第178話:共闘 その2
迫りくるスライムの巨体。
その大きさは最早山が動いているに等しいが、『核』を除いて無色透明のスライムが迫る姿は山というよりは津波だろう。
――スライムの巨体で押しのけられたメルセナ湖の水が、実際に津波となって押し寄せてきたが。
「動くだけで攻撃になるとか本当に洒落にならんな……」
『龍斬』を抜いて駆け出したレウルスだったが、スライムが上陸するにあたってメルセナ湖の水が壁のように迫ってくることに気付いてそう呟く。
当然の話ではあるが、陸地にいるレウルスの方が高い位置にいることになる。だが、スライムの巨体で押しのけられた水が岸辺を乗り越えて押し寄せてくるのだ。
岸辺からは距離を取っているため水に飲み込まれることはないが、移動するだけで津波を起こすスライムの規格外さに頭を抱えたくなる。
「いやはや……さすがにあれほど巨大な魔物と相対するのは初めてですね」
「なんというか、すいません……」
徐々にその全貌が見えつつあったスライムを睨んでいたレウルスだったが、ジルバが駆け寄ってきたため頭を下げる。しかし、ジルバは気にするなと言わんばかりに頭を振った。
「お気になさらず。サラ様とネディ様の手前、無様な姿は晒せませんから……おっと、ネディ様はまだ“そう”だと決まったわけではありませんでしたね」
「サラに聞いても反応が微妙だったんですよね……それで、グレイゴ教の二人は?」
ジルバがカンナとローランを放っておくとは思えなかった。レウルスが二人の姿を探してみると、レウルス達よりも大きく離れた場所でスライムに備えているのが見える。
エリザ達はメルセナ湖から距離を取っており、レウルス達はエリザ達から見て左前方に、カンナとローランは右前方に位置取りをしていた。上空から見れば三角形に見えるだろう。
カンナとローランはエリザ達に背を向ける形になっているが、この状況でエリザ達を害するつもりはないというアピールなのか。あるいは、エリザ達に背中から撃たれても対処できると考えているのか。
「話はつけてきました。私はレウルスさんと共に動きますが、向こうは向こうで動くようです。スライムの気を引きつつ、可能な限り削ると言っていましたよ」
「共闘すると言っても、連携なんてできませんしね。それが無難ですか」
つい数分前まで殺し合っていた間柄なのだ。スライムが相手とはいえ、近くで戦っていた場合“手が滑る”こともあり得る。
(それが一番あり得そうなのがこっちの味方ってのは笑えないところか……)
ないとは思いたいが、これ幸いにとカンナやローランをスライムに向かって叩き込みそうな人物が味方にいるのだ。互いに距離を取って干渉せずにスライムを削ることが一番の連携になりそうだった。
『レウルス、聞こえる?』
『サラか、聞こえてるぞ。どうかしたか?』
スライムよりも先に押し寄せた水が引くのを待つレウルスだったが、サラから『思念通話』が聞こえて応答する。ただし、サラの声色はどこか硬く感じられた。
『“後ろ”から見ていて気付いたんだけど……あのスライム、明らかにそっちに向かってるわよ』
『……人気者は辛いなぁ、おい』
レウルスはスライムの巨大さで気付かなかったが、距離を取ったサラからすればスライムが進路を変えたのは一目瞭然だった。メルセナ湖の岸辺に迫りつつも、明らかにその進路がレウルスに向けられているのだ。
(ネディじゃなくて俺を狙ってるのか……目があるようには見えないけど、どうやって俺を見分けてるんだ? 魔力か?)
事前に危惧していたようにネディが狙われているわけではないようだが、サラから見て即座にわかるほど進路を変えたスライムにレウルスは暗澹たる気持ちを抱く。何が悲しくてスライムに迫られなければならないのか。
「スライムの狙いは俺みたいです。サラが言うには、近づくにつれて明らかにこちらを狙っている、と……」
「ふむ……それなら対応も容易かもしれませんね。さすがにここまで水が来ることはないようですし、足場に気を付けながら駆け回り、隙を見てスライムを削りましょう」
「そしてある程度削れたらエリザ達の出番ってわけですね」
問題は、どこまで削れるかだ。孤島でスライムを斬った際は“傷口”がすぐに塞がってしまい、削るどころの話ではなかった。
『龍斬』を使えば斬ることはできる。頑強かつ柔軟なスライムの外皮も、問題なく斬り裂ける。魔力を込めて斬れば刀身が傷むこともない。
だが――“それだけ”だ。
(端の方から切り刻んでいけば……ジルバさんもいるし、どうにかなるか?)
