第17話:初報酬の使い道
――ラヴァル廃棄街。
その名に反して雑多ながらも“それなり”に整った街並みを見やり、レウルスは様々な感情が混ざったため息を吐く。
「レウルスさん? どうかしたんですか?」
「ああ……いや、人が多いなぁってね」
ため息に気付いて可愛らしく首を傾げるコロナに対し、レウルスは本音半分出まかせ半分で答える。
正確な数はわからないが、名前に街と付くだけあって道行く人々の数が多い。前世の記憶と照らし合わせて考えると大したことがないように思えるが、今世において生まれ故郷となるシェナ村と比べると数倍の人口がありそうだった。
「そうですか? 今の時間帯だとみんな働きに出てますから、これでも少ない方ですよ?」
「これで少ないって言われると、俺がいた村なんて……って、働きに出てる?」
都会に出たお上りさんよろしく周囲を見ていたレウルスだったが、コロナの言葉に気になる点があったため首を傾げる。
「この町から北に行くと大きな畑があるんですよ。そこで農作業をしたり、冒険者の人達は護衛に就いたりしてます」
「畑かぁ……村の連中に扱き使われた身としちゃあ良い思い出がねえな」
コロナの説明に笑いながら肩を竦めるレウルスだったが、良い思い出など言葉通り一つもなかった。それでも農地を耕したことがある身として、いくつかの疑問を覚える。
(この町から北の方に畑ねぇ……シェナ村からこの町に着くまで畑を見なかったけど、森が近いからか? 魔物の被害を警戒するって意味じゃ間違っちゃいないわな)
シェナ村はラヴァル廃棄街から南西の方角に位置し、レウルスが通ってきた細い街道以外はほとんどが森林に囲まれている。森林はラヴァル廃棄街の南側まで広がっているため、魔物による農作物の被害を考えるならば森林から離れた場所に畑を作った判断は妥当と言えた。
「でもよ、食料の運搬を考えるならもう少しこの町の近くで畑を作った方が良くないか? もちろん水源が近くにないと駄目だけどさ」
育てる作物にも左右されるが、畑というものは基本的に多くの水が必要となる。レウルスも幼い頃から農作業に従事“させられていた”が、離れた場所にある小川から水を汲んでは畑に運ぶという単純作業を毎日、年単位で行ってきたのだ。
その経験を踏まえて言えば、ラヴァル廃棄街から多少離れていても水源が近い方が良い。だが、離れすぎているのも問題だ。あまりにも移動に時間がかかるのならばその分農作業の時間が減り、なおかつ魔物に襲われる可能性も高くなってしまうのだから。
「ラヴァルに近い場所で作った方が税を納めるのに都合がいいですから」
「あ、そうなんだ……んんん?」
農地に適している場所が他にない、あるいは他の場所と比べて魔物と遭遇しにくい。そういった言葉が返ってくると思っていたレウルスは、コロナの言葉に一度頷いてから奇妙な声を上げてしまう。
(えっ、いや、水税の時も思ったけど税金は普通に取られるの? 兵士がいないっぽいから冒険者って名前で自警団を組んで魔物退治してるのに?)
辛うじてそんな疑問を飲み込むレウルス。今世においては現在自分がいる国の政治形態すら知らないが、前世の記憶はボロボロといっても大まかな知識が残っている。その知識と照らし合わせると、さすがにそれはおかしいのではないかという疑問が胸中に渦巻く。
(税金は取るけど守らない、自分の身は自分で守れ? え? どういうことなんだ? それってアリなのか? なんで税金納めてるんだ?)
今世はともかく、前世でも政治や経済について詳しいわけではなかったが、話を聞いた限りでは何故税金を納めているのか理解できなかった。
(税金は取るけど政治家も市役所も警察も消防も何もしませんよ、ってぐらい酷い話に聞こえたんだが……)
もちろん、前世における日本の政治形態などがそのまま当てはまるはずもない。しかし、課される税金と比べて恩恵が少なすぎるのではないか。
(人頭税があるぐらいだしなぁ……うーむ、この国だと税金に見合った行政サービスを求める方が間違ってるのか?)
