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第166話:『国喰らい』と『魔物喰らい』 その1

 “その表情”をレウルスの前世風に例えるなら、『マジかよコイツ』といったところだろうか。


 それまで真顔で無表情だった青い少女の目が僅かに見開かれ、口元もかすかに震えているように見えた。


「……冗談?」

「いや、本気」

「……正気?」

「だから本気……正気!?」


 少女の思わぬ辛辣な発言に、レウルスは一度頷きかけて瞠目する。正気を問われたことなど、これまでの人生でも初めてで――。


(……今までに何回か聞かれた気がする)


 本気かと問われれば本気としか答えようがなく、正気かと問われればこれまた正気としか答えようがない。特段狂気に染まっているわけではないはずだ、とレウルスは思う。


 腹が減ったから食べられるものを食べる。喉が渇いたから水を飲む。眠くなったから眠るといった、人間としてごく当たり前の行動だろう。

 魔力を回復させつつ、腹を膨らませることができるのだ。レウルスとしては一挙両得ならぬ一食両得とでも言うべきで、これでスライムが美味しければ心まで潤うおまけ付きだ。


 心なしか一歩後ろに引いたように見える少女だが、逃げ出すようなことはない。ただし、警戒を示すように魔力が高まっているように感じられたが。


「人間……魔物……人間?」


 どんな意味があるのか、レウルスを見て、スライムを見て、もう一度レウルスを見る少女。


「俺のことか? もちろん人間だよ。ただ、仲間内じゃあ冗談として『魔物喰らい』なんて呼ばれてもいるけどな」


 元々は魔物だろうと平気で拾い食いする様からつけられたあだ名だったが、今ではラヴァル廃棄街でもそう呼ばれることが増えているぐらいには定着している。


 そして、当然のことではあるがレウルスは人間だ。前世の記憶があるという点では普通ではないのだろうが、きちんと人間の両親から生まれたことをレウルス自身覚えている。

 両親が死んでから十五歳になるまでは村の連中から酷使され、与えられる生ゴミのような食事を取り、少しでも栄養を確保しようと虫や木の根や雑草を食べていたが、味覚が壊れているわけでもない。


 常に空腹で餓死寸前まで追い込まれていた経験から“少しばかり”食い意地が張ってはいるが、斬られれば血が流れ、水没すれば窒息死する普通の人間なのだ。


「人間、飢えればなんでも食べるもんさ」

「そうなんだ……人間ってすごい」


 少女は感心したように頷く。そんな少女を苦笑しながら見るレウルスだが、今しがたの返答は色々と疑問が湧き出るものだった。やはりと言うべきか、眼前の少女は人間ではないらしい。

 雰囲気や魔力もそうだが、レウルスの話を聞いて『人間ってすごい』などと返答するのは“人間以外”の生き物だろう。


 だが、レウルスとしてはどうでも良いことだ。吸血種に火の精霊にドワーフといった存在が近くにいることもそうだが、言葉が通じて敵対的でないのならば気にする必要もない。


 敵ならば斬る、仲間なら守る、獲物は喰らう。シンプルにそれだけで良いのだ。中にはヴァーニルのような敵とも仲間とも言い難い喧嘩友達もいるが。


(しかし、食べるといってもまともに斬れるかどうかがなぁ……皮は頑丈で中身は武器を溶かすような生き物なんだろ? 凍ってるのがどう転ぶか……)


 レウルスとしては食べる気満々になっていたが、切り分けることが可能なのかすらわからない。愛剣で斬りつけて刃が欠けでもすれば困るため、まずはスライムの頑丈さを確認するところから始める必要があるだろう。


「あのスライムは君が凍らせてるんだよな? どれぐらいの硬さかわかるかい?」

「……すっごく硬い?」

「オーケー。わからないってことがよくわかったよ」


 ジルバの話では、打撃も斬撃も効きにくい上に仮に効いても武器を溶かす厄介さがあるとのことだった。凍り付いている今ならば斬っても武器は無事だと思うが、念には念を入れるべきだろう。

