第210話:新たな依頼 その3
「ジルバさんは一度も訪れていない……ですか?」
「ええ。この教会もそうですが、近隣の教会からもジルバ様がいらっしゃったという話は聞いていないです」
繰り返すように尋ねたレウルスに答えたのは、アクラに教会を構える年老いた男性だった。レウルスは以前アクラを訪れたことがあるが、その際にも顔を合わせた六十代と思しき男性である。
(わざわざ嘘を吐く理由もないだろうし……ジルバさんはどこに行ったんだ?)
話を聞いた限りでは、教会どころかアクラに来た形跡すらないらしい。仮にジルバが門を通った場合、すぐに噂が広がるぐらいには有名人なのだ。
「そうであるか……そうで、あるか……」
レウルス達がアクラに入る際、身元を保証してくれたコルラードは今にも膝を突かんばかりに落ち込んだ様子だった。人目がなければそのまま崩れ落ちていたかもしれない。
「あーっと……コルラードさん? 俺達はこれからどうすればいいですかね?」
エステルをアクラまで護衛してきたが、到着してからが問題である。ヴェルグ子爵家に対して反発する精霊教徒を宥めるにしても、自分達だけで勝手に動いて良いのか。
「吾輩はこれからルイス殿のところに報告に行ってくるのである。今日は既に夕刻……ルイス殿次第ではあるが、早ければ明日にでも迎えの使者が来るであろう」
まずはルイスに精霊教師であるエステルを連れてきたことを報告し、判断を仰ぐということだろう。レウルス達はエステルの護衛のため、行動を共にする必要がある。
「早ければ明日、ですか……俺達も同行して良いんですよね?」
「うむ。エステル様の護衛で、なおかつお主はルヴィリア嬢を助けたからな。ルイス殿も顔を合わせて礼を告げたいと言っていた。何も問題はなかろうよ」
グレイゴ教徒が既にアクラの中に入り込んでいるかもしれないのだ。エステルから離れるわけにもいかないが、コルラードが問題がないというのなら大丈夫だろうとレウルスは判断する。
「明日ですね、わかりましたー。わたくしとしても、まずは旅の汚れを落としたいですからー」
話を聞いていたエステルはいつものように間延びした声で答えるものの、その顔には疲労の色が滲んでいた。
夜間は休めたが、一週間ほど強行軍で駆け抜けてきたのである。エリザやミーアもエステルと同様に疲労の色が透けて見えた。
それでも、エステルは疲れの色が表に出ているだけで不調とまではいかないらしく、思ったよりも体力があったらしい。あるいはエリザやミーアよりも『強化』の扱いが巧みなのだろう。
「それでは吾輩は失礼するのである……エステル様を頼んだぞ?」
後半の言葉はレウルスだけに聞こえるよう小声で呟き、コルラードは部下を伴って教会を後にする。レウルスはコルラード達を見送ると、精霊教徒の老人に頼み込んで早速休息を取ることにした。
レウルスは精霊教の客人で、エステルは精霊教徒の上に立つ精霊教師である。精霊教徒の老人はレウルスの申し出を聞き、嬉しそうに快諾した。
「いやはや、精霊教師様をお世話できるとは……長生きはするものですな」
「あはは……お世話になりますー」
老人はそう言って破顔するが、エステルはなんとも曖昧な笑みを浮かべる。チラチラとサラやネディに視線を向け、困ったように礼を告げた。
レウルスはそんなエステル達のやり取りを聞き終えると、即座に提案を行う。
「エステルさんには悪いけど、部屋の中でもエリザ達と一緒にいてくれるか? 部屋が狭いなら……そうだな、ミーアとサラが護衛に就いてくれ」
エリザ達だけならばレウルスも同室で過ごすだろうが、年頃の女性であるエステルが寝泊りする部屋に入り込んでレウルスが護衛を行うわけにもいかない。
このまま教会の客室を借り続けるかはわからないが、泊まる部屋の大きさに応じて護衛に就く者を決めようと提案した。
部屋が広いならばエリザ達全員で、狭いならば近接戦闘を行えるミーアと火炎魔法や敵の感知に長けるサラに護衛を頼むことにする。サラの場合はレウルスに対して『思念通話』を使えるため、有事の際には即座に連絡するよう言い含めることも忘れない。
「レウルスはどうするんじゃ?」
休むだけでも決めることがあって気が抜けないが、手を抜くことはできないだろう。一通り決め終わると、エリザが不思議そうな顔をしながら尋ねた。
「なるべく近い部屋を借りるか、最悪廊下で寝るさ」
レウルスとて疲れが皆無というわけではないが、優先すべきはエステルの身の安全だ。近くで寝泊りするだけでなく、周囲の見回りなどもした方が良いだろう。
エステルの身に何かがあれば、ジルバにも申し訳が立たない。そのジルバがどこに行ったのかだけが気がかりだったが、今は少しでも疲労を抜くべく早々に休息を取るレウルス達だった。
明けて翌日。
