第220話:招かれざる客 その3
翼竜――それはレウルスの知識にあり、実際に戦ったこともある魔物だ。
属性龍や白龍、黒龍といった上位の龍種には及ばないものの、亜龍と呼ばれる魔物の一種でその危険度は高い。
魔物としての階級は成体でも中級上位だが、長い年月を生き延びることで上級に匹敵する強さを得ることもある。
火龍のヴァーニルと比べればその危険度は遥かに低いだろう。かつて戦った時はジルバと二人がかりで倒したものの、今ならばエリザ達の力を借りれば同じように倒せるはずだ。
問題があるとすれば、レウルスが聞いた情報と上空から落下してくる翼竜に大きな差異があることだろう。翼竜は四メートルから五メートル程度の体長なのだが、落下してくる翼竜は明らかに大きい。
マダロ廃棄街からの救援依頼でヴェオス火山に赴いた際、ヴァーニルから騒動の犯人に仕立て上げるようにと引き渡された巨大な翼竜よりも大きいほどだ。
ヴァーニルと違って翼竜ができるのは滑空程度で、まともに空を飛ぶことはできなかったはずである。それだというのに上空まで舞い上がり、そして今は落下するように一直線に突っ込んでくる。どう考えても並の翼竜ではないだろう。
そんな巨大な翼竜が、落下しながら雨霰と炎を放つ。どれほどの魔力を込めたのか、見上げたレウルスの視界が全て真紅で染まるほどだ。
「ネディ、頼む!」
「……任せて」
魔力の刃で切り払うには範囲が広すぎる。そう判断したレウルスは『龍斬』を鞘から抜きながらネディに迎撃を頼んだ。
火炎魔法が相手ならサラに迎撃を頼んでも良いが、下手をせずとも火炎魔法同士がぶつかり合って周囲に“飛び火”する。自分達だけが助かる程度ならば、レウルスだけでも無事に凌ぎ切れるが――その結果、アクラの町が灰燼に帰しては洒落にならないだろう。
そのため氷魔法と水魔法を使えるネディに迎撃を頼んだのだ。応えたネディは右手を振り上げ、瞬時に幾十もの氷の矢を生み出して発射した。
空中で紅蓮の炎と氷の矢が激突する。しかしながら“面”で迫る炎に比べてネディの氷の矢は点による攻撃だ。当然ながら炎の全てを防ぎきることはできない。
氷の矢が炎に飲み込まれ、爆発と共に粉砕される。熱で炙られた氷の矢は砕けた端から融解し、更には水蒸気へと変化した。
「……もう一つ」
氷の矢では止められないと考えていたのか、ネディは即座に次の手を打つ。小さな呟きと共に左手を振り上げたかと思うと、今にも消えてしまいそうだった蒸気が水の固まりへと変化して周囲の火炎を飲み込み始めたのだ。
氷の矢が激突した時とは異なり、降り注いでいた火の雨が瞬く間に鎮火されていく。ジュウジュウと音を立てながら水の塊が乱舞し、迫りくる脅威を打ち消していく。
氷と水を操る精霊の面目躍如と言わんばかりの魔法行使である。蒸発した水によって周囲の湿度が一気に上昇したが、火の手が回るよりも遥かに上等な結果だろう。
「オオオオオオオオォォッ!」
それでも脅威は去っていない。蒸発した水によって瞬間的に生み出された霧が上方の視界を塞ぐ中、レウルスは迫りくる魔力目掛けて『龍斬』を振るい、魔力の刃を放った。
問答無用で仕掛けてきた以上、翼竜は敵だ。レウルスは一撃で仕留めるつもりで魔力の刃を放ったが、翼竜は直前で気付いたのか落下の軌道が僅かに変化する。
その結果、魔力の刃は翼竜を掠めるだけで終わったのだろう。それでも翼竜の翼を斬り裂いていたのか、霧を振り払うようにして落下してきた翼竜はレウルス達から大きく離れた場所へと着地する。
局地的に地震が起きたのかと錯覚するような衝撃と轟音。庭師が丁寧な仕事で整えたであろう庭園は、落下の勢いを殺すように翼竜の体が“滑った”ことで花々を無残にも轢き潰していく。
「翼竜……それも成体を超えていますね。上級に届くかはわかりませんが」
さすがに突然の翼竜の襲撃を警戒しているのか、椅子から立ち上がったエステルが緊張を滲ませた声を発する。そして存外に素早い身のこなしでレウルスの傍に駆け寄ると、その背中に回って背中を叩いた。
「こういう時のために護衛をお願いしたわけですが、まさかこれほどの大物が出てくるとは思いませんでしたよー……お願いしますね?」
「任されました……って、迎撃するのはいいですけど、修理代を請求されたりしませんよね?」
緊急事態ということで火炎魔法を迎え撃ったわけだが、庭園の修理代などをルイスに請求されても困ってしまう。エステルの緊張を解すためにもそんな冗談を投げかけるレウルスだったが、エステルは数度目を瞬かせてから小さく吹き出す。
「大丈夫ですよー。わたし達は巻き込まれた側でしょうし、ね?」
そう言ってエステルが視線を向けたのはルイスである。
突然の翼竜の襲来にも関わらず、ルイスは落ち着きを失っていない。『城崩し』が出た際に自ら兵を率いて領内を回っていたことからも、肝が据わっているのだろう。
――あるいは、この事態を予測していたのか。
「誤解ですよエステル殿。我々も巻き込まれた側です……そろそろ仕掛けてきてもおかしくはないと思っていましたけどね」
