第180話:共闘 その4
レウルスを追いかけるのを止め、メルセナ湖に引き返したスライム。
レウルスとジルバ、カンナとローランの四人がかりで削ったスライムの体が僅かな時間で元通りの大きさまで戻ったのを遠望したレウルスは、頬を引きつらせながら傍のジルバへと声をかける。
「……これは、まずい……ですよね?」
自分の勘違いであってほしい、見間違いであってほしいと願うが、現実が変わることはない。そして、目の前の現実から逃避していても死ぬだけだ。
「……『国喰らい』の名は誇張ではないようですね」
さすがのジルバも呆気に取られたように呟く。
危険はあったが順調だと断言できるほどの速度でスライムの肉体を削ることができた。だが、削った分の肉体を“補充”するべく動いたスライムには戦慄を禁じ得ない。
治癒魔法を使って怪我を治す――それならば魔力が尽きるまで攻撃を加えればいつかは打倒できるだろう。だが、スライムが治癒魔法を使った気配はない。メルセナ湖の水を吸収し、肉体に変えただけなのだ。
(魔力のデカさが変わった感じはしないが……いや、少し減ったか?)
幸いと言って良いのか、スライムから放たれる魔力の量に大きな変化はない。さすがにメルセナ湖の水を吸収しただけで魔力まで増幅することはないようだ。
逆に少しだけ魔力が減ったように感じたレウルスだったが、誤差だと言われれば納得できる程度の変化でしかない。
いくらスライムの皮や肉体を斬っても、片っ端から回復されるのでは意味がない。回復できないようメルセナ湖に向かうのを止めようにも、スライムの巨体を押し留めることなどできるはずもない。
これは非常にまずいのでは、と戦慄するレウルスだが、そんなレウルスの元にカンナとローランが駆け寄ってくる。それに気付いたジルバは即座に臨戦態勢を取ったが、カンナとローランは武器を鞘に納めて無抵抗を示した。
「物騒ですよ『狂犬』。仮にも共闘している相手に向ける殺気じゃないでしょう?」
「司教様司教様、それで止まるような奴なら俺達グレイゴ教徒から『狂犬』なんて呼ばれてませんって」
スライムが肉体を復元させたにも関わらず、カンナとローランは自然体で言葉を交わす。そのやり取りを聞いたジルバの殺気が膨れ上がるが、カンナは涼しい顔で受け流した。
「しかしまあ、スライムとはずいぶんと規格外な魔物ですね。アレを殺しきるには強力な属性魔法が必要というのも頷けますよ……逆に言えば、強力な属性魔法さえあれば倒しやすい相手でもありますが」
「俺も司教様も属性魔法が使えないから相性最悪ですけどね」
「ええ……こんなことになるのなら、属性魔法が得意な司教か手練れの司祭を一人か二人連れてくれば良かったですね」
今更言っても仕方ないことですが、と言葉を切るカンナ。しかしすぐにレウルスとジルバに視線を向けると、後方で待機しているエリザ達を話題に出す。
「聞きたいことは一つです。後ろの子達……顔が似ているあの二人の魔法で“一気に”仕留めるには、スライムをどこまで削る必要がありますか?」
「半分ぐらいまで削ればどうにかなる……と思いたいところだな」
スライムは肉体こそ復元させたものの、即座に動く様子がない。そのため今の内に作戦を決め直そうという魂胆なのだろう。
当初の予定ではレウルス達がスライムの肉体を削り、エリザとサラの魔法を『核』に届かせやすくするつもりだった。だが、スライムが水を吸収するだけで肉体を復元させられるのでは前提が変わってしまう。
削っても復元するのなら、一息に仕留めなければならない。だが、仕留めきれなければ一気に不利になるだろう。むしろ一度の失敗で不利どころか敗北が決定づけられるかもしれない。
(俺を追いかけてくるのなら、メルセナ湖から引き離すように誘導すれば……いや、駄目か)
陸地に誘導したとしても、スライムならば水以外の物体を吸収して体を大きくしそうだ。さすがにメルセナ湖の水量には到底及ばないが、木々や岩、果てには地面すらも飲み込んで己の肉体へと変えそうである。
そうなるとどこにも逃げ場がない。『熱量解放』を使ってこの場から離脱すればスライムから逃げ切ることも可能だろうが、その場合はいつスライムが襲ってくるのかと怯える日々を送る羽目になりそうだ。
それならば、カンナとローランという望外の戦力が揃っているこの状況でスライムを打倒するしか生き残る道はないだろう。信用も信頼もできないが、戦力という点ではジルバと同様に頼れる腕前の持ち主なのだ。
それでも、スライムが相手では決定的な戦力になり得ない。メルセナ湖の水は無限と呼べるほど存在するため、スライムの回復速度を上回って“削り切る”ことなど不可能だからだ。
レウルスはそう考え――そこでふと、首を傾げた。
(……水以外を吸収したらどうなるんだ? いや、待てよ……そもそもどうして“あのサイズ”で止まってるんだ?)
