第214話 マタロイ貴族事情
ルイスの元を辞したレウルス達は、行き道と違って帰り道は自分達の足で歩くことにした。これはエステルがアクラの雰囲気を確認したいと言い出したからであり、護衛であるレウルス達はその希望を受け入れたのである。
ヴェルグ子爵家のメイドや執事達に見送られて屋敷の外へと出たレウルス達は、門兵などからも見送りを受けながらアクラの町中を歩いていく。
ヴェルグ子爵家のお膝元でもあるため、アクラに住む民の数は非常に多い。ラヴァル廃棄街よりも十倍以上の面積があるというのに、人口密度はラヴァル廃棄街を上回っているようだった。
道行く人々の顔色は明るく、治安がしっかりとしているのか幼い子どもや女性が一人で歩いている姿も見える。だが、かつて一度アクラを訪れたことがあるレウルスの目から見ると、以前と比べて少しばかり活気がなくなっているように感じられた。
(ふむ……これも精霊教徒が反発している影響か?)
有事の際の防衛を想定しているのか、迷路とまではいかないがヴェルグ子爵家の屋敷に続く道は時折蛇行している。そんな道々で見かけるアクラの住人から感じ取れる空気は明るさと同時に重さがあり、町全体に見えない蓋でもされているようだった。
以前と異なることがあるとすれば、もう一つ。レウルス達が歩いていても住民から忌避の視線が向けられないことだろうか。
魔法使いであるエリザ達はともかく、レウルスは革鎧に加えて『龍斬』を背負っている。これは兵士と明らかに違う装いで、一見して冒険者だとわかる格好だ。
アクラだけでなく、廃棄街以外の“正式な町”のほとんどで冒険者の扱いは悪い。例外は冒険者や兵士どころか亜人まで訪れることがある河港の町、カダーレやヴァルディぐらいだ。
今回アクラを訪れるにあたり、再び居心地の悪い視線を向けられるだろうとレウルスは思っていた。だが、今回はそうではない。
最初に一度、レウルスへ不審の視線を向けられる――が、エステルを見るなり疑いの色が即座に晴れるのだ。住民の中にはエステルに向かって右手を胸に当てながら一礼する者もいるほどである。
「前回訪れた時とは違うのう……」
「エステルさんのおかげかな?」
エリザとミーアが言葉を交わし、首を傾げ合う。すると、それが聞こえたのかエステルが困ったような笑みを浮かべた。
「精霊教徒の方ならわたくしの服装で精霊教師だとわかりますからー。まあ、わたくしとしても面映ゆい気持ちがあるんですけどねー」
困ったというよりも、照れているのだろう。僅かに赤らんだ頬を指で掻き、肩身が狭そうにしている。
「精霊様がお二方もいらっしゃるのに、わたくしに対して畏まられると余計に気持ちがですねー……」
「ああ……それはなんというか……」
精霊教の信仰対象である精霊が並んで歩いているのだ。サラとネディが精霊だと知っている者は少ないが、エステルからすれば精霊を差し置いて自分が崇められているのは精神的に辛いだろう。
「サラ様とネディ様の正体を明かすことができるのなら、ヴェルグ子爵家への不満なんて簡単に吹き飛ばせそうなんですけどねー」
「そりゃ吹き飛ぶでしょうよ。ただ、それをするとグレイゴ教徒だけでなく他の厄介事まで招きそうなんで止めてくださいね?」
真顔かつ敬語でエステルを止めるレウルス。ヴェルグ子爵家に招かれた現状でさえ厄介だというのに、それ以上の厄介事は勘弁してほしかった。
(……まあ、ネディについてはグレイゴ教徒にも知られてるんだけどな)
以前レウルスが紆余曲折を経てスライムと戦うことになったが、その時にグレイゴ教の司教であるカンナ、司祭であるローランにネディが精霊だと知られている。
ただし、その時の二人の様子はネディを害そうとするものではなかった。むしろネディの身を心配しているようだったため、希望的観測ではあるがカンナとローラン以外のグレイゴ教徒に知られていない可能性もある。
厄介事は少ない方が良い、などと考えるレウルスに対し、エステルは周囲の住民の表情を確認しながら小声で告げた。
