第217話:招き
「我々精霊教徒は精霊様へ祈りを捧げ、日々の糧とすることを教義としています。皆様の気持ちはわかりますが――」
アクラの市場の一角。
近くで借りた木箱を足場にして周囲に朗々と言葉を響かせるのは、精霊教師のエステルだ。
数日かけて有力者への挨拶を終え、市民の様子を確認し終わったエステルは、次なる行動として“辻説法”を始めたのである。
道行く人々の反応はエステルの説法を黙って聞く者、右手を胸に当てながら有難そうに聞く者、エステルの容姿を見て鼻の下を伸ばす者、急いでいるのか無視するようにその場から立ち去る者など様々だ。
そんなエステルの両脇には護衛としてエリザとサラが控えている。見た目的にも装備的にも冒険者ではなく町娘で通じるため、無用な警戒を避けられると思ったからだ。
レウルスとミーア、ネディはそんなエステル達から離れて民衆の背後を歩き回る。エステルが非常に注目を浴びているため、不審者が動くならば背後から制圧しようと考えてのことだった。
だが、レウルスの警戒に反してエステルに危害を加えようとする者はいない。精々年若い男が下卑た視線をエステルに向ける程度だ。
(……まあ、同じ男として理解できる部分もあるから見逃すけど)
仮に手を出そうものなら即座に鎮圧するつもりだが、気持ちもわかるため“今のところ”は見逃すレウルス。
「おや、冒険者の兄さんじゃないか。今日も買い物かい?」
そうやって説法を行うエステルの護衛を行っていると、聞いた覚えのある声をかけられた。エステルから意識を外し過ぎないよう注意しつつ視線を向けてみると、そこには先日砂糖や香草を売ってくれた商人が立っている。
「今日のところは仕事さ……ところでおっちゃん、あの幸せの茶色い粉はいつ入荷するんだい? 少しずつ大切に使ってるけど、なくなったら禁断症状でも出そうだよ」
「……冒険者の兄さんよぉ、その言い方はヤバい薬でも売ってるように聞こえるからやめてくれねえかい? 見回りの兵士にでも聞かれたらそのまま連行されちまうよ」
香草もそうだったが、次はいつ入荷できるかわからないと聞いている――が、それでも確認してしまうのは砂糖の味がそれだけ強烈だったということだろう。
余談ではあるが、購入した砂糖は壺が割れないようミーアに『強化』の『魔法文字』を刻んでもらい、なおかつクッションとして藁を詰めた木箱に入れて教会に置いてある。
常に精霊教徒が在中しているため盗まれることはないだろうが、仮に盗人が入った場合は草の根分けてでも探し出すつもりのレウルスだった。
「おっと、そいつは失礼……って、俺の方は仕事だけど、おっちゃんは何をしてるんだ?」
行商人だと思っていたが、商人の男は手ぶらである。近くに店を出しているというわけでもないらしい。
「今日は他の商人がどんな商品を扱ってるか確認してるのさ」
「ああ……市場調査ってやつか」
どんな商品がいくらぐらいで売れているか調査しているのだろう。そうすることで売れやすい商品や適正価格を見極めているのだと思われた。
「……ま、そんなところだな」
一瞬だけ商人の目が細められるが、それもすぐさま笑顔へと変わる。
「自分の店を持てれば違うんだろうが、行商だとその辺りの情報が大事だからなぁ」
「へぇ……情報、か」
レウルスは商人の言葉を聞いて僅かに沈黙した。
(商人なら色んな情報を持ってそうだよな……一応聞いておくか)
レウルスの脳裏に浮かんだのは、ラヴァル廃棄街を出てから行方が知れないジルバのことだ。ジルバならば何があっても無事だとは思うが、心配に思う気持ちも存在する。
「おっちゃん、情報って売ってるかい?」
「……いきなりだな。物によるが、何を聞きたいんだ?」
どうやら即座に断るようなことはないようだ。あるいは金になると判断したのか。
「ジルバって名前の精霊教徒なんだけど……知ってるか?」
「ジルバ……ああ、『膺懲』の旦那か。名前はよく聞くな。街道を利用する商人なら顔を合わせたことがある奴も多いって話だ」
街道で魔物や野盗に襲われた際に助けられたという者も少なくないらしい。しかも対価を求めずに立ち去るため、商人の中には借りがあると話す者もいるほどだ。
「知り合いなんだけど、最近姿が見えなくてね。身長は俺より拳一つ大きいぐらいで、服装は精霊教徒が着る黒い服。年齢は四十そこそこで髪が白い人なんだが……」
「ふむ……『膺懲』の旦那ぐらい有名なら目撃者も多そうだがなぁ。いや、待てよ……そういえばこの町の路地裏でそんな背格好の奴を見たって話があったような……」
「路地裏か……あの人、どこにでも出没するからなぁ」
背格好が似ているだけならば他人の可能性も十分にあるが、ジルバならば路地裏に現れてもおかしくないと思ってしまう。レウルスとしてはある日突然自宅の中にジルバがいても不思議はないと思うほどだ――仮にそんなことがあったら魂消るだろうが。
「それがいつのことかは……」
「割と最近だったはずだぞ? 商人仲間の何人かが、黒い服の男が路地裏に立っていたところを見たって言ってたからな」
聞いた限りでは都市伝説にでも出てきそうな話だったが、ジルバがアクラにいる可能性は否定できない。
(でも、その場合はなんで俺達の前に出てこないんだ?)
