいわ、ああ、嬉しいわ」


 その異常な事態に、誰も動けない。ルイスもセバスも、コルラードもディエゴも、翼竜を囲む兵士達も。エリザ達すらも、目の前の光景が信じられないように言葉を失っていた。


 レウルスはレベッカとの距離を詰めると、その隣に立つ。そしてエリザ達へと向き直り、ゆっくりと『龍斬』を構えた。


「……レウ……ルス?」


 エリザが呆然としながら呟く。何故レウルスが刃を向けているのか、それを理解できずに縋るような声を漏らす。


「ふふふ……ここまで深く効いたらもう抜け出せない。カンナちゃんの話を聞いて警戒してたけど、本当に相性が良かったのかしら?」


 そう言いながら、レベッカはレウルスの頬を撫でた。しかしレウルスは何の反応も示さず、『龍斬』を構えたままでエリザ達に感情の見えない視線を向けている。


「駒が足りないと思ってたの。ねえ、わたしの『オトモダチ』。わたしを助けてくださる?」

「……ああ」


 呻くようにレウルスが答えた。その返答を聞いたレベッカは僅かに目を伏せたが、すぐさま笑顔を浮かべて頷く。


「ありがとうっ! 嬉しいわ、わたしの新しい『オトモダチ』。そうね、ではどうしましょう? 青い髪の子は殺しちゃ駄目ってカンナちゃんにも言われてるから……うん、それ以外はあなたの手で殺してくださる?」


 そう言ってレベッカが指し示したのは、呆然とした様子のエリザとサラ、ミーアとエステルの四人だ。残りは自分達で片付けるつもりなのだろう。


「……あれは、敵か?」

「ええ、そう! わたし達の邪魔をする敵。だから、ね? お願い。わたしを助けてくださる?」


 レウルスの言葉を聞き、レベッカは蕩けるような笑みを浮かべた。見る者を魅了するようなその笑顔に、レウルスは深く頷く。 


「そうか……わかった」


 その言葉にエリザ達――特にエリザが絶望に満ちた表情を浮かべた。手に持っていた杖を地面に落とし、呆然とレウルスを見つめる。


 レウルスはそんなエリザを見据えた。我に返ったのか、今にも叫びそうなサラも見る。ミーアはエリザほどではないが絶望が深く、ネディはどこか不快そうに眉を寄せていた。


 エステルは切羽詰まったようにレウルスを見ていたが、何かを決意したように口を開こうとした。だが、レウルスが動く方が早い。


 “敵”は倒さなければならないのだ。








「――敵はお前だ」


「えっ?」


 そして、真横に振るわれた『龍斬』がレベッカの首を刎ね飛ばしたのだった。

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