第194話:調査依頼 その1
季節が巡って春を迎え、震えるような寒さも和らぎ始めた頃。
カルデヴァと呼ばれる大陸の中でも一、二を争う広大な国土を持つ大規模国家――マタロイ。
そのマタロイの南部に位置するラヴァルと呼ばれる城塞都市のすぐ傍に、ラヴァル廃棄街と呼ばれる町が存在した。
“正規の町”と比べれば人口も少なく、魔物と呼ばれる危険な生き物が跋扈する危険な世界にしては脆弱と言わざるを得ない土壁や木の柵で囲まれた町。
それがラヴァル廃棄街である。
そんなラヴァル廃棄街の中でも一際大きな建物――冒険者と呼ばれる職に就く者をまとめ上げる組織である冒険者組合の前に、五人の人影があった。
一人は少年と呼ぶべき年頃の男性で、身長は170センチに届くかどうか。赤茶色の髪の毛を乱雑に切り揃え、その顔立ちはある程度整っているものの年齢と比べて老けて見えた。
革と鉄の複層で作られた鎧を身に纏い、背中には柄も含めれば身の丈を超える大剣を背負っている。
「普段から組合を利用してるのに、わざわざの呼び出し……嫌な予感しかしねえな」
少年――レウルスが顎に手を当てながら呟く。すると、そんなレウルスの隣に立っていた少女が眉を寄せた。
「最近は町の周囲を見回っても魔物と遭遇する機会が少ないからのう……“以前のように”特別な依頼でもあるんじゃろうか?」
腰まで伸びた桃色がかった金髪と、140センチを超えるかどうかという身長。体は全体的に起伏が乏しいものの可愛らしい顔立ちをしており、口調に反してレウルスより一歳年下なのだが年齢差以上に幼く見える。
その可愛らしい顔立ちに反して装備は物々しい。心臓などの重要な臓器を守るための部分鎧を身に着け、上半身を隠せる大きさの外套を身に着けている。
その上、右手には身の丈を超える無骨な杖を握っており、少女――吸血種と呼ばれる亜人のエリザは首をレウルスの言葉に傾げていた。
「魔物が出ないとわたしがレウルスにお肉を焼く機会がないもんね! 特別な依頼だろうとばしばし受けるわよ! そしてお肉を焼くわ!」
レウルスとエリザの言葉を聞き、少女――サラは元気良く飛び跳ねる。
エリザとは顔立ちや髪の長さ、身長を含めた体型が瓜二つだったが、二人には明確な差異が存在する。髪の色は真紅に染まっており、瞳も同様に真紅の輝きを宿す。
顔立ちもレウルスなどからすれば『エリザと似ているが姉妹程度には違う』と思われるほどで、エリザと比べれば元気の良さが前面に出ていた。
他にエリザと違う点があるとすれば、防具や武器の類を身に着けていないことだろう。サラは火の精霊であり、道具がなくても自由自在に火炎魔法を操るのだ。
「魔物を見つける度に仕留めて、しかもその場で捌いてお肉を焼くから魔物が寄ってこなくなったんじゃないかなぁ……」
元気良く吠えるサラとは異なり、控えめに笑いながら少女――ミーアが言う。
年齢の割に小柄なエリザやサラと比べて更に小柄で、その身長は135センチ程度。こげ茶色の髪をショートカットに切り揃え、くりくりとした瞳が印象的である。
この場においては最も小柄ながら、その背中には身の丈を超える巨大な鎚を背負っている。防具はエリザと同様に部分鎧を身に着けているが、その身長の低さの割に体の起伏が大きく見えた。
「…………」
そして最後の一人――レウルスからネディと名付けられた精霊の少女は、騒ぐサラを無言で見つめていた。
ネディの身長はエリザやサラよりも僅かに低く、ミーアよりは高い。サラと同じように防具や武器の類は身に着けていないが、その首元には羽衣とでも評すべき水色の布を巻いていた。
レウルスを除いた四人の少女の中では一番大人しく、一番寡黙で、それでいて一番“女性的”な少女である。