答えるルイスの声色は微塵も悪びれたところがない。それまでは今にも襲い掛かってきそうなカルロに注意を払っていたというのに、その目は既にカルロを見ていない。カルロを通り越して庭園に着地した翼竜へと向けられていた。
「カルロが単身で来た時は本当に馬鹿な真似を仕出かしただけなのか、捨て駒にしてこちらの反応を窺っているだけなのか迷ったけど、きちんと“本命”が釣れたらしい。わざわざ庭園で茶会を開いて正解だったわけだ」
そう言いつつ、ルイスは右手を空に向けた。そして魔力を放ったかと思うと、空に向かって一発の火球が発射される。
「直接乗り込んでくるか、カルロの護衛を装って侵入してくるか……いくつか侵入方法を考えていたけど、まさか翼竜で空からとはね。こそこそと周囲を嗅ぎ回っていた割に、大胆な行動じゃないか」
ルイスの放った火球が空中で弾ける。すると、それを合図としたかのように庭園へ人が雪崩れ込んできた。
それぞれが金属製の鎧で身を包み、槍や弓で武装した者達である。中にはコルラードやディエゴの姿もあり、騎士や従士、兵士といった戦力をかき集めたのだろう。
「おいルイス! これは一体何の真似だ!?」
翼竜を取り囲むようにして布陣する兵士達の数は五十人ほどだ。槍を持つ者が前に出て槍衾を形成し、弓を持つ者はその後ろに控えて矢を引き絞る。
ルイスも茶会で使用するテーブルの下に隠していた剣を取り出すと、どこか疲れたようにカルロを見た。
「一体何の真似だ、か……それはこっちが言いたいんだけどね。仮に俺を殺すことができたとしても、それで当主になれるはずもないだろうに……セバス」
「失礼いたします」
ルイスの呼びかけに答え、セバスが瞬時に動く。消えるような速度でカルロの眼前に立ったかと思うと、カルロが抵抗するよりも早く鳩尾に拳を突き立てた。
カルロはロクな抵抗もできずに気を失い、膝から崩れ落ちる。そして地面に横たわるよりも早くセバスが襟首を掴むと、アネモネに向かってカルロを放り投げた。
「アネモネ、予定通りルヴィリア様を連れて避難していなさい」
「わかりました……ルヴィリア様、こちらへ」
アネモネは片手でカルロを受け止めると肩に担ぎ、ルヴィリアへと歩み寄る。ルヴィリアは突然の事態に狼狽えたように視線を彷徨わせた。
「え? えっと……アネモネ?」
「ここは危のうございます。お爺様がいるとはいえ、万が一もありますから避難を。わたしがお守りいたします」
そこまで言ったかと思うと、アネモネはレウルス達にも視線を向けた。
「お客様方もこちらへ。安全な場所までご案内いたします」
カルロを肩に担いだままで告げるアネモネ。その表情には現状に対する心配の色は欠片もない。
(……もしかして、最初からこのつもりだったのか?)
その狼狽えぶりを見る限り、ルヴィリアは何も知らなかったのだろう。だが、ルイスもセバスもアネモネも、明らかに現状を予想したように動いている。
そんなレウルスの疑問が伝わったのか、ルイスがそれまでの貴公子然とした笑みとは違う、獰猛な笑みを浮かべた。
「君達には申し訳ないと思う。火炎魔法を相殺してくれたことには感謝もしよう。だが、“先に仕掛けてきた”のはあちらなんだ……降りかかる火の粉は振り払わなければならないだろう?」
そう言ってルイスは剣を抜く。刃渡り一メートルほどで両刃の長剣だが、目利きに乏しいレウルスでも業物なのが見て取れた。刀身には『魔法文字』が刻まれているため、魔法具の一種なのだろう。
ルイスは悠々とした足取りで歩き出すと、着地したきり動かない翼竜へと声をかける。
「さて……動かないのは余裕の表れかい? それとも包囲されて諦めたのかい?」
ルイスが視線を向けたのは、翼竜の背中だった。さすがに翼竜が落下している途中には気付かなかったが、翼竜の首には手綱らしきものがかけられている。
――誰かが翼竜の背中に乗っているのか。
魔物を、それも翼竜を移動手段として用いるなど尋常ではない。一体誰が乗っているのかとレウルスが疑問に思っていると、風に乗って小さな声が聞こえた。
「…………はぁ」
それは、聞き間違いでなければため息だっただろうか。いくら翼竜に騎乗しているとはいえ、五十人を超える兵士に囲まれた状態で心底面倒くさそうなため息が聞こえたのだ。
「どうしましょうか……困ったわ、ああ、困ったわ」
続いて聞こえたのは、鈴を転がすような澄んだ声。翼竜の背に乗っているため姿は確認できないが、その声から判断する限り女性の声だと思われた。
さすがに声を聞いただけでは年齢まではわからないが、それほど歳を取っているわけではないのだろう。困った、困ったと繰り返すその声にはどこか歌うような響きがあった。
「そうね、仕方ないわね、『オトモダチ』にお願いしましょう」
女性の声が響くと同時、翼竜から何者かが飛び降りてきた。その人物は足音を立てずに着地したかと思うと、周囲を見回して拳を握る。
「おい……嘘だろ……」
周囲を囲む兵士達は翼竜から飛び降りてきた人物を警戒し、槍を向けた。だが、レウルスは“その人物”を見て呆然とした呟きを漏らす。
「何やってんだよ――ジルバさん」




