第168話:『国喰らい』と『魔物喰らい』 その3
――“ソレ”は困惑していた。
自分の体に何が起きているのか、理解ができなかった。
人間のように知性はなく、本能だけといっても過言ではないが、その本能すら困惑を示している。
ソレ――スライムは何でも喰らう魔物だ。
本能が命じるままに行動し、人や魔物を区別せずに喰らい、果てには木や岩、土や大地すらも喰らい始める。それこそがスライムという魔物の生き様で、喰らうことこそがスライムにとっての存在意義とも言える。
特定のスライムではなく、スライム全体を指してつけられた『国喰らい』という別称。これは“成長さえすれば”すべてのスライムがその領域に達することからつけられたあだ名だ。
もちろん、本当に国を喰らうほど強大かつ強力に育つのは容易ではない。スライムの脅威は知れ渡っており、人間だけでなく高位の魔物からも敵視されているのだ。発生してからある程度育つまでに存在を知られ、討伐されることも珍しくはなかった。
その点では、メルセナ湖の孤島に発生したスライムは幸運と言えるだろう。
周囲は水に囲まれ、人間も魔物も生息していない。時間はかかるものの安全に、緩やかに力を蓄えてその体を強く、大きくすることができるのだから。
最初は小さな、水たまりのような大きさだった。それでもメルセナ湖の魚や魔物を喰らい、その体を大きくしていった。
――そこで体が動かなくなった。
何が起きたのか理解できなかったが、体が石になったように動かなくなったのだ。『核』は無事のため死ぬことはなかったが、体を動かそうとしても動けず、急速な停滞を強いられることとなった。
動けない原因が“何者”かによって凍らされたのだと悟ったのは、動けなくなってどれほどの月日が経ってからだったか。
それでも、体を覆う氷とその魔力を吸収し、ゆっくりと、しかし確実に体を大きくすることができた。
スライムに知性はない――が、己の身を凍らせた何かが弱っていることは本能で察した。
このままならば遠からず氷の束縛が解け、以前のように動けるようになるだろう。そうなれば本能のままに行動し、巨大化した体を更に大きく、強くすることができる。
今ならば強力な魔法を操る人間にも、高位の魔物にも遅れは取らないだろう。小癪にも動きを妨げていた何かを平らげ、孤島の木々を平らげ、メルセナ湖を渡って手あたり次第に喰らって回れば、更に強くなる。
そう、思っていたのだが。
「いただきます」
スライムとしても理解しがたいことに、その体を喰らう“何か”が現れた。
削られて喰われた部位は僅かなれど、自らが喰われるという一事は本能だけのスライムとしても衝撃だった。欠片のような部位だけでは飽き足らず、次から次へと、端から削るようにして自らの体が喰われていくのだ。
その時覚えた感情を表すことなど、できはしない。元より自らが覚えた感情が何なのかを理解する知性がない。
それでも、思ったのだ。
無作為に平らげてきた魚や魔物と違い、その“何か”は敵だ――と。
「水……精霊……いや、氷? サラマンダーのサラちゃんみたいな……でもサラの時は仕方ないとしても、あの子につける名前となると……うーん……」
メルセナ湖の孤島にたどり着いて三日の時が過ぎた。
今日も今日とて砂浜に座り込んだレウルスは、切り分けたスライムの皮を胃に押し込みながら首を傾げる。
青い少女に名前をつけると言ったものの、ピンとくる名前が浮かばないのだ。
おそらくは精霊だと思うが、本人が理解していない以上確証をもって精霊だと断じることができない。
サラの場合は火の精霊の祭壇で出会ったため安直かつ直球な名前が口から零れたが、あの時はサラが強引に顕現しようと画策し、レウルスに何の説明もなく『己の名前』を問うてきたのだ。
そしてレウルスが口にしたサラという名前を受け入れ、顕現した。当時のレウルスとしては厄介事だとしか思えなかった、“一方的な”『契約』と共に。
青い少女は既に顕現している以上、レウルスが名前をつけても何かが起こることはないだろう。そもそも、『契約』は双方が受け入れて初めて正式に力を発揮するのだ。
スライムの皮を飲み込みつつ、レウルスはスライムを凍らせるためにメルセナ湖の湖面で踊る少女へ視線を向ける。
相変わらず表情が真顔に近いが、初めて見た時と比べれば多少なり柔らかく見えるのは目の錯覚か、レウルスが慣れただけなのか。
少女は青い羽衣を翻しながらステップを踏み、スライムの体が溶けないよう凍てつかせていく。その冷気は砂浜まで届くほどだが、少女が放つ魔力を感じ取ったレウルスは小さく眉を寄せた。
(たしかに魔力が減ってるな……初めて会った時と比べたら半分ぐらいまで減ったか?)
