第189話:まずは一つ
「メルセナ湖で遭難して、遭難した先で精霊とスライムを見つけて、グレイゴ教の司教や司祭と戦って、追いかけてきたスライムとも戦って、しかもスライムは倒してきた? やっと戻ってきたと思ったら貴方は何をしているの?」
「これって俺が悪いんですかねぇ……」
スライムを倒して二十日近い時間が過ぎ、ようやく帰ってくることができたラヴァル廃棄街。
家に戻るよりも先に依頼の報告を行うべく冒険者組合に足を運んだレウルスだったが、“事情”を説明するなりナタリアから呆れたような言葉を投げかけられた。
組合の中でナタリアに報告を行っているのはレウルスとジルバの二人である。事情を説明する必要があるためネディは連れてきているが、エリザ達は一足先に家へ帰して休ませていた。
「氷魔法と水魔法を使える精霊を連れて帰ってきたことは……まあ、いいでしょう。いえ、本当はそのまま聞き流していいことじゃないけれど、サラのお嬢さんを含めれば二度目……五十人近いドワーフを連れてきたことを含めれば三度目だから棚上げしましょうか」
寄せた眉間を指先で揉み解すという珍しい仕草を見せるナタリア。エリザを含めれば四度目になってしまうのだが、レウルスは口をつぐんで大人しく話の続きを待つ。
「水不足を解消できる人材もしくは魔物を連れてくる……ええ、ええ、元々の依頼通りだから何も言わないわ。予定よりも少しだけ帰還が遅かったけど、これも許容範囲……でも、何をどうすればスライムと戦うことになるのかしら?」
「スライムに聞いてください……いや、もう倒したから聞けないけどさ」
そもそも言葉を交わす機会すらなかったのだ。仮にスライムが話しかけてきたとしても、そのまま戦う羽目に陥っていたとは思うが。
「スライムと戦った感想は?」
「二度と戦いたくないね。あと、食っても美味くなかった」
姐さんからもらった火打石で焼きスライムが食べられたぜ、とサムズアップするレウルスだったが、ナタリアが常に持っている煙管で軽く額を小突かれて渋面を作る。
「放っておいたらいつかラヴァル廃棄街に被害が及ぶかも、なんて考えたら放置できなかったんだよ。あと、ネディのことも放っておけなかったしさ」
加えて言えば、逃げても追いかけてきたのだ。それならば戦力が整っている状態で迎え撃つしかないだろう。
無事に――とは口が裂けても言えないが、辛うじてとはいえスライムを仕留めることができたのだ。二度と戦いたくないというのはレウルスとしても偽らざる本音だが。
もっとも、その代償は小さくない。
レウルスは両腕と額をスライムの体液で溶かされて大量出血し、命を落とす一歩手前まで追い込まれた。治癒魔法を使えるジルバが同行していなければ間違いなく死んでいただろう。
愛剣である『龍斬』も切れ味が大きく落ちており、制作者であるカルヴァンに頼んで研ぎ直してもらう必要がある。研ぐだけならミーアでもできるが、持ち歩いていた簡易な整備道具では本格的に研ぎ直すのは不可能だった。
エリザとサラ、そしてネディは魔力を限界近くまで使ったため、本格的な戦闘は現時点でも不可能である。これはレウルスも同様で、『熱量開放』によって消耗した魔力はほとんど回復していなかった。
実のところ、レウルスは肉体的にもまだ完治していない。ジルバの治癒魔法によって傷の大部分は塞がっているが、“普通の傷”と違って肉が溶けて抉られたのだ。
切創や単純に刃物で刺されただけならばどうにかなったが、骨に届く深さで肉が溶けたため、完治にはまだ時間がかかるだろう。
(目が覚めたら強行軍で帰ってきたからな……しばらくは休まないと)
スライムを倒した後に気絶し、目を覚まして最低限体調が回復するのに五日かかっている。そこから船に乗ってレテ川を遡り、カダーレの河港に到着してからは陸地を駆けてきたのだ。
船の中ではジルバから継続して治療を受けたものの、陸地を移動するとなるとそうはいかない。野営をする際に治療を受けることはできたが、結局往路よりも時間がかかってしまい、それでもなんとか戻ってくることができたのだ。
「今日はゆっくりと休んで疲れを取ってください。後日エステル様に頼んできちんと治してもらいましょう」
共に報告を行っていたジルバが労わるように提案する。普段ならば精霊教に対する貸し借りを気にするレウルスだったが、今回ばかりは素直に甘えさせてもらうことにした。
「治療費は組合の方から出させてもらうわ……グレイゴ教の司教と司祭については?」
ナタリアが目を細めながら尋ねる。スライムに関して色々とツッコミを入れたいところではあるが、既に死んでいるのだ。それならば“生きている脅威”を優先した方が良いだろう。
そんなナタリアの懸念に対し、この場でグレイゴ教徒に関して最も詳しいであろうジルバが口を開く。
「私見ではありますが、奴らはサラ様やネディ様を討伐の対象として見ていないようでした。もちろん、グレイゴ教徒全体がそうだとは言えませんが……」
「俺なんか倒すどころか勧誘されましたしね……何を考えてるんだか」
気になるところではあるが、即座に火の粉が飛んでくるわけではなさそうだ。レウルスとジルバが見解を一致させていると、ナタリアが煙管をくるりと回す。
「なるほど……ジルバさんがそう言うのなら信じられそうね。一応こちらでも“色々と”警戒しておくとしましょうか」
意味深に呟くナタリアに対し、レウルスから言えることは何もない。グレイゴ教徒が手を出してくるというのなら、即座に迎え撃とうと決意を固めるだけだ。
