第182話:本領発揮 その1
メルセナ湖の孤島で初めてスライムと交戦した際、レウルスは学んだことがある。
それはスライムが持つ肉体の頑強さと厄介さに関してだ。
スライムの外皮は硬く、並の武器では貫くことすらできない。それだというのに外皮を貫けたとしても武器を溶かす体液で満たされており、それでいて傷口から“中身”が出ないよう瞬く間に体液を外皮へと変化させることができる。
それは治癒魔法による治療とは異なる、スライム独自の特性なのだろう。頑丈な外皮と武器を溶かす体液を持ち、更には水を吸収して肉体を短時間で復元するなど、魔物という常識外の生き物の中でも異質に過ぎる。
しかしその特異さの反面、レウルスが確認した限りでは攻撃手段が乏しい。それだけで十分なのかもしれないが、その巨体と何でも吸収する特性を活かした体当たりなどの近接攻撃が精々だ。
孤島ではスライムが跳躍して押し潰されそうになったが、体が大きくなった弊害なのか跳ねて飛び掛かってくる様子はない。
問題があるとすれば、攻撃手段が乏しくとも殺傷力には優れている点だ。一体如何なる構造をしているのか、孤島で戦った時も生えていた木々をあっという間に取り込んで消化してしまった。
人間がスライムに取り込まれればどうなるか――それは火を見るよりも明らかだろう。
そんなスライムに対し、レウルスは真正面から突撃する。スライムもまた、レウルス目掛けて一直線に突っ込んでくる。
身長だけで比較しても数十倍、体積や体重で比較すれば一体どれほどの差があるか。最早自然災害に等しい巨大なスライムを前にしたレウルスだったが、“体格差”など気にせずに殺気を漲らせながら踏み込んだ。
彼我の距離は約三十メートル。透明な山のようなスライムの中心に存在する『核』を睨み、レウルスは狙いを定める。
「おおおおおおおおおおおおおおおおぉぉっ!」
迫りくるスライムから放たれる威圧感を振り払うように咆哮し、魔力を乗せて大剣を振り下ろす。スライムの接近によって発生した津波でぬかるんだ地面が、レウルスの踏み込みによって飛沫を散らしながら陥没する。
レウルスが放った斬撃――魔力の刃はスライムの外皮を斬り裂き、スライムの体内へと叩き込まれた。
それはレウルスが自力で放つことのできる唯一の遠距離攻撃手段にして、刀身の長さ以上に相手を斬り裂くことができる“とっておき”の一撃だ。
もっとも、刀身の長さ以上に斬れるといっても限度がある。さすがに百メートル近いスライムを真っ二つにすることはできず、魔力の刃はスライムの内部を突き進んでいく。
「もう……一つ!」
『龍斬』を振り下ろしたレウルスは踏み込んだ右足を軸に旋回。魔力の刃がもたらす効果を確認することなく、今度は横薙ぎの一閃と共に魔力の刃を放った。
ただの魔物が相手ならば皮を斬り裂いて体内を割断した時点で勝負がつくだろう。だが、スライムが相手ではほとんど意味がない。『核』を破壊できない斬撃など、牽制にしかならない。
スライムはレウルスが放った魔力の刃を受けた衝撃で体を震わせたが、それだけだった。縦に斬り裂く魔力の刃は体内の『核』を移動させて回避し、“腹”を真横に裂く魔力の刃は『核』を移動させる必要すらない。
ただし、効果がゼロというわけでもなかった。十字に斬られたスライムの動きが鈍り、レウルスを押し潰さんと直進していた速度が大きく減じる。
それを見たレウルスは即座に駆け出し、一定の距離を保ちながらスライムの端を目指す。
大きく十字に斬り裂いたスライムの肉体は既に復元を始めており、時間を巻き戻すように傷口がふさがっていく。レウルスはその速度に内心だけで舌打ちをしつつ、今度は少しでもスライムの肉体を削るべく『龍斬』を振るった。
「ジルバさん!」
スライムの接近速度を強制的に緩めさせたレウルスは、背後に続くジルバへと声をかける。いくら切れ味が凄まじいといっても剣一本でできることには限りがあり、ジルバと協力しなければこの場は乗り切れないだろう。
レウルスが斬り裂き、ジルバが殴り飛ばす。一連の流れはこれまでと同様だが、レウルスの“斬り方”に大きな差があった。
『熱量解放』に加えて魔力の刃を使っている以上、全力で戦える時間は限られている。それ故に少しずつ削るのではなく、一度の斬撃で可能な限り多くの肉体を切り取っていく。
振るう愛剣の軌道は、振り下ろすのではなく右下から左上へと。常に斜め上へと斬り上げる軌道で愛剣を振るい、魔力の刃を叩き込んでいく。
そうすることで傷口が塞がらず、重力に従って肉片が落下するのだ。
