第202話:厄介事 その2
トニーに向かって振るわれる槍。
その一撃はトニーの横顔目掛けて薙ぐようにして振るわれ、『熱量解放』を使って瞬時に割り込んだレウルスは手甲を掲げて槍を受け止めた。
「っ……なんだ、貴様は」
突如として割り込んだレウルスを見た兵士は、警戒するような視線を向けてくる。レウルスが左手で受け止めた槍に力がこめられるが、その力に押されることなくレウルスは不動を保つ。
兵士もトニーを殺すつもりはなかったのか、『強化』を使うことはなかったようだ。レウルスが『熱量解放』を使っているとはいえ兵士が振るった槍は非常に“軽く”、馬上から振るわれた割に衝撃も大したことがなかった。
「俺を探してたんでしょう? 用があるのならお聞きしますよ」
それでも、町の仲間に向かって槍を振るったのだ。受け止めたことでトニーに怪我の一つもないが、レウルスは相手の出方次第でどうとでも対応できるよう重心を僅かに傾ける。
「ふん……貴様が『魔物喰らい』などと大層な名前で呼ばれている冒険者か」
そんなレウルスの様子に気付いたのか、気付かなかったのか。兵士は槍を引くと、馬上から観察するようにレウルスを見下ろす。
「赤毛に革鎧、それに背中の大剣……なるほど、間違いはないようだな」
レウルスを頭から爪先まで眺めた兵士は鼻を鳴らした。そして眉を寄せて目を細め、睨みながら言葉を続ける。
「だが、こんなガキがキマイラを倒しただと? 何かの冗談ではないのか?」
(冗談ってことにしたら回れ右して帰ってくれるんだろうか……)
嘲るように兵士が言うが、レウルスは心底からそんなことを思った。何か用件があってラヴァル廃棄街に来たのだろうが、尋ねたとしてもまともに答えが返ってくるかもわからない手合いに見える。
「…………」
レウルスはそれとなく他の兵士の様子を窺うが、無言を保って何かを言う様子もない。ただし、残り四人の兵士達はどこか苦々しさを隠すように小さく眉を寄せている。
「どうせディエゴの奴らと戦って弱っているキマイラにとどめを刺しただけなのだろう? ええ?」
ディエゴというのは誰なのか。レウルスは疑問に思ったものの、先日助太刀した兵士の中にそういう名前の者がいたのだろう。
目の前の男の立場はよくわからないが、訪れるのならそのディエゴという兵士に来てほしかったとレウルスは思った。
「ふんっ、だんまりか? 下民らしく礼儀がなっておらん!」
相手の立場や用件がわからないためレウルスは無言のままでいたが、兵士は吐き捨てるようにそう叫ぶ。それを聞いたレウルスは相手に悟られないよう心中で不思議がった。
(礼儀、か……冒険者や廃棄街の人間の扱いが悪いのは知ってたけど、どんな対応をすれば礼儀正しく思うんだろうな……)
平伏して仰々しい受け答えをすれば満足するのだろうか。それとも目の前の兵士が突出して居丈高なだけなのか。
相手が正規の兵士となれば、力任せに面倒を片付けるわけにもいかない。レウルスはそう思って聞き流していたが、言葉を返さないレウルスをどう思ったのか、兵士は苛立たし気に舌打ちを零した。
「まったく、何故俺がこんなことを……」
ブツブツと呟く兵士だが、それが聞こえたのか、背後に控えていた兵士の一人が馬を進めてくる。
「カルロ様、早く用件を済まさなければ日が落ちますが……」
「わかっている!」
兵士――カルロは苛立ち交じりに怒鳴る。どうやら他の兵士と比べて高い立場にいるのか、怒鳴られた兵士は反論することなく馬ごと下がっていく。
「まったく……おい貴様」
「……なんでしょうか?」
ようやく本題か、とレウルスは内心で身構える。やはり馬車の修理代を請求されるのか、それならばいくらぐらいなのか、と頭の片隅で思考した。
カルロはそんなレウルスから視線を外すと、懐を探って何かを取り出す。そしてぞんざいな手つきで放ると、小さな布袋が地面に落下して硬質な音を立てた。
「先日の一件の報酬だ。拾うがいい」
「……報酬、ですか?」
思わぬ言葉にレウルスは首を傾げる。
(馬車の修理代じゃなくて報酬? キマイラを倒したからか?)