当てにして良いかわからないが、カンナとローランもいる。スライムを斬り、エリザ達の魔法で『核』が破壊できるほどに削り切れればレウルス達の勝ちだ。
真正面から『核』を両断できればそれに越したことはないが、孤島で戦った感触としては非常に難しいと言わざるを得ない。『核』の位置が固定されているのならどうにかなるだろうが、『核』自体が体内を自由に移動できるとなれば話は別だ。
孤島で戦った時よりも巨大化したスライムの肉体を斬り進み、『核』を斬れる位置まで踏み込み、更には回避しようと動き回る『核』を斬れるかどうか。
(どう考えても無理だな……)
エリザやサラとの『契約』による後押しに加え、『熱量解放』を用いて全力で斬り込んでも不可能だろう。斬り進んでいる最中にスライムの体に飲み込まれそうだ。
「ジルバさん、とっておきの切り札みたいな技とか魔法ってあります?」
スライムと接敵するまでの僅かな時間。レウルスは愛剣を肩に担ぎながらジルバへと尋ねる。
スライムを削り切れるかどうかは前衛の四人の腕にかかっているが、その中でもジルバだけが素手だ。もしかするとスライムが相手でも通用する“何か”があるかもしれない、などとレウルスは期待した。
「申し訳ありませんが、スライムが相手となると私は非常に相性が悪いですね……今回はレウルスさんの補佐に専念します」
だが、ジルバはレウルスの問いかけに首を横に振る。一年にも満たない付き合いではあるが、ジルバはこのような状況で情報を出し惜しみする性格でもない。
それならば言葉通り補佐に専念するのだろう、とレウルスは思考した。
(それでもジルバさんなら何かしら“仕出かして”くれそうな気もするけど……っと、ここまでか)
距離にしておよそ300メートル。スライムの接近に合わせて押し寄せた水が届かないギリギリの距離で待機していたレウルスは、透明に近い小山のような巨体が陸地に乗り上げたのを見て前傾姿勢を取る。
スライムはメルセナ湖を渡ってきたが、上陸してこなければ手の出しようがない。魔力の刃を飛ばせば多少の距離があろうと攻撃できるが、魔力を消費しすぎると『熱量解放』の継続時間に不安が残る。
そう思ってスライムの上陸を待ったわけだが――。
「でかい……『城崩し』なんて目じゃないな」
距離を取っているはずだというのに、目の前にその巨体が鎮座しているように見える。距離感が狂いそうなほどの巨体を誇るスライムを前に、レウルスは緊張で乾燥し始めた唇を舌で湿らせた。
メルセナ湖の水を吸収したのか、メルセナ湖に生息する魔物を取り込んだのか。孤島で見た時よりも倍近い大きさへと変貌したスライムは、そこに在るだけで重苦しい威圧感を与えてくる。
「『国喰らい』という名も誇張されたものではなかったようですね……今の状態でも町の一つぐらいは容易く滅ぼせそうです」
「正義の味方を気取るわけじゃあないですが、放っておくには害がありすぎますね」
さすがのジルバでも緊張を覚えているのか、その声色は少しばかり硬かった。
ジルバの言う通り、城塞都市に突撃しても容易く滅ぼせるだろう。真正面から突撃したとしても、一時間とかけずに滅ぼせそうである。
“通常ならば”魔物の侵入を防ぐ城壁も、ここまで成長したスライムが相手では意味がない。苦もなく城壁を乗り越えるだろう。むしろコップに水を注ぐようなもので、城塞の中に籠る住民の逃げ場を塞ぐだけの枷になりそうだった。
(“最悪”を思えばこの段階で戦えるのは幸運……か?)