「こんちわーっす。姐さん、来たぞー」
冒険者組合の扉を開け、足を踏み入れるレウルス。そして気軽に声をかけると、レウルスが姐さんと呼んだ女性――ナタリアが苦笑を浮かべた。
腰まで伸びた癖のある紫髪に、離れていても色香が感じ取れる風貌。そして手慰みのように右手で弄ぶ煙管が印象的な女性である。
「時間通りね……あと、組合の前で騒ぐのはやめなさい。中まで聞こえてきたわよ?」
「そりゃ失敬。でも、サラが元気が良いのはいつものことだろ?」
その分、泣く時なども盛大に泣き喚くのだが、それは言わないレウルスだった。
普段利用する時は多くの冒険者が屯する冒険者組合だが、ナタリアに訪れるよう指定されたのは依頼の受領が一段落して人気がなくなる時間帯である。
一体何を言われるのかと内心で身構えるレウルスだったが、そんなレウルスの内心を見透かしたようにナタリアは苦笑を深めた。
「別に難しいことを依頼するつもりはないわ。少なくとも坊やがこれまで受けてきた特別な依頼と比べれば楽な依頼になるはずよ……“余計なこと”が起きなければ、だけど」
「姐さん知ってるか? そういうことを言うと実際に起こるんだぞ?」
思わずジト目でナタリアを見つめるレウルスだったが、ナタリアは煙管をくるりと回して呆れたように言う。
「これまでの坊やの“実績”を考えれば当然の反応ではなくて?」
「ぐぬっ……言い返せねえ……」
ナタリアの言葉にレウルスは引き下がるしかなかった。
レウルスがラヴァル廃棄街で冒険者になって一年が過ぎたが、その間にいくつもの騒動が起きた。
魔物と呼ばれる危険な生き物――その中でも上級に分類される魔物と戦うこと三度。
災害が形を持ったと表現することすらできる上級の魔物と、一年の間に三回戦ったのだ。
その中でも最も強力かつ一度も勝てたことがない魔物――火龍のヴァーニルは除外するとしても、『城崩し』と呼ばれる巨大ミミズ、『国喰らい』とあだ名される巨大なスライムとは命懸けで殺し合った。
一度あったことは二度あっても不思議ではなく、二度あったことが三度あってしまえば最早“それ以上”が起きても驚くに値しない。
そのためナタリアの言葉に引き下がったレウルスは、一体何をすれば良いのかと話の続きを促す。
「今回の依頼は調査依頼よ。坊や達には春先になって暴れ出す魔物がいないかの調査をお願いしたいの」
「調査依頼? それって俺がこの町に来てすぐの頃にニコラ先輩達がやってたようなやつか?」
当時、シェナ村と呼ばれる生まれ故郷で農奴として生きていたレウルスだが、十五歳を迎えて成人したと見做されると即座に鉱山用の奴隷として売り飛ばされた。
だが、商人に買い取られて鉱山へと“出荷”される途中にキマイラと呼ばれる魔物に襲われ、命辛々逃げ出すこととなる。
死にそうになりながらもラヴァル廃棄街に辿り着き、紆余曲折を経て冒険者になったレウルスだが、件のキマイラの調査を先輩冒険者であるニコラとシャロンが請け負ったことがあった。
今回ナタリアが提示したのはそれに似た依頼だろうとアタリを付けたのだ。
「あの時はキマイラがどこにいるかを調査するのが目的だったから、若干違うわね。今回の依頼では特定の魔物を狙うわけではないわ」
そう言ってナタリアはその視線をサラへと向ける。
「森の中に踏み入って、危険な魔物が活動していないかを調査する……そういう依頼よ。春先になると冬眠から目覚める動物が多いから、それを狙って魔物が活発化するのよ」
「……冬眠明けの動物ってガリガリになってそうだけどなぁ。いや、魔物相手に理屈を説いても仕方ないんだろうけどさ」