「もちろん冗談ですよー。我々精霊教徒のいざこざに精霊様の手を借りるなんてできませんからー。それに、ヴェルグ子爵家の領内で動く許可をもらいましたからねー。まずは自分の足で動きませんとー」
「許可……出てましたっけ?」
そんな話をしていただろうか。レウルスが首を傾げながら尋ねると、エステルは苦笑を浮かべた。
「お互いに面倒な立場なので、敢えて明言はせずに曖昧な感じで話していたでしょうー? まあ、向こうからすればわたくしが精霊教徒を抑えきれればそれでよし、ぐらいの考えなんでしょうねー」
「そんなもんですか。ああ、だからエステルさんよりも俺への質問が多かったとか?」
レウルスと比べ、エステルとのやり取りは非常に少なかった。だが、ルイスとエステルにとってはそれだけで十分だったのだろう。
“その辺り”のことを理解していないからこそ、自分との会話に割く時間が多かったのかもしれないとレウルスは思った。
「うーん……あれはそれだけじゃないように思えましたけどねー。レウルスさんへの興味が隠せてなかったので、後々何かあるかもしれませんよー」
「これ以上の面倒事とかやめてくださいよ……やめてくださいよ」
貴族として迂遠なやり取りを仕掛けてきたのかもしれないが、レウルスからすればそのようなやり取りは面倒なだけだ。わかりやすく直截に伝えてもらった方が誤解がなくて良い。
「しかし、ルイスさんとあのカルロって騎士は従兄弟同士だったのか。子爵家の従兄弟ってことはなんだ、分家……みたいな感じなのか?」
これ以上話していると本当に厄介事がやってきそうで、レウルスは話題の転換を試みる。すると、エステルは再び表情を曇らせた。
「それはどうでしょうねー……」
「うむ、ルイス殿の従兄弟という割に家名がなかった……あるいは“名乗らせてもらえない”立場なんじゃろう。分家の可能性はあるが、騎士としての立場しか与えられていないとなると……」
首を傾げるエステルだったが、話を聞いていたのかエリザが相槌を打つ。それを聞いたレウルスはせっかくの機会だからと疑問を口にした。
「あ、それは俺も気になってたんだ。むしろ家名自体がいまいちわからないんだけどさ……」
この世界では前世の日本のように誰でも名字を持っているわけではない。レウルスの知る限りでは、名字を持っている者はごく僅かだ。
「家名というのは言わば看板みたいなものなんですよー。セバスさんはティアーノという家名を名乗っていたでしょう? あれはですねー、代々仕えているセバスさんの家に対する子爵家からの報酬なんですよー」
「というと?」
「特別な功績を立てた、代々その家に仕えていて信頼が厚い、あとは他の家に取られないよう先んじて囲む……家名を与えられるとなるとそれぐらいかのう? 例え庶民でも、家名持ちとなると貴族でもそれなりに扱いを変えるものじゃよ」
どうやら家名というものはかなりの意味を持つらしい。
「ほれ、ディエゴ殿も家名があったじゃろ? “ただの騎士”なら名前にネイトの称号をつけるだけじゃが、家名まで授けられているということは余程信頼が厚いんじゃろうな……おそらくはセバス殿と同様に、代々ヴェルグ子爵家に仕えている家柄じゃぞ」
「んー……もしかしてディエゴさんも貴族になるのか?」
そもそも貴族の定義すらわからないが、家名を持つ騎士と聞くと貴族のようにも思える。そのためレウルスが尋ねると、エリザはエステルに目配せをした。
「ワシはこの国の生まれではないから正確なところまではわからんが……」
「マタロイでは男爵以上がそうですよー」
「あ、その辺りはハリストと同じなんじゃな」
エリザとエステルは主語もなしにわかり合うように頷きを交わす。レウルスには皆目見当もつかないが、それだけでわかり合える“何か”があったのだろう。
「簡単に言うと、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵が貴族じゃな。以前にも言った気がするが、騎士爵は貴族ではない。世襲制ですらないしのう」
レウルスに物を教えるのが楽しいのか、エリザは胸を張りながら説明する。そんなエリザに対し、レウルスは本当に良いところのお嬢さんだったのだなと実感した。