アクラの精霊教徒も、ジルバがアクラの城塞に設けられた門を通った話は聞かないと言っていた。ジルバの顔を知る者がその姿を見たことはない、とも言っていた。
ジルバならば門を通らずに城壁を乗り越えて侵入することも可能だろう。しかし、当然ながらそれは犯罪である。いくらジルバといえどそのような真似はしないだろう。
(ジルバさんに似た赤の他人ってオチかね……)
エステルを連れたレウルス達に接触しない理由はないはずだ。姿を見せられない理由があるとしてもその場合は置手紙などを残せば済む話である。
結局、考えても埒が明かないと判断したレウルスは商人に情報代として銀貨を五枚ほど渡し、エステルの護衛に戻るのだった。
レウルス達がアクラに到着して一週間の時が過ぎた。
その間のエステルの行動により、徐々にではあるがアクラに住む精霊教徒の行動も落ち着きを取り戻してきたように感じられる。
領主に対する反発が完全に収まるにはまだまだ時間がかかるだろうが、それでも雲泥の差だろう。
ある程度アクラの状況が落ち着いたと見たエステルは、アクラ近隣の町や村にも足を伸ばそうと提案する。ヴェルグ子爵家の領地はアクラだけでなく、周辺の町や村も含まれるのだ。それらの場所でも行動を起こす必要があるだろう。
ただし、思い立っても即座に行動することはできない。今の状況で精霊教師であるエステルが動き回ると、それはそれで混乱が起きそうだった。
そのため周囲への説明や報告を行い、実際に出立するのは三日後になったのである。
もっとも、ここ一週間ほどは動き続けていたため半分は休養を兼ねている。冒険者として日頃から動き回っているレウルス達はともかく、エステルは疲労の蓄積が見て取れた。
故に、出発まではエステルを休ませることを重視しよう――そう思った矢先に、ヴェルグ子爵家から使者が訪れる。
「久しぶりであるな! お主らの働きは吾輩の耳にも届いているのである!」
開口一番に元気溌溂とした様子でそう言い放ったのは、アクラに到着してから会っていないコルラードだった。
時刻にすれば午前十時といったところだろう。教会前にヴェルグ子爵家の家紋が掲げられた馬車が止まったかと思うと、御者台に乗っていたコルラードが身軽な動きで飛び降り、丁度外出しようとしていたレウルス達の前に降り立ったのだ。
「……久しぶりですねコルラードさん。元気になったようで何よりですよ」
アクラまでの道中で見た胃痛を堪える顔が嘘だったかのように、コルラードの表情は晴れ晴れとしている。コルラードはそんなレウルスの言葉にも大きく頷いて笑みを浮かべた。
「うむ、絶好調である! おっと、今日はルイス殿の使者として参ったのであった……おほんっ!」
一度共に旅をした仲だからか、コルラードの態度はどこか気安いものがある。しかし一度咳払いをしたかと思うと、その表情が騎士のものとして引き締められた。
「ルイス殿からの伝言である。もしも時間があるのなら、当家にお招きしたい。都合が悪いようなら可能な日時を教えてほしい――以上である」
「……休もうと思った矢先にこれですかー」
疲れたように、ぼそりとエステルが呟く。しかしその呟きは非常に小さく、傍にいるレウルスの耳にしか届かなかった。
「はい、喜んでお招きに預かりますねー」
内心はともかく、朗らかな笑顔を浮かべるエステル。コルラードはそんなエステルに対し恭しく一礼すると、手ずから馬車の扉を開けて先導していく。
「ご安心ください。今日の招きは堅苦しいものではないとのことです」
さすがにエステルに対しては敬語で話すコルラードだが、その話が聞こえたレウルスは首を傾げた。
「あれ? そうなんですか?」
「うむ。前回はディエゴ殿が使者として赴いたそうだが、今日は吾輩が使者に選ばれておるからな。顔見知りというのもあるが、お主らが気を楽にできるようにという配慮なのであろう」
(……うん、まあ、ディエゴさんよりコルラードさんの方が話しやすいけどさ)
片や、本人や部下を助けたこともあり、礼儀正しく接するディエゴ。
片や、レウルス個人としては“話がわかる”上に色々と共感できるコルラード。
後者の方がありがたいのは事実だった。
そんなことを話しつつ、レウルス達は馬車に乗り込んでいく。そして準備が整うなり御者が馬を操り、ヴェルグ子爵家に向かって進み始めた。
さすがに二度目の馬車ともなればレウルス達もはしゃぐような真似はしない。それぞれが腰を落ち着け、外の風景を楽しむだけだ。
そうして前回と同様にヴェルグ子爵家へと到着する。相変わらず門兵や巡回の兵士は真面目に職務をこなしており、多くの執事やメイドに出迎えられた。
だが、前回と違うことが一点だけある。
「――こうしてきちんと顔を合わせるのは初めてですね」
出迎えの面子にドレスを着た少女――ルヴィリアが加わっていたのだった。