第218話:招かれざる客 その1
――お姫様というものは現実に存在するらしい。
ルヴィリアの言葉通り、“きちんと”顔を合わせたレウルスはそう思った。
どんな思惑があるのか、ルイスと共にレウルス達を出迎えたルヴィリア。その姿は初めて会った時と異なり、手入れの行き届いた薄桃色のドレスへと装いを変えていた。
靴まで覆い隠しそうな丈の裾は緩やかに膨らみつつも、ドレス全体は細さを感じさせる衣装である。全体的にスラっとした印象があるものの、それはコルセットなどでそう見せているだけなのか、あるいはルヴィリアが細身過ぎるのか。
それでいて腕周りや胸元の印象を隠すようにフリルがあしらわれており、女性と少女の間にあるルヴィリアにはよく似合っていた。
腰まで届く真っすぐな金髪もドレス同様手入れがしてあるのか、金糸と例えられそうなほどに綺麗である。シミ一つない肌はやや不健康に見えるほど白いが、ルヴィリアの美貌を映えさせることはあっても損なわせることはない。
ルヴィリアという少女を形容するには、美姫という二文字で事足りるだろう。
「先日は当家の兵と我が身を救っていただき、ありがとうございました。感謝を申し上げることしかできない身で恐縮ではありますが、貴方には心から感謝しています」
そう言って折り目正しく一礼するルヴィリア。挨拶にしては非常にパンチの利いた話題で、レウルスは思わず現実から目を背けたくなる。
(……あのドレス一着で何年分の食事代になるんだろうなぁ)
現実から逃避するように考えるレウルスだったが、間違っても安くはないだろう。下手するとドレス一着でレウルスの自宅が買えるほど高い可能性もある。
だが、そうやって現実逃避をするには限度があった。声をかけられてもどう対応すれば良いかわからず、レウルスは少しだけ視線を彷徨わせてしまう。
ルヴィリアの背後にはキマイラに襲われた際に馬車に同乗していた侍女らしき女性も控えており、レウルスを観察するように視線を向けていた。
(初めて会った時は直答を許可した覚えはない、なんて言ってたけど……)
ルヴィリアの方から声をかけてきたのならば大丈夫なのか。それともやはり失礼に当たるのか。この世界の常識についてそれなりに学んできたレウルスだが、さすがに貴族の令嬢との話し方など学びようもなかった。
「……いえ、こちらも依頼で動いていただけですから」
結局、レウルスが選んだのは最低限礼儀を示しつつ頭を下げることである。そして助けを求めるようにルイスへ視線を向けると、ルイスは何故かにこやかな笑みを浮かべながら両手を広げた。
前回会った時と比べると、その顔色は少しだけ良くなっている。
「今日は突然すまなかったね。こちらから催促するようで申し訳なかったが、レウルス君が中々顔を見せてくれないから迎えの使者を出したんだ」
前回顔を合わせてから十日も経っていないというのに、さも待ちわびたと言わんばかりの口調である。ルヴィリアが礼を言いたいから都合の良い日を教えてほしいとは言われていたが、レウルスとしては驚くしかない。
(あれって社交辞令じゃなかったのか……)
ルヴィリアやディエゴ達を助けたことに関しては、コルラードを使者として派遣し、感謝状も渡され、そして実際に顔を合わせた際にルイスの口からも感謝の言葉を受けている。
その上でルヴィリアに会わせようと本気で考えていたというのか。
レウルスとしては些か以上に過剰ではないかと思ってしまう。それが貴族という生き物なのか、ルイス達が義理を重視しているだけなのか、それとも“別の何か”があるのか。
「それと、何やら妹とどう話せば良いか迷っているように見えたけれど……違うかい?」
「ええ……恥ずかしながら、貴族の御令嬢と話せるような教養は持ち合わせていませんので。それに、年頃の女性と話すのは失礼に当たるのでは?」
ルヴィリアは子爵家の令嬢で、レウルスは元農奴にして廃棄街の人間である。その身分は天と地ほど離れているだろう。
レウルスが困ったように言うと、ルイスは破顔して何度も頷いた。
「なるほど、君は謙虚な人間なんだね! 命の恩人なのに偉ぶらないなんて中々できることじゃないよ!」
(なんだその持ち上げ方……いや、本当になんだ?)
