第199話:調査依頼 その6
馬車の屋根を突き破りながら着地したレウルスは、辛うじて下敷きにせずに済んだ女性二人を見て静かに冷や汗を流す。
一人は、外見だけで判断するならばレウルスよりも年上の女性である。
年の頃は二十歳前後だろう。屋根を突き破って落下してきたレウルスに対し、警戒を露にした視線を向けている。
整った顔立ちには怜悧さも同居しており、肩口で切り揃えた紺色の髪と身に纏っている服が特徴的だった。
服装は派手さや華美さが微塵もない、そのほとんどが黒一色で占められている侍女服である。ただし、レウルス達ラヴァル廃棄街の住人が着ているような麻で織られた服ではなく、上質な綿布を使用しているようだった。
肌が露出しているのは首から上と手首から先ぐらいで、袖口をボタンで留める長袖に足首まで届きそうなロングスカート、足元に見えるのは動きやすそうな革靴だ。レウルス達冒険者のように、見た目よりも機能性を重視しているのだろう。
目を引く装飾があるとすれば、汚れを避けるためなのか腰回りに巻かれた白いエプロンぐらいである。だが、外見は地味でも160センチを僅かに超えていそうな体躯は非常に“女性的”だった。
そんな女性に庇われているのは、少女と形容すべき女性である。
外見だけで判断するならば、レウルスと同年代か前後一歳程度だろう。警戒する女性とは異なり、屋根を突き破って落下してきたレウルスに対して純粋に驚きの視線を向けていた。
身長は女性よりも低く、160センチには届いていない。肌の色は白く、綺麗さと可愛らしさが均等に混ざり合った小顔は出来の良い西洋人形のようである。腰元まで真っすぐ伸びた金色の髪はサラサラで、青みを帯びた瞳は無垢な少女のように純粋さが覗いていた。
侍女服を着ている女性が『お嬢様』と言っていたことから、家柄が良いのだろう。着ている服は動きやすさを重視しているもののドレスのようで、淡い水色の布地は絹のような光沢と艶を放っている。
体付きは年齢相応というべきか、少女と女性の間を行き来している。清楚さと純粋さを感じさせるその立ち居振る舞いは深窓の令嬢と言うべきものだった。
明らかに“生まれ”と立場が違う。そんな女性と少女を見たレウルスは、心中だけで結論を下す。
(四の五の言わずにサラも連れてきて問答無用でキマイラを仕留めりゃ良かった……)
そうすれば馬車の屋根を突き破ることもなかっただろう。サラの手を借りたことで起きそうな面倒事よりも、明らかに厄介そうな事態に遭遇してしまった気がしてならないレウルスである。
庶民が乗れそうにない馬車に乗り込む、年頃の令嬢と御付きの侍女らしき女性。いくら事故とはいえ、そのような厄介な匂いしかしない場所に屋根を突き破って落下してしまったのだ。
「血が……」
見なかったことにして馬車を飛び出すか。そう考えたレウルスは突き破ってきた屋根から出て行こうとするが、それよりも先に鈴を転がすような声が響く。
何事かと思ったレウルスが視線を向けると、心配そうな色を浮かべた少女の視線とぶつかった。どうやらキマイラの返り血を見てレウルスが負傷していると思ったらしい。
「あー……汚らしい格好ですいません。こっちは通りすがりなんですが、兵士の人達が押されているようなんで加勢してたところなんですよ。これはキマイラの返り血で俺は怪我してないんで、お気になさらず」
「――誰が直答を許しましたか?」
心配してくれるのなら、と気軽に返答したレウルスだったが、女性から射抜くような視線と共に鋭い声を向けられた。
女性から魔力は感じられない――が、どうにも油断できない目をしている。
性格や口調は異なるが、身近なところで言えばナタリアに近いような印象を覚えるレウルスだった。
