第200話:帰還と報告
「……問題はなさそうだな」
兵士達から十分に距離を取ったレウルスは、兵士の追跡がないことをサラに確認させてから安堵の息を吐いた。
サラが報告してきた新手も、予想通り兵士らしい。木々に隠れながら確認してみると、駆けつけたのはレウルスが助太刀した兵士達と同様に金属製の鎧に身を包んだ一団だった。
駆けつけた兵士の一団――その中でも隊長らしき男性は、レウルスが直接助けた兵士に詰め寄って荒れた剣幕で何やら叫んでいる。
距離があるため何を話しているかは聞こえないが、叱責でもしているのだろうかとレウルスは首を傾げた。
(巡回の兵士だと思ったけど、他にも兵士がいて先行していたのか……ま、どっちでもいいか)
新たに現れたのが兵士ではなく野盗の類ならば、全滅を待ってキマイラの死体を回収したいところではある。だが、雰囲気は悪くとも味方の兵士なのだと思われた。
今回は縁がなかったか、とレウルスが落胆していると、離脱する際に抱きかかえていたエリザが頬を朱色に染めながら口を開く。
「と、ところでレウルス……先ほどの馬車、紋章が刻まれていたように見えたんじゃが」
「ん? 紋章?」
エリザを地面に下ろしつつ、レウルスは首を傾げる。紋章と言われても、そんなものが刻まれていることにすら気付かなかったのだ。
高級そうな馬車の屋根を突き破ったことで内心焦っていたというのもあるが、知らないものは気付きようがない。
地面に降り立ったエリザは赤くなった両頬を隠すように視線を逸らしつつ、説明を行う。
「王族や貴族、家名を持っている騎士、あるいは紋章の掲示を許された商人や名家……そういった者達の身元が一目見てわかるように、各家それぞれの紋章があるんじゃ」
(へぇ……家紋みたいなもんか)
前世でもそういうものがあったな、とレウルスは内心だけで呟く。もっとも、どんな家紋があったかまでは思い出せないのだが。
「さすがにどこの領地の者かはわからんが、遠目に紋章を見た限りさっきの馬車は貴族が所有するものじゃろう……お主が屋根を突き破った時はどうしようかと本気で悩んだんじゃぞ?」
「すまない、心配をかけたな。それで、貴族が云々ってのはたしかな情報か?」
レウルスの“身内”でそういったことに詳しいのはエリザだけである。元農奴のレウルスに精霊のサラとネディ、それにドワーフのミーアでは、貴族に関する情報など知りようがないのだ。
その点、エリザは元々家名を持つ家の生まれである。幼少の頃に生まれ故郷から逃げ出す羽目になったが、逃げた先でも家族から色々と学んでいたらしい。
「さすがにおばあ様も他国の貴族の紋章は知らなかったんじゃが、ある程度の見分け方は教わっておる。遠かったから自信はないが、少なくとも紋章に剣が入っておった。商人や名家ではなく騎士以上の身分……馬車の装飾から見ると貴族じゃろうな」
「なるほど。ああ、あれはたしかに貴族の御令嬢とその御付きの侍女って感じだったよ」
キマイラ欲しさに全滅を待っていたら、更なる問題が発生していただろう。どんな問題に発展するかレウルスには予想すらもできないが、窮地に気付いていて見捨てたとなると知られた時に絶対に面倒事になったはずだ。
「乗れるのは貴族本人かその家族、あとは御付きの侍女か侍従ぐらいじゃからな……レウルスが無礼だと言われて斬られずに済んで良かったのじゃ」
レウルスの言葉を聞き、納得したように頷くエリザ。しかし、すぐにその表情がどこか焦ったものに変わる。
「……と、ところで、馬車に乗っていたという令嬢と侍女は、ど、どうだったんじゃ?」
「どうって……なにがだ?」
レウルスとしては、馬車に乗っていた少女や女性よりも置き去りにしたキマイラの死体の方が気になるのだが。
「あ、アレじゃよ! ほら、アレじゃ!」
(アレってどれだよ……)
内心だけでツッコミを入れるレウルスだが、ふむ、と頷いて記憶を手繰る。
(良い服を着てたなぁ……そうだよな、あるところにはあるんだよな。エリザ達も年頃の女の子なんだし、奮発してああいう服を買ってやった方が良いよな……いや待て、ラヴァル廃棄街の服屋じゃあんな布地は見たことなかった気も……綿布ぐらいならあるのか?)