 レウルスは浜辺のギリギリまで歩み寄ると、愛剣ではなく腰裏の短剣を鞘ごと引き抜く。そして冷気が漂うほどに凍り付いたスライムの体表を軽く突いてみた。


「……ふむ」


 カンカン、と金属を突いたような手応えと音がする。試しにと短剣を抜いて突いてみるが、僅かに切っ先が食い込むだけで貫通させるのは骨が折れそうだ。


 ドワーフ手製の短剣は並の武器よりも頑丈かつ鋭利である。その短剣でも容易には傷をつけられない以上、凍り付いたスライムの頑丈さは金属にも勝るのではないか。

 しかし、僅かとはいえ食い込むのだ。レウルスはスライムの“皮”部分に短剣の刃を当てると、ノコギリのようにスライドさせて薄く削り始める。


 ガリガリ、あるいはゴリゴリと音を立てながら、時に短剣の切っ先を突き刺しながら、レウルスはスライムの皮を削っていく。そうしてしばらく短剣で削っていくと、手のひらサイズの“皮”を削り出すことに成功した。


「…………」


 レウルスの行動を無言で見守っていた少女が、とことこと足音を立てながら近づいてくる。そしてレウルスを心配そうに――心持ちレウルスの頭部を心配そうに見つめた。


「いただきます」

「……っ」


 合掌し、躊躇なくスライムの皮を口に放り込むレウルス。青い少女がビクリと体を震わせたが、レウルスはそれに気付かず口の中の物体を咀嚼しようとする。


(んー……硬い……凍ってるのを差し引いても硬い……いや、硬いというか硬質のゴムを噛んでいるような……)


 スライムの皮を噛み砕こうとするレウルスだったが、干し肉を何十倍も硬くしたような食感が立ちはだかった。噛んでも噛んでも噛み千切ることすらできず、冷たさが口中に広がるばかりである。

 もしも舌に異常を感じれば吐き出すつもりだったが、皮の部分は頑丈なだけで物体を溶かす効能はないらしい。そのことに安堵しつつ、時間をかけてでもスライムの皮を噛み砕いていく。


 ――特徴的な味はしない。


(ゼリー……いや、寒天だっけ? 顎が疲れるだけで美味しくはないな……)


 強いて言えば水の味だろうか、とレウルスは思考する。何度も噛むため満腹中枢は刺激されそうだが、味がないのはいただけない、と眉を寄せた。


「……吐く? ぺってする?」


 どこか心配そうに見てくる少女だが、レウルスは首を振ってスライムの皮を飲み込んだ。これならば小さく切り分けて丸呑みした方が良さそうである。


「うーん……美味くもなければ不味くもない……塩……いや、砂糖がほしいな」


 砂糖をまぶして食べれば“イケる”かもしれない。塩でも良いが、砂糖の方が合いそうだとレウルスは思った。

 ただし、この世界に生まれ変わってから砂糖など食べたことがないどころか見たことすらない。甘味と言えば果物ぐらいで、今の体で砂糖を食べれば脳が悲鳴を上げそうだ。


「本当に食べてる……人間ってすごい」

「食べたっていうよりも、飲み込んだだけだよ……しかしまあ、こいつは困ったな」


 削る作業もそうだが、飲み込むのも一苦労である。レウルスは再び短剣でスライムの皮を削り始めると、さてどうしたものかと首を傾げた。


 栄養があるのかはわからないが、腹が膨らむのは事実である。スライムも魔物である以上、魔力の回復にも役立つはずだ。

 だが、一度に食べられる量が少なすぎる。今度は削り出したスライムの皮を細かく切り刻んで口に放り込んでみるが、小さくなってもその硬さは相変わらずだ。そのためレウルスはほとんど噛むことなく飲み込み、ため息を吐く。


 飲み込んだスライムの皮で胃が溶けるということもなさそうだが、味がしないゴムを食べているようで物悲しくなる。何かしらの味があれば違うのだろうが、何度食べても水の味としか思えなかった。


(……焼いたら柔らかくなるか?)


 サラが傍にいれば、良い具合に焼いてくれただろう。そこに塩でも振ればまだ食べられたはずだ。

 サラとの距離が離れすぎているからか、それとも『詠唱』の仕方が違うのかはわからない。今のレウルスには火を熾す手段がなく――。


「……いや、あるな」


 レウルスは腰の小物入れを探ると、小さな布袋を取り出した。そこに入っているのは、かつてナタリアから贈られた火打石と火打金である。

 サラがいるため出番がなくなったが、火打石ならば縁起担ぎに丁度良いだろうと携行していたのだ。少女の力で種火を作るための木屑も乾燥しており、あとは燃やすものさえあれば火を熾すことができる。


(でも、この天気じゃな……)