そして同時に、少女が直接言葉を交わすのは失礼に当たる身分らしいと察する。あるいは、この世界の礼儀に詳しくないレウルスが知らないだけで、年頃の女性は異性と言葉を交わしてはいけないという決まり事でもあるのかもしれない。
「ああ、そいつは失礼。なにぶん礼儀も知らない田舎者でしてね。すぐに出ていくんで勘弁してください」
少女と女性が何者で、何故こんな場所にいるのかはわからない。そもそも、そんなことに興味も湧かない。余計なことに首を突っ込んでしまったが、“それ以上”関わるのはレウルスとしても御免被りたかった。
さすがに穴が開いた屋根から出ていくのは失礼すぎるか、などと思考したレウルスは馬車の前面に取り付けられている扉を開けた。すると御者台に座っていた男性がギョッとした顔で振り返り――その向こうでキマイラの魔力が膨れ上がる。
「チィッ!」
馬車の土台を蹴り抜かないよう気を付けつつ、レウルスは跳躍する。そして御者と馬を飛び越え、向けられている魔力に向かって『龍斬』を振り下ろした。
すると次の瞬間、馬車目掛けて雷撃が飛来する。レウルスが気づかなければ馬と御者を巻き込み、そのまま少女や女性にも到達しそうな雷撃だ。
――だが、斬れる。
魔力を乗せた刃が飛来する雷撃を斬り裂き、霧散させる。空気が焦げたような臭いが僅かに鼻に届くが、被害と呼べるものはない。
このまま馬車を背にしたままで戦えば、キマイラの雷魔法はどうとでもできるだろう。あとは全力でキマイラの相手をするだけで良い。
キマイラの予期せぬ行動には注意が必要だろうが、さすがに二度目は通用しない。妙な動きをするとわかっているのなら、いくらでも戦い様はあるのだ。
「ご助力感謝する!」
レウルスがキマイラに向かって駆け出すと、キマイラを挟んだ場所から声が聞こえた。それはレウルスが助けた兵士からの声で、レウルスがキマイラと向き合っている隙を突いて斬りかかったのだ。
そして、数秒と経たない内にキマイラの尻尾が一本宙を舞う。鞭のようにしなって複雑な軌道で振るわれる尻尾の動きを見切り、斬り飛ばしたのだ。
『ギッ!? ガアアアァァッ!?』
レウルスに意識の大部分を向けていたキマイラにとって予期せぬ痛みだったのか、痛みに呻くような声が上がる。キマイラは兵士を拒むように体を旋回させ、残った尻尾で薙ぎ払おうとするが、それを見越したように兵士が剣を振り下ろした。
ブツン、と鈍い音を立ててキマイラの尻尾が再度宙を舞う。振るわれた尻尾に合わせて刃を叩き込み、勢いを利用して両断したのだろう。
『ガアァッ!? グルゥ!?』
キマイラは再び苦痛に満ちた声を上げる。そして痛みに耐えかねたのか双頭が背後の兵士へと向けられ――。
「余所見とは良い度胸だ」
瞬時に踏み込んだレウルスが、愛剣の刃でその首を斬り飛ばしたのだった。
「ったく……思わぬ再会だったな。いや、前のキマイラは殺したし、再会ってのもおかしいか?」
キマイラの首を落とし、念のために胴体に刃を突き込んで死んだことを確認したレウルスは、『龍斬』を血振るいしながら呟く。
スライムと戦った時と違って刃が溶けて切れ味が落ちることはないだろうが、血に汚れた愛剣をじっくりと手入れしてやりたい気分だった。
だが、この場でそんなことをするわけにはいかない。キマイラを倒したものの、それ以上に面倒臭くなりそうな空気をレウルスは感じ取っていた。
「キマイラが二匹現れた時はどうなるかと思ったが、貴殿のおかげで助かった……礼を言う」
キマイラが死んでいることを確認したのか、レウルスが助けた兵士がそんな言葉をかけてくる。その声色からは当初感じていた警戒の色が抜けつつあったが、兵士はレウルスの間合いに踏み込まず、なおかつ右手に抜き身の剣を握ったままだった。
(これが正式に鍛えられてる兵士か……グレイゴ教徒と同一視したら失礼なんだろうけど、『強化』なしでもここまで戦えるものなんだな)