シェナ村での生活で前世の知識をアテにする危険性は学んだが、この世界における常識等との“すり合わせ”はできていない。コロナが疑問を覚えていないというのなら、自分の方がおかしいのだろうとレウルスは結論付けた。
「シェナ村には一応兵士がいたんだけど、ラヴァル廃棄街にはいないんだよな?」
それでも、確認として尋ねるレウルス。冒険者組合でも話を聞いたが、本当に兵士がいないのか疑問に思ったのだ。
レウルスの両親が魔物に殺されるのを防げない程度の質だが、シェナ村に防衛のための戦力として複数の兵士が存在していたのは事実である。
「いませんけど……それがどうかしました?」
「いや、ちょっと気になっただけなんだ……ハハハ」
心底不思議そうな顔をするコロナに対し、レウルスは乾いた笑い声を返した。コロナが嘘を吐く理由はなく、嘘を言っているようにも見えない。
(シェナ村でも色々と理不尽な目に遭ったけど、本当に“世界”が違うんだなぁ……)
結局はそんな結論に落ち着いてしまい、レウルスは頭を振った。
シェナ村では最底辺の境遇の農民として生まれ、成人と同時に奴隷として売り飛ばされ、魔物に襲われて命辛々逃げ出し、死にかけながらも辿り着いたラヴァル廃棄街で得た冒険者という身分。それもおおよそ最底辺と言える環境であり、政治だなんだと気にするだけ無駄だろう。
そんなことよりも今は目先の生活の方が重要であり、冒険者として生きていくための準備を整える方が先決だった。
「話は変わるけど、靴屋で売ってる靴ってどんな感じなんだ? 手持ちの金でちゃんとした物が買える?」
「予算は700ユラですよね? うーん……でも、服の分と当面の生活費を考えると400ユラぐらいが上限かなぁ……うん、それだけあれば十分ですよ。お父さんの名前を出せば少しは安くしてくれると思いますし」
「ここでも出てくるおやっさんのネームバリュー……どんだけ恩が積み重なるのやら」
ドミニクの影響力は一体どれほどのものなのか。ほんの数日であっという間に積み重なっていく恩に、レウルスは困った様子で頬を掻いた。せっかく得た金銭も受け取ってもらえなかった以上、どうやって恩返しをすれば良いのか見当もつかない。
(俺を“拾ってくれた”コロナちゃんにも何か恩返しをしなきゃな……でもおやっさんの娘さんだし、金を渡そうにも受け取ってくれないだろうし)
いっそ恩着せがましい対応をしてくれた方がわかりやすくて良いのだが、と内心だけでため息を吐くレウルス。コロナやドミニクにとっては大したことでもないのかもしれないが、レウルスからすれば命を救われた事実は大きすぎた。
コロナとドミニクが気にしていない以上、恩返しをする必要もないのかもしれない。全てはレウルス個人の自己満足で終わるのかもしれないが、命を救われた恩を放置するのはなけなしの矜持が許さないのだ。
(こんな世界だからこそ、ってのもあるんだろうけどな……)
かつて生きていた日本と異なり、容易く命を落とす世界と境遇である。親も友もおらず、金もなく、生きていく上で必要となる知識や技能も持たないレウルスだが、それ以上落ちぶれたいとは思わない。
腹が満ち、十分に休息を取ることができた現状だからこそ持つことができた余裕かもしれない。だが、ドミニクとコロナを筆頭に、冒険者という形ながらも受け入れてくれたラヴァル廃棄街に対して恩義を感じる己の心を偽ることはできそうになかった。
(ま、だからって何ができるってわけでもないんだけどさ)
冒険者としては駆け出しであり、役に立つかもしれない前世の知識も十五年近い歳月を経たことでボロボロだ。恩返しになりそうなものを即座に思いつける頭の良さもなく、できることと言えば冒険者として地道に魔物退治を行うことぐらいだろう。
魔物退治も下手すれば一回の戦闘で殺されそうだが、その辺りは強力な魔物に遭遇しないよう祈るしかない。
「あっ、靴屋はここですよ。あっちが服屋です」
つらつらと考え事をしていたレウルスだったが、そんなコロナの声で我に返った。言われるがままに視線を巡らせてみると、靴の模様が刻まれた看板が目に入る。
(これが靴屋……ち、小さくね?)