衣食住の内、食と住は満足している。腹が減れば魔物を追いかけて仕留めればよく、ドミニクの料理店に行けば美味い料理を食べられるのだ。住居に関しても、自室をネディに譲った以外問題点はない。前世風に言えば若くして一国一城の主である。
そうなるとあとは衣服の充実を図るべきだろうか、とレウルスは思考した。レウルスは男で服は着れればそれでよく、冒険者としての防具もドワーフが作った一点ものなのだ。
だが、エリザ達は年頃の女の子である。サラとネディは年齢不詳で下手すれば前世含めたレウルスよりも年上の可能性もあるが、外見だけ見れば年頃の女の子だ。
可愛らしい服や綺麗な服を用意するのも家長の務めだろう、などと考えたレウルスだったが、エリザの表情を見る限りそういったことを尋ねているのではないらしい。
「うーん……そうだな、お嬢さんは俺と同い年ぐらいで可愛らしい子だったぞ? あれは将来美人になるな。侍女の方は年上の女性で、ちょいときつめの美人だったな。どこか姐さんに似た印象があったっけ」
「ふ、ふーん……そ、そうなんだ」
普段の口調を放り捨て、素の口調で反応を示すエリザ。そんなエリザの様子を微笑ましく思いつつ、レウルスは言う。
「あと、二人とも胸が大きかった」
「――シャアアアアアアアァァッ!」
怒り狂った猫のような声を上げながら、エリザが飛び掛かってきたのだった。
「――とまあ、そんなこともあったけど、とりあえずこの町の近辺の魔物は狩れるだけ狩ってきたよ」
兵士達を助けた二日後。ラヴァル廃棄街に帰還したレウルスは疲れているであろうエリザ達を家に送り、一人で冒険者組合に向かってナタリアに報告を行っていた。
ラヴァル廃棄街周辺の調査に関して、魔物の分布を書き込んだ地図を渡しながら事の顛末を説明したレウルスだったが、返ってきたのは呆れたようなナタリアの言葉だった。
「色々言いたいことはあるけれど、まずは一つだけ……調査を依頼したのに、どうして狩れるだけ狩るって発想に至ったのかしら?」
「そりゃ姐さん、食べられる魔物を見つけたら食べるだろ?」
ナタリアからの依頼通り、普段の依頼と比べて広範囲に足を運んで魔物の動向を探り、その分布をエリザが書き記し、追跡方法を実地で学ぶついでに全力で仕留めにかかっただけだ。
キマイラが食べられなかった分、残りの調査箇所では全力で獲物を探し回ったのは誤差のようなものである。
「ラヴァル廃棄街の周辺が安全になったのなら言うことはないわ……ただ、貴族とその護衛の兵士と思しき一団に遭遇ねえ」
「俺は放置するつもりだったけど、ネディが助けたいって言うもんでね。助けた後の感想としては、放置するのが正解だったなって思うけどさ」
今回はどうにかなったが、同じようなことがあったならばネディを説き伏せて関わらないようにしなければならない。あるいは、ネディが気づくよりも先にレウルスとサラで発見し、近づかないようにするしかないだろう。
「…………」
レウルスの報告を受けたナタリアは沈黙し、無言で煙管をくるくると回す。その表情からは何も推察することができず、レウルスは居心地の悪さを覚えながらナタリアが口を開くのを待った。
「精霊教の関係者とだけ告げて所属も名前も教えていない……これは間違いないわね?」
その問いかけにレウルスは何度も頷く。そのためにエリザが雷魔法で援護する際にも名前を呼ばなかったのだ。
ナタリアは数十秒ほど思考を巡らせていたが、やがて小さくため息を吐き、レウルスの額を煙管の先で軽く小突いて苦笑する。
「向こうが“弁えている”なら問題も起きないでしょうね。坊や達も怪我がなかったのなら、組合としても言うことはないわ」
「うっす、以後注意します」
優しく、マッサージでもするように煙管の先で額を突かれながら、レウルスは目線で謝罪をした。すると、ナタリアは困ったように左手を頬へ当てる。
「そういえば、坊や達が町を離れている間に指名で依頼があったのよ」
「指名? 俺達をかい?」
