第207話:状況確認
コルラードがラヴァル廃棄街を訪れて三日が過ぎた。
冒険者としての仕事をこなしつつジルバの帰還を待っていたレウルスだったが、どうにも雲行きが良くない――漠然とした勘ではあるものの、コルラードがラヴァルに滞在している残りの日数でジルバが戻ってくるように思えなかったのだ。
そのため、レウルスは依頼の帰りに精霊教の教会へと足を向けた。エリザ達は一足先に帰らせ、レウルス単独である。
「おっ、子ども達は相変わらず元気そうだな……っと、エステルさんはこっちか?」
教会の裏手から聞こえてくる孤児達の声。十人近い子どもが同居しているため外まで騒ぐ声が聞こえてくるが、その元気の良さにレウルスは頬を緩めた。
しかしすぐさま表情を引き締めると、エステルの魔力を探りながらレウルスは教会の扉を開ける。
「こんにちはー……エステルさん、いますか?」
教会の中から魔力を感じたため声をかけてみるが、反応はない。かといって魔力が移動しているわけでもなく、教会の中に魔力がある以上はエステルがいるはずだった。
まさか教会の中で昼寝でもしているのか、などと考えたレウルスだったが、さすがにあり得ないと思いながらエステルの姿を探す。すると、教会の中に設置された大精霊を模したと思わしき石像の傍にエステルの姿があった。
エステルは石像の傍で膝を突き、目を閉じながら両手を胸の前で組んで一心に何事かを祈っている様子である。その集中力は傍目にも明らかで、レウルスが教会に足を踏み入れて声をかけたことにも気づいていないのだろう。
十五歳の成人を迎えて一年近くが過ぎたレウルスよりもエステルは年上だが、百五十センチを僅かに超えるかどうかの小柄さがそれを悟らせない。身近なところで言えばエリザ以上コロナ未満の身長なのだ。
もっとも、小柄なのは身長だけでスタイル的な意味では先の二者を遥かに上回る。身長の低さを踏まえて考えれば、スタイルの良さではナタリアすら超えるだろうか。
修道服に似た黒色を基調とした服を身に着け、黒色のベールを被って露出を少なくしているものの、その色気は宗教者としてどうなのかと思うレウルスだった。
――“そんなこと”よりも気にするべきことがあってこの場を訪れたのだが。
押しかけたのは自分の方だから待つべきか、それとも出直すべきか。レウルスは僅かに逡巡したが、決断を下すよりも先にエステルが目を開いた。そして視線を巡らせてレウルスの姿を見つけると、驚いたように小さく目を見開く。
「レウルスさんじゃないですかー……いつからそこにー?」
驚きはほんの一瞬で、エステルは気の抜けるような笑みを浮かべ、これまた気の抜けるような間延びした声をかけてくる。
「ついさっきですよ。邪魔したようですいません」
「いえいえー、気付かなかったわたしが悪いんですからー……それで、ご用件は?」
言葉の最後に真剣さを覗かせながらエステルが尋ねた。レウルスはどう答えたものかと悩んだが、迂遠なやり取りをしている余裕もないと判断して直球をぶつける。
「ジルバさんが帰ってきていないかの確認と、西の方で精霊教徒が領主に反発している件についてです」
「あらー……ジルバさんは相変わらず戻っていませんが、その件ですかー」
エステルは右手を頬に当て、困ったように微笑んだ。
「精霊教の客人であるレウルスさん宛に、ヴェルグ子爵家から使者が来た……それは噂で聞いたんですけどねー? そうですかー……知られてしまいましたかー……」
そう話すエステルの顔はどこか申し訳なさそうでもある。
以前ジルバの行く先に関して尋ねた際は言葉を濁されたが、精霊教に関する用件で外出しているのなら、部外者であるレウルスには伏せたいと思ってもおかしくはない。
しかし、今回はレウルスも関わりを持ってしまった。様々な要因が絡んでいるが、精霊教の客人という立場を持つレウルスに対して“手”が伸びてきたのである。
それを知っているからかエステルは僅かに目を伏せ、声色に謝罪の色を混ぜ込んだ。
「ごめんなさい……レウルスさん達を巻き込みたくはなかったのですよー」
「いや、巻き込まれたというか、こっちから首を突っ込んだというか……姐さんからある程度話は聞いてますけど、“事情”を聞いても良いですか?」
巻き込みたくなかったと言うが、レウルス達が冒険者組合からの調査依頼を受けずにラヴァル廃棄街にいた場合、ジルバからの依頼があったはずである。その点を考えれば、どの道巻き込まれていた可能性が高いように思えた。
(待てよ……もしもジルバさんからの依頼があったとしても、エステルさんの護衛なら俺達よりもエステルさんに目が向きそうだし、貴族連中と接することもなくて逆に安全……なのか?)