少女はスライムの全身を凍らせているわけではなく、溶けかけている部分を凍らせているだけである。ジルバの話によるとスライムは火炎魔法や氷魔法に強いらしいが、そのスライムを凍らせるために多大な魔力を消費しているのではないか。
メルセナ湖という場所がそうさせるのか、少女の魔力の回復速度も速い。だが、回復する魔力よりも消費する魔力の方が大きいようだった。
(俺の魔力を渡せればいいんだけどな……)
寝る間も惜しんで三日ほどスライムを食べ続けたおかげか、レウルスの魔力も回復している。むしろこれまでにないほど魔力が溜まっているように感じられるが、肝心の魔力を渡す手段がない。
少女が精霊ならば『契約』を交わせるだろうが、『契約』の交わし方はレウルスも知らないのだ。
エリザの時は既にエリザを受け入れていたため何の抵抗もなく『契約』が結ばれたが、サラの時は当初拒んでいた。言い方は悪いが、『サラ』という名前とレウルスの魔力、そして一方的に『契約』を結んだことで強引に顕現したのがサラである。
最終的に正式な『契約』を結ぶに至ったが、見知らぬ火の精霊に取り憑かれたと判断したレウルスの心境は中々に複雑だった。
(エリザやサラの時みたいに、言葉で宣言すればいけるのか? でも、あの子の意思は無視できないしな……)
自分を助けてくれたこともそうだが、人知れずスライムの脅威を防ぎ続けていたその姿勢は眩しく見える。“それしか”知らないとは言うが、特別に守りたいものもなく、誰かに強制されたわけでもないというのに限界ギリギリまでスライムを凍らせ続けているのだ。
少女の魔力は既に底が見えている。このままいけば少女の言う通りスライムの“枷”が外れるだろう。もしもレウルスが孤島にたどり着くのがあと五日遅ければ、少女は魔力を使い果たして死んでいたに違いない。
(その場合、俺はあの子と出会うことなく水没して死んでいたか)
ここ最近は天候が安定しているため、そもそもの話として目的地であるヴァルディに何のトラブルもなく到着していたかもしれない。
――巨大なスライムが襲ってくるという最悪のトラブルが起こっていた可能性があるが。
「運命ねぇ……」
少女が口にした、運命という言葉。それを自らも口に出し、レウルスは苦笑した。
「……何か楽しいこと、あった?」
「お嬢ちゃんの名前を考えること……かな? 子どもができたらこれぐらい悩むかもな」
スライムを凍らせ終わったのか、少女が不思議そうな顔をしながら近づいてくる。レウルスはそれに笑って答えつつ、スライムの皮を口に放り込んで丸呑みにした。
「子ども?」
「ああ。俺もお嬢ちゃんぐらいの子どもがいてもおかしくない歳で……ってそりゃおかしいわ。ごめん、忘れてくれ。お嬢ちゃんぐらいの子どもがいたら洒落にならん」
「……?」
前世を含めればおかしくはないが、今世だけで考えれば異常すぎる。レウルスは自分の発言に自分でツッコミを入れると、少しだけ頬を引きつらせた。
前世でも子どもはいなかった――はずだ。
いくら連日の激務で疲れ果てていたとしても、子どもがいたことまで忘れるとは思えない。三代前の総理大臣の名前を答えよ、などと問われたら答えられないが。
「名前ってそんなに大事?」
「そりゃあ大事さ。俺の場合、死んだ両親が遺してくれた唯一のものだしな」
正確に言えば農奴という立場なども遺してくれたわけだが、それらに関しては両親を責めるつもりはなかった。
「お嬢ちゃんはどんな名前がいい? わかりやすくて呼びやすい方がいいか? それとも個性的な名前がいいか?」
「……簡単な名前?」
「か、簡単な名前か……センスが問われるな」
名前をつけることに関しては構わないらしい。乗り気というわけではないが、少女一人で生きていたところにレウルスという他者が現れたことで必要性を認めたのか。
(これで精霊じゃなかったら笑い話にもならないけど……水や氷に関係がありそうな精霊……なんだっけなぁ。ウ……ウ……ウー……ウーネ? 何か足りないな。ウーネディーネ? 近くなった気がするけど……)
ボロボロになっている前世の記憶を必死に漁るレウルス。決してサラマンダーのサラちゃんに引きずられたわけではないが、レウルスは自分に名付けのセンスがあるとは思っていない。
そのため前世の記憶から“それらしい”名前を使おうと思ったものの、すぐに思い出すことはできなかった。
「…………ん?」
悩みながらスライムの皮を食べ続けるレウルスだが、パキリ、と枯れ木を踏み折ったような音を拾って顔を上げる。
少女が林に足を踏み入れたわけでもなく、何の気配も感じさせずに魔物や人間が現れたわけではない。当然枯れ木がひとりでに折れたわけでもない。
音が聞こえた瞬間にスライムの皮を放り出して『龍斬』の柄を握ったレウルスだったが、周囲に視線を向けて首を傾げた。
「聞き間違い……じゃあないよな」
「わたしも聞こえた」
レウルスが少女に尋ねると、少女は頷きを返す。レウルスは音の発生源を探して視線を巡らせ――パキパキと何かがひび割れるような音が聞こえた。
風に乗って聞こえたその音に、レウルスは即座に立ち上がる。そして一度抜いたきり鞘に戻すこともなかった『龍斬』を両手で構え、メルセナ湖の湖面に視線を向けた。
正確に言うならば、湖面で氷漬けになっているスライムに視線を向けた。
「嘘……なんで……」
青い少女が信じられないと言わんばかりに呟く。少女もスライムに視線を向けていたが、その目は驚きからか大きく見開かれていた。
レウルスは急速に高まっていく魔力を感じ取り、盛大に頬を引きつらせる。視線の先では、“体が裂ける”ことに構わず動き始めたスライムの姿があり――。
「おいおい……マジかよ」
少女の予想よりも二日早く、スライムが氷の束縛から抜け出したのだった。




