第176話:変化 その3
「共闘……だと?」
ローランから投げかけられたその言葉に、レウルスは傍目にもわかるほど顔をしかめた。起きたまま寝言を言っているのかと尋ねたくなったが、状況が状況だけに言葉にはしない。
「……共闘できるような間柄じゃないと思うんだが?」
グレイゴ教徒はエリザの家族の仇で、レウルス自身もいきなり脇腹を短剣で刺されたのだ。レウルスからすれば信頼どころか信用すらもできない。スライムと戦っている最中に背中から撃たれたのでは堪らない。
「ま、そりゃそうだわな。そっちの詳しい事情は知らねえが、吸血種の嬢ちゃんの様子から察するにこっちの馬鹿どもが“馬鹿”を仕出かしたみたいだし……いやもう、あいつら死んでくれねえかなぁ……でも司教様や大司教様の中にもなぁ……」
レウルスの厳しい声色に、ローランは疲れたようなため息を吐く。そしてブツブツと呟いてから頭を振ると、徐々に近づきつつあるスライムへ視線を向けた。
「スライム……『国喰らい』ってのは発見次第退治するべきなんだよ。これはグレイゴ教徒だけでなく、兵士なんかも同じ認識だろう。冒険者はさすがにわからねえが、アレが危険な魔物だってのは知ってるよな?」
「……まあ、な」
戦意も敵意も引っ込めて話すローランに対し、レウルスは歯切れ悪く答える。敵であるならば問答無用で斬れるが、そんなレウルスを止めるだけの“何か”がローランの態度に含まれていた。
それでも警戒を解けないレウルスに対し、ローランは苦笑を浮かべてから頭を下げる。
「ドワーフの嬢ちゃんを傷つけたことに関しちゃ謝る。すまん、この通りだ」
あっさりと、レウルスから目線を切って頭を下げるローラン。もしもレウルスが斬りかかれば反応が遅れて対処も難しいだろう。それでも謝意を示すように深々と頭を下げたローランに、レウルスは困惑を強める。
以前遭遇したグレイゴ教徒と比べ、ローランは“毛色”が違う。それを感じ取ったレウルスは僅かに殺気を鈍らせた。
もしも今の状況でなければ――巨大化したスライムが迫っている状況でなければ、『そんなものは知ったことか』と斬りかかっただろう。グレイゴ教徒は敵で、身内であるエリザにとっては仇で、ミーアを傷つけたという三点を以って迷わず斬れる。
しかし、である。徐々に迫りつつあるスライムの威圧感がレウルスの殺気を鈍らせた。停戦どころか共闘を申し出るローランの技量は今しがた己の目で確認し、その上でジルバと真っ向から渡り合うカンナの存在もあるのだ。
レウルスとしても、ジルバのようにグレイゴ教徒は見敵必殺とするような物騒な思想は持っていない。“敵”だから斬るのであって、そうでないならば斬るつもりはなかった。
「詫びと言っちゃあなんだが、コイツを使ってくれ」
どうしたものかと悩むレウルスだったが、そんなレウルスの思考を読んだようにローランが顔を上げて手のひらサイズの小瓶を放ってくる。レウルスは反射的に小瓶を受け止めると、中身を確認して眉を寄せた。
「……これは?」
小瓶に入っていたのは薄緑色の液体である。小瓶は“口”が短いフラスコのような形状で、中身が漏れないようコルクに似た物体で蓋がされていた。
一瞬毒かと訝しんだレウルスだったが、その液体からは多少の魔力が感じ取れる。
「魔法薬だ。治癒魔法が使えないんで携行してたんだが、打撲ぐらいならすぐに治せる。飲むなり傷口に振りかけるなりしてくれ」
どうやら魔法具の一種らしい。だが、レウルスは魔法具に関して詳しくないため後方のミーアへと投げ渡す。無論、投げ渡す間もローランから視線は外さなかった。
「っと……えっと、うん、たしかに魔法薬みたい。ボクは治癒魔法が使えないから作ったことがないけど、魔力の反応を見た限りこのぐらいの怪我ならすぐに治ると思うよ」
魔法薬を受け取ったミーアは数秒間液体を見つめていたが、すぐさま結論を下す。武器や防具よりも魔法具の制作に長けているミーアがそう言うのならば間違いはないのだろう。