 雨対策として木陰に移動したとしても、そもそも燃やせるものがない。木を切り倒してから少女の力を借り、強引にでも乾燥させれば薪になるかもしれないが。


「食べるの、諦めた?」

「いや、調理方法を検討していたんだけど……君の力をまた借りることはできるかな?」


 命を救われた上で更なる助力を頼むのは気が引けるが、魔力が回復しないことには全力が出せない。夜間に視界を確保するためにも協力してほしいところである。

 そう思って少女に問いかけたレウルスだったが、少女は困ったように眉を寄せた。


「……あまり力が残ってない」

「そう……なのか?」


 少女の言葉にレウルスは首を傾げた。言われてみればたしかに、少女から感じられる魔力が減っているように思える。数時間前に初めて顔を合わせた時と比べると、その魔力量は七割程度まで減っているようだった。


「スライムの氷も溶け始めてるから、本当に限界が近い……」

「え?」


 呟くような少女の言葉を聞いたレウルスは、スライムを削る手を止めて視線を向ける。


 相変わらず表情に乏しい少女だが、無表情の中にも切迫した焦りの色を感じ取った。


「多分、太陽があと五回も昇る頃には氷が溶ける……ううん、違う。溶ける前に破られる」


 そう言いつつ、少女はレウルスの目をじっと見つめる。


「この時期にあなたが“わたし”を呼んだのは、運命だと思う」

「……そこはよくわからないんだけどな。でも、運命か……」


 レウルスとしてはよくわからない部分もあるが、少女としてはレウルスがこの島を訪れたのは運命と呼ぶほど運が良いことだったらしい。


「前言を翻すつもりはないさ。スライムが動き出すってのいうのなら、できる限り抗うだけだ。そのためにもスライムをだな」

「――ううん、あなたには逃げてもらう」


 レウルスの言葉を真剣な声色の少女が遮る。その声には反論を許さないような力強さがあり、レウルスは困惑しながら少女を見た。


「……どういうことだ?」

「スライムを食べ始めたから驚いて言いそびれた。でも、スライムを倒せるとは思えない。だから逃げてもらう」


 そう言って、少女はメルセナ湖へ視線を向ける。


「わたしは水と氷を操れる。あなたを氷の船に乗せて、わたしが生み出した水流に乗せてこの湖の端まで送る」

「……送って、俺に何をしろと?」


 どうやらこの島から脱出するための方法があるらしいが、レウルスは頷くことなく話の続きを促す。


「人を……」


 そこで何故か、少女は僅かに言いよどんだ。しかしすぐに気を取り直して告げる。


「一人でも多くの人を逃がしてほしい。あなたも、少しでも遠くへ逃げてほしい」

「…………」


 懇願するように告げる少女。それを聞いたレウルスは無言で少女を見つめる。


 実際にスライムが暴れているところ見たわけではないが、その脅威は肌で感じ取れる。今は少女が凍らせているため動けずにいるものの、仮に動き出したとすれば一体どれほどの“災害”となるか。

 それを防ぐためにレウルスを人のいる場所まで送り出し、避難するように呼びかけてほしいのだ。


 スライムによって命を落とす者が、多少なり減ることを期待して。


「それなら、君も一緒に逃げればいいんじゃないか?」


 氷の船を作って送り出すというのなら、目の前の少女も一緒で良いはずだ。そう思ったレウルスが問いかけるものの、少女は首を横に振る。


「それはできない。“わたし”はここに残る」

「……理由を聞いても?」

「“わたし”は……それしか知らないから」


 その返答に、レウルスは頭を掻いた。少女なりに思うところがあって話しているのだろうが、レウルスとしては反応に困るばかりである。


 だが、それでも――。


「スライムの体が溶け出すまで、まだ時間はあるんだよな?」


 命の恩人を置き去りにして去れと言われても、レウルスが素直に頷くはずもない。


 太陽が五回昇るまで――つまり、五日間“も”時間があるのだ。


 レウルスは気合いを入れ直し、再びスライムの解体を始める。食べにくくて、味もなくて、削り出すのも一苦労だが、少女の話を聞いて『はいわかりました』と逃げ出せるはずもない。


 逃げるのならば一緒に。


 逃げないというのなら、スライムを倒すしかない。


 少女の力を借りてエリザ達を連れて来られればいいのだが、メルセナ湖の岸に向かい、エリザ達を探し、事情を説明して連れ帰るのにどれだけの時間がかかるかわからない。


 往復五日でこの場に戻ってこれるとは、さすがに思えない。


 レウルスに逃げろと告げた少女だが、先ほどは『できるなら倒したい』とも言っていた。そちらの方が本心だろうと判断し、レウルスは短剣を握る手に力を込める。


 そうやって再びスライムの解体を再開したレウルスの背中を、青い少女が先ほどとは違う、心から困惑したような目で見つめていた。

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