僅かに思考が逸れてそんなことを考えるが、今更もしもの話をしていても始まらない。レウルスがエステルをじっと見つめると、エステルは数秒逡巡して語り始める。
その内容は、ナタリアから語られたものとほぼ同じだった。
どこからか噂を聞き付けたのか、優れた治癒魔法の使い手であるエステルに対してルヴィリアの治療に関して依頼がきたこと。
依頼を受けたとしても教会の孤児達を放置するわけにもいかず、教会にジルバを残す必要がある。その場合はヴェルグ子爵家の領地へ同行する護衛が必要だが、護衛を務められる技量を持つレウルス達が冒険者組合からの依頼で不在だったこと。
結局相手側が折れてラヴァルまで足を運んだものの、ルヴィリアの治療はエステルの腕をもってしても不可能で――“治療よりも”ヴェルグ子爵家の領地に住まう精霊教徒に関する話を優先してされたこと。
「……精霊教徒の話をしてきたのは誰だったんですか?」
エステルの話を聞いていたレウルスは、ふと引っかかるものがあって尋ねていた。
「若い男性でしたよー? 若いといっても、わたくしやレウルスさんよりは年上でしたがー……なんといいますかー、その、ちょっとだけ横柄な方でしたー」
「ちょっと?」
「……か、かなり?」
他者の悪口が苦手なのか、エステルは言い難そうにしている。だが、レウルスとしてはそんなエステルの反応から思い当たる節があった。
(この前の騎士か……たしかカルロだったか?)
どうやら精霊教師のエステルが相手でも“あの態度”を貫いたようだ。
隣のラヴァルで診察を行うということでジルバも護衛として同行したはずだが、ジルバを前にしても態度が崩れなかったのなら逆にすごいことではないか、とレウルスは内心だけで呟く。
「ヴェルグ子爵家の領地に住まう精霊教徒が非協力的だから、子爵家に協力するよう精霊教師として命じろ……なんてことを言われましてー」
「そいつはまた……」
すごいことを言うな、とレウルスは思った。
レウルスは精霊教に詳しいわけではなく、精霊教師がどのような立場に置かれているか理解しているわけではないが、精霊教師が精霊教徒に命令できる立場とは中々思えない。
ジルバとは何度か共に旅をした間柄だが、その名声の高さは旅の途中で何度も実感したものである。
もちろんジルバは例外の部類だろうが、エステルが精霊教師として精霊教徒相手に命令を下す姿が想像できないのだ。
「一応精霊教師という立場に就かせてもらってますけど、わたくしは若輩の身ですしー……そんなことを言われても困ってしまいますよー」
「ジルバさんは何も言わなかったんですか?」
基本的にグレイゴ教徒以外が相手ならば温厚なジルバだが、何事にも限度があるだろう。そう思ってレウルスが尋ねると、エステルは困ったように微笑んだ。
「そのですねー……笑顔でした」
「ああ、はい、笑顔でしたか」
――笑顔は笑顔でも牙を剥いた威圧感溢れる笑顔ではなかろうか。
容易にジルバの“笑顔”が想像できたレウルスである。
(俺だけじゃなくてエステルさんやジルバさんにも横柄な態度を取ったのか。ジルバさんが怒ったのならよっぽど態度が酷かったんだろうけど……)
エステルの困ったような笑顔から事態の深刻さを悟るレウルスだったが、不意に脳裏に閃くものがあった。
(キマイラを仕留めた時に兵士の人からジルバさん宛に礼を言われたのって、もしかするとジルバさんが俺達を護衛として差し向けたと思われたのか? ジルバさんを怒らせたけど、密かに護衛をつけてくれたって勘違いしたとか……)
自分の与り知らぬところで色々とあったようだ。レウルスはそう結論付けると、話の流れを本題へと戻す。