「それで……そろそろそちらのお嬢さんのことをきちんと紹介してもらえるかしら」
そして、次にナタリアが水を向けたのはレウルスの傍で控えていたネディに対してである。ただし、ネディはレウルス達の会話には全く参加しておらず、物珍しそうに周囲を見回していた。
「ネディ……ネディ?」
レウルスが声をかけると、ネディはようやく動きを止める。そしてナタリアへと視線を向け、小さく頷いた。
「ん……わたしはネディ。精霊のネディ」
「よろしくね、お嬢ちゃん……まさか、生きている間に複数の精霊と会うことがあるとは思わなかったわ……」
言葉少なく挨拶をするネディに小さく微笑むナタリアだったが、数秒もせずに真顔になる。そんなナタリアとは対照的に、ジルバは喜色満面といった様子だった。
「私としては喜ばしい限りですよ。サラ様にネディ様……いやはや、大精霊様のお導きに感謝する他ありません」
右手を胸に当て、ネディに対して深々と一礼するジルバ。崇めるべき信仰対象が目の前に存在するのだ。宗教家としては感無量といったところだろう。
「ところで姐さん、町の状況は……」
話が一段落したところでレウルスは心配そうに問いかける。報告が先で良いと言われたため従ったが、ずっと気になっていたのだ。
そんなレウルスに対し、ナタリアは柔らかく微笑む。
「安心なさい。あと一週間……いえ、五日遅れていれば危なかったでしょうけど、死人も出てないわ」
「……そう、か」
どうやら間に合ったらしい。その事実に安堵したレウルスは体から力が抜けて倒れそうになるが、辛うじて堪える。
「あとはお嬢さんの腕次第なのだけど……期待しても良いのかしら?」
その瞳に僅かな期待を覗かせながらナタリアが尋ねる。すると、ネディは周囲を見回した後に自身の足元を見た。
「地下を流れる水にお願いして、この辺りにもきてもらえば……大丈夫?」
「水魔法で水を生み出すわけじゃないのか……どれぐらい時間がかかるのか気になるところだけど、ネディの魔力は大丈夫か? 無茶はしないでほしいんだけど……」
ネディが水魔法を使って水を生み出す光景を想像していたレウルスは、思ったよりも大がかりになりそうな返答に頬を引きつらせる。
(そういえば、メルセナ湖の孤島にいた時も似たようなことを言ってたよな……水にお願いするって言ってたっけ? サラが火を操れるようにネディは水を操れるって考えればおかしくはない……か?)
サラも熱源を探知したり、近くにある火を操ったりと火にまつわる能力を持っているのだ。地下水脈を操ると言えばサラよりも力が強いように思えるが。
「お願いするだけだから魔力はそこまで使わない……時間は日が昇って沈むのを三回繰り返すぐらい?」
三日かかると思うべきか、三日しかかからないと思うべきか。精霊とは凄まじい存在なのだな、とレウルスは軽く思考を放棄する。
「お嬢さん、水を招き寄せてくれるのはありがたいのだけれど、それだと他の町や村に影響は出ないかしら? この町は助かったけれど他の場所で水がなくなって渇死……そんなことになると困るわ」
「少し流れを変えるだけだから大丈夫。あと、人間が住んでそうな場所は避ける……“変えすぎる”ことはできないから」
「……そう。ならお願いするわ」
そう言って頷くナタリアの顔には、深い安堵の色が広がっていた。
それから三日後。
徐々にではあるが井戸の水位が戻ってきていることを確認したラヴァル廃棄街では、安堵と歓喜の空気が広がっていた。
周囲の町や村でもそれは同様らしく、確認のために人を向かわせていたナタリアが安堵を深めたことを知る者は少ない。
そして、レウルスは水不足が解消されつつあることを素直に喜んでいた。
(スライムと遭遇した時はどうしようかと思ったけど、なんとかなったか……)
この三日間、レウルスは体を休めることに終始していた。ジルバの提案通りエステルから治療を受けて傷は塞がったが、体の疲労までは抜けていないのだ。
自宅の傍にある井戸に陣取ったネディが水に“お願い”するのを護衛がてら眺めつつ、ゆっくりと体を休めた三日間だった。
だが、それももう終わりである。エリザ達も旅の疲労から回復し、戦闘は厳しくとも動き回れるようになった。
そのため、レウルスは大仕事を成し遂げてくれたネディに一つの提案を行う。
「本当に助かったよネディ……お礼にさ、一つ御馳走させてもらいたいものがあるんだけど」
「……何を?」
水不足が深刻になっていたためドミニクの料理店も一時休業していたが、ネディのおかげで水不足解消の目途が立ったため、今日から再開するのだ。
ネディはスライムを封じることしか知らなかった。それならば、まずはレウルスが知る限り最高に美味い料理から知ってもらいたい。
「以前話しただろ? 俺にとってこの世で一番美味いものさ」
――首を傾げるネディに対し、レウルスは柔らかく笑うのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
これにて5章は終了となります。
これまでの章と違って話数がかさむわ5ヶ月近くかかるわで申し訳なく思います。
6章からはもっと更新ペースを安定させたいですが、書籍化作業もあるのでどうなるかは未定です。
毎度ご感想やご指摘、お気に入り登録や評価ポイントをいただきましてありがとうございます。
執筆のモチベーション維持につながっております。感謝感謝です。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。