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第20話:警戒態勢 その1

 翌日、ラヴァル廃棄街では朝からピリピリとした空気が広がっていた。近辺にキマイラが現れたことが周知されており、緊張と恐怖が空気を伝って広がっているようである。


「あー……くそっ、腹が立つ……」

「一晩経って頭冷やしたと思ったが、まだ荒れてんのか」


 ラヴァル廃棄街の空気を感じ取って苛立たしげに吐き捨てるレウルスに対し、傍にいたトニーは苦笑しながらそう言った。


 場所はラヴァル廃棄街の南、奴隷として売られたレウルスが苦労の末にたどり着いた町の入口である。そこで木製の門を背にしながらぶつぶつと呟きつつ、レウルスは遠くに目を向けていた。


 キマイラの出現に合わせ、ラヴァル廃棄街の冒険者はその全てが緊急事態ということで駆り出されている。それは駆け出し冒険者のレウルスも例外ではなく、比較的安全な依頼として外敵を見張る門番を手伝うことにしたのだ。

 昨日まで使っていた装備の大半はニコラとシャロンを運ぶ際に放棄していたが、緊急事態ということで咎められることはなく、新たに剣や革鎧を借りることができた。靴と脚甲だけは自前のものだったが、最近慣れた武装の重さが今は少しだけ頼もしい。


 幸いと言うべきか、ニコラとシャロンを運んだことによる筋肉痛は大したことがなかった。前世で死んだ頃、運動不足も甚だしいタイミングで体験すれば数日は筋肉痛でのた打ち回っただろうが、冒険者として活動できる程度の痛みしか伝えてこない年若い体に感謝したいレウルスである。

 他の冒険者は二手に分かれており、一方は離れた場所にある畑へ向かう際の護衛に、もう一方はラヴァル廃棄街から離れてキマイラの襲来に備えていた。また、キマイラを恐れて普段の行動範囲から外れて襲ってくる魔物もいるため、そちらの処理も担当している。


「だってよトニーさん、いくらなんでもこりゃおかしいだろ。この町を囮にして時間を稼いで、その間に戦力を整える? 最初から整えとけよって話だよ。そうすりゃすぐにキマイラを迎撃できるだろうに!」


 ニコラとシャロンでは敵わなかったが、その二人も正式な訓練を積んだ兵士と比べて特別強いわけではない。ラヴァルの町にどれだけの兵士が所属し、どれほど強いのかわからないが、自分達に飛んでくる可能性がある“火の粉”なら払ってほしかった。


「なあレウルス。お前さん、キマイラの魔物としての階級は知ってるか?」

「知らねえ。でもこれだけの騒ぎになるのなら上級じゃねえの?」


 さすがに最上級ではないだろうが、それでもまさか下級や中級ではないはずだ。そんな予想を込めて答えるレウルスに対し、トニーは周囲の警戒として遠くを見ながら呟く。


「中級上位だ……上級にも届いてねえんだよ。それにある程度の知能もあるから、ラヴァルの町みたいに防壁が整っている場所を攻めることも稀だ」

「……つまり?」


 キマイラですら中級に属する魔物と聞き、レウルスは頭が痛くなった。だが、今はそれよりもトニーの言葉の先を促す。


「ラヴァルのすぐ近くで陣取ってるならともかく、多少距離が離れてるならそのまま放置するかもしれねえ。あわよくば“俺達”が倒すかもってな。例え倒せなくても、弱らせることぐらいはできるって考えるだろうさ」


 そう語るトニーだったが、先日のナタリア同様それが当然だと言わんばかりの口振りだった。レウルスは数秒間絶句していたが、よりいっそう不機嫌そうに歯を噛み締める。


「……この町ってさ、俺にとっちゃあ天国みたいなもんなんだよ」

「へぇ……天国たぁずいぶんと持ち上げてくれるじゃねえか。話ついでに何を思ってそう考えたか聞かせてくれよ」


 不機嫌そうなままで呟くレウルスに対し、トニーは興味深そうに目を瞬かせた。


「俺がいた村のことは知ってるだろ? あそこと比べれば不当に虐げられることもないし、理不尽な目にも遭わないんだ。働けば美味いもんを食えるし、屋根も壁もしっかりしてる場所で寝られる……」


 当然のことではあるが、前世での生活と比べればラヴァル廃棄街での生活も酷いものだろう。しかし十五年もの歳月を過ごしたシェナ村での生活と比べれば雲泥の差であり、それこそ天国もしくは極楽浄土とすら言える。