コロナに案内された靴屋を見たレウルスは、言葉には出さないものの頬を引き攣らせてしまった。
眼前にあったのは木造の建物だったが、その規模は小さいと言わざるを得ない。大通りに面しているため立地は悪くないものの、大きく開け放たれた扉から見えた内部の広さは六畳程度だ。
その上、靴の材料や工具らしき物体がところ狭しと置かれており、建物の大きさと比べて半分程度の広さしか存在しないように見えた。
前世の靴屋のように足のサイズごとに量産品が並べられているわけもなく、店主が客に合わせて手作りで一つ一つ作り上げるのだろう。オーダーメイドと言えば聞こえは良いが、商品を置く場所や靴を作るための材料を考えると“そうするしかない”のだ。
「ん? 客か?」
今世で初めて見る靴屋に軽くカルチャーショックを受けていたレウルスだったが、店の中からそんな声をかけられて我に返る。慌てて視線を向けてみると、三十代と思わしき男性が店内から顔を覗かせて訝しげな表情をしていた。
「こんにちは、おじさん。この人に靴を作ってもらいたくて来たんですけど……」
「おっと、コロナちゃんじゃないか。コロナちゃんの紹介かい?」
レウルスに対しては僅かな警戒を見せていた男性だったが、コロナが声をかけるとすぐさま態度が軟化する。目に見えて表情が柔らかくなっており、当然とはいえ扱いの違いを感じるレウルスだった。
「わたしとお父さんの紹介です。この人、レウルスさんっていうんですけど、お父さんの推薦で新しく冒険者なったんですよ」
「ほぅ、ドミニクさんの……それなら手は抜けねえなぁ」
コロナの説明に何を思ったのか、男性の目が鋭くなる。レウルスはその様子に若干腰が引けたが、逃げても仕方がないと観念して店に足を踏み入れ――気付いた。
「……おっちゃん、その足……」
店内に入ったことで男性の全身が見えたが、右足が半ばから存在していないのだ。義足と思わしき木の棒も見えるが、それで不自由さが改善できるとは思えない。
「ん? ああ、俺も昔はお前みたいな冒険者だったんだが、膝から下を魔物に食いちぎられてな……そういった冒険者が少しでも減るよう、靴屋を始めたってわけだ。足を守るための脚甲も作ってるからな?」
(理由が重すぎじゃねぇ!?)
軽く言い放つ男性に内心で戦慄するレウルス。ナタリアから冒険者は命を落としやすい職業だと聞き、ニコラからは冒険者歴が六年少々でベテランだと聞いたが、心構えもなく“元冒険者”に出会った衝撃は大きかった。
それと同時に、ナタリアから冒険者以外の職を薦められなかったことにも納得する。目の前の男性のように冒険者を続けられなくなった者が何かしらの職に就いているのならば、新参者は最も危険な冒険者になるしかなかったのだろう。
「予算は?」
「400ユラ……いや、有り金全部出すんで、可能な限り良い靴と脚甲をお願いします」
コロナは生活費や服の代金についても考えていたが、レウルスとしては魔物の脅威を再確認した気持ちである。そのため有り金を全て差し出し、作れる範囲で最上級の物を求めることにした。
ニコラとシャロンも言っていたが、靴は大事なのだ。その上で足を防護するための脚甲も作っているのならば、是非とも揃えるべきである。
「有り金全部ときたか……ふむ、700ユラか。この金はどこから?」
「初めて魔物退治をした報酬だよ。金はまた稼げるだろうけど、おっちゃんを見てたら……な」
失礼だとは思ったものの、足を失いたくはない。そんなことを考えるレウルスに対し、男性は笑って頷いた。
「初めての報酬で靴を買う、か。良いぞ坊主、そういう奴は長生きする」
レウルスの言葉など気にしていないよう笑い飛ばすと、男性はレウルスの足のサイズを測り始める。更には腰から下の長さを測り、太ももやふくらはぎの太さまで測ると、それを近くにあったボロ紙に書き込んだ。
「他に受けてる仕事もあるが、これぐらいなら三日もありゃできる。使いたい素材はあるか?」
「本職に全部任せるよ。こちとら冒険者としては駆け出しだし、その前は毎日畑を耕してただけだから」
餅は餅屋である。素人が下手な口を挟んでも良いことなど何もないため、レウルスは持ち金を全て渡してから靴屋を後にするのだった。
「ねえ、レウルスさん。お金を全部渡してましたけど……ごはんはどうするんですか?」
「……魔物を狩って食べる、かな? 知ってるか? シトナムって生でも食えるんだぜ。それに、水だけでも一週間は生きられるし」
靴屋を後にし、続いて入る予定だった服屋をスルーしたレウルスは、コロナからの質問にそっと目を逸らした。