布袋に入っているため金額は不明だが、報酬を届けるためにわざわざラヴァル廃棄街を訪れたのだろうか。そう思考するものの、レウルスからすればカルロの態度と報酬の受け渡しが結び付かない。
「貴様は耳が聞こえんのか? さっさと拾え!」
そう言われてレウルスは足元に落ちている布袋を拾い上げる。もちろんその間もカルロの動きを警戒しているが、再び槍を振り下ろすようなことはなかった。
「ふん……行くぞ!」
レウルスが布袋を拾ったのを見届けると、カルロは馬首を返して背を向ける。そしてこの場から走り去ろうとするが、控えていた兵士が慌てたように声を上げた。
「カルロ様!? 用件は“それだけ”では――」
「ええいうるさい! このような下民に何を頼ることがあるか! さっさとついてこい!」
そんな叫び声を残し、馬を操って走り去るカルロ。兵士達は顔を見合わせ、申し訳なさそうな顔をして一礼すると、カルロに続いて馬を走らせる。
そして一分も経たない内にカルロ達の姿が見えなくなり、レウルスは思わず呆れたような声を漏らした。
「なあ、トニーさん」
「なんだよ」
「俺って田舎の村の生まれで農奴出身だから知らないんだけどさ……今のって向こうさんからすれば礼儀正しかったのか?」
もしもそうだとすれば、早急にこの世界の常識を身につけなければ、とレウルスは真剣に思った。これまでは何かあればエリザにその辺りのことを聞いていたが、もっと積極的に学ぶべきだろう。
「んなわきゃねえだろ。頭おかしいんじゃねえかアイツ。たしかに兵士の中には横暴な奴もいるが、あそこまで突き抜けてる奴は珍しい……いや、俺も初めて見たぞ」
だが、レウルスの危惧を否定するよう、トニーが呆れた口調で言う。もしかして、と思ったレウルスは密かに安堵した。
「どこの誰が使いに出したのかは知らねえが、あんな奴を名代に立てるなんざよっぽど人材が乏しいんだろうよ……って、あのカルロって奴、どこの所属かも告げてねえな」
呆れの度合いを増した声色で呟き、トニーは頭を振る。
「二度と関わらないんなら、どこに所属してるかなんてどうでもいいんだけど……この金って本当に受け取っていいと思うか?」
カルロが退いたのは喜ばしいが、渡された金を本当に受け取って良いものかと迷う。報酬とは言われたが、どこの誰が、何に対して報酬を与えたかわからないのだ。
先日の一件と言っていた以上、キマイラを倒したことに対する報酬だとは思うのだが――。
「報酬って言葉にした以上、使っても問題はないだろうよ」
「はぁ……次からは厄介事の臭いがしたらすぐにその場から離れるかなぁ」
サラが熱源を感知したとしても、向こうから近づいてこないのならば放置した方が良さそうだ。
熱源の移動速度や動き方から人間かどうかはある程度判別できる。魔物ならば単独かごく少数で行動しているため、一定以上の数が集まって行動しているのなら避けるべきだろう。
「そうしろそうしろ……で、あのいけ好かねえ野郎はいくら寄越してきたんだ?」
そう言われてレウルスは今しがた拾った布袋の口を開ける。すると、中から金貨が三枚転がり落ちてきた。
「……町の噂で聞いた程度なんだが、キマイラ二匹と戦ったんじゃなかったのか?」
「馬車の屋根を壊したから、その分引かれたんじゃないかな……」
キマイラ二匹を仕留めた報酬としては明らかに安いが、馬車の修理代が引かれているのだと考えればまだ納得もできた。
レウルスは金貨を布袋に仕舞い直すと、トニーや門周辺で成り行きを見守っていた町の住民達へ視線を向ける。