(傷口が塞がるっていっても、切り離した肉同士が勝手にくっつくわけじゃねえ……“接している部分”がなけりゃ、つながりようもない……けど……)
問題があるとすれば、落下の衝撃で金属製の武器すら溶かすスライムの体液が周囲に飛散することだろう。ジルバが肉片ごと外皮を殴り飛ばすおかげでその影響は少ないが、ゼロではない。
スライムの肉片が吹き飛んだ先では、地面に付着した体液が何やら蒸発音を立てながら煙を上げていた。おそらくは地面が溶けているのだろう。
「レウルスさん、呼吸に注意をしてください! 間違ってもスライムの体液を吸い込まないように! 下手すれば内臓が溶けます!」
背後から飛んでくるジルバの忠告に、レウルスは大剣を一振りすることで応える。
いくらレウルスの胃が頑丈でも、金属を溶かす液体には勝てないだろう。エリザとの『契約』である程度の傷は自動で治るとはいえ、試す気にはならない。
(グレイゴ教の二人は……っ?)
地面に飛び散ったスライムの体液に気を付けつつ、それでいて斬撃の手を止めずに駆け回っていたレウルスが視線を巡らせると、スライムの“退路”を塞ぐように布陣するカンナとローランの姿が見えた。
だが、カンナとローランの戦いぶりを見たレウルスは内心だけで小さく困惑する。
レウルスとジルバに任せ、手を抜いている――などということはない。一定の距離を保ちながらスライムを削るレウルスと同様に、距離を取ったまま得物を振るってスライムを切り刻んでいたからだ。
(風魔法? いや、もしかすると俺と同じ……か?)
少なくとも先ほどまではそんな戦い方はしていなかったはずだ。サラに切り札を切らせ、なおかつレウルスが全力を出したことでカンナとローランも手の内を見せたのか。
遠距離からでも広範囲を斬り裂けるレウルスと比べると、短距離かつ弱い威力だが手数で補っているように見えるという差異があるが――。
(スライムを削れるのなら“今は”どうでもいい、ってなぁ!)
味方とは言えないが、共闘する間柄である。レウルスは負けじと『龍斬』を振るい、スライムの肉片を斬り飛ばすのだった。
後先考えずに暴れるレウルスの後方。
レウルスから作戦を伝えられたサラはエリザと並び立ち、懐を漁って赤色を帯びた石を取り出して“準備”に取り掛かっていた。
小柄なサラが両手で包めるほどの大きさを持つ石――火の『宝玉』は、ヴァーニルから譲られた天然の魔法具だ。
火の精霊であるサラは火炎魔法を自在に操れるため、これまで火の『宝玉』を使用することはなかった。火炎魔法に限っては呼吸をするように発現できるため、サラにとっては使用する理由も必要性もなかったからだ。
それでも、以前レウルスから持っておくように言われて以来、持ち歩くことだけは忘れていなかった。
「まさかあんなに大きなスライムと戦うことになるなんてねー。さすがわたしが選んだ契約者だわ」
『龍斬』を振るってスライムを端から大きく削っていくレウルスの姿を遠望し、サラは小さく笑う。
今の生活は顕現する前、ヴェオス火山で数十年もの年月を意識だけで過ごしていた頃は考えもしなかったほど波乱に満ちている。
正式な『契約』を結ぶまで時間がかかったが、見る目は間違っていなかった、“自分の感覚”を信じて正解だったとサラは確信する。
「何を呑気なことを言っておるんじゃ……準備は?」
サラを通してレウルスの指示を聞いたエリザが杖を地面に突き刺しながら尋ねると、サラはカラカラと笑う。
「いつでもいけるわ。火の『宝玉』を使った上で全力で魔法を撃ち込む……うん、以前ヴァーニルと戦った時も本気だったけど、今回の方がもっと本気を出せるわね!」
「何か言葉がおかしいような気がするんじゃが……まあ、いつものことじゃな」
その気楽さに救われるわい、とエリザは呟いた。
レウルス達のように直接対峙しているわけでもないというのに、スライムから放たれる威圧感が凄まじいのだ。
スライムを見ていると、抵抗の間もなく捕食される光景が脳裏に浮かぶ。スライムに取り込まれ、数秒とかけずに全身を溶かされて命を落とす様が鮮明に想像できるのだ。
それは生き物としての防衛本能がそうさせるのか、何であろうと取り込んでしまうスライムへの嫌悪感がそうさせるのか。
(レウルスも食べられるものは何でも食べるが、スライムの方は妙に“怖い”と感じるのは何故じゃろうな……)
家族と敵の違いだろうか、とエリザは内心だけで呟いた。その間にもエリザの視線はスライムの周囲を跳ね回るレウルスへと向けられているが、スライムを前にしたレウルスの暴れ振りは凄まじいものがあった。
――これならば倒せるのではないか?