ナタリアの言う通り、春先になれば冬眠していた動物なども目を覚ますだろう。そんな“普通の動物”を狙って魔物が活発に動くと言われても、レウルスにはピンとこなかった。
疑問が混じったレウルスの言葉に対し、ナタリアは薄く微笑む。
「坊やが中級中位の冒険者になったから、その辺りの依頼も任せてみようと思ったのよ。正直なところ、今回の依頼は練習みたいなものね。調査依頼という名目で、魔物の追跡方法を学ぶ……あなた達なら魔物の位置も探れるだろうし、練習と実践が兼ねられるでしょう?」
「なるほど……そういう依頼か」
レウルスは魔力を感じ取ることによって近距離の魔物の気配を探ることができ、火の精霊であるサラはレウルス以上の長距離を熱源を感知することで探ることができる。
魔物の発見や追跡を行うには打ってつけだろう。
「練習というのなら、誰か教えてくれる人が同行してくれるんじゃろうか? ……こう言ってしまうとジルバさんが率先してついてきそうじゃが」
レウルスとナタリアの会話を聞いていたエリザが疑問を挟む。練習というのなら、教える人がいる方が効率が良いのは確かだろう。
「エリザのお嬢さんの言うことももっともなのだけど、貴方達の場合は捜索や追跡の仕方が普通とは違うでしょう? 冒険者として基本的なことはニコラやシャロンに教わっているだろうし、自分たちで試行錯誤してほしいのよ」
そこまで言うと、ナタリアはその表情を引き締めて話をまとめ始める。
「色々と言ったけれど、要は普段行っているラヴァル廃棄街周辺での魔物退治をもっと広い範囲でやってみないか……そういう依頼になるわ。ラヴァル廃棄街の周辺の魔物が減った分、“どこに行ったか”も調査してほしいのよ」
「どこに行ったかって……レウルスのお腹の中じゃないの? ふぎゃ!?」
真剣な表情で話すナタリアに対し、心底不思議そうに首を傾げるサラ。しかし、即座にエリザがサラの口を手で押さえた。
「お主は黙っておれ……さすがに周辺の魔物全てをレウルスが平らげたわけではないじゃろ? ……ない……じゃろ?」
サラの発言を止めたエリザだったが、思わず確認を取る程度には現実味があったらしい。そのためレウルスは呆れたように首を横に振る。
「そんなわけないだろ? 依頼や『龍斬』の作成で一ヶ月から二ヶ月近く町を離れていたこともあるんだぞ?」
「そ、そうじゃよな……あれ?」
特に、『龍斬』と名付けた大剣を作ってもらうために長期間ラヴァル廃棄街を離れていたのだ。そう言ってあり得ないと言い放つレウルスだったが、エリザからすれば町を離れていなければ実現していたのかと思ってしまう返答だった。
そうやって首を傾げたエリザを横目に、レウルスは納得したような声を漏らす。
「たしかに姐さんの言う通り、普通の依頼に聞こえるな……広い範囲でやるっていっても、どこまでいけばいいんだ?」
「そこは坊や達に任せるわ。慣れるまでは日帰りで、慣れたら野営をしながら移動していく……といった感じかしら。できれば街道を外れて、森の中の調査を優先してくれると組合としても助かるわ」
そう言いつつ、ナタリアは一枚の紙を取り出した。一体何かとレウルスが覗き込むと、そこには縮尺が狂っているものの近隣の地形などを記したと思わしき地図が描かれている。
「この地図を貸し出すから、気になることがあれば書き込んでいってちょうだいな……エリザのお嬢さんがね」
「俺、読み書きができないからなぁ……」
精度に問題があるものの、地図という貴重かつ重要なものを貸し出すナタリア。その事実にそこはかとない違和感と嫌な予感を覚えるレウルスだったが、ナタリアが用意した依頼だからと請け負うのだった。