 ――“だからこそ”、ナタリアやトニーの態度が気に入らないわけだが。


「でもさぁ……なんでみんな最初からコレが当然だって受け入れてるんだよ」


 ほんの十日にも満たない短い滞在期間だったが、レウルスにとってラヴァル廃棄街は過ごしやすい場所だった。ドミニクやコロナが特にそうだが、一度受け入れれば身内として気安く接してくれたのだ。


 それは十五年にも渡る厳しい生活で擦り減っていたレウルスの肉体と精神を癒し始め、愛着を抱かせるには十分なものだったのである。まだまだ胸を張ってラヴァル廃棄街の人間だとは言えないが、レウルスにとっては大切な場所にも成り得るのだ。

 あるいは、既に大切な場所と言えたかもしれない。他の町や村に伝手はなく、シェナ村に戻る気は微塵も存在しない以上、ラヴァル廃棄街以外で生きていくのは困難だからだ。


 他の町や村にたどり着いたとしても、ラヴァルのように門前払いされる可能性もある。仮に町や村に入ることができたとしてもまともな職には就けないだろう。

 そんな環境で生きていけるとは思えず、仮に生きていけるとしてもシェナ村での生活と同等かそれ以下の扱いを受けそうだ。


 それらの有り得るであろう未来と比べれば、ラヴァル廃棄街はやはり天国に等しい。シェナ村というこの世界でも最底辺と思わしき場所と環境で生きてきたからか、余計にそう思うレウルスである。

 例えすぐ傍にあるラヴァルの町から見捨てられようと、住人達が強力な魔物相手に犠牲前提で考えていようとも、だ。


「この世界ってやっぱり理不尽だよな。なんだよ強い魔物への囮とか、エサとか。人間をなんだと思ってるんだよ……」

「ハッ、世の中そんなもんさ」


 不満が渦巻いて愚痴となって零れるが、それを聞いたトニーは鼻で笑い飛ばす。そう言われてしまえばレウルスとしても“そういうもの”なのだと理解するしかないが、納得できるかは別の話だった。








 正午を知らせる鐘の音がラヴァル廃棄街に鳴り響く。それを聞いたレウルスはトニーに一言断ってから持ち場を離れると、昼食を取るべくドミニクの料理店へと足を向けた。


 この世界でも時間の概念があり、一時間おきに鳴らされる鐘の音が生活の指針になっている。腹が減っては戦はできぬと言うがそれは真理であり、レウルスが食事を取るために持ち場所を離れることをトニーは咎めなかった。

 本来ならば食事抜きで依頼を継続するか、その場で食べられるものを用意しておくべきだろう。しかしレウルスの立場は駆け出しの冒険者であり、正直なところいてもいなくても大して変わらないのが実情だ。


(“昼休み”の時間通り休憩に入れて食事が取れる……なんて素晴らしいことなんだ)


 前世での社会人生活やシェナ村での農奴生活を思い出し、レウルスは内心で感動の声を上げた。


 前世では仕事が昼休みに食い込むことは日常茶飯事であり、シェナ村ではそもそも昼休みなど与えられなかった。そのため時間通りに休めることはレウルスとしてもありがたく、足早にドミニクの料理店に向かう。

 普段ならばまだ店が開いていないのだが、普段と違って多くの冒険者がラヴァル廃棄街の近くで活動しているため、前倒しで開店しているのだ。


「こんちわーっす。おやっさん、昼飯……を……」


 扉を開けてドミニクの料理店に入り、食事を注文しようとしたレウルスの声が途切れる。冒険者が食事を取っていると思ったものの、人影はほとんどない。その代わりに店内にいたのは――。


「ん? なんだ、このガキは?」


 レウルスが見たことのない、強面の男だった。


 ドミニクと言葉を交わしていたその男の身長は、一見しただけでも百八十センチを超えている。それでいて筋骨隆々とした体躯を持ち、似たような体格のドミニクと比べても一回り大きく見えるほどだった。

 ズボンに半袖というシンプルな衣装を身に付けているが、隆起した筋肉によって今にもはち切れんばかりである。その上、レウルスが絶句したのには“別の理由”があったのだ。


 剃っているのか、あるいは自然とそうなったのか、スキンヘッドの頭部。左目には黒い眼帯を付け、顔のいたるところに傷跡が走っている。その中でも一際目を引くのは右頬の傷であり、斬られたのか抉られたのか、一本の巨大な傷跡が浮かび上がっていた。


(なん……なっ……え、や、ヤクザさん?)