そんな期待を胸に抱きつつ、エリザはサラから距離を取って愛用の杖に魔力を込め始める。すると、エリザの魔力を感じ取ったサラも火の『宝玉』を頭上に掲げて魔力を込め始めた。
エリザが握る杖が、バチリと音を立てる。弾けるようなその音は徐々に連鎖を始め、雷の『宝玉』が嵌め込まれた杖の先端に紫電を生み出していく。
サラが掲げた火の『宝玉』に大きな変化はない。変化があるとすれば、掲げた火の『宝玉』よりも更に一メートルほど高い位置に小さな火の玉が出現したことだろう。
だが、その小さな火の玉に込められた魔力は尋常のものではない。火の『宝玉』を通して増幅されたサラの魔力が一点に集中しているのだ。
最初は外見こそ小さな火の玉だったが、時間が経つにつれて少しずつその大きさを増していく。それと同時に火の色も変化を始めていた。
最初は赤かったが、時間が経つにつれて黄色に。そして一分が過ぎる頃には青味を帯びた白色へと変化を遂げていた。大きさも火の玉というよりは火球と呼ぶべき大きさに変化しており、その直径は一メートル近い。
「む……むむむ……これ、ちょっと、やばいかも……」
火の『宝玉』を通して火球に魔力を注ぎ込んでいたサラだったが、普段よりも火炎魔法の威力が“底上げ”されていることに冷や汗を流す。
ドワーフ手製の魔法具を使っているエリザと異なり、サラは全てを自力で制御しているのだ。火の『宝玉』を使ったことで増幅された火炎魔法の威力は、火の精霊であるサラの制御から外れそうになるほど強烈になりつつあった。
それでも、レウルスに宣言したのだ。
――“自分こそが”レウルスの精霊である、と。
ピシッ、とひび割れるような音が響く。それは火の『宝玉』から放たれた音で、その音に釣られたミーアが視線を向けると、火の『宝玉』に大きなひびが入っていた。
もしもの際にエリザとサラを守るべく待機していたミーアだったが、サラが行使する火炎魔法に火の『宝玉』が耐え切れなくなったのだろうと推察する。普通ならばあり得る現象ではないが、火の精霊であるサラの魔力に耐え切れなかったのだろう、と。
当のサラはというと、自身の魔力量を超えて膨らんだ火炎魔法の制御に苦心していた。
レウルスが期待した以上の威力が出そうだが、撃つ前に暴発する危険性すらある。それでも暴発などさせるわけにもいかず必死に抑え込み――いつしか火球が姿を変えていた。
球体だった火は槍のように細くなり、煌々と白い輝きを放っている。それでいて込められた魔力は莫大なもので、サラ達を見守っていたミーアが戦慄するほどだ。
エリザも雷魔法を発現させているが、火の精霊であるサラが全力で生み出した火炎魔法の魔力には到底及ばない。
その魔力の高まりに気付いたのか、数秒とかけずに四度魔力の刃を叩き込んだレウルスがジルバを連れてスライムの傍から離脱を始める。スライムの後方で得物を振るっていたカンナとローランも同時に離脱を始め――。
「吹き……飛べええええぇぇっ!」
サラは掲げていた両手を振り下ろし、白い輝きを放つ炎の槍を放つのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
久しぶりにあとがきの場をお借りします。
毎度ご感想やご指摘、評価ポイント等をいただきましてありがとうございます。
執筆の励みになっております。
今回のあとがきでは一点ご報告がありまして……
拙作『世知辛異世界転生記』が書籍化いたします。
現状では詳しい情報を公開できませんが、久しぶりに活動報告も更新しますので
そちらも覗いていただければ嬉しく思います。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




