第212話 ヴェルグ子爵家 その2
ルイスの思わぬ歓迎ぶりに困惑する暇もなく、レウルス達は応接間と思しき部屋へ案内される。それも、ルイス自ら先導してレウルス達を案内する厚遇ぶりだった。
応接間は二十畳ほどの広さで、玄関同様に赤い絨毯が床に敷かれている。壁際には品の良い木棚が設けられ、嫌味にならない程度に華美な置物が置かれていた。
壁には何枚もの肖像画が飾られているが、その顔立ちから判断する限りルイスの祖先に当たる者達なのだろう。
部屋の中央には来客用の革張りのソファーと、顔が反射して映り込みそうなほど磨かれたテーブルが置かれている。
レウルス達を先導して応接間に入ったルイスだが、玄関で出迎えた執事やメイドはそのほとんどがついてこない。ルイスに付き従ったのは執事の中でも最も年嵩の男性だけで、他の者達はそれぞれの持ち場に戻るようだった。
(結局武器もそのままだけど……大丈夫なのか?)
応接室に入る段に至っても、武器や防具に関しては何も言われていない。レウルス達が暴れることはないと思っているのかもしれないが、些か用心に欠けるのではないかとレウルスは思った。
「さて……改めて歓迎させてもらうよ。すぐに紅茶が運ばれてくるから、まずは腰を落ち着けてほしいな」
ルイスはレウルス達に貴公子然とした微笑みを向け、ソファーに座ることを勧める。客よりも先に座るべきではないと考えているのか、ルイスは立ったままだ。
「それでは、失礼しますね」
ルイスの勧めを受け、エステルは慣れた様子でソファーに腰かける。それを見たレウルスは僅かに迷ったものの、ソファーに座ったエステルの背後に立った。
「レウルス君も後ろのお嬢さん達も座ってくれて良いんだよ?」
「……いえ、俺達はエステルさんの護衛ですから」
失礼だとは思ったものの、レウルスはルイスに対して首を横に振った。
ルイス達が襲い掛かってくるとは思わないが、レウルス達はエステルの護衛依頼を受け負った身である。それに加え、“公的”には立場が上と思われるエステルと共に座るわけにはいかない。
(というか、『龍斬』が邪魔で座れないしな……)
背負った愛剣の存在もあり、物理的に座れないのだ。かといって『龍斬』を執事やメイドに預けるわけにもいかない。重さもそうだが、赤の他人が触ると“大惨事”になってしまうのだ。
「そうかい? 君達がそれで良いなら俺も構わないけど……」
そう言いつつ、ルイスは傍らに立つ男性に視線を向けた。
きっちりと執事服を着込んだその男性は、外見だけで年齢を判断するならば五十代の半ばといったところだろう。百八十センチには届かないもののレウルスよりも長身で、この世界では高齢に当たるにも関わらずその背筋は真っすぐだ。
ところどころに皺が目立つ顔立ちは年齢相応で、他者を安心させる穏やかな笑みを浮かべている。ロマンスグレーの髪をオールバックにまとめ、優しげに細められた眼差しが印象的な男性だった。
「私はヴェルグ子爵家の家令を務めております、セバス=ティアーノと申します」
そう言って一礼する男性――セバスだが、頭を下げる仕草にも品がある。
「……家令って?」
セバスの一礼を受けたレウルスは隣に立つエリザに小声で尋ねた。すると、エリザはどこか感心したような顔つきをしながら答える。
「簡単に答えると、使用人の中でも最も地位が高い者じゃ。家名を与えているということは、よほど信頼されておるんじゃろう」
レウルスと同じように小声で答えるエリザ。家名の有無がどんな形で評価につながっているのかわからなかったが、セバスの立場がおおよそは理解できたため納得したように頷く。
「セバスはお爺様の代から仕えてくれていてね。セバスのお父上はさらにその先代から……代々我が子爵家に仕えてくれているんだ。俺にとってはもう一人の祖父みたいなものだよ」
レウルスとエリザの会話が聞こえていたのか、ルイスはそう言って微笑む。その表情からはセバスへの信頼感が透けて見えるが、年齢だけで考えればたしかに祖父と孫ほどに離れているだろう。
そうやって少しばかり言葉を交わしていると、応接間の扉がノックされて一人の年若いメイドが入室してくる。そして手早く、しかし雑には思えない丁寧さでテーブルに紅茶と白い小瓶、クッキーらしき菓子を並べ、足音を立てることなく退室した。
時間で見れば僅かな間だったというのにそうとは思えない手早さ。埃すら立たないような、洗練された動きである。レウルスはそんなメイドの動きを見て内心で感嘆の息を漏らす。
「レウルス様達はこちらをどうぞ」
そして、“いつの間にやら”レウルス達の傍に背の高いテーブルが置かれ、紅茶等が並べられる。立ったままでも飲食できるようにとセバスが場を整えたのだ。
レウルスの傍にはレウルスの胸ほどの高さのハイテーブルを、エリザ達の傍にはそれぞれの身長に合わせたハイテーブルが置かれ、手を伸ばせばティーカップが摘まめるよう置かれていた。
「あっ、これはどうも……?」
反射的に礼の言葉を口にしようとしたレウルスだったが、妙な違和感を覚えて言葉が途切れる。
(おい……おいおい、ちょっと待て……この人、いつ動いた?)