 もしも前世の道端で出会えば、即座に視線を外して道を譲っていただろう風貌である。よく見れば首回りや両腕にも傷跡があり、男の纏う雰囲気に剣呑な色を付け足していた。

 更には眼帯の反対側、レウルスを見据える右目は鋭く、明らかに堅気の人間ではない。依頼の最中ということで完全武装のレウルスだったが、眼前の男にカツアゲされれば素直に全財産を差し出してしまいそうだった。


「レウルスか……すまんが今は少し立て込んでいてな」

「あっ……ああ、はい、そ、そうですか」


 戦慄するレウルスに気付き、ドミニクが声をかけてくる。それでようやく我に返ったレウルスは何度も頷くと、即座にこの場から逃走を図ろうとした。


「……レウルス? ああ、そういえばドミニク、お前が推薦した奴がそんな名前だったか」


 しかし、自分の名前を呼ばれたことでレウルスは逃げ出すタイミングを見失ってしまう。聞かなかったことにして回れ右をしたかったが、僅かに細まった男の眼差しがそれを許さなかった。


「どんな奴かと思ってはいたが、まさかこんなガキとはな。ニコラやシャロンは使い物になったが、“コレ”が役に立つとは思えん……耄碌したか?」

「……ハハハ。なんというか、すいませんね“こんなの”で。こちとら田舎から出てきたばかりの田舎者なんで、勘弁してくださいよ」


 ドミニクを馬鹿にするような言葉を聞き、レウルスは逃げ出そうとしていた足をしっかりと床につける。そしてその上で肩を竦め、男の言葉に反発するよう笑って返した。


 もしも道端で出会っただけならば、レウルスは遠慮なく逃げ出しただろう。だが、恩人であるドミニクを侮るような発言を聞いた以上、この場から逃げるわけにはいかなかった。


「……ほう」


 逃げるではなく、挑むように睨み返すレウルスを見て男は少しだけ感心したような声を漏らす。続いてレウルスを頭から爪先まで眺めると、鋭く細めていた右目を少しだけ緩めた。


「ふん……この町に来た経緯は聞いちゃいるが、少しは使えそうじゃねえか」

「そりゃどうも……で、アンタは誰だよ」


 相手の立場がわからない以上は下手に出るべきだろうが、男の態度がレウルスから礼儀という言葉を剥ぎ取っていた。噛み付くようにしてレウルスが尋ねると、男は鼻を鳴らす。


「俺はバルトロ。ラヴァル廃棄街の冒険者組合で組合長をやっている」

「冒険者組合の……組合長?」


 つまり、レウルスにとっては自分が所属する組織の長であり、前世で言えば社長とでもいうべき存在である。


(ということは何か? 俺は初対面で自社の社長に喧嘩を売ったわけか?)


 前世で務めていた会社だったならば、後日左遷されても納得できてしまうほどの暴挙だった。それでも相手の立場を知ったからといって態度を変える気にもなれず、レウルスは眉をひそめて尋ねる。


「……で? その組合長とやらがおやっさんに何の用だよ」


 レウルスと同じように食事をしに来た、という柔らかな雰囲気ではない。ドミニクとバルトロの間には真剣とも緊張とも取れる気配が漂っており、駆け出し冒険者のレウルスでさえ感じ取れるほどだ。


「なに、大したことじゃない。キマイラの討伐についてドミニクにも助力を頼みに来ただけだ」


 警戒するように尋ねるレウルスに対し、バルトロは何でもないことのように言う。それを聞いたレウルスは目を瞬かせると、厨房に立つドミニクに視線を向けた。


「おやっさん、炊き出しでもするのか? だったら手伝うけど」

「……違う」


 料理店を営むドミニクが手伝えることなど、それこそ料理に関係することだろう。そう考えて提案するレウルスに対し、ドミニクは小さく首を振った。

 それならば何を手伝うのか。首を傾げるレウルスを見て、バルトロも同じように首を傾げる。


「なんだ小僧、お前はドミニクの腕を知らんのか? 今は引退しちゃいるが、元々はこの町でも有数の冒険者だったんだぞ?」

「え……マジで?」


 そう言われてドミニクを見る。バルトロほどではないが、百八十センチ近い身長に筋骨たくましい肉体はたしかに荒事に向いてそうだ。言われてみれば、ドミニクが持つ奇妙な迫力にも納得というものである。