「少し話が逸れましたね。今日俺が来たのは、ジルバさんがあと四日で戻ってこれそうなのかを聞きたかったんですよ。それが無理ならエステルさんをアクラまで連れて行くよう姐さんに言われているんですが……」
エステルがアクラへと向かう場合、教会の子ども達に関しては近隣住民が面倒を見る予定である。その中にはコロナも含まれており、一、二ヶ月程度ならばどうにかなるというのがナタリアの見立てだった。
事前に話を通しておけば出立もスムーズに進むと考えて尋ねたレウルスだったが、エステルはますます困り顔になる。
「それもジルバさんの指示なんですよー……一ヶ月経ってもジルバさんが戻らなかった場合はレウルスさん達に護衛の依頼をしてアクラに向かい、教会の方と共に事態を収拾するように動け、と」
どうやらジルバは自分が戻ってこなかった場合の指示を残していたらしいが、エステルの表情は優れない。
「ジルバさんがこの町を離れて既に一ヶ月半……ジルバさんに限って“何か”があったとも思えませんが、事態の終息があまりにも長引くとこの国における精霊教への見方も悪化しそうですー……」
年若い、二十歳にも満たないであろうエステルには負担の大きい話なのだろう。レウルスから見ればのんびりとした印象のあるエステルだが、その表情は不安の色が強かった。
「……姐さんからは、今回の件はラヴァル廃棄街にも悪影響があるかもしれないって聞いたんですが」
そんなエステルに負担を上乗せしてしまうかもしれないが、レウルスにとって最も優先して確認すべきことを口にする。すると、エステルは苦りきった笑みを浮かべた。
「ヴェルグ子爵家の領地で起きたことはどこでも起こり得る……ジルバさんはそう断定していました。認めるのは業腹ですが、グレイゴ教徒の戦力は土地を治める者にとってそれだけの価値がありますから」
今回はラヴァル廃棄街から距離がある場所で起こったことだが、気が付いた頃には隣のラヴァルにグレイゴ教徒が入り込んで巣食っていた――そんなこともあり得るかもしれない。
ラヴァル廃棄街周辺はジルバの“縄張り”のためグレイゴ教徒も易々と踏み込んではこないだろうが、今回のように遠出している間に手が伸びてくるかもしれないのだ。
「結局、レウルスさん達に迷惑をかける形になりそうです。精霊教徒の反発を抑えるためにアクラへ向かうつもりでしたが、おそらくはグレイゴ教徒……最低でも司祭、もしかすると司教が裏にいるのでしょう」
エステルは真剣な表情と声色でレウルスに告げる。
「……手を、貸していただけますか?」
それは、真剣さの裏に不安を滲ませた言葉だった。
ジルバならばまだしも、エステルとはそれほど付き合いがあるわけではない。それでも、今回の一件がラヴァル廃棄街に悪影響が及ぶ可能性をナタリアから告げられた以上、レウルスとしても放置はできなかった。
「元々そのつもりでしたよ。それで? 司祭か司教が裏にいるっていうのはエステルさんの予想ですか?」
それ故に、レウルスは気負った様子もなく頷く。それどころか軽く笑って確認を取ると、エステルは数度目を瞬かせてから相好を崩した。
「これもジルバさんの予想です。その、異教徒の臭いがする……なんて言い残してから旅立たれましたー……」
「ああ……それは外れそうもないですね」
言葉を発するジルバの姿が容易に想像できる。レウルスは小さく笑うと、用件は済んだといわんばかりに背を向けた。
「それなら出発の準備をしといてください。こっちも準備をしておきますから……出発までにジルバさんが戻ってきたら話は終わりですけどね?」
「はい、そうしますー」
まずは家に戻ってエリザ達に話をしなければならない。ジルバが戻ってくる可能性は否定できないが、備えるに越したことはないのだ。
そして四日後――ジルバが戻らずレウルス達は“新たな依頼”を請け負うことになったのだった。