第216話:露店
レウルス達がルイスと面会して三日の時が過ぎた。
その間にレウルス達が行ったことは多くない。グレイゴ教徒を警戒しつつ、アクラのあちらこちらに足を運ぶエステルを護衛し、町の有力者と面会を繰り返しただけだ。
精霊教とどのようなつながりがあるのか、あるいは会った全員が精霊教徒だったのか、面会した者達はその全てがエステルを下にも置かない態度で迎えた。
事前のアポイントメントなしで訪れても門前払いにならず、むしろありがたそうに迎えられたほどだ。護衛のレウルス達の扱いも悪くなく、マタロイにおける精霊教の影響度が伺えた。
アクラの町で一番の上位者となるヴェルグ子爵家は例外として、エステルは町の名士や商人、酒場の主など、人の上に立つ者や周囲に影響を持つ者に率先して挨拶をして回る。
多くの人間に影響を与えるには、“上”に立つ者を抑えてしまうのが効果的だろう。子爵家の依頼だということは隠し、アクラの町の現状と相手の不満を聞き、エステルが笑顔でそれを宥める。
もちろん相手によって反応は異なるが、意外にというべきかエステルは堂々と対応していた。レウルスからすればジルバの印象があまりにも強すぎて頼りなく見えていたが、精霊教師という立場を活かし、礼節を以って交渉を行う姿は大幅に印象を改める契機となったのである。
(うーむ……テキパキと仕事ができる女性か。いいなぁ……)
エステルに対し、穏やかでのんびりとしている印象を抱いていたレウルスだったが、その立場に見合う交渉能力を備えていたらしい。その手の交渉事が苦手なレウルスからすれば羨ましい限りだった。
「とりあえずめぼしいところは回りましたし、次は市場に足を伸ばしてみましょうかー」
「人が多い場所は不安ですけどね……」
影響がある人物に会ったあとは、住民の様子を確認するつもりらしい。それは理解できたレウルスだが、人が多い場所ではどこからグレイゴ教徒が近づいてくるかわからない。
ローランの話を信じるならば、精霊教師であるエステルをどうこうしようと考えているようではないらしい。だが、それもローラン個人に限っての印象があり、レウルスとしては気が抜けなかった。
「レウルスさん達が守ってくれるでしょうー? だから大丈夫ですよー」
「……そう言われたら断れませんね」
ニコニコと笑いながら告げるエステルに、レウルスはため息交じりに応じる。人が多いといっても冒険者であるレウルス達に近づいてくる住民は皆無だろう。そう考えると、近づいてくる者は何かしらの意図を持っている可能性がある。
(さすがにいきなり魔法でズドン……なんてことはないだろうしな)
仮に長距離から魔法で狙われても、レウルスが対処できる。ここはエステルの希望に沿うべきだろうと判断した。
そうやって足を伸ばした市場は、ラヴァル廃棄街とは比べ物にならない活気で満ち溢れている。
店舗を構える者、木で作られた簡易な屋台で料理を売る者、布を広げて商品を並べただけの露天商など、商人だけでも数が多い。そして、それらの店を巡る住民の数はさらに多かった。
周囲は喧騒に包まれており、客を呼び込む商人の威勢の良い声や値引き交渉を行う客の声などが雑多に広がっている。
「うぅ……“熱”が多すぎて目が回りそう……」
人の多さに感嘆と呆れを抱くレウルスだったが、サラの苦しそうな声が聞こえてそちらに視線を向けた。
熱源を感知して索敵を担当するサラは言葉通り目を回しそうで、頭がフラフラとしている。百人を軽く超える住民が集まっているからか、それらの熱源を感知するだけでも精一杯のようだった。
「変な動きをする熱源だけ探ってくれれば……って、無理そうだな」
「うん……なんかこう、熱があっちにいったりこっちにいったりで、どれが変な動きをしてるかわかんない……」
サラの思わぬ弱点というべきか、あるいは当然の帰結というべきか。弱り切った様子で涙目になっているサラの姿に、レウルスはどうしたものかと頭を悩ませる。