何が楽しいのか、小さく笑いながら煙管でレウルスの額をつつき続けるナタリア。どこか悪戯っぽい雰囲気を身に纏っており、レウルスとしては普段とのギャップを感じて新鮮な心境だった。
「ええ……ジルバさんから、ね」
だが、続いた言葉にレウルスは頬を引きつらせる。ジルバがわざわざ名指しで依頼を持ち込んだと聞くと、先日遭遇した貴族達以上に身の危険を覚えてしまった。
「坊や達は組合の依頼で外に出ている……そう聞いて落胆していたわ。結局、依頼内容を変更して、下級下位の子達に受けさせたけどね」
「えっ? じ、ジルバさんが持ち込むような依頼を下級下位冒険者に?」
依頼を受けた冒険者は生きているのだろうか――即座にそんな心配が浮かんでしまったのは、些か過剰だっただろうか。
レウルスが知るジルバという男性はグレイゴ教と並ぶ有名な宗教、精霊教を信仰する男性だ。敵対するグレイゴ教徒に『狂犬』というあだ名で呼ばれ、味方であるはずの精霊教徒からも『膺懲』とあだ名される人物である。
そんな人物からの依頼と聞き、その依頼を受けた冒険者が無事なのかと心配するのはある意味当然だっただろう。ナタリアが受けさせたのが下級下位の冒険者と聞けばなおさらである。
「危険は一切ないわ。なにせ、教会の子ども達の面倒を見るだけなんですからね」
真剣に焦るレウルスを見て、ナタリアはくすくすと笑った。どうやらレウルスの反応を見て楽しんでいるらしいが、レウルスとしては笑えない。
「それならいい……いや、よくない、か? なんでそんな依頼を?」
精霊教の教会は、ラヴァル廃棄街に唯一存在する宗教の拠点である。ジルバ以外にも精霊教師と呼ばれる位階に就くエステルという女性が在籍しているため、子どもの面倒を見る人員を依頼で雇う必要はないはずだ。
思わず前のめりになって尋ねるレウルスだったが、ナタリアは意味深に微笑む。
「坊やが受けた依頼ならいくらでも説明してあげるけれど、他の子が受けた依頼だもの。これ以上は……ね?」
「ぐっ……それならなんでそこまで話したんだか……」
気になるところで切られてしまい、レウルスは思わず呻き声を上げてしまった。
ナタリアが相手では強く出ることもできず、誘導尋問に引っかかるとも思えない。そのため渋々引き下がると、今回受けていた依頼の報酬を受け取って帰宅することにした。
何か事情があるのなら、ジルバに直接聞けば良い。わざわざ教会まで足を運ばずとも、精霊であるサラとネディに祈りを捧げるべく毎日のようにレウルスの自宅裏に出没するのだ。そのタイミングで捕まえれば良いだろうとレウルスは思った。
「そうそう、さっきの依頼に関してはこれ以上は話せないけれど、変更される前の依頼……そちらに関しては教えても良いわ」
組合の奥に一度引っ込み、調査依頼の報酬を運んできたナタリアがレウルスの耳元に口を寄せて囁くように言う。
「ジルバさんが坊や達に依頼したかったのは、護衛の依頼よ。エステルのお嬢さんが“他所から来た偉い方”に招かれたから、その護衛を……ってね」
周囲に聞こえないよう、小さな声で話すナタリア。レウルスはそんなナタリアの言葉を受けて、僅かに沈黙してから言葉を返す。
「……ジルバさんが護衛をすればいいんじゃないか?」
「結局はそうなったわね。“だからこそ”の依頼の変更よ……ただ、あの色々な意味で目立つ御仁が護衛に就いたら、エステルのお嬢さんの立場が……」
そこまで言うと、ナタリアはレウルスから身を離した。そして雰囲気を切り替え、普段のようにどこか冷たさを感じさせる表情に戻る。
「まあ、それも全てが終わったことよ。坊やも依頼で疲れているでしょうし、数日はゆっくりと休むといいわ」
そう言って調査依頼の報酬を渡してくるナタリアに、レウルスは小さく首を傾げた。
(姐さんは結局何が言いたかったんだか……まあ、姐さんが問題ないって言うのならそうなんだろうな)
色々と思考してみたものの結局はそんな結論に落ち着き、レウルスは冒険者組合を後にする。
――“問題”がやってきたのは、それから二週間後のことだった。