涼しい顔をしてルイスの傍に戻るセバスに、レウルスは呆然とした視線を向けた。
メイドの動きに気を取られたのは確かだが、いつの間にかセバスの接近を許していたのである。足音を立てず、気配すら感じさせずにハイテーブルを運んでレウルス達の傍に並べたその手腕は、狐狸に騙されたかのようだ。
セバスの動きがあまりにも自然すぎて、エリザ達も今しがた起こったことに気付いていない。ごく自然に、当たり前のように紅茶を配られている。
――仮定の話ではあるが、セバスが悪意を持っていればどうなっていたか。
さすがに殺気を放たれればレウルスも気付くが、殺気すらも悟らせずに接近してくることもあり得る。
「ふむ……これほど良い香りの紅茶は初めてじゃ……ん? ん、んん?」
レウルスに遅れること数秒、紅茶の香りに目を細めたエリザが怪訝そうな声を漏らす。そして自分の傍にハイテーブルと紅茶等が置かれていることに意識が向き、目を見開いた。
パクパクと、金魚のように口を開閉しながらエリザがレウルスを見る。その顔は驚愕一色に染まっており、目の前の現実を認められないようだった。
「わー! なにこれお菓子? 食べて良いの?」
「サラちゃん、こういうのはちゃんと許可が出てから食べないと」
「……良い匂い」
サラはクッキーに視線を奪われ、ミーアはそんなサラを止めている。ネディは不思議そうに紅茶を眺めており、セバスの動きに疑問を持った様子はなかった。
(魔法……か? いや、どんな魔法だって話だよ)
魔法が存在する世界ではあるが、今しがた起こったことは魔法以上に魔法らしかった。レウルスが驚きを込めた眼差しをセバスに向けると、セバスは柔和に微笑む。
「これも執事の嗜みに御座いますれば」
(どんな嗜みですか?)
思わず口から出かかった言葉を飲み込み、レウルスは頬を引きつらせる。そして、それと同時に納得もした。
(家令だか執事だか知らないが、この人はルイスさんの護衛でもあるのか……)
それも、相当に腕が立つ。レウルスの知り合いの中で例えるならば、ジルバに似た空気を感じる男性だった。
武器を取り上げないのも納得だ、とレウルスは内心で呟く。『龍斬』は室内では振り回しにくい長さがあるが、武器を抜くよりも先に“どうにかできる”と考えているのだろう。
(魔力は感じないけど……この人もジルバさんみたいに魔力を隠せる腕がありそうだな)
驚くべきか警戒するべきかレウルスが迷っていると、そんな迷いを断ち切るようにエステルが口を開く。
「レウルスさん達の飲み物も用意してもらいましたし、そろそろご用件をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
レウルス達に背を向けてソファーに座るエステルの表情は窺い知れないが、その声色は普段よりも硬く聞こえた。間延びしていないというのもあるが、おそらくは貴族向けの話し方なのだろう。
「ええ、もちろんです。いくつか話したいことがあるんですが、まずは……」
エステルが用件を話すよう促すと、ルイスはその視線をレウルスへと向ける。
「コルラード殿にも謝罪の手紙を届けてもらったが、改めて謝罪しよう。俺の従兄殿が失礼をしたね」
「従兄、ですか?」
失礼云々で思い出すのはカルロだが、従兄と言われてもレウルスにはピンとこない。髪や瞳の色もそうだが、顔立ちもルイスとは似ていないのだ。
「ああ、カルロは伯父の子さ。ルヴィリア……カルロにとっては従妹を助けてくれたのだから、身内が使者に立つべきだろうと言われてね。もっともな話だからと頼んだんだが……」
カルロの部下から報告を受けて驚いたよ、とルイスは困惑したように話す。
(なんで俺がこんなことを、なんて思いっきり罵倒してたけど……)
カルロの様子を思い出し、レウルスは僅かに首を傾げた。
「いや、これは言い訳だな。命じたのは俺なんだから、その責任の全ては俺にある……だからこその謝罪さ。君には不快な思いをさせてしまい、申し訳なく思う」
そう言ってルイスは疲れたように目を伏せるが、すぐに表情を繕って笑みを浮かべる。
「それと、謝罪だけでなく感謝もさせてほしい……妹のルヴィリアを助けてくれてありがとう。心から感謝しているよ」
言葉通り、心からの安堵と感謝を込めるようにしてルイスが言う。その時ルイスが浮かべたのは、妹の身を案じる兄の顔だった。
ただし、謝罪や感謝をすると言いながらルイスが頭を下げることはない。貴族としての立場がそうさせるのか、レウルスを真っすぐに見つめながら言葉を紡ぐだけだ。
「ルヴィリア様をお助けいただき、私からも……いえ、使用人一同感謝しております」
だが、そんなルイスから意識を外すようにセバスが腰を折って一礼する。折り目正しく頭を下げるその姿に、レウルスは思わず苦笑を浮かべた。
「既に手紙を受け取っていますし、コルラードさんからも話を聞きましたから」
「それでも、こうして顔を合わせる機会があったのなら言葉にするべきだとは思わないかい?」
ルイスの言葉に、それもそうかとレウルスは納得する。距離があるため使者に手紙と言葉を託したが、顔を合わせることができたのならば直接礼なり謝罪なりをするのが筋だろう。
「顔を合わせて話す方が、話したいことも誤解なく伝わる……“だからこそ”、コルラード殿に頼んで君達を呼んだのさ」
そう言って微笑むルイスだが、これからが本題なのだろう。
それを察したレウルスは気を引き締めるのだった。