孤島で戦った時と比べて倍以上に巨大化していた衝撃で気付かなかったが、水を吸収して体を大きくできるのならもっと巨大化していてもおかしくないはずだ。
かつて一国を滅ぼし、『国喰らい』とまであだ名された魔物である。スライムの特性を、その厄介さを身をもって知ったレウルスとしては、スライムの体が無尽蔵に膨れ上がってもおかしくないのではないかと疑問に思った。
実現してほしいわけではないが、メルセナ湖の水を吸収し続ければ今以上に体を大きくできるはずだ。今でも十分に巨大だが、レウルス達四人がかりとはいえ端から削っていけるサイズでしかない。
(水だけじゃ今のサイズが限界なのか? それとも他に何か理由がある?)
スライムを観察しながら思考するレウルスだったが、答えは出ない。そのため素直に疑問を口に出すことにした。
「スライムの大きさについて疑問があるんだけど、誰かスライムの習性や特徴に詳しい人は……」
そう言いつつジルバ達を見回すレウルス。しかしジルバ達は互いに視線をぶつけ合うと、すぐに首を横に振った。
「スライムは発見数が少ないですからね。グレイゴ教でも詳しいことは伝わっていないんですよ」
「……グレイゴ教徒と同じというのは業腹ですが、私も以前お話した以上のことは知りませんよ。何か気になる点でも?」
カンナとジルバの答えを聞いたレウルスはローランにも視線を向けるが、ローランは苦笑しながら顔の前で右手を振った。ローランもスライムに関して詳しい情報を持っていないらしい。
「気になる点が三つあるんですが……」
ジルバ達ならば何かしらの案を出してくれるかもしれない。そう判断したレウルスは孤島で戦った時と比べて動きが鈍いこと、体の大きさが“元に戻って”もそれ以上の大きさにはなっていないこと、魔力が僅かとはいえ減っていることを伝える。
特に、動きが鈍化しているのは大きいだろう。孤島では飛び跳ねて襲ってきたというのに、今はそのような兆候もない。飛び跳ねた場合、回避できる保証がないためありがたい話ではあるが。
「ふむふむ……もしかすると魔力が足りていないのかもしれませんね」
「魔力が足りない?」
手短に伝えたレウルスの話に、カンナが興味深そうに呟く。
「人間で例えるなら、身長や体重がいきなり何倍にもなったようなものでしょう? 『強化』で動かすにしても限度があります。スライムの体の構造はよくわかりませんが、巨大過ぎるのが仇となった……ということではないでしょうか?」
水の吸収が終わったのか、再び陸地へと這い上がろうとしているスライムへ視線を向けながらカンナが言う。その表情はどこか遠くを見ているようで、自身が放った言葉に納得したのか何度も頷いた。
「“逆の場合”なら見たことがあります。小さな体に見合わぬ巨大な魔力を持ち、『強化』なしでも風のような速度で動く魔物を……あのスライムも大きな魔力を持っているようですが、体の大きさに見合った魔力かと言われると微妙なところです」
魔物の生態にそれほど詳しくないレウルスだが、カンナの言葉には納得できる部分があった。加えて言えば、見上げるような巨体だろうと莫大な魔力を持っている魔物にも心当たりがある。
(『強化』は“全身に”魔力を巡らせて発動させるんだっけか……体がデカくて魔力も豊富なヴァーニルが使うと洒落にならなかったしな)
スライムに尋ねても答えが返ってくるはずもないため推測にしかならないが、魔力不足で満足に動けないというのなら納得もできた。体を自由に動かせるようになった時、どれほどの脅威となるのか考えたくもないほどである。
その推測が当たっていた場合、何故そこまでの不利を冒して体を巨大化させたかが謎だが――。
「どこかの誰かさんが齧ったって話だから、食われても大丈夫なように体を大きくしたわけじゃねえだろうな」
「どこの誰だよそんなことした奴は」
体を波打たせながら近づいてくるスライムを眺めつつ軽口を飛ばすローランに対し、レウルスは『龍斬』を構えながら真顔で答える。スライムは相変わらずレウルスを狙っているようで、真っすぐに向かってきていた。
スライムの動きが鈍い理由は推測できた。だが、仕留めきれるかどうかという点では何の進展もない。
このままスライムを削り、回復され、再び削り――そんな戦いを繰り返せばいつかは打倒できるのか。
(エリザとサラの魔法を撃ち込んで仕留めるには……本当に半分削った程度でどうにかなるか?)
レウルス達の体力も有限だが、エリザとサラの魔力も有限である。火の精霊であるサラはともかく、エリザは魔法の行使が完璧というわけでもない。
強力な魔法を連発できるような器用さはないのだ。魔力を考えれば撃てて二発、威力を優先すれば一発で仕留める必要がある。
確実に仕留めるためにはレウルス達がスライムを可能な限り削る必要があるが、多少削ってもスライムは肉体を復元させるといういたちごっこに陥りかねない。
このまま持久戦を続ければ死ぬ。かといって短期戦を挑んでも勝てるかどうか見通しが立たない。
(今ならエリザは雷の『宝玉』を使った杖があるし、魔力さえどうにかなれば二回ぐらい強い魔法を――)
そこまで思考した瞬間、レウルスは脳裏に痺れるような感覚が過ぎった。そして、その感覚の赴くがままに心中で声を上げる。
『――サラ、火の『宝玉』は持っているか?』