レウルスがかつて交戦したことがあるグレイゴ教徒達は、例え『強化』が使えずとも高い技量を持っていた。兵士とどちらが強いかはわからないが、力任せに戦うレウルスからすればどちらも侮りがたいものがある。
「いえ、こちらも依頼を受けた身ですから」
言葉少なく答えつつ、レウルスは敵意はないと言わんばかりに『龍斬』を背負った。
(キマイラを拾って帰りたいけど……駄目だよな。わざとじゃないけど、馬車の屋根を壊しちまったし……)
レウルス達だけで遭遇したのなら、喜び勇んでキマイラの解体に移るだろう。そして満足がいくまで焼き肉に興じるところだが、今の状況ではそれも難しい。
一部とはいえレウルスが破壊してしまった馬車は、非常に高級そうだった。誓って悪意はないが、わざとじゃないからといって済まされる問題でもないだろう。何かしらの補償が必要になるはずだ。
少女は明らかに“良いところ”の人間らしく、下手を打ってラヴァル廃棄街にまで迷惑をかけるわけにはいかない。
手元に金があったならば、金を払ってキマイラを持ち帰るところである。だが、今は依頼の途中ということもあって手持ちの金は僅かだ。
助けたことを恩に感じてくれれば良いが、助太刀を頼んでいないと言われればそれまでである。ラヴァル廃棄街の住民ならばともかく、見知らぬ他人の善性に期待するつもりはなかった。
レウルスは肩越しに振り返り、馬車に乗る少女と女性を見た。目が合うと少女は驚いたように瞬きするが、それを遮るようにして女性が冷たい視線を向けてくる。
(……無理だな)
馬車の修理代とキマイラの素材が釣り合っている保証もない。元々ネディの願いを叶えるために手を出したのだ。何か文句をつけられるよりも先にこの場から退散する方が良いだろう。
『レウルス、聞こえる? 西の方からそっちにいくつか熱源が向かってる。隊列を組んで一定の速度で移動してるから、街道を巡回している兵士っぽいわ』
そして、サラからも退散の決意を固める情報が届いた。魔力は感じ取れないが、サラの見立てでは兵士と思わしき一団が近づいてきているらしい。
『……くそっ、これじゃあキマイラは諦めるしかないな』
『えっ? レウルスが食料を諦める? ど、どしたの? もしかしてキマイラに頭でも殴られた?』
『高級そうな馬車の屋根をぶっ壊しちまったんだよ……』
そうでなければ誰が諦めるか。そう言って『思念通話』を中断すると、レウルスは兵士に向かって口を開いた。
「それでは俺はこれで失礼します」
レウルスは馬車と兵士に向かって一礼すると、森に向かって駆け出す。仮に追ってきても『熱量解放』を使ったレウルスには追い付けないだろう。振り切るのが難しくとも、その場合はエリザが目潰し代わりに雷魔法を使う予定である。
「ま、待たれよ! くっ……せめてジルバ殿に感謝を伝えておいてくれ!」
一目散に逃げ出したレウルスだったが、遠くから聞こえてきた声に思わず足を止めかけた。
(ん? ジルバさん?)
どういうことかと疑問に思うレウルスだったが、この近辺で有名な精霊教徒と言えばジルバである。レウルスが精霊教の関係者だと名乗ったことで、何かしらの縁があると考えたのだろう。
そう納得したレウルスは、森の中で待機していたエリザを回収して全速力でその場から離脱するのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
今回の更新でプロローグ含めて200話に到達しました。
前作と比べると一話辺りの文字数が少ないのもありますが、あっという間でした……これも毎度ご感想やご指摘、評価ポイントやお気に入り登録等をくださる皆様のおかげです。
一話辺りの文字数が少ない分、話数が増えそうですが、気長にお付き合いいただけると嬉しく思います。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。