「じゃが、騎士爵になれば平民とも言えん。貴族に準ずる立場だと覚えておけば大丈夫じゃ。世襲が認められていないから騎士の息子が確実に騎士になれる保証はないがのう」
「……お、おう」
「補足すると、騎士爵の上に準男爵という爵位もあるんですよー。こちらは世襲が認められていますが、騎士爵と同様に貴族ではないんですー」
「……そ、そうなんですか」
前世の記憶が薄れているせいか、エステルとエリザの話を聞いたレウルスは曖昧な返事をすることしかできない。
「マタロイでは準男爵から男爵へ昇爵するのに何代かかるんじゃ?」
「特別な功績があっても二、三代はかかりますねー。運が良ければ生きている間に自分の家が貴族の仲間入りできるところを見れますよー」
レウルスには理解できないものの、エステルとエリザは何やら盛り上がっている。サラやミーア、ネディは元から理解するつもりがないのか、アクラの町並みを眺めて歩くだけだ。
「おっと……話を戻すが、家名はアレじゃ。余程阿呆なことを仕出かさん限り、その職責を子に継がせる証文みたいなもんじゃ。ディエゴ殿でいえばヴェルグ子爵家の騎士じゃろうから、ディエゴ殿に子がいれば騎士に任ずるじゃろう」
「その点コルラードさんは国の騎士みたいですからねー。準男爵までいけなければ子どもが生まれても継がせるものがなさそうですー」
(……よくわからないけど、コルラードさんとディエゴさんは同じ騎士でも上司が別……みたいな感じか? そういえばコルラードさんとルイスさんはお互いに殿付けで呼んでたっけ……)
コルラードとディエゴ、この二人のルイスに対する態度から違いを見分けたのだろう。
ディエゴはヴェルグ子爵家が認めた騎士だが、コルラードはマタロイが認めた騎士で立場が異なる。国が認めた者同士ということで、コルラードの立場はヴェルグ子爵家長男のルイスと同格に近いということか。
「この国でも直臣と陪臣の違いで揉めそうじゃなぁ……おばあ様も昔それで苦労したと言っていたのじゃ」
「わたくしも精霊教師という立場があるのでその辺りは苦労するんですよねー……」
エステルとエリザは互いに気になる点の確認をしているが、レウルスはそろそろ頭がパンクしそうである。
「どうじゃ? 理解できたか?」
魔物を狩りに行きたいな、などと現実逃避に考えるレウルスに対し、エリザが得意げに問いかけた。その問いかけを受けたレウルスは柔らかく微笑む。
「……その辺りのことは全部エリザに任せるぞ。頼りにしてるからな……」
必要な時がくれば、その都度エリザに尋ねれば良いだろう。時間があれば勉強しても良いが、詳しい者がいるのなら丸投げした方が手っ取り早い。餅は餅屋だ。
「……ん?」
エリザの思わぬ一面が見れたことに感嘆していたレウルスだが、不意に魔力を感じ取った。その魔力は道行く人々に紛れており、レウルスは少しだけ『龍斬』に意識を向ける。
(これだけ人がいるなら魔力を持ってる人がいてもおかしくは……いや、なんだこの魔力)
町中を巡回している兵士の中に魔力を持っている者がいたのだろうか。そう思考しながらレウルスは魔力を感じた方向を視線で探る。
感じ取った魔力はそれほど大きくないが、明滅するよう不自然に強弱が変化しているのだ。
魔力が強くなり、弱くなり、再び強くなる。それはまるでレウルスを誘っているようでもあり――。
「っ……おいおい、マジかよ」
感じ取った魔力の持ち主を見たレウルスは、思わずそう呟いていた。
レウルスの視線の先――そこには人混みに紛れて魔力を向けてくるグレイゴ教司祭、ローランの姿があった。
どうも、作者の池崎数也です。
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以前お知らせしました『世知辛異世界転生記』の書籍化について、活動報告を更新しました。
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それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。