「礼は言わないぞ」
「いらねえよ。俺がつけた傷を治して礼を言われるのは筋が通らねえだろう? それに、スライムが相手なら戦力は多い方が良いってもんさ」
ローランの言葉はもっともだ。つけた傷を治して礼を言われてはマッチポンプも良いところだろう。レウルスとしてもローランがエリザ達に襲い掛かった“マイナス点”をプラスにするつもりはない。プラスマイナスでゼロにもならず、マイナスのままだ。
「そっちの嬢ちゃん達は三人合わせても上級にゃ届かねえ。それなら俺としても斬る理由がない……だからその殺気を引っ込めてくれや。こっちが悪いのはわかるんだが、司教相当の手練れとやり合いたくはないんでな」
「…………」
色々と腑に落ちない点はある。レウルスはローランの言葉を受け止めて沈黙し――数秒経ってため息を吐いた。
スライムが上陸するまでに残された時間はそれほど多くない。その間に迎撃の準備を整える必要があるのだ。スライムを引き連れてこの場に戻ってきてしまったレウルスとしては、事態を収集するために動く必要があるだろう。
(妙な動きをすれば斬る……でも、今は貴重な戦力か)
そう自分に言い聞かせ、納得するために大きく息を吐いた。そして意識を切り替えると、いつの間にか距離を取ってスライムを注視しているジルバとカンナへ視線を向ける。
「ジルバさんはこっちが止めるから、そっちは……」
「おうよ。さすがにこの状況で殺し合うほど司教様も血気盛んじゃねえ……と、いいんだがなぁ……」
そう言って背中を向け、カンナのもとへと駆け出すローラン。レウルスが斬りかかってこないと判断したのか、斬りかかっても対応できる自信があるのか。
その背中を見つめたレウルスは頭を振り、ジルバのもとへと駆け寄るのだった。
「……仕方ありません、か」
そして手短に事情を説明したジルバは心底嫌そうに、溜息を吐きながら承諾の意を示した。カンナとぶつかり合っていたというのに無傷で、被害は服の袖口が数ヵ所斬られているだけである。
ただし、その視線はカンナから逸らしていない。カンナもまた、ジルバから視線を外さずにローランと言葉を交わしている。
「しかしスライムとは……それもあれほど巨大なものとなると上級下位か、下手すれば上級中位に匹敵するでしょうね」
どうやら百メートル近くまで成長しても上級中位を超えないらしい。レウルスが以前聞いたスライムが『国喰らい』と呼ばれるきっかけ――国を滅ぼしたスライムが上級上位だったため、まだまだ成長の余地があるということなのだろう。
「それに、あの少女……まさか……」
「ネディについては俺も詳しいことはわかりませんよ……命の恩人っていうのもありますが、“もしかしたら”そうかもしれないって思ったんで連れてきましたけど」
ジルバはカンナの挙動に注意しつつ、ネディへと意識を向ける。レウルスも釣られてネディへ視線を向けてみると、何故かサラから距離を取っていた。
「ネディ様ですか……いえ、様付けをするのは気が早いですね。しかし、サラ様にヴァーニル殿、ドワーフの集団に『城崩し』……そこにきて今度はスライムですか。レウルスさんは相変わらず騒動に好かれているようだ」
冗談なのか本気なのか、ジルバは目を細めて笑う。その目付きが笑っていないように思えたレウルスは視線を逸らしたが、今度はカンナと視線がぶつかった。
「事情は理解しました。そちらの……レウルスさん? ローランが逃がした『城崩し』を仕留めてくれたようですし、貴方に免じてここは退きましょう。『狂犬』を仕留めるのは別の機会に取っておきます」
「抜かせ、小娘が」
何が面白いのかニコニコと笑いながら告げるカンナに対し、ジルバの殺気が膨れ上がる。しかしカンナはそんなジルバに構わず、笑みを深めた。
