第201話:厄介事 その1
ナタリアから受けた調査依頼を終えて二週間の時が過ぎた。
ラヴァル廃棄街に戻ってきてからは二日ほど休養に当てたレウルス達だったが、今では普段通り冒険者稼業に精を出している。
ラヴァル廃棄街の北にある農地へ向かう農作業者の護衛依頼、あるいはラヴァル廃棄街周辺の警戒依頼。他にもラヴァル廃棄街の門付近で周辺を警戒する依頼もあるが、レウルス達を一ヵ所に留めておくのは無駄だろうと判断されている。
そのためレウルス達は当日に人手が少ない方の依頼を受け負い、生活費を稼ぐ日々を送っていた。
先日のように特別な依頼もなく、中級以上の魔物が襲ってくることもない平和な日々である。仮に魔物が寄ってきても下級の魔物で、その都度レウルスが笑顔で狩りに走って“おやつ”が手に入ったと喜ぶ程度には平和だった。
先日の依頼で受け取った報酬は、仕留めた魔物の素材の売却も含めて金貨二十枚になる。キマイラは倒した証拠がないため報酬が出なかったが、それでもラヴァル廃棄街で生活するには過分な額と言えるだろう。
それと比べれば、普段の仕事はレウルス達五人で一日働いて銀貨三枚前後だ。魔物を狩れば増えるが、魔物が寄ってこないことが多くなっているため大抵は銀貨三枚に届かない。
これまで受けた大型の依頼と比べれば、微々たる金額と言えるだろう。だが、レウルスからすれば銀貨三枚でもありがたい話である。
一年前の今頃ならば、銀貨三枚稼ぐのにどれだけ苦労したか。そもそも生まれ故郷のシェナ村で農奴をやっていた時期とも重なるため、銀貨どころか銅貨すらも稼ぐことはできなかったのだ。
それが今では日々の生活に困ることもなく、満ち足りた生活を送ることができている。依頼で稼ぐ金銭に関しても、現状維持どころか貯金に回す余裕があるほどだ。
家は持ち家で、衣服も頻繁に買うものではない。冒険者としての装備もわざわざ買い替える必要はなく、金の使い道は食費ぐらいだ。
(……まあ、金を貯めて何に使うのかって言われると困るけどな)
老後を見越して金を貯めるにしてもさすがに早すぎるだろう。それでも冒険者という荒事に従事している以上、いつ“引退”することになるかわからない。
冒険者になってからというもの、一体いくつの死線を潜り抜けてきたか。安定した生活を続けられると断言できるほどレウルスは楽観的ではない。
(そう考えると、金はいくら貯めていてもいいな……俺に何かあったらエリザ達へ遺せるし。その辺のことは姐さんに相談して……)
「ん? どうしたんじゃ?」
畑に向かう農作業者の護衛を終えた帰り、レウルスが自宅への帰路を辿りながら考え事をしていると、それに気づいたのかエリザが声をかけてくる。
「……いや、最近ジルバさんを見ないなって思ってさ」
今まで考えていたことをエリザに話すわけにもいかず、レウルスは意識を切り替えて話題を口にした。
先日ジルバから名指しで依頼があったとナタリアに聞き、ジルバに事情を確認しようとしたものの未だに会えていない。
教会に足を運んでみるとエステルはいたものの、ジルバは所用でラヴァル廃棄街から外に出ているとのことだった。それでも数日すれば帰ってくるだろうと考えていたが、ジルバが帰ってきたという話は聞いていない。
自宅に到着したレウルスは玄関を開けず、家の裏手に回る。家の裏手には隣家が建っているが、家の間には人が通れる通路があるのだ。
“普段”ならばジルバがそこにいてもおかしくないのだが、やはりというべきか影も形もない。
(……サラとネディがいないのにここで祈ってたら、それはそれで怖いけどさ)
ジルバの信仰心を否定するつもりはないが、祈るなら教会で祈っていてほしいところである。レウルスがそんなことを考えていると、興味を引かれたのかエリザも家の裏手を覗き込んだ。
「なんじゃ? 家の裏に何かおるのか?」
「物音がした気がしたんだけど、気のせいだったよ」
家の裏手でジルバが祈りを捧げているか確認していた――レウルスとしても中々に受け入れ難い現象をどう説明しろというのか。
適当に誤魔化したレウルスは気を取り直して自宅に入ろうとする。
「んん? あれ、なんだろコレ」
だが、それよりも先にサラが不思議そうな声を上げた。その声を聞いたレウルスは即座に背中の『龍斬』へと手を伸ばす。
「どうした? 何か気付いたのか?」
サラがこういった反応を示すのは、熱源を感知できる範囲内で気になることがあった時だ。ラヴァル廃棄街の外ならば魔物の熱源に気付いた時に似たような反応を示すが、ここはラヴァル廃棄街の中である。
もしかすると町に接近してくる魔物の熱源を感じ取ったのかもしれない。そう考えたレウルスは臨戦態勢を取るが、今の時間ならば外から町に戻ってくる冒険者もいるのだ。魔物だと判断するのは早計というものだろう。
「んー……距離的に、西門に向かって人が走っていってる? 敵とかに追われてるんじゃなくて、目的地に向かって走ってる動き……みたいな? こう、ぐわーっと! で、シュバババッっと!」
「……どうしよう。ボク、サラちゃんの言いたいことがわからないや」
身振り手振り、両手を振り回しながら熱弁するサラだったが、それを聞いていたミーアが乾いた笑いを漏らしながら言う。
「…………」
ネディは真顔でサラを見つめていたが、精霊として何か言いたいことがあるのか、あるいは呆れているだけなのか。
「安心してくれミーア。俺も時々わからなくなる」
「えー? こう、ズダダダーって感じよ! 魔物を見つけて一直線に突っ込むレウルスみたいな?」
サラの言いたいことはわからないが、何かあったらしい。
(人が西の門に向かってる? 何かあったのか?)
