第203話:厄介事 その3
「余所者が大通りを歩いてる?」
その日、依頼を受けずに自宅でくつろいでいたレウルスは、突如として訪れた近所の青年の言葉に首を傾げていた。
畑に向かう農作業者の護衛依頼でも受けようと思っていたが、レウルス達が護衛に就くと他の冒険者――特に冒険者になりたての若手が“緩む”ため、今日のところは遠慮してほしいとナタリアに言われたのである。
そのため町の周辺で魔物でも狩ろうかと思うレウルスだったが、ここ最近ではラヴァル廃棄街に近づく魔物が激減している。魔物を探すとなると遠出する必要があり、それならば休日に充てようと思ったのだ。
そして自宅でエリザ達に構っている最中に、余所者が大通りを歩いているという話を聞いたのである。
「ああ……お前のところは大丈夫だと思ったが、一応な。エリザの嬢ちゃん達もいるし、警戒するに越したことはねえだろ?」
「そりゃうちに乗り込んできてエリザ達をどうこうしようって手合いなら斬るけど……警告感謝するよ」
レウルスがそう言うと、青年は玄関の扉を閉めて走り去る。周囲の家にも情報を伝えに行ったのだろう。
(余所者っていっても、わざわざ知らせに来るか……よっぽど“変”なのか?)
青年の足音が遠ざかるのを聞きながら、レウルスは内心だけで呟いた。
ラヴァル廃棄街は余所者に冷たく、身内には温かい場所だが、外部との交流を完全に断っているわけではない。
自給自足で生活するのは困難なため、商人を始めとした外部の人間が足を踏み入れることは珍しくないのだ。
レウルスとて、初めてラヴァル廃棄街に辿り着いた時は町に入ることを拒まれなかった。町に入った後の扱いは別として、町に入ること自体は咎められることもない。
今ではラヴァル廃棄街に馴染んだレウルスだが、町中を歩いていると外部の人間を見かけることがある。周囲の住民が向ける視線の冷たさもあるが、所作や身に纏う空気が廃棄街の人間とは異なるためすぐに気付けるのだ。
ただし、外部の人間に気付いたからといって何か“対処”するわけではない。町の中ならば大抵の場所で住民の目があり、不審な行動をしないか監視しているがその程度だ。
それでもわざわざ警戒するよう知らせに来たということは、その余所者に何か気になる点があるということなのだろう。風体か、立ち居振る舞いか、それとも別の何かか。
(この前の件もあるしな……いや、あれは例外すぎるか)
レウルスは二週間ほど前に起こった一件を思い出し、小さく頭を振った。あれほどあからさまに害意を振り撒かれると、いくら廃棄街でも立ち入りを拒否されるのだ。
門番のトニー達が止めなかったということは、大通りを歩いているという余所者は警戒は必要でも立ち入りを拒むほどではないということで――。
「……ん?」
色々と思考していたレウルスだったが、遠くから魔力が近づいてきていることに気付いて眉を寄せた。
それほど強くはないが、勘違いとは思えない程度には大きい魔力である。その魔力はレウルスの家からも近い、“もう一つの魔力”がある場所に向かっているようだった。
(……おやっさんの店だよな?)
近隣に住んでいる者で魔力と持っている者といえば、ドミニクぐらいである。魔力を持ったとある宗教者が自宅裏に出没することもあるが、その人物の場合は魔力を隠せるだけの技量があるため例外だった。
そもそも、件の人物――ジルバはここ一ヶ月ほどラヴァル廃棄街に戻っていない。
何の用件でジルバが町を離れているかエステルに尋ねても言葉を濁すばかりで、その行方はいまだにわかっていなかった。
(まあ、ジルバさんなら心配するだけ無駄だろうけど……)
今はとりあえず、気付いた魔力の持ち主を確認しておくべきか。そう判断したレウルスは『龍斬』を背負い、それぞれの自室ではなくリビングで騒いでいるエリザ達へ視線を向けた。
「余所者がおやっさんの店に入っていったみたいだから、ちょっと様子を見てくる。相手がどんな奴かわからないし、みんなは家の中で待機していてくれ」
元上級下位冒険者のドミニクならば、手練れが相手でもない限りどうとでも“料理”できるだろう。だが、コロナも同居していることを考えると油断はできない。
「この町に来て一年も経っていないワシが言うのもなんじゃが、余所者か……何かあればサラを通して呼ぶんじゃぞ? ここからならすぐに駆け付けられるかのう」
「おう。その時は呼ぶから、それまでは家にいてくれ。誰か来ても俺が戻るまでは外に出るんじゃないぞ?」
それだけを言い残し、レウルスは自宅を後にする。そしてドミニクの料理店まで数秒とかけずに駆け抜けると、扉越しに中の様子を窺った。
店内には二つの魔力があるが、暴れるような物音が聞こえるわけでもない。扉越しに多少声が聞こえるため、会話をしているらしかった。
(おやっさんの知り合い……いや、それならわざわざ余所者って連絡が来ないか。魔法が使える旅人……開いてないのに店を訪れるか?)