「わたしはカンナと申します……それで、どうです? あのスライムを倒せたらグレイゴ教に入信しませんか? 『城崩し』を仕留めたみたいですし、最初から司教に就けると思いますよ?」
「――俺の前で勧誘とは良い度胸だ」
ジルバの殺気がよりいっそう膨れ上がり、レウルスが慌てて止める。だが、カンナはジルバの殺気を受け流し、意味深な流し目をレウルスへと向けた。
「グレイゴ教向けの人材みたいですし、歓迎しますよ? それに、わたしも個人的に興味がありますから――本当に、ね」
「っ!?」
艶やかで色気を感じさせる視線だったが、その瞳に得体の知れない“何か”が混ざる。それは殺気のようで、観察するようで、期待するようで。前世含めてこれまでの人生で感じたことがないような異質の眼差しだった。
レウルスは反射的に『龍斬』を抜きかけたが、辛うじて自制する。そして僅かに迷ったものの、最後には口の端を吊り上げた。
「アンタみたいな美人のお誘いは是非とも受けたいところだが……お断りだ」
今世で初めて見た黒髪に、和服に似た衣服。顔立ちも美人と言って差し支えなく、それでいて可愛らしさも同居している。服装が服装だけにスタイルはわかりにくいが、外見だけで考えるならカンナはレウルスの好みに近い部分がある。
グレイゴ教の司教という一点だけで、その魅力も激減するが。
「あらあら……ローラン、聞きましたか? わたし、美人だそうですよ?」
「そりゃあ毒のある花ほど綺麗に咲くっていてぇっ!?」
レウルスの返答が聞こえていたのかいないのか、カンナは嬉しそうにローランへと話を振った。そしてローランの言葉を肘打ちで遮ると、近づきつつあるスライムへと視線を移す。
「切り刻むのは骨が折れそうですね……それに『核』の数がおかしい。わたしとローランは属性魔法が使えないので相性が悪いですが、そちらは?」
「俺とジルバさんも似たようなもんさ。ただ、あっちで準備させてる仲間は火炎魔法、雷魔法……それに、氷魔法と水魔法を使える」
一応は共闘する間柄ということで、手短に戦力の確認を行う。レウルスは『熱量解放』やエリザ達との『契約』という切り札について伏せたが、それはカンナやローランも同様だろう。何かしらの切り札を持っていると考えるべきである。
「火炎、氷、水……これだけだと厳しかったですが、雷魔法があるのならまだ戦えますね。外部から『核』を破壊できるだけの威力は出せますか?」
「……スライムと戦うのは初めてなんでな。さすがにそこまではわからねえよ」
「それなら可能な限り削りましょうか。私たちは取り込まれないよう動き回って陽動、本命は向こうの女の子達の魔法ということでどうです?」
レウルス達とカンナ達の間には信用も信頼もない。それを理解しているのかカンナは複雑な作戦を立てず、極めてシンプルに作戦を提案した。
レウルス達が時間を稼ぎつつスライムを削り、エリザ達が属性魔法で仕留める。簡単に言えばそれだけのことで、あとは臨機応変に対応するしかない。
いくらスライムが相手とはいえ、グレイゴ教徒と共闘する現状に色々と思うところはある。だが、カンナやローランと戦いながらスライムとも戦うなど無謀も良いところだろう。
それはジルバとて認めるところらしく、文句を挟むこともなかった。グレイゴ教徒に思うところはあるだろうが、スライムよりも優先するべきではないという判断だろうか。
(いくらジルバさんでも共闘する相手を背中から撃つ真似はしないと思うけど……)
相手がグレイゴ教徒では確信も持てない。それでもレウルスはそうならないよう祈りつつ、徐々に近づきつつあるスライムを睨みつける。
(あとはエリザ達……特に、エリザの心情次第か)
それだけは確認しておかなくてはならない。レウルスでさえグレイゴ教徒と共闘することに抵抗があるのだ。
必要があるとはいえ心理的な負担を強いることに眉を寄せつつ、レウルスはエリザ達の元へと駆け出すのだった。