 初めて冒険者組合に連れて行かれた時に魔力の計測を行ったが、ドミニクは魔法を使えるとも聞いていた。どんな魔法かまではわからないが、魔法が使えるのならば弱いということもないだろう。


「ちなみに、冒険者としてはどんなものなんで?」

「上級下位だ」

「ニコラ先輩達より格上かよ!? というかキマイラより上じゃねえか!?」


 たしかに堅気の雰囲気ではなかったが、それほど強いとは思わなかった。その驚きからレウルスは目を見開くものの、当のドミニクはため息と共に肩を竦める。


「……昔の話だ」


 それは謙遜か、あるいは事実なのか。淡々と答えるドミニクを尻目に、バルトロは何かを思い出すように目を細める。


「昔と言ってもそれほど時間も経ってねえだろうに。小僧、ドミニクについてはこの町じゃあ有名な話だ……まあ、この町に来たばかりじゃ知らねえのも仕方がねえか」

「その有名な話を知らなかったのは色々とショックだな……でも、今は冒険者を引退してるんだろ? それを引っ張り出すってのはどうなんだよ」


 バルトロがドミニクの“腕”を見込んでこの場に来たというのは理解した。しかし、ドミニクが言う通りそれは過去の話だろう。


 ドミニクがどれほど強かったのかレウルスは実際に見たことがないが、料理店を営むようになった以上、冒険者としての腕も落ちているはずである。それだというのにわざわざドミニクを頼るというのが、レウルスには納得できなかった。


「実戦から退いて腕も落ちているだろう。勘も鈍っているだろう。だが、それでも手を借りる必要がある」


 レウルスの言うことなど、バルトロも理解している。しかしそれでもドミニクの助力が必要だと言い放ち、続いてため息を吐いた。


「ニコラとシャロンの二人でも仕留めきれなかったんだ。そうなると切れる札も多くねえ。だが、この町の冒険者組合長としては何を使ってでも町を守る義務がある」

「……ああ、わかっている。俺で良ければ力を貸そう」


 ある程度話がまとまっていたのか、それとも途中で乱入したレウルスにも聞かせるためだったのか。バルトロの要請をドミニクが受け入れると、バルトロは満足そうに頷いてから店の外へと歩き始める。


 レウルスは反射的にバルトロを引きとめようと口を開くが、結局は何も言うことなく口を閉ざす。レウルスもラヴァル廃棄街の一員であり、そうであるからこそバルトロも追い出さずに話を聞かせたのだと察したのだ。

 ドミニクが請け負った以上何も言えることはなく、レウルスは傍にあった椅子に座り込んで頭を掻く。


「……ちなみにだけどおやっさん、コロナちゃんも滅茶苦茶強かったりはしないよな?」


 冒険者を引退したにもかかわらず戦いに引っ張り出されるドミニクに何を言えば良いかわからず、この場に姿が見えないコロナについて冗談混じりに尋ねるレウルス。それを聞いたドミニクは料理作りを再開しつつ、鼻を鳴らした。


「そんなわけないだろう。精々、お前が血迷って娘を襲おうとしたらそのまま“畳める”ぐらいだ」

「…………」


 レウルスの軽口に冗談で――“おそらくは”冗談で返すドミニク。その切り返しにレウルスは沈黙すると、数十秒経ってから再起動する。


「とりあえずおやっさん、何か適当に料理を頼むよ。飯を食ったら依頼に戻るから……」


 今しがた聞いたことは忘れることにして、まずは腹ごしらえをしようとレウルスは思った。


 キマイラが襲ってくればドミニクも戦うことになるようだが、それは襲ってくればの話である。魔物と言ってもわざわざ防御を固めているラヴァル廃棄街を標的にするとは思えず、しばらく警戒してればどこか別の場所に縄張りを変えるかもしれないのだ。

 ドミニクの料理が出来上がるまでの間、今回の騒動が何事もなく沈静化することをこの世界に居るとも知れぬ神様に祈るレウルスだった。




 ――翌日、早朝から鳴り響いた警鐘の音に、祈りなど無意味だと思い知らされることになったが。







どうも、作者の池崎数也です。

毎日のように後書き欄をお借りしています。


早いもので拙作もプロローグを除いて20話まできました。評価ポイントも1万を超え、大変驚いております。更新の度にご感想やご指摘もいただくことができ、嬉しい限りです。


それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。

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