レウルスが抱く貴族のイメージとしては、『下民がよく働いた。褒めて遣わす』などと尊大に言い放つ――などというのはいき過ぎだが、もっと上から目線なところがあるのではないかと考えていた。
これまで接した結果ルイスはそのような性格ではないのだろうが、いくら妹をキマイラから守ったとはいっても冒険者を相手にするには腰が低い気がする。
「今回は親族である俺が一緒だし、妹と直接話してもらって構わないさ」
貴族社会にどのようなルールがあるのかはわからないが、どうやら問題はないらしい。
「一つ教えておくことがあるとすれば、妹に限らず、地位の高い女性……特に未婚の女性と話す際は侍女を通す方が失礼がないのは確かだね」
「なるほど……勉強になります」
実際に話す機会など早々訪れるものではないだろう。それでも一つ学べたと考えてレウルスは頭を下げた。すると、ルイスはますます笑みを深める。
「今日は堅苦しいのは抜きにして大丈夫さ。お礼の言葉だけでは味気ないし、茶会の用意もしているから楽しんでいってほしい」
そう言って微笑むルイスに、レウルスは引きつった笑みを浮かべた。
ルイスに茶会の用意があると言われて案内されたのは、応接間ではなく庭園だった。
馬車で通る際にも気づいたことではあるが、春先にも関わらず咲き誇る色とりどりの花々。
種類はわからないものの庭師が丹念に手入れをしている花壇の傍で、優に十人は並んで座れるテーブルを置き、白いテーブルクロスを敷いて茶会の用意が整えられている。
天気が良いから庭園で、ということだったが、花の香りが春先の温かい風に乗って届くのは一種の贅沢というものだろう。ついでに言えば、紅茶と共に皿に並べて出された様々な菓子も贅沢極まりないものだった。
レウルスにわかるのはクッキーやパウンドケーキぐらいだったが、他にも数種類の菓子が皿の上に並んでいる。つい先日砂糖を購入して狂喜乱舞していたレウルスにとって、目の前の菓子は味の想像すらできないほどだった。
――貴族というものは本当に金を持っているらしい。
レウルスがそう内心で呟いたのも、無理からぬことだろう。レウルスの仲間ということで同席を許されたエリザ達も席についているが、一人ひとりに紅茶と菓子が用意されているのだ。
(これだけのお菓子をすぐさま用意したのか? 俺達が断ってたらどうするつもりだったんだ……)
チラリと仲間達に視線を向けてみるが、お菓子を見て素直に喜んでいるのはサラぐらいだった。エリザは緊張で表情を強張らせ、ミーアは本当に食べても良いのかと視線を彷徨わせ、ネディは何を考えているのかわからない。
唯一平静を保っている者がいるとすれば、それはエステルだけだ。セバスが注ぐ紅茶に口をつけ、何やら意見を交換している。今回の茶会の“主役”はレウルスだと見做し、純粋に歓待を受けるつもりなのかもしれない。
「失礼いたします」
菓子は手掴みで食べて良いのか、それとも何か作法があるのか。冒険者にとっては難易度が高すぎる難問に頭を悩ませていると、ティーポットを持った女性が声をかけてきた。
その女性はルヴィリアと共に行動する侍女で、以前ルヴィリアと一緒に馬車に乗っていた女性である。
「先日は失礼いたしました。ルヴィリア様の侍女を務めております、アネモネ=ティアーノと申します」
そう言って一礼する女性――アネモネだが、謝罪も自己紹介も機械的だった。
(アネモネ……アネモネ……アネモネ?)