レウルスは目を細めて西の方を見てみるが、煙も上がっていないため火事が起きて逃げているわけでもないのだろう。その場合はネディに消火の協力要請が来るため、西の門ではなくレウルスの自宅に向かって人が来るはずである。
(とりあえず行ってみるか)
何が起きたのかはわからないが、協力できることもあるだろう。そう判断したレウルスは、エリザ達を連れて駆け出すのだった。
「――さっさとそこを退け! 轢き殺されたいのか!?」
レウルス達が西の門に駆けつけるなり、怒鳴るような声が聞こえてきた。その声色は明らかに苛立っており、尋常な様子ではないことが伺える。
木材で作られた門の周りには町の住人や冒険者が集まっており、五十人近い人間が門を塞ぐようにして立ち並んでいる。それぞれが剣呑な雰囲気を放っており、武装している冒険者はともかくとして住人の中には包丁などを握っている者もいた。
明らかに“何か”が起きている。
それを悟ったレウルスは近くにいた冒険者へ声をかけた。
「何があった? 荒事か?」
「レウルスか……」
冒険者組合でも幾度となく顔を合わせたことがある男性冒険者は、レウルスを見てどこかバツの悪そうな顔をする。
「コモナ語を喋ってるってことは人間だよな? 亜人か魔物なら俺が出るけど……」
「いや、今はやめとけ。トニーさんが相手をしてるからよ」
そう言われてレウルスは人ごみの先へと視線を向けた。男性冒険者の言う通り、門の前には一人の男性――門番のトニーが立っている。
そしてさらにその向こう、馬に乗っている者達に気付いたレウルスは眉を寄せた。
「……なんだありゃ、兵士か?」
馬に騎乗していたのは、金属製の鎧を着込んだ男達である。それぞれが右手に槍を持ち、腰元には剣を下げて武装しているのが見えた。
「退けと言われましてもねぇ……ここが“どんな場所”かわかって言ってるんですかい?」
トニーが肩を竦めながら言う。兵士達は全員騎乗しており、レウルスが見える範囲で数は五人だ。それ以外に誰かが隠れているということもなさそうである。
(先頭の男は魔力が……ん? どこかで見たような……)
馬に乗っているにも関わらず、兵士達の姿勢は非常に安定している。足元には鐙があり、左手で手綱を握っているとはいえ、兵士一人ひとりが鍛えられていることが伺えた。
その中でもレウルスの目を引いたのは、馬を先頭に進めてトニーと言い争っている兵士である。その兵士からは少ないながらも魔力が感じられたのだ。
外見だけで判断するならば二十歳を過ぎた程度の青年で、頭部を覆う兜からはくすんだ金色の髪が覗いている。精悍な顔立ちをしているものの、表情を歪ませながらトニーに向かって怒鳴る姿にはどこか狭量さが透けて見えた。
『なによあれ。やっちゃう? この距離なら絶対に外さないわよ?』
『待て待て……やるとしてもお前は手を出すな』
あっさりとした様子で先制攻撃を提案してくるサラに、レウルスは少しだけ頭が痛くなった。一体誰に似たのか、過激で困ったものである。
(ヴァーニルの影響だな、うん)
長年ヴァーニルと会話をしていたと聞いたが、その時に影響を受けたのだろう。現実から逃避するようにそんなことを考えたレウルスだったが、兵士の男の言葉を聞いて目を見開く。
「チッ……下民風情が! ここに『魔物喰らい』という冒険者がいるのはわかっている! 通さんと言うのならさっさと連れてこい!」
どうやら兵士の目的は自分らしい。それを理解したレウルスは、一体何の用なのかと内心で首を傾げた。
(兵士っていったらこの前の……そういえばあの怒鳴ってる奴、キマイラを倒した後に合流した兵士の中にいたような……?)
その時も怒鳴っていた気がするのだが、距離があったため顔までは確認できなかった。
「『魔物喰らい』? ははぁ、そりゃまた御大層な名前ですなぁ。生憎とそんな奴は知りませんで、お引き取り願えますかね?」
怒鳴る兵士と相対しているトニーは軽く手を振り、空惚けてみせる。槍を向けられても微塵も怯えた様子も見せず、むしろ鼻で笑うようにして言った。
「仮にそんな奴がいたとしても、“俺達”が身内を引き渡すと思うんですかい?」
トニーがそう告げると、その言葉に同調するように周囲の住人から殺気が滲んだ。例え鍛え抜かれた兵士が相手だろうと、一歩も退かないと言わんばかりの剣幕である。
『ね、ねえレウルス……これってその、まずいんじゃない?』
『みんなの気持ちは嬉しいんだが……たしかにまずいな』
一触即発の空気が満ちていく。それを察したレウルスだったが、トニーが誤魔化してくれている状態で割って入って良いのかと悩みもした。
兵士が何の用で訪れたのか、それがわからない。馬車の修理代を追加で要求されるのか、それとも別の用があるのか。
もう少し様子を見るべきだろうか、などとレウルスが考えた矢先。痺れを切らしたように先頭の兵士が槍を振り上げ――それを見た瞬間、レウルスは全力で飛び出すのだった。