頭の中にレーダーが存在し、見渡す限り一面に反応があってなおかつ無秩序に動き回っているような状態なのだろう。
レウルスの感覚でいえば、周囲の全員が大小様々な魔力を持っていてその全てを感じ取ってしまうようなものか。精霊のサラだからこそ目を回す程度で済んでいるが、人間のレウルスが同じ立場だったならば脳の血管が切れそうである。
「レウルス、“わたし”が……ネディが手伝う」
サラの熱源探知には頼らず自分の感覚だけを信じて護衛を継続しようかと迷うレウルスだったが、予想外にもネディが声を上げた。
「ネディが? それはありがたいんだけど……」
自主的に動こうとするネディにレウルスが感じたのは困惑だ。手伝うとは言うが、レウルスのように魔力を感じ取る、あるいはサラのように熱源を感じ取るといった索敵ができるのかわからないのである。
「周りの水を感じ取る……それでいい?」
「み、水? って、ああ……そういうことか」
正確な割合までは思い出せないものの、人体の大半は水分だったはずだ。ネディが言っているのはそのことだろうと納得する。
「ネディはそんなこともできたんだな。いや、すごいじゃないか」
氷魔法や水魔法だけでなく、索敵も可能だったらしい。レウルスは素直に感心したが、ネディはどこか所在なさげに眉を寄せる。
「うん……怒ってない?」
「ん? 怒る? なんでだ?」
ネディのことだ。隠していたわけでもなく、レウルスが尋ねなかったから答えなかったのだろう。あるいは、元々人がいない場所で過ごしていた影響で自分のできることに気付いていなかったのか。
ネディはレウルス達に同行しているが、エリザやサラのように『契約』を結んだわけでもない。あるいはミーアのように『龍斬』の手入れや手先の器用さを見込んで同行してもらっているわけでもない。
もちろんネディが同行してくれるのは嬉しいが、レウルスとしてはネディの行動を咎めるつもりはなかった。むしろネディが自発的に提案してきたことに驚き、それと同時に喜ばしく思い――レウルスの感傷を遮るようにサラが挙手しながら飛び跳ねる。
「はいはいはーい! やっぱり全然問題ないわ! もう元気満々! 索敵でも火炎放射でもばっちりよ!」
「火炎放射はやめようね?」
ネディに対抗意識が湧いたのか危険な発言を行うサラと、そんなサラを手慣れた様子で止めるミーア。ドワーフのミーアからすれば火の精霊であるサラは信仰対象のはずだが、既に“慣れてしまった”らしい。
「そこのお兄さん、綺麗どころを引き連れて羨ましいねえ! よければうちの店を見て行ってくれよ!」
そうやって騒いでいると、不意に横合いから声をかけられる。敵意もないその呼びかけに釣られたレウルスが視線を向けると、そこには露天商と思しき男性が笑顔を浮かべていた。
外見だけで判断するならば四十代だろう。少々小太りながらも愛嬌のある顔立ちの商人は、レウルスが視線を向けたことでますます笑みを深める。
商人は道端に布を敷き、見慣れない草や蓋がしてある小さな壺などを並べていた。商品の説明書きや値札は置かれておらず、仮に購入するとすれば商人と交渉する必要があるのだろう。
(……エステルさんじゃなくて俺に声をかけてくるなんて珍しいな)
商人の呼び込みはともかくとして、自分が声をかけられたことにレウルスは疑問を覚えた。エステルや軽装のエリザ達はまだしも、明らかに冒険者の格好をしているレウルスに率先して声をかけてくることが引っかかったのである。
「おっちゃん、俺は冒険者なんだけど……」
「そんなの見ればわかるって! でもほら、ここじゃあ店主と客でしかないだろ?」
エステルの傍にいるということで、冒険者ではなく私兵か何かと勘違いしたのかもしれない。そう思って声をかけても商人の態度は変わらなかった。
(商人としては当然……なのか?)
