第179話:共闘 その3
レウルスとジルバがスライムの“切削”を始めた同時刻。
グレイゴ教徒であるカンナとローランもまた、スライムへと挑みかかっていた。
「見てくださいローラン。レウルスさんでしたか? 彼は技術こそ大したことがありませんが、あの武器は凄まじいですね」
「いやまあ、技術が拙いのは確かですがね? 見た限りだと“動き”はかなりのモンでしょ。技術との釣り合いはまったく取れちゃあいませんが」
ただし、レウルス達と違って悠長に会話ができる程度には余裕がある。言葉を交わしている間にも二人は得物を振るってスライムの外皮を斬り飛ばしているが、『国喰らい』とあだ名される化け物と戦っているにしては緩い空気が漂っていた。
当然ながら、それには二つほど理由がある。
一つはカンナとローランはグレイゴ教徒であり、強力な魔物との戦いに慣れていること。
カンナはグレイゴ教の中でも上から数えた方が早い立場――司教に就いており、更に言えば司教の中でも対人戦含めて“戦闘”に長けている。
ローランはカンナにこそ及ばないものの、“方向性”は非常に似ていた。人間や魔物を問わず戦うことに長けており、なおかつ慣れてもいる。
元々上級の魔物を探してメルセナ湖まで来たのだ。スライムが相手というのは予定外だったが、実際に戦いが始まれば心を乱す要素にはなり得ない。
そしてもう一つの理由が非常に単純で、スライムがカンナとローランに意識を向けていないのだ。
スライムの思考は理解できず、むしろ思考する頭があるのかと疑問に思うぐらいだが、“何故か”レウルスを狙うばかりでカンナとローランには目も向けないのである――目があるかどうかも謎だったが。
カンナは両手の小太刀を振るい、外皮を微塵に切り刻みながらスライムの挙動を確認する。
巨体過ぎて山を削っているような気分になるが、いくら傷つけても反応が返ってこない。スライムは地響きを立てながらレウルスの方へと向かうばかりで、カンナとローランには見向きもしない。
痛覚がないのか、巨体過ぎて鈍いのか。いくら斬撃で削るには巨大な体とはいえ、痛覚があれば何かしらの反応があってもおかしくないはずだ。
スライムとは人間と蟻ほどの体格差があるだろうが、蟻に噛まれれば痛い。それも継続して噛まれれば――斬られれば敵意の一つでも見せて然るべきだろう。
「解せませんね……わたし達の攻撃が見向きするにも値しないほど軽いというのなら、その認識を改めさせてやりたいところですが……」
「俺達よりもあっちを危険視している……なんてこたぁないんですかい? 構う余裕がないとか?」
曲刀を振るい、スライムの“端”を地道に斬りながらローランが疑問を投げかける。
スライムの危険度は知れ渡っているが、その有名さに比べて情報が少ない。十年に一度発見されるかどうか、という希少性も相まって情報が集まりにくいのだ。
その上、仮に発見でもしようものなら周囲の戦力全てを巻き込んででも即座に仕留める風潮がある。生かしたままで捕えるなど論外で、呑気に情報を収集している間に成長されては目も当てられない。
いくらグレイゴ教といえどスライムの生態に関して詳しいわけではなかった。生まれるなり周囲のものを喰らい、肉体を成長させ、破壊と絶望をもたらす。それがスライムという魔物で、かつては国一つを喰らうに至った化け物。
倒し方についても、『核』を破壊すれば死ぬ、風魔法と雷魔法が比較的有効という情報が出回っているだけである。
そんなスライムが人間一人に執着して追い回すなど、一体どんな理由があればあり得るのか――。
「……あっ」
「なんですか、あっ、って」
思わず、といった様子で声を漏らしたローラン。カンナはスライムに取り込まれないよう外皮を斬り飛ばす方向を調整しつつ、ローランへと怪訝そうな声をかける。
「いやね? さすがに冗談の類だとは思うし、そうあってほしいんですが……あのレウルスって奴、目の前のコイツを食ったそうですよ。凍ってたから削って丸呑みにしたとかなんとか……」
「…………」
それまで軽快にスライムを切り刻んでいたカンナの動きが僅かに鈍る。しかしすぐさま気を取り直し、スライムから外し過ぎない程度にレウルスへと意識を向けた。
そして『龍斬』を振るうレウルスの姿を数秒だけ観察し、小さく首を傾げる。
「実はスライムが人間に『変化』している、なんてことは――」
「俺も同じことを考えましたけど、戦い方を見る限り人間でしたよ。むしろ後ろの嬢ちゃん達の方が魔物みたいです。ドワーフに吸血種、あと一人……赤い髪の娘がよくわかりませんが、ありゃあ人間じゃないっすね」
「……魔物と一緒に行動しているのなら、レウルスさんも魔物なのでは?」
ローランの発言を聞き、カンナは怪訝そうな顔をした。だが、ローランが人間というのならそうなのだろうと自分を納得させる。
それでも、いくつか疑問が湧いたが。
「技術は助祭以下なのに、身体能力は司祭の中でも上位。武器の良さは司教が持つ物かそれ以上か……総合すればローラン、貴方に匹敵するでしょうね」
スライムを捕食したという“冗談”は脇に置くとしても、あまりにもチグハグ過ぎる。カンナがレウルスという存在に違和感を覚えていると、ローランは片眉を跳ね上げた。
「ありゃ、そんなもんですかい。さっきも言いましたけど、以前俺が取り逃がした『城崩し』を仕留めたのはアイツだったらしいんですがね……司教様にゃ届きませんか」
「――今の状態が全力なら、という話です」