レウルスが危惧していたグレイゴ教徒による夜討ち朝駆けもなく、十分とはいえないが休息を取ることができた。
そして今日はどう動くか、あるいはヴェルグ子爵家からの使者を待つべきかとレウルス達が相談していると、早速ヴェルグ子爵家からの使者が教会を訪れたのである。それも、レウルスとしては予想外のことに馬車を率いての来訪だった。
「失礼、精霊教師のエステル様と『魔物喰らい』のレウルス殿がこの教会にいらっしゃると聞いたのだが……」
時刻は十時を過ぎた頃だろう。金属で作られた鎧を身に纏い、槍を手に携えた一人の男性が教会を訪れた。
「レウルスは俺ですが、どちら様ですかね? ご用件を聞いても?」
アクラにグレイゴ教徒が入り込んでいるのかすらもわからないが、正面から正々堂々と姿を見せるとは思えない。それでも護衛としてレウルスが確認を取ると、兵士と思しき男性はレウルスの顔を見て目を見開く。
年齢は三十歳前後に見えるコルラードと同年代か、やや下といったところだろう。兜をかぶっているため髪型はわからないものの顔立ちは精悍で、身長はレウルスよりも若干高い。体躯はしっかりと鍛えられているらしく、体の厚みが感じ取れた。
「おおっ、貴殿がレウルス殿か。先日は世話になりましたな」
男性はレウルスの顔を確認し、数秒と経たずに破顔した。その反応にレウルスは眉を寄せたが、男性の顔を見て納得したように頷く。
「ああ……キマイラの時の方ですか」
男性はルヴィリアが乗る馬車がキマイラに襲われた際、レウルスが助けに入った兵士だった。レウルスの言葉を聞いた男性は大きく頷き、レウルスに対して一礼する。
「私はディエゴ=ネイト=アルバーニ。貴殿のおかげでルヴィリア様を無事に送り届けることができ、部下達も怪我程度で済みました。感謝いたします」
礼儀正しく、冒険者であるレウルスに対して何の隔意もないように感謝の意を告げる男性――ディエゴ。
そんなディエゴの態度を目の当たりにしたレウルスは、困ったように頬を掻いた。
「その件に関しては、コルラードさんから……いえ、ルイス様? からも謝礼金と一緒に感謝の言葉をいただきましたから、気にしないでください」
金貨十枚という大金と共に感謝の言葉も受け取ったのだ。畏まって礼を言われると、レウルスとしても反応に迷ってしまう。
「そうもいきますまい。騎士としては情けない限りですが、ルヴィリア様や部下達の命を救ってもらったのです。こうして顔を合わせておきながら礼の言葉も言えぬなど、騎士以前に人倫に悖るというものでしょう」
レウルスは冒険者として、廃棄街の人間として他所の人間から雑な扱いを受けることには慣れている。だが、騎士からここまで礼節を重んじた態度と言葉を向けられると、どう答えるべきかわからなかった。
(これならカルロやコルラードさんみたいな相手の方が対応しやすいな……)
折り目正しい態度を向けられたのなら、相応の態度を返すべきではないかと元日本人の感覚が訴えかけてくる。前世の記憶は薄れてしまっているが、どうにも落ち着かないのだ。
「えーっと……とりあえず、ディエゴ様の感謝は受け取りますね?」
「様付けなど不要です」
「……では、ディエゴさんと呼ばせていただきます。用件をお聞きしても?」
冒険者に対して騎士がそれで良いのか、という言葉を飲み込んでレウルスが尋ねる。おそらくはディエゴの性格なのだろうが、騎士というよりも武人という印象が強い男性だった。
「ヴェルグ子爵家当主代行、ルイス=ヴィス=エル=シン=ヴェルグ様より言付けを預かっております。精霊教師のエステル様、『魔物喰らい』のレウルス殿を屋敷へ招待したいとのことです」
そう言ってディエゴはレウルスとその背後に控えていたエステルへ視線を向ける。
「お二方のご都合さえ良ければ、私がこれからご案内いたします。ご都合が悪い場合は日時を指定していただければ予定を空けておくとのことです」
「……わたくしは大丈夫ですけど、レウルスさんはどうしますかー?」
ずいぶんと腰の低い申し出だとレウルスは思ったが、エステルは僅かに考え込んでからすぐさま承諾した。そして決断をレウルスに委ねてくる。
「俺はエステルさんの護衛ですからね……エステルさんが良いのなら今からお願いしましょうか」
思ったよりも相手側のフットワークが軽い。その事実に嫌な予感を覚えるレウルスだったが、面会の日時を遅らせても事態は好転しないだろう。
「ディエゴさん、精霊教師の“エステル様”の護衛……いえ、付き人として数人同行させたいのですが」
「もちろん構いませんとも」
レウルスとエステルだけで来いと言われたら戦力的に困るところだったが、エリザ達が同行しても良いらしい。
その物分かりの良さに一抹の不安を覚えつつ、ディエゴに促されるままレウルス達は馬車に乗り込むのだった。