その名前を聞いた瞬間、レウルスははてと首を傾げる。どこかで聞き覚えがあるような、薄れていた前世の記憶が刺激されるような感覚があったのだ。
「どうかされましたか?」
そんなレウルスの反応をどう取ったのか、表情をピクリとも動かさずにアネモネが尋ねる。
「いえ……家名がティアーノということは、セバスさんの?」
思い出せないのなら大したことではないのだろう。そう判断して話を振ると、アネモネは真顔で一礼した。
「孫でございます」
「あっ、そうですか……」
あまりにも冷たい対応に、レウルスとしてもそう答えるしかない。すると、それを咎めるような声が対面から飛ぶ。
「もうっ、アネモネ? お客様に失礼ですよ?」
「……はい。申し訳ございません」
テーブルを挟んだ位置に座るのは、ルヴィリアである。ルイスも同席しているが、何を考えているのか笑顔で紅茶を飲みながらレウルスへ視線を向けている。
「ごめんなさいレウルス様。アネモネは仕事に熱心でわたしにとってはお姉さんみたいな人だけど、少し融通が利かなくて固いところがあるんです。許してくださいますか?」
それは謝罪というべきか、擁護というべきか。微笑みながら言葉を紡ぐルヴィリアだが、アネモネの表情がどこかショックを受けたように歪む。
「気にしていませんから……あと、様付けは勘弁していただけませんか? 俺……いえ、私はそんな身分ではないので、呼び捨てなりしてもらえればと」
「と、殿方を呼び捨てにするだなんて……はしたないことだわ」
どのような教育を受けてきたのか、ルヴィリアは恥ずかしそうに頬を朱色に染める。そんなルヴィリアの反応を見たレウルスは盛大に頬を引きつらせそうになったが、必死に堪えた。
(やばい……常識というか感覚が違い過ぎて話しにくいぞこりゃ……)
それなりに良い家柄の出と思しきエリザからはそのようなことは聞いたことがない。そうなると他国では違うのか、エリザ以上の家柄だと違うのか。
レウルスがさりげなく横目でエリザを見ると、その意図を酌んだのかエリザは無言で首を横に振った。
少なくともエリザの中にはそのような常識も知識もないらしい。
ルヴィリアからは先日の一件に関して感謝の言葉も受けているため、タイミングを見て逃げの一手を打ちたいところである。早々に茶会を切り上げて逃げ出したいが、まだ始まったばかりだ。
少しでも話す時間が減るようにと紅茶を飲むレウルスだが、ルヴィリアはそんなレウルスを見ながら目をキラキラと輝かせている。
「レウルス様は冒険者なんですよね? これまでどんな冒険をしてきたのですか?」
「いえ、冒険者は冒険をするのが仕事ってわけではなくてですね」
“かつての自分”と同じ勘違いをしていると思しきルヴィリアに、レウルスは思わず苦笑してしまった。だが、ルヴィリアは不思議そうに首を傾げる。
「でも、自由に動き回ることができるのでしょう? 自分の意思で歩き、自分の意思で戦い、自分の意思で何かを成す……それは冒険ということではなくて?」
「……なるほど、一理ありますね」
そういえば目の前のお姫様は体が弱いんだったな、などと考えながら頷くレウルス。
ルヴィリアの瞳に映っている感情は憧憬だろうか。冒険者というよりも、自分の意思で自由に動けることに対して憧れを抱いているようだった。
「レウルス君、良ければ妹に君の話を聞かせてやってくれないか? 君がこれまでに“どんな戦いをしてきたか”興味があるようなんだ」
どんな風に答えたものかとレウルスが迷っていると、ルイスが助け船を出す。
「……貴族のお嬢様にお聞かせするような話じゃないんですがね」
失礼にならない程度に小さなため息を一つ零し、レウルスは話しても良さそうな話題を記憶から検索する。
火龍のヴァーニルやスライムに関しては話せない。キマイラに関しては先日倒したばかりで面白みがないだろう。
そう判断したレウルスは、上級に該当する魔物やキマイラ以外で最も強敵だった魔物に関して話すことを選択した。
「以前、カーズという中級上位の魔物と戦った時の話なんですが……」
冒険者という貴族の令嬢が接しないような相手が珍しいだけだろう。その興味を満たすべく面白おかしく話をしようと思ったレウルスだったが、不意に遠くから物音が聞こえた。
『レウルス、何か近づいてきてるわよ。数は……一つ? ううん……二つ、かも?』
物音を感じ取ると同時に、サラが『思念通話』で警戒を促してくる。
「レウルス様? どうかされましたか?」
言葉を切ったレウルスをルヴィリアが不思議そうに見つめてくるが、レウルスは何も答えない。その代わりに物音が聞こえた方向へ視線を向けた。
遠くから聞こえた物音は、馬蹄が石畳を蹴り付ける音だった。その音にルイス達も気付いたのか、音のする方向へ視線を向ける。
セバスとアネモネがルイス達を庇うように立ち、レウルスも茶会ということで足元に置いていた『龍斬』を手に取る。
「どういうことだルイス!?」
茶会をするレウルス達の元へ飛び込んできたのは、馬に乗って目を血走らせたカルロだった。