カンナの声色が冷える。スライムを切り刻みながら、狂気染みた空気が放たれていく。自覚があるのか無自覚なのか、その口元には大きく笑みが刻まれていた。
「『城崩し』の死体を見る限り、何か奥の手を隠しているのかもしれません。魔法か『加護』か……それ次第では司教の位階に手が届く。相性次第では勝利を掴み得るでしょうね」
どこか楽しそうに呟くカンナ。ローランは即座に距離を取りたくなったが、スライムを切り刻んでいる状況でそんなことをしている余裕はない。
「いいですね……さっきも勧誘しましたけど、是非ともグレイゴ教に欲しい人材です」
「あー……そりゃ無理っぽいです。吸血種の嬢ちゃんの身内が殺されたとかで……それをやったのがウチの“馬鹿共”らしいんですわ」
スライムに対する戦意とは異なる、敵意に似た険しさを見せるローラン。その声色に気付いたカンナはそれまでの表情を一変させ、苦笑を浮かべる。
「あの人達の理屈も理解できなくはないんですけどね……先日『城崩し』に、そして今日は『国喰らい』に遭遇した身としては、賛同できないのは確かです……っと?」
それまで言葉を交わしながらもスライムを斬りつけていたカンナだったが、スライムの動きに違和感を覚えて眉を寄せるのだった。
レウルスが斬り、ジルバが殴る。
言葉にすればそれだけだが、単純だからこそ即席の連携が成り立っていた。
スライムに追いつかれないよう走り回り、ある程度距離が開いたら間合いを測りながらレウルスが斬り込む。そして斬ったスライムの肉片を外皮ごとジルバが殴り飛ばし、その巨体を少しでも削っていく。
レウルスは『熱量解放』なしで、ジルバは『強化』だけで成し得る最大限の攻撃方法が“ソレ”だった。
「ジルバさんは素手なんだから注意してくださいよ! スライムの皮を貫通して腕を突っ込んじまったら洒落になりませんから!」
「ハハハ、お気遣いなく。腕は二本ありますから」
「一本は犠牲にする前提ですか!?」
ドワーフが鍛え上げた『龍斬』ならば大丈夫だが、ジルバは素手である。それだというのに微塵も躊躇せずにスライムを殴り飛ばすジルバに思うところがあるレウルスだったが、カンナを相手にして素手で渡り合っていたのだ。
ジルバの技量はレウルスが心配するような次元に存在しないのだろう。
それでもレウルスが軽口のように声を上げるのは、間近で見たスライムへの恐怖感を誤魔化すためだ。今のところ動きが鈍いものの、何かの拍子に押し潰されて殺される危険性が常に付きまとう。
もしも足を滑らせて転びでもすれば、そのまま取り込まれて消化される。魔物との戦いは常に命がけだが、溶かされて死ぬのは御免被りたいレウルスだった。
(『城崩し』の時もそうだったけど、体がデカいっていうのはそれだけで一つの武器だな……地面に潜らないから『城崩し』よりは逃げやすいけどさ)
土中を移動する『城崩し』と比べれば間合いも測りやすい。その点だけは『城崩し』よりも戦いやすいと言えるだろう。
攻撃の全てが例外なく即死につながると思われるため、トータルで見ればスライムの方が遥かに厄介だが。
(せめて防具があれば……いや、体が重くなって体力を消耗するだけか?)
この場にはない防具の数々を思い出し、レウルスの不安が少しだけ増した。防具をつけずに魔物と戦うなど、冒険者になってからは早々にあるものではない。
例え防具をつけていてもスライムに飲み込まれればすぐに死ぬだろうが、防具にはその頼もしさによって安心感をもたらす側面もあった。
レウルスは心中に思い浮かんだ恐怖感を努めて無視すると、スライムを斬りつけてから即座に離脱する。そしてスライムとの間合いを測るべく駆け出し――そこで疑問に思った。
(気のせいか、動きが鈍いような……もしかして、デカくなった体が“馴染んで”ないのか?)
孤島で戦った時はもう少し機敏だった気がする、とレウルスは思考する。移動速度もそうだが、飛び跳ねて押し潰してくる様子も見せないのだ。
地響きを立てながら迫ってくる姿はそれだけでも脅威的だが、『熱量解放』を使わないレウルスでも追いつかれずに逃げ回れる。逃げ回る体力さえ尽きないのならば、斬撃だけでスライムを削り切れるのではないかと錯覚するほどだ。
レウルスはスライムから距離を取りつつ、その視線を少しだけ逸らした。
逃げ回るレウルスとジルバに、それを追い回すスライム。そしてそんなスライムを追いかけながら切り刻むカンナとローラン。
レウルスが遠目に見たのはカンナとローランの二人で、レウルスとは違って手数を活かしてスライムの体を削っている。
武器が傷まないよう外皮だけを斬っているようだが、その勢いはすさまじい。透明なスライムの外皮が次々に斬り飛ばされ、周囲へと飛散していく。
目視している限りではどの程度削れたかわからない。素手で山を削るような苦行だが、削り続けている以上効果は確かだ。
このまま削り続ければ勝機が見える。走り続けているため体力に不安があるが、十分に勝ちの目がある。
レウルスはそう考え――スライムの動きが変わった。
「…………?」
何の恨みがあるのかと問いかけたいほど一直線に追いかけてきたスライムだが、それまでの猛追が嘘のようにレウルスから距離を取り始めたのだ。
飛び跳ねる前兆かとレウルスが身構えるものの、スライムはゆっくりと後退していく。カンナとローランも警戒心を強めたようにスライムから距離を取るが、それに構った様子もなく後退を続ける。そして、そのままメルセナ湖へと飛び込んだ。
「……おい……待て……まさか……」
思わず呆然と呟くレウルスの視線の先で――スライムの体が時間を巻き戻すように膨らむのだった。