相手が客ならその身分は問わないということなのか。困惑を深めるレウルスだったが、商人はそんなレウルスに構わず見慣れない草を手に取る。
「冒険者ってことは町の外にも出るんだろう? そんな時にはほら、こいつがお勧めだ!」
そう言って差し出された草は、それほど大きくない。レウルスの掌に収まる大きさで、細長い葉っぱ状の物体が五枚で一括りにされて束になっている。
「お勧めって言われてもなぁ……ただの草にしか見えないんだけど」
「はっはっは! たしかにこいつは草さ。ただ、草は草でも香草だけどな!」
商人の男性が笑いながら草の束をレウルスの鼻先に突き付けた。すると、僅かに刺激がある匂いが感じ取れる。
「野宿の時に食う飯ってのは味気ないもんだろう? だけどこいつを刻んで塩と一緒にまぶせば美味い――」
「買います」
値段も確認せずに購入を決意するレウルス。塩による味付けに不満があるわけではないが、味のバリエーションが増えるのは大歓迎だった。
「そ、そうかい? こいつは生でも素材の味を引き立てるが、乾燥させてからすり潰すとまた違った味が――」
「全部ください」
香草の束は五つあったが、その全てを購入することを即断するレウルス。自分で使うのも良いが、ドミニクへのお土産にしようと考えていた。
もちろん、商人と話している間も周囲への警戒は疎かにしない。大袈裟に食いついてみせたのもレウルスなりの演技だ。
(そう……これはいきなり声をかけてきたおっちゃんの反応を見るための演技……うん、香草に釣られたわけじゃなくて演技だから……)
どこで誰がグレイゴ教につながっているかわからないのだ。故に、これは演技である。
「全部か……一束150ユラなんだが、全部まとめて買ってくれるのなら三割安くするぞ?」
「三割引き? よし買った!」
前世の日本を基準で考えるとぼったくりも良いところだろうが、この世界で初めて見た香草である。レウルスに迷いはなかった。
(150ユラの五束だから750ユラで、三割引いたら525ユラか)
レウルスは懐から財布代わりの布袋を取り出し、銀貨を六枚手渡した。すると、商人は大銅貨五枚――“50ユラ”を返してくる。
「っておっちゃん、あと25ユラ足りないよ」
「……ああ、すまねえ! 計算を間違えちまったよ! 詫びと言っちゃあなんだが、端数はおまけさせてもらうな!」
そう言って銀貨一枚を返す商人。レウルスは銀貨を受け取りつつ、周囲を見回した。
「一束100ユラならもっと買うんだけど……在庫はないのかい?」
「……悪いけどこいつで最後だなぁ。次はいつ仕入れられるかもわからないんだ」
商人の言葉にレウルスは肩を落として落胆する。ラヴァル廃棄街では香草など売っていないのだ。この機会に買えるだけ買おうと思ったものの、現物がないのでは仕方がない。
「それならおっちゃん、こっちの壺の中身は?」
「お、これかい? お目が高いねぇ! こっちも調味料なんだが、香草を全部まとめて買ってくれたんだ。味を確かめてみてくれよ」
おそらくは塩だろうと思いつつレウルスが尋ねると、商人は壺の蓋を取って中身をレウルスに見せた。
手の平に乗る程度の小さな壺の中には、薄茶色の粉が入っていた。蓋を開けると同時に甘い香りが広がり、レウルスの目が見開かれる。
薄茶色の粉は砂のように粒が大きく、少しばかり湿り気を帯びているようだった。味見を勧められたためレウルスは手の平に少しだけ薄茶色の粉を落とし、舌先で舐めてみる。
「っ!?」
――脳髄が炸裂した。
そう錯覚するほどの衝撃が舌の上に広がる。
それは今世において初めて感じた強烈な甘さ。雑味があるものの脳が理解できないほどにインパクトの強いその味わいに、レウルスの手が震えた。
「美味いだろ? 南方のハリストって国からたまに流れてくる砂糖さ。値段は金貨三枚――」
商人が言い終わるよりも先に、瞬時に動いたレウルスの手が金貨三枚を差し出していた。
そして、この砂糖は自分のものだと言わんばかりに両手で壺を握りしめる。
「これも在庫は……」
「すまんな。それで最後だ」
何故もっと早くにこの場所を訪れなかったのか。思わず慟哭しそうになるほどレウルスは落胆した。それでもこの世界で初めて砂糖を得られた喜びで落胆を塗り替えていく。
「他にも砂糖を取り扱ってる店を知らないか?」
「……いや、悪いが知らないな」
一応確認してみるが、砂糖も希少品らしい。量は少ないものの砂糖と香草が手に入ったレウルスは満面の笑みを浮かべる。
「ここまで嬉しそうな笑顔、初めて見たんじゃが……」
そんなレウルスの笑顔を見たエリザがぽつりと呟くが、レウルスの耳には届かなかった。
ローランから司教の存在を知らされて戦々恐々としていたが、今ならば司教の一人や二人どうとでも料理できそうな気分である。
「いやー、レウルスさんが楽しそうでなによりですー」
大喜びするレウルスを見たエステルは、微笑ましそうに目を細めるのだった。
レウルス達が立ち去った直後、商人の男性が呟く。
「その辺の商人よりよっぽど計算が早いし暗算ができる……商人か、あるいは裕福な家系の生まれか? ルイス様に報告だな」