レウルスにとっての最悪とは、このスライムがラヴァル廃棄街まで到達することだ。
ラヴァル廃棄街まで距離があり、到達するよりも先にマタロイの全軍を挙げて滅ぼしにかかりそうだが、万が一『国喰らい』の名に恥じない惨劇を引き起こした場合はラヴァル廃棄街も巻き込まれる危険性があった。
ラヴァル廃棄街で安穏と過ごしていたら、ある日突然『国喰らい』と呼称するに足る巨大なスライムに襲われる――それは絶望というよりも悪夢だ。
それを思えば今このタイミングでレウルス達がこの場にいたこと。それはネディが言っていた、『運命』という言葉に他ならないだろう。
スライムと戦う運命など、レウルスとしては御免被るが。
「――オオオオオオオオオオオオオォォッ!」
それでも、現実としてスライムと対峙しているのだ。レウルスは恐怖を振り払うように腹の底から咆哮し、上陸したスライム目掛けて突撃する。
正面から斬りかかっても効果はない。そう判断し、スライムの“端”目掛けて全力で疾駆する。スライムの動きに注意しつつ、押し寄せたメルセナ湖の水で汚泥となった地面を蹴り付け、担いだ『龍斬』を叩き込むべく瞬く間に距離を詰める。
そんなレウルスに遅れることなく、ジルバが続く。レウルスと違って無手だが、スライムが相手だろうと戦いを始めて緊張で動きを鈍らせるほど“初心”ではない。
急速に接近するレウルスとジルバに対し、スライムの動きは鈍重だった。メルセナ湖を渡ってきたのが嘘と思えるような緩慢な動きで肉体を動かし、レウルスに迫ろうとする――が、それも遅い。
足場の悪さにも構わず、全力でレウルスが踏み込む。踏み込んだ衝撃で地面に溜まっていた水が四散し、くるぶし近くまでレウルスの右足がめり込む。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアァァッ!」
駆け寄った勢いを乗せた、上段からの一撃。『熱量解放』がないとはいえ『契約』で強化された肉体から繰り出されるその一閃は、容易くスライムの外皮を断ち切る。
だが、それでは孤島で戦った時と変わらない。斬っても即座に復元するスライムが相手では、頑丈な外皮を斬れる腕と武器があっても勝機にはつながらない。
「ふんっ!」
故に、勝機を作るのはジルバの役目だった。レウルスが刻んだ傷跡がふさがるよりも速く、スライムへと肉薄する。斬撃を叩き込んだレウルスから数瞬遅れて踏み込み、元通りに戻ろうとする外皮目掛けて掌底を叩き込んだのだ。
ジルバはスライムの外皮を素手で斬り裂くような芸当は持ち合わせていない。カンナの二刀を素手で捌く技術はあっても、打撃を無効化するスライムを殺し得る攻撃力は持ち合わせていない。
そう――スライムを“殺せる”攻撃力は持ち合わせていないのだ。
その代わりにジルバが成したのは、レウルスが斬り裂いたスライムの外皮を肉体から“引き剥がす”ことだった。
叩き込んだ掌底の衝撃は復元しようとしたスライムの肉体を引き千切り、そのまま後方へと吹き飛ばす。金属製の武器だろうと溶解させるスライムの体液が宙に飛び散るが、ジルバが叩き込んだ掌底の衝撃によってジルバ達よりも前方に飛散する。
「ジルバさん!」
スライムの端――1メートルにも満たない肉片を吹き飛ばしたレウルスとジルバだったが、攻撃を叩き込むなり即座に後退していく。
スライムを削れたのは良いが、足を止めていれば即座にスライムに飲み込まれるのだ。
「俺が斬って、ジルバさんが殴り飛ばす……なんとかいけそうですね」
「素手で山を削るような苦行ですがね」
全速力で距離を取りながらレウルスが呟くと、ジルバもそれに応えて頷いた。そしてスライムの動きを見つつ、再び端から削れるようにと間合いを測り始める。
「“傷口”から中身が噴き出して体が小さくなる……なんてオチはありませんか」
水風船のように割れるなり中身が飛び出すなりすれば楽だったのだが、とレウルスは呟く。そうなっていない以上、今しがたつけた傷口も即座に塞がったのだろう。
周囲の外皮が閉じたのか、あるいは“中身”が硬化して新しい外皮になったのかはわからない。それでも、削れることは確認できたのだ。
(動きはそこまで速くない……今の内に削れるだけ削らねえとなぁっ!)
ジルバが言葉にしたように、山を素手で削るような苦行になるだろう。それでも勝機が見えたことに勢いづき、レウルスは再びスライムに向かって突撃するのだった。