このまま店の外で様子を窺うか、それとも店に足を踏み入れるか。ドミニクならば大丈夫だと思うものの、レウルスにとっては命の恩人である。大丈夫だと思っていてもこのまま立ち去るわけにはいかない。
『……で……には……を……』
どうしたものかと思考するレウルスだったが、扉越しに漏れ聞こえてきた声に引っかかるものがあった。
(ん? この声って……)
どこかで聞いたことがある声である。しかし、即座に思い出せるほど身近な人物ではない。
『レウルス……冒険者……』
自分の名前を呼ばれ、レウルスは怪訝に思いながらも扉を開けることにした。そして、店内にいる人物を見て目を見開く。
「……以前会った兵士様?」
そこにいた男性――旅装で身を固めたコルラードに、思わず呆然とした声が漏れたのだった。
時を僅かに遡る。
店の扉を開けて入ってきた男性を見たドミニクは、驚きを露にしていた。
「――久しいな、ドミニク。吾輩を覚えておるか?」
そう言って歩み寄ってくるコルラードに、ドミニクは右手に持っていた肉切り包丁を取り落としそうになった。だが、それに気づいたドミニクは肉切り包丁を握り直し、動揺を誤魔化すように頭を振る。
「……もちろん覚えていますよ、コルラード殿。それで? “こちらの流儀”に合わせた格好をしてくださっているようですが、騎士様がわざわざそんな格好をして廃棄街を訪れる……その理由は?」
「ガッハッハ……せっかちな男だ。なに、風の噂でお主が冒険者を引退してから料理屋を開いたと聞いてな。顔を見に来たのよ」
のしのしと足音を立てながら歩み寄り、カウンター席に腰を下ろすコルラード。その重みで僅かに椅子が軋んだが、防具を身に着けた冒険者が利用するだけあり、コルラードの体重にも耐えきった。
「そうですか……まだ準備中で簡単なものしか出せませんが、食べていきますか?」
「うむ、良きに計らえ……と言いたいところだが、さすがに冗談だ。こちらも主命を帯びた身でな。お主の料理を堪能するのは別の機会に取っておこう」
そう言って表情を引き締めるコルラード。それを見たドミニクは、一体どんな目的があるのかと小さく眉を寄せた。
ドミニクとコルラードの仲は深いものではない。かつてドミニクが現役の冒険者だった頃、近隣の廃棄街の“応援”で移動する際に何度か顔を合わせ、その都度言葉を交わしたことがあるだけだ。
レウルス一行ならば森の中でも平気で突き進めるが、ドミニクはそうはいかない。安全を確保するために街道の『駅』を利用することもあり、その際にコルラードと出会った――その程度の関係である。
(“話がわかる”御仁ではあるが、さて……)
ドミニクから見たコルラードの評価は悪いものではない。友誼と呼べる感情はないが、コルラードは単身で他の廃棄街の応援に赴けるドミニクの腕を買い、己の従士にならないかと誘ったこともある。
ドミニクからすればラヴァル廃棄街の仲間と比べると関係性は薄いが、外部の人間の中ではつながりがあるといえる人物だった。
「二週間ほど前、カルロという騎士がこの町を訪れたと思うが……」
コルラードはラヴァル廃棄街を訪れた理由を語り始めるが、その表情は暗い。盛大に眉を寄せ、頭痛を堪えるように歯を食いしばっている。
「ああ……あの男は騎士でしたか。己の名を名乗ることもなく、誰の指示で動いているかも告げず、一方的に押しかけて西門でひと悶着を起こしたと聞きましたが」
「……あの男の部下から話は聞いたが、本当だったのか」
眉間を指で揉み解し、疲れたようにため息を吐くコルラード。ドミニクが無言で水差しと陶器のコップを運ぶと、コルラードはコップ一杯の水を一気に飲み干して精神を落ち着ける。
「ふぅ……内容が内容だけに、部下の讒言ではないかと疑ったが、事実か……そうか……」
コルラードは眉を寄せたまま、不機嫌そうに胃の辺りをさすった。そして十秒ほど口を閉ざし、何事かを考え込む。
「……コルラード殿?」
「なに、事態の厄介さにちと胃が痛むだけだ」
そう言いつつコルラードは懐から三角に折られた紙包みを取り出し、中身を口に含んで水で飲み下す。胃薬だろうか、とドミニクは少しだけコルラードに同情した。
コルラードはしばらく胃を抑えていたが、胃薬が効いたのか落ち着いた表情に戻って用件を切り出す。
「それでだ……お主には仲介を頼みたいのだ」
「仲介……ですか?」
「うむ……」
重々しく頷くコルラード。右手が胃と腰の間を行ったり来たりしているが、それを堪えるように握り拳を作る。
「レウルスという冒険者がいるであろう? 吾輩も知っている相手ではあるが、廃棄街に首を突っ込むとなるとお主のような町の有力者に仲介を頼むのが手っ取り早い……頼めるか?」
そう言ってコルラードはドミニクを真っすぐに見据え――仲介を依頼する現場に本人が姿を見せたのだった。