今後の当面の生活まで考えていてくれたコロナには申し訳なかったが、ニコラ達の言う靴が大事だということを肌で実感した直後だったのだ。これは必要な投資だったのだ、とレウルスは自分に言い聞かせる。
「ニコラさんとシャロンさんが一緒じゃないんですよね? 魔物、狩れるんですか?」
「た、多分?」
注文した靴を履く前に命を落とすのではないか。そんな縁起でもない予感が頭を過ぎったが、魔物討伐が無理そうなら靴と脚甲が完成するまでは大人しくしていようと思うレウルスである。
余談ではあるが、入ることがなかった服屋は中古の服しか置いていないらしい。注文すれば新たに作ることもできるようだが、ラヴァル廃棄街で服と言えば基本的に中古のものを指すらしかった。
「もう……わたしも止めませんでしたけど、しばらくは安全な依頼を受けてくださいね?」
「安全な依頼って言われてもなぁ……そんなのあるのか? 魔物と戦う以上、安全ってことはないような……」
冒険者になってしまった以上、単純な肉体労働を受けられるとは思わない。ナタリアからも説明を受けたが、魔物と戦えると判断されたからこそ冒険者という職に就けたのだ。
「農作業に行く人たちの護衛とか、この町の周辺に魔物がいないか確認したりとか……完全に安全ってことはないですけど、単純に魔物を狩ってお金を稼ぐよりは安全なはずです」
「護衛って……」
自分の体すら満足に守れないというのに、他人を守れと言うのか。己の実力を客観的に見て考えた場合、それは無謀でしかないだろうとレウルスは思う。
「毎日護衛の冒険者と一緒に畑に行きますから、魔物も近づいてこないんです。近づくと危ないって学習してるんでしょうね」
(それ、護衛が弱いって判断されたら遠慮なく突っ込んでくるんじゃ……)
魔物にも学習能力があり、痛い目を見れば様々なことを学ぶ。その程度は魔物の種類によって異なるが、何度も痛い目に遭っているならば魔物も早々に襲ってこないだろう。
しかし、護衛についている冒険者が弱いのならば容赦なく襲ってきそうである。そのためレウルスは苦笑を浮かべ、肩を竦めた。
「さすがに他人を守りながら戦えるとは思えないし、ここは大人しく町の周辺で魔物の監視でもしてるよ」
ラヴァル廃棄街の周辺は平地であり、魔物の生息域である山や森からは距離がある。もちろん完全に安全とは言えないが、ニコラ達と共に魔物退治に出かけた林よりも格段に危険度が下がるだろう。
例え魔物と遭遇しても、レウルスが倒す必要もない。ラヴァル廃棄街へと撤退し、他の冒険者と袋叩きにすれば比較的安全に狩れる。どのような魔物と遭遇したか報告するだけでも役目を果たしたと言えるはずだ。
「それならお父さんに頼んでご飯の用意をしておきますね。魔物と戦わなかったとしても、動けばそれだけお腹が減るでしょうし……そういえばお布団ももう少し良いのを用意しなきゃ……」
「あ、いや、それは……」
どうやらレウルスがドミニクの料理店に戻ってくると思っているだけでなく、再び宿泊すると思っているようだ。レウルスとしてはありがたい話だが、世話になり過ぎるのもどうかと戸惑ってしまう。
そんなレウルスの心中に気付いたのか、あるいは気付かなかったのか、コロナは陽だまりのように温かく微笑んだ。
「ごはんは大勢で食べた方が美味しいですし、気持ちよく眠るためにもお布団は必要ですよね? さすがに新品のお布団は用意できませんけど、うちで使わなくなったお布団があるから干しておきます」
(なんだこの子。やっぱり天使か……)
それが当然だと言わんばかりのコロナの態度に、レウルスは人知れず感動する。この世界に生まれ変わって十五年、コロナのように心優しい他人に出会ったのは初めてだ。
余程ドミニクが大切に育て、コロナもそれに応えて真っ直ぐに育ったのだろう。前世の平成の日本ですら中々お目にかかれなかった善良ぶりである。
(そこまで迷惑をかけるのは……でも断れば寝る場所が……む、ぬ、ぐぐぐ……)
ここまで純粋な善意を目の前にすると、シェナ村で擦り切れたと思っていた他者への遠慮が激しく刺激された。だが、温かな食事と安全な寝床というエサを目の前にしては、レウルスの遠慮など風で飛ぶ埃にも等しい。
「あー……うん。それじゃあ頼むよ。代金分ぐらいは今から稼いでくるから……」
他に泊まる場所のアテもなく、ドミニクの料理以上に心惹かれるものもなく、レウルスはあっさりと頷いてしまった。
「それじゃあお待ちしてますねっ」
何が嬉しいのかニコニコと笑うコロナの言葉に、頑張って依頼を遂行しようと決意するレウルスだった。