「とりあえず、迷惑をかけた詫びにこれからおやっさんの店で奢らせてくれよ。色々と納得できないけど、こんな金はぱっと使うに限るだろ?」
稼いだ金はなるべく貯蓄しようと思っていたレウルスだが、この場に集まった町の住民にも詫び代わりに酒の一杯でも奢るべきだろう。金に綺麗も汚いもないが、さすがにこの金はすぐに使った方が精神的に楽である。
「…………」
疲れたように肩を落とすレウルスだったが、そんなレウルスをネディがじっと見つめていた。
それから二週間後の正午前。
ラヴァル廃棄街において料理店を営んでいるドミニクは、開店の準備中にも関わらず扉が開いたことに気付いて眉を寄せた。
扉を開けたのは、近所に住む青年だった。開店準備中だと追い払おうとしたものの、扉を開けた青年の顔に浮かんでいる表情を見て即座に思考を切り替える。
「ドミニクの旦那、余所者が大通りを歩いてこっちに向かってやがる」
「そうか……コロナ」
「う、うん……気を付けてねお父さん」
ドミニクが一緒に開店準備を行っていたコロナへ声をかけると、コロナは心配そうな表情を浮かべながら二階へと上がっていく。
ラヴァル廃棄街は基本的に来る者を拒まないが、警戒しないかと言えば話は別だ。社会的な立場が低いことに目をつけ、人攫いが町に潜り込んでくることもある。
それなりに情報に通じているならば“今の”ラヴァル廃棄街に手を出す者はいないだろうが、警戒するに越したことはない。コロナだけでなく、大通りの近くに住む年若い娘は今頃身を隠しているだろう。
コロナを見送ったドミニクはため息を吐くと、鉈のような分厚さを持つ肉切り包丁を握り締めた。
「その余所者はどんな奴だった?」
「身長は旦那よりも小さいんだが、やけに太った奴だったぜ。髪が生えてなかったんで年齢が分かりづらかったんだが、多分三十そこそこ……こっちの流儀に合わせてるのか、武器は剣が一本で服は地味だったな」
青年はその余所者を直接目撃したのか、ドミニクの問いかけに即座に答えた。それを聞いたドミニクは小さくため息を吐くと、青年を労わるように小さく笑う。
「わざわざすまんな。今度店に来た時は酒の一杯でも奢らせてもらおう」
「なあに、旦那にゃ昔から世話になってますから。それに、町の皆は家族だ。気付いたのに見逃してコロナちゃんに何かあったら、俺が周りから袋叩きに遭いますって」
そう言って青年は笑い返し、店の扉を閉めてから立ち去る。近隣に住む者にも注意を促しに行ったのだろう。
「余所者か……滞在する気があるのか、それとも何か目的があるのか……」
肉切り包丁を手の中で弄びつつ、ドミニクは小声で呟いた。情報が回ってきていない以上、ラヴァル廃棄街を訪れたばかりだろう。滞在するならば、ドミニクが運営する料理店にも姿を見せる可能性がある。
だが、そうだとしても料理店が開いてからだろう。余所者が店の前を通り過ぎたらコロナを呼び戻し、ドミニク一人でも店を回せるよう準備しなければならない。
ドミニクがそう思った矢先、料理店の扉がノックされた。冒険者のように荒く、二度、三度と扉を叩く音が響く。
「失礼するぞ」
そして扉を開けて店に入ってきたのは、先ほど青年が話した通りの風体を持つ男だった。
「悪いが、まだ店は開いてなくてな……夕方になってから――」
ドミニクは肉切り包丁を片手に、不機嫌そうな表情を浮かべて男の顔を見た。そして、その顔を確認して思わず言葉が途切れる。
男はドミニクの顔を見ると、どこか安堵したように言った。
「――久しいな、ドミニク。吾輩を覚えておるか?」
 




